2025年6月19日木曜日

帰心矢の如し(下)

(急行する鴨二羽の動きは、私にただならぬ思いを抱かせて、橋の上を走らせた。そして了解した。二羽の鴨は橋の下の人目に触れぬ場所で子鴨を育てているらしかった。昨年の今頃はたっぷりと、水田の中で子育てをする鴨家族を観察させていただいたが、今年は橋の下か?という思いだった。それにしても、二羽の鴨の急行ぶりの先に家族があったとは・・・。この曖昧ではっきりしない画像からは想像していただけないかもしれないが。) 

 さて、昨日の続きだが、結論を言えば、朝京都駅での待ち合わせに失敗した二人だったが、不思議なことに午後に会うことができたのだ。その間の事情を示す手紙が残っていた。それに語らせよう。

「ドストエフスキー覚書森有正著筑摩書房読んでいました。再び感激しました。そこには魂の問題が美しく描写されているのに感動しました。邂逅!出会いの問題。とくにそのなかの「コーリャ・クラソートキン」はぼくのこれまでの苛立ちを訣別させるべく頭を緩やかに打ちました。啓示!ぼくは一層神の問題に近づいていくのを覚えます。そしてぼくは再び、君が京都駅で幾分憮然とした、自失した状態で階段を降りてきたときに感じた霊感に深い存在感を確認しました。実はあのとき朝から苛立っていた精神が諦めの境地から、かえって透明になり完全にある心的状態に支配されていたので、君の姿を物欲しそうに探すのでなく、ーーそういうときはえてして心の中は空虚なものなのですーー、心の奥底で信頼したときーーこれも変な表現ですが、こうしか表現できませんし、事実ぼくの行動は二枚の葉書を投函することに清々しい悦びを感じていたときなのですからね、ーー君が視界に入ってきたのです」

 今の京都駅(※1)は4代目、1997年に開設したようだが、1968年当時の駅舎は3代目にあたり、当時列車の時間待ちには2階にあった「観光デパート」をよく利用した。この時も私は散々労を尽くしたが、彼女と会えず、やはり失望感を抱いてだったと思うが、観光デパートの階段を上るところだった。ところが何とその彼女が上から降りて来たのだ。
 その後、彼女の帰る時間も切迫していて、もはや一刻の猶予も許されぬ中、京都駅から東海道線で草津駅(滋賀県)まで移動し、柘植(三重県)行きの電車に乗り換える合間の時間を駅構内で過ごす短時間の「デート」となった。淡い草色をした草津駅の壁面をバックに私は彼女の横顔をじっと見つめているだけで、十分だった。

 今回端なくも、二人の友人が待ち合わせに失敗したことをきっかけに57年前のこのことを思い出した(※2)。1964年から1968年のこの時まで不思議と私の彼女に対する片思いは細々ながらも維持され、京都駅での「邂逅」がなかったら、どうなっていただろうとも思う。友人の待ち合わせの失敗の原因は片方の方の朝寝坊であった。私たちの場合は、彼女が途中で友人に会い、その人と交わっていたために約束の時間に来れなかったことにあった。携帯電話がある今ではとても考えられないことだが、互いに連絡しようがなかった。私には彼女のその行為は許せなかったが、それこそ「無償」「無償」と自分に言い聞かせていた。

 しかもそれから1969年の3月12日の「交通事故」(※3)に至るまでの一年間、さらに1970年3月の受洗、4月の同じ京都での結婚に至るまでの一年間。都合二年間、栃木県の足利と滋賀県の甲賀と相離れた遠距離恋愛ゆえに毎日のように交わさざるを得なかった二人の手紙のやり取りを通しての苦闘があった。そのはしりともいうべき、京都駅から草津駅へ移動しての「邂逅」のひとときのことを指しているのだろうか、その頃の手紙の中で次のように記している。

 今度君と会って一番印象深い、あとあとまで残る君のセリフ「ほんでもやっぱりいづれは吉田さんは神さんのことがわかってくれはると思うわ」を大切にしようと思う。さようなら、ではまた。

 もし当時携帯電話があったら、私たちの間の信頼関係の葛藤は表面化しなかったであろう。今回二人の方が経験された行き違いは、お二人の間の主イエス様への信頼が友人関係を打ち壊すものとはならなかったと想像する。もはや「無償」とは、私たちの単なる道徳律ではなく、とりも直さず、私たち罪人に対する主イエス様の十字架上での贖いの愛をお知りになっていると思うからだ。そのお二人の間の素晴らしい愛こそ、別の機会に稿を改めて、詳しく触れてみたいと思う。

 最後に、昨日、今日と掲載させていただいた写真を通して急行する鴨二羽の姿を追ったのだが、「帰心矢の如し」とは鴨に備わっている主がくださる家族愛の発露に違いないと思う。一方私も最近、やっと主の身許に立ち返った我が身を思う時、「矢の如し」とは主なる神様が私たちに示される愛のすべてだと思わざるを得ない。

※1 私の京都駅との出会いは2代目に遡る。火事で消失する以前の駅舎であった。1950年が火災の年、私が小学校一年の時のようだが、消失間もない駅舎を微かに覚えている。
※2 このことは今回初めて書いたと思っていたが、過去にすでに書いていたようだ。
   https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2019/11/blog-post_30.html
※3 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2019/03/1969312.html

主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。(旧約聖書 イザヤ書55章6節7節)

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