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風そよぎ モンシロチョウ 舞い飛べり |
辛うじて、笹の葉につかまって一休みする姿を撮ることができた。写真で見ると、笹の葉にしっかりと2本の足(?)を伸ばし、つかまっている(側面で見ているだけだが、反対側にも他の足があり、しっかりと伸ばしているのだろう。そうしないとバランスが崩れる)。全部横向きだから仔細はわからない。しかし、これまた口から出ているのか、頭の先にあるのか、2本の鋭角とも言うべきものが見える。あたり一面、圧倒的な緑が支配する中で、黒い触覚のようなものが見える。このような表現しかできない、昆虫をまったく知らない私の戯言(ざれごと)だ。
モンシロチョウではないが、小学校一年か二年の時、学芸会で、「ミツバチ」の役柄を与えられて、舞台の上で、女の子たちが演ずる花の間を、次々と飛んでまわったことを思い出した。何かセリフを言ったはずだが、そのセリフはとんと覚えていない。幕の袖の下の向こう側の観客席では多くの父兄の方々が見ておられた。その学芸会が終わると、決まって評が下されていた。中には口さがない評もあり、それを母から聞くのも嫌だったが、母が丹精込めてつくってくれた羽をバタバタひらめかせながら、飛んで行った時、それまでの緊張から解放された気分を味わったことも確かだった。
モンシロチョウに限らず、今やさまざまな蝶が目まぐるしく飛びまわっている。もちろん花の蜜を求めてだろう。暑さ一点張りのこの季節、彼らにとってはさぞや無限とも言える草花の間を今日も飛びまわることだろう。どんなセリフを口走っているのだろうか。そう言えば、ここ4、5日の間だが、静かな蝉の声が樹木の間から、集団の声となって聞こえ始めている。なぜか、静かな蝉の声に私は安堵の思いを覚える。生きとし生けるものの盛んな季節へと確実に世界は進んでいると思うからだ。
狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草を食べ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。(旧約聖書 イザヤ11:6〜9)
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