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2025年5月8日木曜日

ゴールデン・ウィーク(下)


 「ゴールデン・ウィーク」とはサラリーマンにとっては、大変な息抜きの期間であろう。それがあればこそ、日常の精魂尽き果てる仕事も耐えられるというものだ。そこへ行くと、年金生活者は毎日が日曜日だから、一年365日、身の回りのちょっとした風景にも魂が癒される瞬間を味わう恵まれた身分であり、現役の皆さんには申し訳ない思いがする。しかし、そうとも言い切れない。いかなる形を取ろうとも後述するように、ゴールデン・ウイークは魂の真の安息があって初めて味わえる境涯ではなかろうか?と思うからである。

 さて、木内昇さんは『北越雪譜』を基礎資料とし、30近い文献をもとに『雪夢往来』(※1)という小説を書き上げられた。最初この本の題名は漠として意味が通じなかったが、二度読みだけでなく、じっくり考えてみると、良く考えられた作品名だと思う。第一、「往来」という言葉に万感の思いが込められている気がする。それは北方丈雪の越後の人である鈴木牧之が東南寸雪の暖地の人々と「往来」することによって、自らの経験を、すなわち「雪国」の生活を伝えたいという「夢」が如何にして実現したのかを丁寧に追っている作品だからである。

 そもそもこの夢は江戸へ縮の行商に行ったことが端になっている。その辺の事情が次のように鈴木牧之の本名である「儀三治(ぎぞうじ)」(※2)として作中で語られている。

 江戸とは絶えず繋がっておらねばならぬーーそれが、二十歳を過ぎた頃から儀三治にまとわりついて離れずにいる思量なのだった。縮は江戸にも卸すゆえ往き来を絶やさぬよう目配りをしておきたいという商売上の理由もあったが、かつて行商で江戸を訪れた折、人々が越後国についてあまりに無知であったことに落胆してからというもの、己の故郷をあまねく知らしめられぬかと、そんな希求が湧いて鎮まらぬのだ。雪深いこの塩沢を特段誇りに思うわけでもなかったが、始終空っ風が吹いて、少し表を歩くだけで髷から着物の中まで砂まみれになるあの江戸に住む者たちから、「越後・・・・ああ、山越えて裏っ側にある国だろう」と軽んじられるのもまた癪だった(※3)。(『雪夢往来』17頁)

 商いの傍、書画に打ち込む儀三治については

 話がまとまらぬまま会は夜半にお開きとなり、儀三治はひとり、自室に据えた文机に向かう。家中はとうに寝静まっている。燭台の小さな灯りを机脇に置き、誰にも邪魔されず書や絵を描く刻を、彼はなにより愛おしんでいた。不思議なことに、そうしていると本来の己に立ち戻れるようで、気持ちは凪いでいくのに総身の血道が躍るような昂揚を覚えるのである。(同書14頁)

 著者木内昇さんが描く小説の出だし部分のほんの一端を写してみたのだが、抑制された文章はこのあと394頁ばかり続く。そして「本来の己」に立ち戻るための書画が、鈴木儀三治(鈴木牧之)の『北越雪譜』であったことが証されていく。寛政年間から天保年間に至る中央文壇の戯作者のそれぞれの生き方が、鈴木牧之の悲願と言ってもいい、『北越雪譜』の板行に至るまでのおよそ40年近い歳月の流れの中で語られて行く。

 山東京伝(1761〜1816)、滝沢馬琴(1767〜1848)(※4)、十返舎一九(1765〜1831)など、この錚々たる中央の戯作者の伝(つて)を頼りに、版本刷りを手掛けてくれる版元の引き受けで『北越雪譜』は天保12年(1841年)にやっと陽の目を見る。しかもそのことが可能になったのは、山東京伝の弟である山東京山の助けがあってのことである。

 本小説の最終頁(394頁)で、鈴木牧之が身罷(みまか)ったのちも安政5年90歳になるまで生を存えた山東京山(相四郎)の臨終の場面を作者は設定し、次のように語っている。

「わしは戯作に出会って、幸せだったのかのう?」
誰に言うでもなく、闇に向かって独りごちる。その様を見詰めていた猫は、相四郎に添うように床の上に横になると、やがて甘えた鳴き声をあげてから目を閉じた。猫に誘われたわけでもなかろうが、ひどい眠気が襲ってくる。相四郎は、ようやっとすべての枷が解かれた軽い身体で、深い眠りへと落ちていく。

 これぞ、まさに「ゴールデン・ウィーク」の落とし所かも知れぬ。相四郎の眠りがそれを象徴するように思う。作家稼業は決して楽ではない。しかし「己」を取り戻すための作業であるとしたら、200年前の苦渋を極めた先人たちの歩みも間近に思えるのでなかろうか。著者がこの小説はあくまでも「フィクション」ですと帯で断っておられるように絶えざる問いかけがこの作品の良さであるように思う。「蔦重」がテレビ大河ドラマで話題になっているのを知っている。その蔦重は戯作者の思いが世間に伝えられるように道備えをする大切な役割を果たすこともこの作品を通して考えさせられた。

※1 『雪夢往来』の表紙絵は鈴木牧之の描ける「塚山嶺雪吹図」である。『北越雪譜』に示されている鈴木牧之の文意もさることながら、絵筆の巧みさを思わずにはいられない。その辺を『雪夢往来』はすでに表紙絵で表している。
 
※2 儀三治は俳句を嗜み、句会を催していた。父恒右衛門の俳号が「牧水」でそれを継いで「牧之(ぼくし)」と名乗っていた。

※3 関西人である私が初めて栃木県の足利に降り立った際に経験したのもこの空っ風と砂まみれになる生活であった。これは大いなるカルチャーショックで湿気のある温和な風土である近江の地を懐かしんだものである。儀三治さんの話される雪国の生活とは『北越雪譜』を知るまではついぞ知りえなかった。それこそ川端康成の創作『雪国』の都会人が見た雪国の姿でしかなかった。

※4 滝沢馬琴については山東京伝に比して、どちらかというと悪し様に描かれているように見えるが、同書326頁に渡辺崋山が馬琴の長男の宗伯が亡くなった時、弔問に訪れたことが書いてあった。にわかに、この小説が身近になった。私がその足利で下宿させていただいた『巌崋園(がんかえん)』はその崋山が逗留したお家であったからである。もっともその史実を確かめたわけではないが・・・

 最後に昨日の伝道者の書の続きの部分を聖句として紹介しておく。

知恵ある者のことばは突き棒のようなもの、編集されたものはよく打ちつけられた釘のようなものである。これらはひとりの羊飼いによって与えられた。わが子よ。これ以外のことにも注意せよ。多くの本を作ることには、限りがない。多くのものに熱中すると、からだが疲れる。結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。(旧約聖書 伝道者の書12章11〜13節)

2023年2月16日木曜日

春よ早く来い


北風に 白蓮つぼみ 空向かう
 気温の高下が激しい。昨日は冷たい風が強かった。しかし、白蓮通りにある木々のつぼみは敢然と風をものともしていない(ふうに見える)。雪国の人にとってはこんな程度ではないと思いながらも心底(しんそこ)冷える思いがした。その雪国の人の勇気に触れた江戸期の紀行文がある。『北越雪譜』(鈴木牧之著)がそれだ。「東南寸雪」の暖国と「北方丈雪」の越後の国を比較しての名文の数々だ。さしずめ次の文章はその白眉だろう。

雪吹ふゞきなどにつもりたる雪の風に散乱さんらんするをいふ。其状そのすがた優美やさしきものゆゑ花のちるを是にして花雪吹はなふゞきといひて古哥こかにもあまた見えたり。これ東南寸雪すんせつの国の事也、北方丈雪ぢやうせつの国我が越後の雪ふかきところの雪吹は雪中の暴風はやて雪を巻騰まきあぐる※(「風にょう+(犬/(犬+犬))」、第4水準2-92-41)つぢかぜ也。雪中第一の難義なんぎこれがために死する人年々也。その一ツをあげてこゝにしるし、寸雪すんせつ雪吹ふゞきのやさしきをみる人のため丈雪ぢやうせつの雪吹の※(「目+台」、第3水準1-88-79)おそろしきしめす。(※)

 寸雪どころか、これまで雪といっても、わずか一日、しかも降り始めても昼過ぎには止み、夕方にはその跡形もなくなった。西高東低の気圧配置は今後どのような気候を暖地の者にももたらすのだろうか。

 旧約聖書に次のような記述がある。

主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。・・・あなたは雪の倉にはいったことがあるか。雹(ひょう)の倉を見たことがあるか。これらは苦難の時のために、いくさと戦いの日のために、わたしが押さえているのだ。(旧約聖書 ヨブ記38章1〜2節、22〜23節)

※なお『北越雪譜』は青空文庫から自由に読める。https://www.aozora.gr.jp/cards/001930/files/58400_69157.html 

2025年5月7日水曜日

ゴールデン・ウィーク(上)

 草むらの ムラサキツメクサ 優雅に
 今年のゴールデンウィークはあっと言う間に終わった。第一、いつから始まったか、その自覚もないまま、気がついた時には、もうそのウィークを抜け出てしまっていたのだ。なして、そのような羽目に陥ったかと言うと、一冊の本に夢中になったからである。

 その本とは『雪夢往来』(木内昇著新潮社)である。2月初めにこの本のことが東京新聞に出ていた。早速図書館にリクエスト。ところがすでに私の前に六人ほどのリクエスト者がいて、私のところには当分回って来ないことがわかった。私だけでなく、「木内昇」ファンがいるのだと改めて思わされた。それから4月下旬になってやっと私の番が回ってきた。待望の本だが、今や興味は薄れていたので、すぐ読まずに放置してしまった。

 2月当時北陸・東北・北海道など大変な豪雪だった。その時、私は『北越雪譜』を思わずにいられなかった(https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/search?q=%E5%8C%97%E8%B6%8A%E9%9B%AA%E8%AD%9C )。そのような折、東京新聞の「推し時代小説」の案内文に接した。私の好きな作家である木内昇さんが、『北越雪譜』の著者である鈴木牧之(すずき・ぼくし)について書いているということだった。だから是非読みたかった。

 ところが、その冬も過ぎ、春の陽気とともに、いつの間にか興味が薄れてしまっていた。だから二週間の貸与期間も、他の私自身が3/16以来日夜取り組んでいる本(『聖パウロの生涯とその書翰』デーヴィッド・スミス著日高善一訳)の存在があり、打っちゃっておいた。ところが返済期限が間近に迫るにつれ、読まずに返すのも癪だという思いが沸々と湧いてきた。最後4日間がちょうどゴールデンウィークとぶつかったという訳だ。

 しかも『雪夢往来』というこの本は結局、二度読みする羽目に陥った。人々が物価高の今日、様々な工夫をしながら、ゴールデン・ウィークを外に出かけて行く姿をTVを通して横目で見ながら、木内昇さんの筆にしたがってほぼ200年ほど前の鈴木牧之(1770〜1842)の越後での生き様を辿ることになった。あとで気づいたのだが、ほぼ一年前も木内昇さんの『かたばみ』という小説を読んでいた(https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2024/06/blog-post_14.html)。

伝道者は知恵ある者であったが、そのうえ、知識を民に教えた。彼は思索し、探究し、多くの箴言をまとめた。伝道者は適切なことばを見いだそうとし、真理のことばを正しく書き残した。(旧約聖書 伝道者の書12章9〜10節)

2016年1月19日火曜日

主の着座されるところ

寒桜※ (東海道線興津駅構内 2016.1.16)

キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます。(1ペテロ3・22)

 主は実に、私たちが全然統治できないでいるこの内的な世界にあって、万物をご自身で支配することがおできになるのです。私たちはとても喜んで、主をみことばによって理解し、御手にその統治をおゆだねします。主が行為そのものをとおして私たちの王となられ、長い間(私たちから)妨げられ引き離されていた砦のうちに、ご自身が平和の君として即位されるのを乞い願い、主がすべての考えを虜にし、ご自身のやさしい従順へと導いてくださるように祈ります。

 私たちはこれまで、十分な叛逆を経験し、暴君であり謀反人であり、無法と自分をがんじがらめにしばる法のとりこでした。別の神々(ああ、それはどんなに多かったことでしょう)が私たちを支配していました。主はかつては私たちが神々の奴隷であることを許しておられましたが、今や対照的に祝福とくつろぎによって主を礼拝するようにしてくださっています。

 今や私たちだけが「別の王、一人のイエス」を求めているのです。主は私たちがご自身の力を明らかにされる日、すでに私たちをみそなわしていてくださったのです。それが主の統治の始まりでした。そしてその証拠は私たちの心のうちに、「主の支配と平和がいやましに増し加えられ、今やその終りがない」ということでした。

私を治めてください。主イエス様、ああ、私の心にお入りください。

私の心はとこしえにあなたのものです。あなただけのものです。

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/january-19-his-place-by-right/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97183です。今回訳出は大変難航しました。すでに邦訳は出ており、今私の手許にないだけでありますので、何ヵ月か後に私の手許に帰って来ますが、その時その方の訳を見ると多分赤恥をかくこと請け合いだと思います。読者諸氏は原文を確かめられますことを切にお願いします。土曜日に出かけ、昨日こちらに戻ってきたが、車中このブログでも何度か紹介しているロセニウスの『あらしと平安』を再読し、律法と福音の関連について深く考えさせられた。ハヴァガルの描こうとした世界とは無関係でないことを今にして知る。コロサイ2・15、ガラテヤ5・1も覚えたい。
※一方、車内から見る景色は、改めて日本という国が南北に長く東西に広いことを思わしめられた。冒頭の写真もその一端をあらわすであろう。かつて宮脇俊三氏の書かれた名文や江戸期の鈴木牧之が『北越雪譜』をとおして「東南寸雪の国と北方丈雪の国では吹雪の見方がまるでちがう」様を描いた文章を思い出した。)