その旨、付き合われた方からの連絡で委細を知った私たちは祈らされた。結局一日の終わりとも言うべき夕方に、その方がたまたま朝寝坊し遅れたので、付き合ってくださる方に家から電話をしようとされたが、様々なことを考えて電話できなかったが、自分は一人で仙台に行き無事にお父さんにお土産も買って帰って来たことがわかり、ホッとした。
それにしても、付き合われた方の思いはどうだったのだろうか、と思ってしまう。「無償」という言葉がある。その方は、自身の犠牲を顧みず、現れない友のために様々なことに気を紛らわせ、心配されたのでないかと思う。昔、学生時代『対話』という題名で日記(ノート)を作ったことがある。次に作ったノートは『無償』にした。それは何が何でも見返りを求めないで行動しようと思ったためである。
実はこの日曜日の出来事を通して思い出したことがあった。1968年の3月5日のことである。京都駅で一人の女性と待ち合わせていた。ところが、時間が来ても一向に現れなかったのだ。何しろその二日前に、栃木県の足利から夜行を使って故郷彦根に帰ってきた。目的は彼女と会うためであった。どういう手違いか、その後何時間待とうが本人と会うことができない。
結局丸半日棒に振った。やむを得ず、岡崎の美術館に行って、青木繁、黒田清輝、浅井忠などの作品を見て回った。今なら携帯ですぐ連絡が取れるが、彼女と会うのは諦めざるを得なかった。その腹いせもあってか、彼女の勤務先・兼宿泊先(滋賀県甲賀町)に京都駅前の喫茶店で二通のハガキを書き、投函した。この機会にと思い、彼女(今は妻)の所持していた書翰を探してみたら、二通ともあった。そのうちの最初の一通は下記のものだ。
「今日は本当に申し訳なかった。と言っても会えなかったのだから何を言ってみても恨めしい。誰が悪いのやら、僕が悪いのか、君が悪いのか、いろいろ努力してみたんだ。今駅前のシャトウーという喫茶店で書いています。頭は支離滅裂で、なんとも口惜しい。それでも岡崎の美術館で明治美術展を一時間ばかり見ていただろうか。あとはもう駄目さ。駅へ一目散。もっとも確実な改札所をねらったのだが。あと5時57分発の柘植(つげ)行きがあるのみだ。なんとしても会って帰らなきゃ、帰って来た甲斐がないというもの。」
(今日の写真は、二羽の鴨が橋の欄干から見えたのを遠くからキャッチしたものです。二羽の鴨は脇目も振らず一目散に画面の左方向へ急いでいるのです。思わず「帰心矢の如し」だなと思いました。その到着点は明日掲載します)
天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。(旧約聖書 伝道者3章1節)
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