2025年6月3日火曜日

夜ふけの川辺に・・・

中堀から望見する佐和口多聞櫓と天守(彦根城) 2015.5.27
 昨日のKさんはCDと一緒に、聖歌558番、532番の歌詞・詩を是非味わってくださいと手書きでコメントされていました。それで手元にある1992年版の『聖歌』から558番の歌詞を写させていただきました。原詩はイギリスのチャールズ・ウエスレー(1707〜1788)のものです。どなたが訳されたのかわかりませんが、きれいな日本語に訳されていて感謝です。この場を借りてお礼申し上げます。

夜ふけの川辺に
友らと別れて
ただひとり ものを思い居(お)りし時
この身に挑(いど)みて 組み打ち始めし
目に見えぬ人よ
名を証(あか)し給え

如何(いか)なるお方ぞ
この身の悩みと罪・咎(とが)
ことごと見抜き給いしか
この身は知らねど
祝し給わずば
汝(なれ)をば去らせじ 夜明けとなるとも

君は我がために
身代わりとなりて
数多(あまた)の悩みを
受けさせ給いしお方にあらずや
祝し給え
今、よしこの腰骨(こしぼね)砕かせ給うとも

腰は立たずとも
この手はゆるめじ
汝(な)が恵みなくば 生くる甲斐もなし
死力を尽くして 取り組むこの身を
いざ祝し給え
明け方来ぬ間に

闇夜は明け行き
朝(あした)は来(きた)れり
古きは過ぎ去り 新しくなれり
砕かれ尽くして 明け渡しし今
罪の力にも
この身は勝つを得ん

小鹿(おじか)のごとくに
ヤコブさえおどり
神の御力をほめたたえまつる
世にあるかぎりは
「ペヌエル」証(あか)しせん
げに「こころきよきものは神みる」と

心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。(新約聖書 マタイの福音書5章8節)

2025年6月2日月曜日

「水無月」の始まり

 昨日から6月に入った。古利根川の堤を降りて、果たして田植えは始まっているのだろうかと、目を凝らして見れば、遠くからではあるが、水田が前日までとは違い、うっすらと緑がかっていることに気づいた。近づくとつがいの鴨二羽が悠然と水田を屯しているではないか。慌てて、iPhoneをショルダーバッグから取り出し、二枚ほど写真に収めた。しかし、私のこの所作は彼らに警戒心を与えたのだろう。すぐに二羽して飛び立ってどこかへ行ってしまった。

 今年も鴨家族の姿を観察できるのだと思うと嬉しくなった。ちなみに昨年のブログはどうだったのかと検索してみたら、次のようであった。
https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2024/06/blog-post.html
 昨年は私にとって初めての体験であったから、興奮気味の文章を綴っているのが、何となく伝わってきた。あれから一年経つのだと思うのはやはり何となく寂しいし、辛い。自分はどこに座標軸を置いて生きているのだろうかと、改めて時の迫るのを覚えさせられるからである。

 けれども昨日はもう一つ嬉しいことがあった。それはKご婦人のオカリナ演奏のCDをYさんを介していただいたからである。昼間の礼拝の後にいただいたのだが、私はあまり関心を示さず、うっちゃっておいた。これも私のどうしようもない生まれながらの性質ではある。しかし、その後、Yさんから、なぜKさんがこのようなCDを私たちにくださったのかを、メールで知らされ、襟を正され、家内と二人で聞いた。

 全部で67曲のオカリナによる演奏であった。聖歌、讃美歌、日々の歌、童謡、ショパンの別れの曲などが入り混じって次々と演奏されていた。Kさんは左親指が不自由だそうだ。そんなこととは想像もできない。試練の中でオカリナ演奏は、主イエス様への問いかけ、祈りの時ではなかったかとYさんは書き寄越して来てくださっていた。まさにその通りだと思わずにおれなかった。

 その上、家内がこのオカリナ演奏を喜び、それぞれの曲目に私以上に歌詞を、全部ではないが、すらすらつけて歌っていることにびっくりさせられた。このまま回復するのじゃないかと錯覚させられるほどだった。「音楽」と「美術」は彼女の昔取った趣味の杵柄(きねづか)だのに、絵はここ数年とんと描かなくなった。しかし、歌は今も歌うが、このKさんのオカリナ演奏を通して伝わって来る息遣いは、私たち夫婦の魂を揺さぶるのに十分だった。

 こうして、昨日は、私も遅ればせながら、そういう生き方、Kご婦人のような生き方ができればと思わされる、「水無月」の始まりの日となった。

神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。(旧約聖書 創世記2章7節) 

2025年5月30日金曜日

僕の大好きな「iPhone」


 月曜日の夜、iPhoneが急に使えなくなった(※)。そのため、昨日木曜日の昼過ぎまでの都合二日間ではあったが、iPhoneなしの生活を余儀なくされた。言うまでもなく、日々の生活でいかに自分がiPhoneあっての生活を送っているか示された。
https://www.youtube.com/watch?v=MazSczERT4k

 原因は今もって分からないのだが、何しろ電源に繋いでも、うんともすんとも反応しなくなったのだ。ネットで対処法を調べ、それでも解決せず、いつも相談する三男に助けを呼び求めたが、解決できず、週末に直に見てみようとの返事をもらった。

 しかし、この先、三男が来るまで、まだ金、土と二日間も我慢しなければならないのか。それに復旧が保証されているわけではない。回復しない場合の修理費用は62,545円だとメーカー側のホームページで知り、それを思っては前途暗澹たる思いであった。

 不便なのは一切iPhoneを通しての携帯電話の送受信ができなくなったことだった。また普段の生活では手首にApple Watchを装着していて、一切の通信は電話、メールなど即時に受けて行動している。朝起きてから寝るまでの、時とすると睡眠中もiPhoneとApple Watchのお世話になっている。その肝心のApple WatchもiPhoneがダメになれば、一切機能しなくなる。これには参った。

 もちろん、逆にそのようなネット環境に左右されず、静謐な自分の時間を持てる。日頃の自分がいかに様々なネット情報の洪水にさらされながら生きているかを実感させられた。

 私は決して新しもの好きではないが、振り返ってみると、これまで様々な情報機器の最先端の成果を享受して来たことに気づかされる。高校時代にはソニーのオープンリールの録音機を使っていたし、社会人になってからはやはりソニーのハンディーな録音機、ポケットに忍ばせることの可能な小型の録音機(カセットレコーダー、当時「宇宙船アポロが搭載した?」とか言っていた)、2003年に定年退職してからは、「iPhone」を駆使するようになった。

 2010年だったか、ドイツ旅行で親しくなった方の経堂(きょうどう)にあったご自宅を訪問するため、iPhoneのGPS機能を利用して、その方の自宅まで一切どなたの説明も聞かないでiPhoneを使って電撃(?)訪問して、一人悦にいっていたこともあった。

 ましてやその頃電車内では「ガラ携」こそ行き渡っていたが、iPhoneを操作している乗客は車両内で、私をふくめて二、三名いるかいないかの状態であった。電車内で様々な情報を選択し、ある時などは、スポルジョンの『M&E』という英文アプリを開き、窮地に陥っていた私に上よりの多大なる励まし「"Help, Lord." Psalm12:1」をいただいたこともある。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2019/06/help-lord.html

 そのように私の生活にはiPhoneは欠かせない機器である。今回困ったことの一つには毎日通読を続けているyou versionというアプリの1日の聖書個所が一切判らなくなったことだった。外へ出たは出たで、やっと田んぼに水が張られて、田植えが始まろうとしている景色をキャッチしたくもiPhoneなしでは、写真が撮れないことだ。

 第一、このブログそのものの文頭を飾る写真は、iPhoneを通しての賜物である。長距離の電車を乗り継いで行くのも、iPhoneあっての物種であることも思い出す。今回の変事は私にとって様々なことを省みる良い機会となった。

 ただ、不思議なことに、昨日の木曜日長女が庭木の剪定に来ることになっていたが、朝の食事の祈りの時に私は長女が無事にこちらに来れるようにと祈ると同時に、iPhoneの復旧についても短く祈っていたことを今もって思い出す。

主よ。お救いください。(旧約聖書 詩篇12篇1節)

2025年5月25日日曜日

二人三脚の日々と主のご計画

 先ごろ橋幸夫さんが認知症にかかっておられることを明らかにされた。大変勇気のある告白であり、周りの方々の熱い支援があってのことだと思った。年齢は私と同じようだ。「いつでも夢を」という歌があることを思い出し、早速ユーチューブで聞いてみた。大変懐かしかった。吉永小百合とのデュエットであった。澄まし顔で歌うかに見える橋幸夫の姿と、これまたはち切れんばかりの若さと、笑顔で歌う吉永小百合の姿を見るだけで、なぜか胸が痛んだ。

 家内は吉永小百合と同年だからだ。かつて吉永小百合の主演の「青い山脈」がロケ地として彦根を選んだので、家内はそのロケを見に行った。それがいつ頃のことだったか、高校の時だったのか、短大時代のことであったか、はっきりは思い出せないようだが、結構吉永小百合との同世代感覚は今もあるようだ。そこへ行くと私は橋幸夫さんと言っても別世界の住人のように思っていた。それだけに今回の告白は他人事とも思えなかった。ましてデュエットされたお二人と私たち夫婦は同世代だからだ。

 母は胃癌で44歳、父は痴呆症を患って69歳、継母も胃癌で69歳で亡くなった。それぞれ、私の18歳、38歳、51歳の時だった。その私も今や82歳の歳を重ねている。家内は健康そのものだったし、母亡き後、2年して、父の後妻として嫁して来てくださった継母と私との複雑な間柄を良く受け止め、55年の結婚生活を通して終始一貫、私に仕えてくれている。その家内もここ3、4年めっきり弱くなってきた。特に記憶面でのハンディが目立ってきた。

 それもあって、毎日「脳の活性化」と「健康」のため、古利根川沿いの散歩に家内を誘い出しては健康維持につとめている。実は我が家の庭は庭で、この季節たくさんの草花が咲き揃っているので今更出かけるまでもないのだが。これも1996年に家を新築したおり、家内のたっての希望で限られた敷地の中で庭面積を最大限取ったおかげである。

 ところが、このところ庭が鬱蒼と生い茂ってきた。例年なら家内が率先して剪定作業に乗り出すのだが、今年は手を出さない。思い余って、家内を誘い、ベニカナメはじめ椿や山茶花などにまとわりついていた蔓(つる)を外しながらの剪定となった。二人とも疲れたが、家内は私以上に疲れたようだ。耳が遠くなった私と記憶がままならない家内との二人三脚はこうして、肉体面でも衰えが目立つ。

 今日の写真は、そのような蔓の存在にもめげず、咲き誇っていた「アルストロメリア」である。もちろんこんな名前は知らない。家内が前からそう言っていたので覚えているだけだ。夫婦が健康で長生きするのも素晴らしいが、もはやそれは期待できない。互いに弱点を抱え、衰える一方だが、残された我が人生の中で、どのように助け合っていけば良いのか、日々試される毎日である。 特に私は長年の家内の愛に恩返しをしたい、「あなたの隣人を自分と同じように愛しなさい」との主の勧めを実践したいと思うのだが、これが中々どうして自分の力ではできないで、困っている。

 今日も礼拝後の福音集会で主にあって敬愛し、互いに「兄弟」と呼び合っている方から「主の計画」と題する貴重なメッセージをいただいた。最後に読んでくださった聖句(下記の聖句)は私の55年のキリスト者生活・結婚生活の中で危機に会うたびに、繰り返し味わされてきた聖句であった。また新たな思いと感謝の思いで、主イエス様の御業に信頼しつつ歩みたいと思わされている。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(新約聖書 ローマ人への手紙8章28節)

そう言えば、そのメッセージではもう一つ大切なみことばも示してくださっていた。すべての面で「へりくだる」ことこそ、今の自分に主が求めておられる一切なのだと合点する。

ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。(新約聖書 1ペテロ5章6節)

そして、そのメッセージには、今一つ紐解かれていたみことばがあった。下の聖句がそれだ。そのみことばにより、私たち夫婦の二人三脚の内にも、限りない「主のご計画」があることに改めて気づかされる。

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。ーー主の御告げーーそれはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(旧約聖書 エレミヤ29章11節)

2025年5月12日月曜日

「シービービー」と私たち

蛙啼き シービービーと 歩み居り
 「明日から暑くなる」と、もっぱらの天気予報だが、今日はなぜか寒く感じる。夕方、いつもの散歩コースを歩んだが、足元が昨夜の雨のせいか、ぬかるんでいた。けれども、上着をまとってちょうどいい散歩日和だった。

 最近同伴者は私に数歩遅れてついて来る。私としては同伴者と、飛び交う鳥や蝶々を眺め、会話を交わしながら歩みたいのだが、同伴者にはそれよりも大切なことがあるらしい。この一月たらずの間にたくさんの草花はあちらこちらで生い茂り、私たちの背丈に追い迫る勢いだ。同伴者はそのことが気がかりのようだ。雑草が蔓延(はびこ)るのが許せないようだ。

 盛んに雑草の種が飛ばないようにと草をちょん切っているのだ。私は自然派で伸びるなら伸びていい、むしろ生態系を壊すから「やめろ」と言うのだが、一向に気にしない。使命感を感じているようだ。そんな同伴者が、散歩も最終地点に差し掛かったところで、写真のシービービーをまた見つけて草笛を吹いてくれた

 実は二、三日前に同伴者がシービービーを採って、試みに草笛を吹いてみたのだ。その時私はその所作を知らず、耳の側で何やら聴き慣れない音が聞こえて来たので、てっきり補聴器が壊れたのだと思った。が、そうでなく、同伴者が私を驚かせようと私の耳元で草笛を吹いたのであった。そう言えば、その時すれ違った、乳母車に赤ちゃんを乗せた若いお母さんが、何か顔を輝かせて私たちの方を見ていた。老夫婦が「シービービー」と草笛を吹いて楽しんでいる、微笑ましいと思ったのだろう。

 その時、同伴者は実に何十年ぶりだと喜んで言った。私にとっても幼い時に女の子たちが楽しそうに草笛を吹くのだが、自分では出来ないので、それっきりだった代物であったので童心に帰って嬉しくなった。

 だから同伴者に今日も草笛を所望したのだ。ところで、すぐそばには未だ田植えをしていない田が広がっていた。その田んぼにどれだけの蛙がいるのだろう。それこそシービービーの草笛の音、何のその、特有の啼き声を聞かせてくれた。今夜にでも雨が降るのだろうか。

 家に帰ってこの記事を書くうちに二枚の写真を見せ、同伴者に写真はどちらが良いか尋ねたら、完全に意見が分かれた。最初の冒頭の写真が私の載せたい写真。下を良いと言うのが同伴者の考えだ。読者はどちらがいいと思われるだろうか?

 さて、私がこの記事を書く気になったのは、二千年前のイエス様と弟子たちの牧歌的な記事が念頭にあった。そのくだりを以下に写しておく。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」そのころ、イエスは、安息日に麦畑を通られた。弟子たちはひもじくなったので、穂を摘んで食べ始めた。(新約聖書 マタイ11章28節〜12章1節)

2025年5月8日木曜日

ゴールデン・ウィーク(下)


 「ゴールデン・ウィーク」とはサラリーマンにとっては、大変な息抜きの期間であろう。それがあればこそ、日常の精魂尽き果てる仕事も耐えられるというものだ。そこへ行くと、年金生活者は毎日が日曜日だから、一年365日、身の回りのちょっとした風景にも魂が癒される瞬間を味わう恵まれた身分であり、現役の皆さんには申し訳ない思いがする。しかし、そうとも言い切れない。いかなる形を取ろうとも後述するように、ゴールデン・ウイークは魂の真の安息があって初めて味わえる境涯ではなかろうか?と思うからである。

 さて、木内昇さんは『北越雪譜』を基礎資料とし、30近い文献をもとに『雪夢往来』(※1)という小説を書き上げられた。最初この本の題名は漠として意味が通じなかったが、二度読みだけでなく、じっくり考えてみると、良く考えられた作品名だと思う。第一、「往来」という言葉に万感の思いが込められている気がする。それは北方丈雪の越後の人である鈴木牧之が東南寸雪の暖地の人々と「往来」することによって、自らの経験を、すなわち「雪国」の生活を伝えたいという「夢」が如何にして実現したのかを丁寧に追っている作品だからである。

 そもそもこの夢は江戸へ縮の行商に行ったことが端になっている。その辺の事情が次のように鈴木牧之の本名である「儀三治(ぎぞうじ)」(※2)として作中で語られている。

 江戸とは絶えず繋がっておらねばならぬーーそれが、二十歳を過ぎた頃から儀三治にまとわりついて離れずにいる思量なのだった。縮は江戸にも卸すゆえ往き来を絶やさぬよう目配りをしておきたいという商売上の理由もあったが、かつて行商で江戸を訪れた折、人々が越後国についてあまりに無知であったことに落胆してからというもの、己の故郷をあまねく知らしめられぬかと、そんな希求が湧いて鎮まらぬのだ。雪深いこの塩沢を特段誇りに思うわけでもなかったが、始終空っ風が吹いて、少し表を歩くだけで髷から着物の中まで砂まみれになるあの江戸に住む者たちから、「越後・・・・ああ、山越えて裏っ側にある国だろう」と軽んじられるのもまた癪だった(※3)。(『雪夢往来』17頁)

 商いの傍、書画に打ち込む儀三治については

 話がまとまらぬまま会は夜半にお開きとなり、儀三治はひとり、自室に据えた文机に向かう。家中はとうに寝静まっている。燭台の小さな灯りを机脇に置き、誰にも邪魔されず書や絵を描く刻を、彼はなにより愛おしんでいた。不思議なことに、そうしていると本来の己に立ち戻れるようで、気持ちは凪いでいくのに総身の血道が躍るような昂揚を覚えるのである。(同書14頁)

 著者木内昇さんが描く小説の出だし部分のほんの一端を写してみたのだが、抑制された文章はこのあと394頁ばかり続く。そして「本来の己」に立ち戻るための書画が、鈴木儀三治(鈴木牧之)の『北越雪譜』であったことが証されていく。寛政年間から天保年間に至る中央文壇の戯作者のそれぞれの生き方が、鈴木牧之の悲願と言ってもいい、『北越雪譜』の板行に至るまでのおよそ40年近い歳月の流れの中で語られて行く。

 山東京伝(1761〜1816)、滝沢馬琴(1767〜1848)(※4)、十返舎一九(1765〜1831)など、この錚々たる中央の戯作者の伝(つて)を頼りに、版本刷りを手掛けてくれる版元の引き受けで『北越雪譜』は天保12年(1841年)にやっと陽の目を見る。しかもそのことが可能になったのは、山東京伝の弟である山東京山の助けがあってのことである。

 本小説の最終頁(394頁)で、鈴木牧之が身罷(みまか)ったのちも安政5年90歳になるまで生を存えた山東京山(相四郎)の臨終の場面を作者は設定し、次のように語っている。

「わしは戯作に出会って、幸せだったのかのう?」
誰に言うでもなく、闇に向かって独りごちる。その様を見詰めていた猫は、相四郎に添うように床の上に横になると、やがて甘えた鳴き声をあげてから目を閉じた。猫に誘われたわけでもなかろうが、ひどい眠気が襲ってくる。相四郎は、ようやっとすべての枷が解かれた軽い身体で、深い眠りへと落ちていく。

 これぞ、まさに「ゴールデン・ウィーク」の落とし所かも知れぬ。相四郎の眠りがそれを象徴するように思う。作家稼業は決して楽ではない。しかし「己」を取り戻すための作業であるとしたら、200年前の苦渋を極めた先人たちの歩みも間近に思えるのでなかろうか。著者がこの小説はあくまでも「フィクション」ですと帯で断っておられるように絶えざる問いかけがこの作品の良さであるように思う。「蔦重」がテレビ大河ドラマで話題になっているのを知っている。その蔦重は戯作者の思いが世間に伝えられるように道備えをする大切な役割を果たすこともこの作品を通して考えさせられた。

※1 『雪夢往来』の表紙絵は鈴木牧之の描ける「塚山嶺雪吹図」である。『北越雪譜』に示されている鈴木牧之の文意もさることながら、絵筆の巧みさを思わずにはいられない。その辺を『雪夢往来』はすでに表紙絵で表している。
 
※2 儀三治は俳句を嗜み、句会を催していた。父恒右衛門の俳号が「牧水」でそれを継いで「牧之(ぼくし)」と名乗っていた。

※3 関西人である私が初めて栃木県の足利に降り立った際に経験したのもこの空っ風と砂まみれになる生活であった。これは大いなるカルチャーショックで湿気のある温和な風土である近江の地を懐かしんだものである。儀三治さんの話される雪国の生活とは『北越雪譜』を知るまではついぞ知りえなかった。それこそ川端康成の創作『雪国』の都会人が見た雪国の姿でしかなかった。

※4 滝沢馬琴については山東京伝に比して、どちらかというと悪し様に描かれているように見えるが、同書326頁に渡辺崋山が馬琴の長男の宗伯が亡くなった時、弔問に訪れたことが書いてあった。にわかに、この小説が身近になった。私がその足利で下宿させていただいた『巌崋園(がんかえん)』はその崋山が逗留したお家であったからである。もっともその史実を確かめたわけではないが・・・

 最後に昨日の伝道者の書の続きの部分を聖句として紹介しておく。

知恵ある者のことばは突き棒のようなもの、編集されたものはよく打ちつけられた釘のようなものである。これらはひとりの羊飼いによって与えられた。わが子よ。これ以外のことにも注意せよ。多くの本を作ることには、限りがない。多くのものに熱中すると、からだが疲れる。結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。(旧約聖書 伝道者の書12章11〜13節)

2025年5月7日水曜日

ゴールデン・ウィーク(上)

 草むらの ムラサキツメクサ 優雅に
 今年のゴールデンウィークはあっと言う間に終わった。第一、いつから始まったか、その自覚もないまま、気がついた時には、もうそのウィークを抜け出てしまっていたのだ。なして、そのような羽目に陥ったかと言うと、一冊の本に夢中になったからである。

 その本とは『雪夢往来』(木内昇著新潮社)である。2月初めにこの本のことが東京新聞に出ていた。早速図書館にリクエスト。ところがすでに私の前に六人ほどのリクエスト者がいて、私のところには当分回って来ないことがわかった。私だけでなく、「木内昇」ファンがいるのだと改めて思わされた。それから4月下旬になってやっと私の番が回ってきた。待望の本だが、今や興味は薄れていたので、すぐ読まずに放置してしまった。

 2月当時北陸・東北・北海道など大変な豪雪だった。その時、私は『北越雪譜』を思わずにいられなかった(https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/search?q=%E5%8C%97%E8%B6%8A%E9%9B%AA%E8%AD%9C )。そのような折、東京新聞の「推し時代小説」の案内文に接した。私の好きな作家である木内昇さんが、『北越雪譜』の著者である鈴木牧之(すずき・ぼくし)について書いているということだった。だから是非読みたかった。

 ところが、その冬も過ぎ、春の陽気とともに、いつの間にか興味が薄れてしまっていた。だから二週間の貸与期間も、他の私自身が3/16以来日夜取り組んでいる本(『聖パウロの生涯とその書翰』デーヴィッド・スミス著日高善一訳)の存在があり、打っちゃっておいた。ところが返済期限が間近に迫るにつれ、読まずに返すのも癪だという思いが沸々と湧いてきた。最後4日間がちょうどゴールデンウィークとぶつかったという訳だ。

 しかも『雪夢往来』というこの本は結局、二度読みする羽目に陥った。人々が物価高の今日、様々な工夫をしながら、ゴールデン・ウィークを外に出かけて行く姿をTVを通して横目で見ながら、木内昇さんの筆にしたがってほぼ200年ほど前の鈴木牧之(1770〜1842)の越後での生き様を辿ることになった。あとで気づいたのだが、ほぼ一年前も木内昇さんの『かたばみ』という小説を読んでいた(https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2024/06/blog-post_14.html)。

伝道者は知恵ある者であったが、そのうえ、知識を民に教えた。彼は思索し、探究し、多くの箴言をまとめた。伝道者は適切なことばを見いだそうとし、真理のことばを正しく書き残した。(旧約聖書 伝道者の書12章9〜10節)