2024年5月19日日曜日

復活の予測(下)


今日は聖霊降臨日でした。イエス様が復活されたことを記念したのは3月31日(日)のことでした。そして、今日5月19日(日)は、そのイースターの日から数えてちょうど50日目になります。聖書の示すところにしたがえば、イエス様は復活して「四十日間」人々に姿を現わされ、そののち昇天されたとあります。その上、昇天の前には、「わたしから聞いた父の約束を待ちなさい」と言われました。昇天されてから、10日間、人々はじっとこの約束を待ちました。そして、この日曜日についに聖霊が約束どおり降ったのです。今日の礼拝は、そのことを味わわせていただく礼拝でした。

礼拝を終えて、外に出たところ、一羽のカラスが案内板を伝い歩きをしているのがなぜか目に留まりました。案内板の文字とちがい、そこに命のあるものが(現実には烏なんですが)私に手招きしているように思え、烏のあとに一緒について行きたいな、と一瞬思わされました。

それにしても一般にカラスは印象がよくないようですね。しかし聖書には12個所の引用がありました。中には「その頭は純金です。髪の毛はなつめやしの枝で、烏(カラス)のように黒く」(雅歌5:11)とイエス様の姿の美しさをたとえるのに用いられたりしていました。もちろん、「烏のことを考えてみなさい。蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋も倉もありません。けれども、神が彼らを養っていてくださいます。あなたがたは、烏よりも、はるかにすぐれたものです」(ルカ12:24)という有名なイエス様のお話があります。

イースターの日から、この五十日間はほぼ、「復活」に集中してメリル・C・テニーの『キリストの復活』を転写してきました。実際は34日、それに割くに留まりました。転写しながら、復活されて四十日間という期間はいかにも長い間なのだということを身をもって実感し、この揺るぎない証拠のうちに宣教は続けられてきたことを思いました。その転載も、今日で終わりです。最後に全内容を振り返るため、章立ての題名を掲げておきます。

第1章 復活の事実
第2章 復活の予測
第3章 復活の信仰
第4章 復活の自由
第5章 復活の効力
第6章 復活の熱情
第7章 復活の不屈の精神
第8章 復活の最終目的

長い間お付き合いくださりありがとうございました。

もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。(新約聖書 1コリント15章19〜20節)

以下は「復活の予測(下)」です。

 復活の思想が強く含意されているのは、イザヤ書のしもべの預言である。これらの預言をメシヤ預言とすることは、それらを直接キリストに当てはめる新約聖書で、豊富に確認されている。主イエスは、ナザレの会堂で最初の公開説教をしたとき、イザヤ書61章を引用され(ルカ4:16〜19)、ピリポは宦官に、イザヤ書53章を説明して、「イエスのことを宣べ伝えた」(使徒8:26〜35)のである。イザヤ書53章の、しもべの死の叙述の中には、次のような言葉がある。

彼の墓は悪者どもとともに設けられ、
彼は富む者とともに葬られた。
彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。
しかし、彼を砕いて、痛めることは
主のみこころであった。
もし彼が、自分のいのちを
罪過のためのいけにえとするなら、
彼は末長く、子孫を見ることができ、
主のみこころは彼によって成し遂げられる。

 この聖句によると、彼の墓はしつらえられてあり、彼は死に、葬られる。しかも、彼は「末長く、子孫を見ることができ」るのである。この逆説は、どうすればほぐされうるであろうか。答えは、復活だけに見いだされるであろう。それは、預言の成就である。墓は、悪者どもとともに設けられた。と言うのは、アリマタヤのヨセフが埋葬のために自分の墓を提供したので、「富む者とともに葬られた」と言いうるのであるが、そうでなかったら、イエスのからだは、疑いもなく、陶器師の畑に捨てられたと思われるからである。復活において、彼は再び生命に復帰した。そして彼は、子孫を見、彼の命を長くすることもおできになった。しかも、主のよろこびたもうことが、彼の手によって盛んにされたのである。

 ヨナの例は、主イエスご自身によって、ご自分の復活の表象として引用されている。この預言者が、三日三晩大魚の腹の中にとどまっていたように、主ご自身も、死にのまれるが、ついには再起すると言われるのである。イエスはこの聖句を、直接的預言としてよりも、一つのしるし、または例証として引用しておられる。しかし、それにもかかわらず、これは、イエスが死のあごから解放されることを、鮮明に描いて見せてくれるものである。

 最後の預言は、ある点では、すべてのうちで最も劇的なものである。ゼカリヤ書12章10節で、預言者は、未来の主の日についてしるしているのであるが、そこで彼は、エホバの言葉を次のように表現している。

わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。

 この聖句は、ヨハネによる福音書19章37節に、直接、イエスの十字架と死とを預言している言葉として引用されている。しかし、エホバなる神は、これを、最後の勝利の日におけるご自身に適用されるものであるとしておられる。そのうえで、イスラエルは、栄光の中に現われたもうかたを刺した者として悲しむ、と主張されているのである。カルバリの十字架において死に、ヨセフの庭園に埋葬されたかたが、再び栄光の中に現われたもうということは、両者の間に復活が介在するのでなければ、どうして可能とされるであろうか。この結論は、推論の域を出るものではないが、現存する聖書の光に照らして考えるとき、その復活は妥当とみなされうると思われる。

 このようにして、律法と詩篇と預言書とに見られる預言の声は、十数世紀にわたり、あらゆる異なった環境の中で語られたものであるにもかかわらず、次の点ーーよみがえりのあがない主が、人類にのしかかっている死ののろいを退けられる、このよみがえりの初穂が、神の子たちのより偉大な収穫の前兆であられる、このよみがえりの聖者が、永遠のいのちに対する私たちの切望をかなえて下さる、このよみがえりのしもべが、私たちの罪責の全きあがないを成し遂げ、神の目的を成就される、そして、よみがえりの主なるエホバが、仰天し悔悟したイスラエルにご自身を啓示される、という点ーーでは、一致したあかしをするのである。

きたれ なんじら忠信なる者
奏でよ そのよき調べ
勝利の喜びの歌を。
悲しみより喜びに入らしめ
神 イスラエルを導きたまえり
パロのくびきより
ヤコブの子らを解き放ち
その足を ぬらさずして
紅海を 行かしめたまえり

キリスト その獄(ひとや)を破りて
死の眠り三日にして
日のごとく立ちたまいぬ。
こは きょう迎えし心の春
長く暗きわが冬の日は
すべて 御光の前を過ぎ去り
われら たたえの歌を
とこしえにささげん。
        (ダマスコのヨハネ)

2024年5月18日土曜日

復活の予測(中)

水田に カルガモ夫婦 見つけたり

昨夕は泥田に首を突っ込んで、脇目も振らず、一心に獲物を探索している二匹の鴨を、古利根川の下の水田で見かけました。一口に「かも」と言っても、渡り鳥の雁もいれば、留鳥であるカルガモもいるんですね。鴨群の生態、識別も知らず、一喜一憂しすぎておりました。

さて、今日5月18日は私どもにとっては忘れられない日です。11年前、次男の妻が日本への帰国の際、武蔵小金井駅で倒れ、人事不省のまま多摩総合医療センターに救急入院し一命を取り留めることができた日です。研究者として将来を嘱望されていた彼女にとり、今もその病との戦いは続いていますが、幸い主イエス様にあって守られているようです。

カルガモ夫婦の進む泥田を見ながら、私は11年前に襲った次男夫婦の悲哀、またその折り信州の平原付近の車窓から撮った水田を思い出しました。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2013/05/blog-post_25.html 「復活」の日を待ち望んで、今も孤独な研究を続けている彼女のために、祈っていてくださる僚友に感謝します。

さて、本日の本命である『キリストの復活』の「復活の予測」は昨日に引き続いてお送りする(中)篇です。最初の数行の出だしこそ意味がよくわからない文章ですが、それ以外はよく意味が通る文章で、旧約聖書において、「復活」がどのように預言されているかを、新約聖書と関連付けして丁寧に教えてくれます。

 このような先験的な推理は、必ずしも常に正しいとは言えない。経験は、理論的には正しくなければならない多くの事が、実際においては正しくない、ということを教えているからである。他方で私たちは、イエスがその生前に、復活の必要を説いておられたことを知っている。サドカイ人が、律法の推論的解釈を根拠に、復活の教えに反対したとき、イエスは、「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからです」と言われた(新約聖書 マタイ22:29)。今、彼が聖書に基づいて復活を教えておられたとすれば、その教えは、みことばの中に含まれていなければならない。したがって、私たちは、その預言を、新約聖書のそれに対応する教えに照らして捜し出すとしても、不当な事をしているとは言えないのである。

 それでは、この個所とは、どのようなものであろうか。

 記録によると、最初のメシヤ預言は、創世記3章15節の原始福音である。

わたしは、おまえと女との間に
また、おまえの子孫と女の子孫との間に、
敵意を置く。
彼は、おまえの頭を踏み砕き、
おまえは、彼のかかとにかみつく。

 ここに描写されている人物は、一庭師である。彼は有毒のヘビを行く手に見て、その頭を砕いた。しかし、そのかかとに、毒牙を受けてしまったのである。この本文には、いくらか復活に関連性のある内容が含まれている。

 第一に、この約束は、罪を犯して死に定められた者にとって利益となることに言及している。アダムは、「それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ」と言われていた。しかし、ヘビの頭が砕かれたのなら、救いは約束されたのである。そして、救いの手が伸ばされるためには、あがない主は、死を克服することのできるかたでなければならない。

 第二に、その人物は、へびの毒牙にかかった。しかも生き延びて、それを押さえてしまったのである。キリストは、へびの一撃を受けてどのようにして、なお生き続けることがおできになったのであろうか。復活は、その回答である。

 創世記22章に見られる、モリヤの山でのイサクとアブラハムの例話も、世継ぎの子(すえ)の死とそれに次ぐ生還を描いたものである。もちろんイサクは、実際には死んでいない。死ぬ者と見なされたにすぎない。それにもかかわらず、彼がメシヤ、すなわち選びのすえを代表する者であって、ヘブル人への手紙の記者によれば、神が彼を「死者の中からよみがえらせる・・・イサクを取り戻した」(ヘブル11:19)と言われているのは、注目に値することである。この個所は、このように、非常に明白な平行関係があるにもかかわらず、新約聖書の記者のだれによっても、特にキリストに適用されるべきものとされてはいない。

 メシヤ預言の流れの中で、次に、明白な言明にぶつかるのは、モーセの五書の終わりのほうに記録されている、ユダヤの儀式の象徴においてである。レビ記23章には、「主の定めの祭(例祭)」として、三つの祭がしるされている。第一の過越の祭は、身代わりの犠牲と罪からの分離とについて語っている。第三の揺祭(ようさい)、パンをささげる祭は、五旬節すなわちペンテコステの祭である。この二つの間に、初穂の祭がある。この祭は、過越の祭から数えて三日目にとり行われる。それは五旬節から数えると、五十日前になる。この穀物の収穫の初穂は、種を埋めたあとで、生命が帰って来たことを示す最初のしるしとしてささげられたもので、祭りにおいては、犠牲の燔祭もささげられた(レビ23:9〜14)。

 この記録を、復活と比較していただきたい。復活は、過越の犠牲が死に渡されてから三日目のできごとである。また、五十日後には五旬節が待っていた。それこそ、死の中から出て来る新生命の先ぶれ、また象徴であった。主イエスは、この光景をご自分に当てはめて言われた。「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(ヨハネ12:24)。パウロも、「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました」と宣言したとき、同じたとえを用いていた(第一コリント15:20)。おそらくこの象徴は、彼が、旧約聖書のこの個所に対するイエスの解釈を知っていて、使用したものであろう。自然界の収穫が、土壌の水気や特性をもってしてはついには押さえきれない不屈の生命力を物語っているように、キリストの復活は、あらゆる墓の拘束力を打破しうる、神の生命の力を実証したものなのである。メシヤは、そのメシヤ性を証拠だてるために、そのような力を示威することを必要とされたのである。

 神政政治の時代が過ぎて、王国の創設を見るようになると、預言は、イスラエルの生活において、いっそう重要性を増してきた。そして、その先見者たちのうちで、最初の人々のひとりと目された預言者は、ダビデ王であった。詩篇16篇は、このダビデの霊的な渇仰を記録したものである。彼は「ゆずりの地」と「好む所」を慕うが、それにもまして、来世に生き続けることを願っている。そしてその言葉は、彼が大胆に次のように主張するとき、その渇仰を素通りして、先に進むのである。

まことに、あなたは、私のたましいを
よみに捨ておかず、
あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。
あなたは私に、いのちの道を
知らせてくださいます。
あなたの御前には喜びが満ち、
あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。
              (詩篇16篇10〜11節)

 ユダヤ人は「よみ(隠府)」を、第一義的に刑罰の場所と言うよりは、善悪を問わず、単なる死者の霊のいこう場所と考えていた。たとえば、ヤコブは、自分のことを、「よみ」に行く者と考えている(創世記37:35)ユダヤ人が、「よみ」とはすべての魂が等しく行くべく定められた所と考えていたことからすると、この預言は、驚くべき響きをかなでているものとなる。それは、死からの救いと、死後の高揚とを歌っているからである。魂を、暗い陰の国にとどめておかなくてもよいばかりか、肉体を墓の腐敗のままにする必要もないのである。

 しかしながら、新約聖書は、この詩篇16篇の言葉を、キリストの復活だけに限定している。ペテロもパウロもともに(使徒2:25〜31、13:35)、この個所を、ダビデがメシヤの復活を預言したものと解釈している。この預言は、新約聖書の記者たちがひるまずに宣言しているように主イエスによって成就を見たのである。

 ダビデ王国より後の時代に書かれた他の詩篇も、同じ希望を反映させている。詩篇49篇15節は「神は私のたましいをよみの手から買い戻される。神が私を受け入れてくださるからだ」と宣言しており、また、アサフの詩と言われる詩篇73篇24節は、「あなたは、私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう」と言っている。これらの聖句は、詩篇16篇の言葉のような適確性を欠いてはいるが、詩篇における復活概念を強化する上では、十分な力を持つものである。

 預言者の著作の中にも、この題目に言及しているものが幾つかある。ホセア書6章1、2節は、イスラエルの国が次のように言うと述べている。

さあ、主に立ち返ろう。
主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、
私たちを打ったが、
また、包んでくださるからだ。
主は三日の後、私たちを生き返らせ、
三日目に私たちを立ち上がらせる。
私たちは、御前に生きるのだ。

 この句をあまり強調することは、許されないであろう。第一に、それは第一義的には、個人にではなく、イスラエルの国に適用されているからである。第二に、その適用は、死からの復活と言うよりは、罪からの回復に限られている。第三に、それは新約聖書の中で、復活の預言としては直接引用されていない。他方、ホセア書11章1節は、明らかに国家に適用されているにもかかわらず、マタイによる福音書2章15節では、メシヤに関する預言とみなされている。しかも「三日目」という言葉は、旧約聖書では、復活をまっすぐにさし示すものとしては、前掲のホセア書6章2節だけに用いられている。もし、ホセア書11章1節が、間接的にキリストの預言として与えられているのなら、この個所もそうと考えられるであろう。

2024年5月17日金曜日

復活の予測(上)


今日は変な組み合わせの写真になってしまいました。ご容赦下さい。

左側は、私がこの一月半余り転写しております、メリル・C・テニーの本です。わずか100円の昭和37年(1962年)発行の、見るからにくたびれた本です。今ではメリル・C・テニーという人物を知る人も少ないでしょう。その上に、この『キリストの復活』という本をどなたが翻訳されたのかも「いのちのことば社出版部」と明示されてはいますが、個人名は省かれております。おおよそどなたが翻訳者なのか何となく見当はつくのですが。なのに、私はこの本を今から54年前、昭和45年(1970年)に手に入れていながら、しっかりと読んだ覚えがありませんでした。それで、今年のイースター(復活祭)の日から今日まで、一念発起して、いちいち転写して参りました。四月一日以降のブログはその成果です。

一方、右側は明治年代に、私から見ると「祖父」の代にあたる人物が18歳の時、横浜で丁稚として働いていたのでしょうか、その時彼にはこの本は高嶺の花だったのかもしれません、向上心よろしく『福翁百話』を墨筆で和紙に写し取っていました。いつの頃か、この和綴の冊子を倉の中に見つけた時、私はそのようなものが家にあることに驚くとともに、明治年間の福澤諭吉に対する庶民にまで及ぶ熱意と明治時代の息吹を感じたものです。

それが根底にあるのでしょう。私には転写は苦にはならないのです。今回、『キリストの復活』を転写して、私には大いなる財産になりました。著作は初めから終わりまでしっかり読まないとその本に対する正当な評価はできないと常々思うことにしています。メリル・C・テニーはこの本で、全部で8章に分けて、「復活」という私たちにとって最も大切な事柄を微に入り細に入り多方面から全聖書を縦覧して述べております。残念ながら、私の短慮で第二章の「復活の予測」というテーマの文章を全部割愛してしまいましたので、今日から三日間で転写したいと思います。引き続き忍耐をもってお読みいただければ感謝です。ご存知、最初は、エマオの途上での出来事から始まります(ルカの福音書24章13節以下の記事)。

キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり・・・(新約聖書 ルカ24章46節)

 あの十字架刑の行なわれた次の週の最初の日、ふたりの旅人が、エルサレムからエマオに向かって、いかにも疲れきったような、重々しい歩みを続けていた。昼下がりの太陽がじりじりと照りつけ、ふたりは、ひどく意気阻喪しているように見えた。先週、事態があまりにも唐突に変転し、また現に、彼らの感情があまりにも高ぶっていたので、彼らは、そのときもうひとりの人が加わり、自分たちと歩みをともにしているということにさえ、気づかないありさまであった。ふたりは、その人から、彼らの話題について尋ねられたとき、ぎくりとしたかのように立ち止まった。その人が、エルサレムで起こったばかりのできごとについて、知らないはずはない、と思ったからである。

 その人が同情的に見えたので、ふたりは、胸の中の思いを彼にぶちまけて話した。それは、ナザレのイエスが、彼らの指導者、また友人であったということについてであった。彼はその行ないのゆえに、すべての民に歓呼の声をもって迎えられた預言者であった。それなのに、役人たちは彼を死に定め、十字架につけてしまったのである。彼らの失望の激しさと、やるせない気持ちとは、「私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました」(ルカ24:21)という言葉に、如実に物語られていた。彼らは、この人こそメシヤであり、彼らの国に霊的政治的な解放をもたらす救い手にちがいないと、期待をかけていたのであるが、十字架は、すべての希望を水泡に帰させてしまったのである。十字架につけられてしまっては、預言者といえども、何をなしえようか。そればかりでなく、預言者たちの描いている、鉄のつえをもって諸国を治め、陶器師の器のように彼らを打ち砕くと言われるメシヤ像に、どうしてかなうと言えようか。彼の最後は、どんな点からも、預言の描写と似合わず、彼らは、自分たちの誤解を認めざるを得なかったのである。

 ふたりはもちろん、墓に行った何人かの女たちが、イエスは生きておられると告げた天使たちの幻を見たと言っていることを知っていた。この証言を彼らがどう思ったかは、「イエスさまは見当たらなかった」と言う、きつい言葉で明らかである。この言葉は、このふたりに復活を確信させるには、人づての証拠以上のものが必要であるということを意味している。彼らは、イエスはすでに死に、その最後は、彼が待望されていたメシヤ預言の成就であるという事実を排除するものであると、堅く信じていたのである。

 だが、この見知らぬ人は、彼らの見解には同調せず、かえって、きびしく彼らを戒めた。

ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。(ルカ24:25〜26)

 それから、モーセをはじめ、すべての預言者の、キリストについての聖書の預言を、ふたりに説明した。この説明の中に復活のことも含められていたことは、主イエスが次の機会になさった宣言によってはっきりしている。

「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。」そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、・・・」(ルカ24:44〜46)

 このふたりを絶望に陥れていたあやまちは、聖書の預言の不十分な理解にあった。彼らが見ていたのは、メシヤが栄光のうちに来られるという事実だけであった。彼らは完全に、メシヤの受難と復活とに関する預言を見落としていたのである。このとき主イエスが試みられた話は、彼をメシヤとして信じようとした彼らの根拠を破壊するかに見えた一連の騒乱が、実に、預言の言葉の正確な成就である、ということを彼らに悟らせ、彼らの心を再び落ち着かせようとしたものである。

 イエスがそのとき説明された聖書の個所がどこであるかは、知られていない。特に、復活の預言として旧約聖書のどこが使用されたのかは、全く私たちの推測に任されている。だいたい、ユダヤの聖書には、このような現象に直接言及した個所が、ごくわずかしかない。そしてそれを教えている典型的な例で、ここに当てはめられるような個所は、確信をもってこれと言えるものがないのである。しかし、そうは言っても、主イエスは、「キリスト」という用語を用いて、明確に、復活の預言はメシヤ預言に関係あるものであるとされた。私たちは、きたりたもうかたに関する預言の系列の中に、復活の、少なくともある暗示はあるものと思わなければならないのである。更に、「四十日」間になされた主の教えが、後日使徒たちがした教えの中に反映されているであろうということも、十分に考えうることである。そうだとすれば、旧約聖書のメシヤ預言を、新約聖書でメシヤが語られた説教と関連させてゆくことにより、旧約聖書の中で復活に関係のある個所は、しだいに知られてくると思われる。

2024年5月16日木曜日

復活の最終目的(3)最終的満足の完成


今日は30年以上前に教会で親交のあった方から、お手紙をいただきました。たまたま半年ほど前にその方と路上でお会いし、翌日には春日部から他都市に引っ越されると知り、それでは永遠(とわ)のお別れになっては大変だとばかり、急いで私たちの証の載っている冊子を家に取りに帰り、慌しくしていらっしゃるお宅のポストに投函しました。その後、どうされたかとは思っていましたが、それ以上お尋ねすることもありませんでした。

その方が自筆の美しい便りを便箋4枚にびっしりと書いて近況をお知らせ下さったのです。そのお手紙の端々に現れているのは、その方の主への感謝の思いでした。長年、信仰に反対してきたご主人が、病を得て車椅子に頼らざるを得ない日々の中で、「礼拝に出たい」と言われ、結婚後50年にして、初めて夫婦で近くの教会の礼拝に出られるようになったというお証でした。心温まる思いにさせられました。

昨日は昨日で、もっとも近隣にお住まいで毎日のようにお交わりをいただいている方が、定例の家庭集会の場で(多くの皆さんの前で)正直な証をなさいました。ネットで全国の多くの方がそのお証を聞いてくださっていると思うと、これまた嬉しい思いにさせられています。

思いもしない恵みは主から一方的にいただけるものなんでしょうか。今日お載せしました「すみれ群」は一週間ほど前に古利根川の上流の河辺に忽然と私の目の前に現れた感のあるひとり生えの花です。さて、以下は『キリストの復活』の最終稿です。黙示録22章についてメリル・C・テニーによる的確な「神の都」と「復活」の関係が読み取れる論考ではないでしょうか。

 人生のおもな価値の一つは、それによって望みがかなえられるということである。願望の充足ということは、それ自体が悪であることはないが、ただ、神の位置を侵すならば悪となる。しかし、正当な生活欲求は、満足しうる回答を得るなら、快楽を味わわせてくれる。確かに神の都は、回教の言う楽園のように、この世で知られているあらゆる欲望やあこがれを、無制限に満足させてくれるものではない。イエスは、復活において、私たちの構造そのものが全く変わってしまい、ちょうがいも虫の生活を熱望することがないように、私たちは肉的な欲求を持たなくなる、と言っておられる。しかし他方、黙示録22章2節で「 毎月実ができた」と言われている木は、おそらく、永遠の、しかも飽きさせることのない快楽を描写しているものであると思われる。あきあきすることのない満足、けん怠を伴わない享楽こそは、私たちの分け前なのである。

 しかし、満足な願望の充足だけを意味するものではない。それ以上のものである。それは物事を、達成を見るまで建設的に助成する。人は、夢に描いた完全な絵をかき、完全な調べを作曲し、完全な大教会堂を建設しようとする。それに比べて啓示は普通、私たちの夢よりはずっと保守的である。しかもそれは、次のような含蓄ある言葉を言明しているのである、「もはや、のろわれるものは何もない」、また、「しもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る」。

 「もはや、のろわれるものは何もない」。(黙示22:3)。これは、創世記3章17〜19節に直接言及した言葉である。「土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない」。

 のろいは、労働しなければならないという点にあるのではない。労働は、人が罪を犯す前にもあった。のろいは、労働の不毛性にあるのである。雑草や害虫、洪水や酷暑に戦いをいどまれ、最後に人間は、自分がしてきたのはただ、単調なほねおり仕事を長びかせただけなのではないかと思いながら、その生涯を閉じるのである。復活が開放してくれる世界では、このすべてが変えられる。のろいは解かれる。それで労働は、障害や失敗を見ることなく、十分な報いをもたらすようになる。農夫が、すべての穀粒があふれるばかりの収穫をもたらし、生産者が、きず物や不できの物を決して造らず、あらゆる努力が、それ相応の結果を確実に望むことができるとしたら、なんとすばらしいことであろう。きたらんとする神の経綸の中では、まさにこのような事が約束されているのである。

 「しもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る」(黙示22:3)。この究極の状態は、無気力な静止状態を物語るものではない。天国を、肉体を離脱した霊が、雲に乗って、ハープの弦をかなでながら、とりとめもない歌を永遠に歌っている場所として描くのは、とんでもないまちがいである。それはまさに戯画であり、また、真理にはほど遠い描写である。ここにあげた聖句は、積極的な活動を呼びかけている。神への礼拝は、天的楽しさの一断面以上のものだからである。確かに、そこでは、地上では知りえなかった敬けんさと献身とを伴う神礼拝と神への賛美とがささげられるであろう。しかし、そこには、他の活動の余地もあるのである。それがなんであるかは、まだわからない。それが、私たちが宣教師になって他の宇宙に行くことなのか、それとも、かつては想像することもできなかった資源や動力を用いて、全く新奇な世界の探検に乗り出すことなのか、などと推測したりすることは、愚かさの限りである。その事はまもなくわかる事なのである。疑いもなく、神は、それが明らかにされるとき、私たちを驚かせ、喜ばせようとして、それを今、秘密としておられるのである。しかし、一つの事だけは確実である。私たちの労働が、積極的、永遠的な価値を持つものとなるということである。そして、すべてがこのようにして最後的な完成を見る生活に到達するためには、復活の門を通らなければならないのである。

 もう一つの事だけを補足しておく。その満足は決して尽きないということである。「彼らは永遠に王である」(黙示22:5)。「よい事にも終わりがある」という格言がある。この世においては、これは真実である。きょうあった式典の感激は、あすの苦労にあえばたちまち忘れ去られてしまう。きょうの勝利で味わった満足も、あす敗北のうきめにあえば、その実を失ってしまう。一人物が勤勉さと好首尾とによって建て上げた事業も、後継者によってたちまち衰微、没落させられてしまうかもしれない。成功と失敗、勝利と敗北、目的達成と挫折は、寄せ来る海の波の連続のようなものである。ある一つの方向に、不断の、尽きることのない進歩を見ることは、この世では不可能なのである。しかし、神の都では、私たちは、栄光から栄光へと進む。「王である」とは、勝利の生活の不断の連続性を意味するものである。

 それは、神の復活の最終目的である。しかし、地上の物語との関係においては最終的なものでも、復活は、あがないが私たちに提供しているものとの関係においては、また第一歩を画するものでしかない。黙示を仰ぎ望んだ預言者は、見たことすべてを言葉に写す力を持っていなかったようである。そして、彼が用いえた、可能なかぎり強烈な色彩の言語で着色した絵画は、事実、現実にそぐわないものであると言われなければならないのである。しかし、その現実は、信じえないものではない。私たちは、もし、イエス・キリストの肉体の復活を信ずることができるなら、同じ原理によると言われているのであるから、世界の復活を信ずることもできるのである。また、もし、自分の新生と、現在における神との交わりの経験を通して、神の力をすでに味わっているのならば、神が個人に対してなさったことを、宇宙的な規模でもなさるにちがいないということを、信ずることができるのである。神は、「ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました」(新約聖書 第一ペテロ1章3節)

 バンヤンが、歓喜山の頂からはるかに天の都の輝く塔を望み見たとき、彼の旅路が新しい勇気に満たされたように、私たちも、霊的ビジョンを得さえすれば、この悪と戦いとの世界の中で、神の都のきらめき、復活の福音の最終的栄光をそこに見ることによって、百倍もの勇気をいただくことができるのである。

乳と蜜との流るる国
黄金のエルサレムよ
深き御計らい覚えて
ただ黙して 声をのむ
われ知らず われ知らず
そこに待つ喜びを
栄光の輝きを
また たぐいなき祝福を

慕わしき 祝福の国
神の選びたまえる家よ
熱き心もて われらは待つ
慕わしき 祝福の国
父なる神 御霊とともに
あがめられたまえる
わが主イエスよ
あわれみをもて
安きに導きたまえ

2024年5月15日水曜日

復活の最終目的(2)環境の最終的完成


今朝は、「母の日」に長男から贈られてきた花を窓辺に出して写真を撮りました。その日、お礼の電話をかけた家内に対して、長男は、「明るい花々を見て、少しでも晴れ晴れとした気持ちになって欲しいから」という意味のことを言いました。その言葉はいつまでも私の心に残りました。それに対して贈られてきた花々を見ることをうっかり忘れていました。庭には様々な花々が次々と咲き揃っており、いつもそちらの方に心を奪われていたからです。でも今朝は、違いました。外気の色とりどりの爽やかな庭を向こうに追いやり、室内のその花を手に取って眺めてみました。愛の表れである幾種類もの花々がそこにありました。贈り主の愛を改めて一つ一つ実感したことです。

さて、主が私たち罪人に対してご自身の復活を通して最終的にくださる愛はどのようなものでしょうか。メリル・C・テニーは、昨日は、まず第一に礼拝の最終的完成がなることを述べました。今日のところでは私たちの生活環境が最終的完成を見ると語っています。どのようなことでしょうか、お読みくだされば幸いです。なお聖句は引用者の判断で付け加えました。

 環境が人生に作用し、無意識のうちにも態度や思想を条件づけることは、言うまでもない。三人のむすこを持つある母親の話がある。むすこたちは三人とも、家を去り、船乗りになっていた。母親は、その寂しさを、ある訪問客に、悲しそうに訴えた。

「どうしてみんながうちを飛び出したがるのか、わたしにはわかりませんわ。できるだけの事をして、楽しませてあげましたのに。とにかく、わたしは、この年老いたわたしを慰めることも考えてほしいのですが・・・」

 しかし、訪問客は、少しも驚いた様子を見せない。ちょうど暖炉の上には、まっ白い帆をいっぱいに張った船の絵が掛かっている。マストの上に飛びかける空の鳥を背景に、全速力で海をすべって行く絵である。彼はその老母に、「それはあの無言の絵が、お子さんがたの心の中に、それが物語っている生活へのあこがれを植え付けたからなのですよ」と語った。確かにそのむすこたちは、彼らの環境のこの部分が心の中にかきたてたあこがれに抵抗することができなかったのであった。

 いろいろな意味において、私たちはその環境の産物である。もしそれが、卑しくさもしいものであれば、私たちはがさつで不甲斐のない者になるかもしれない。子どもを貧民くつで育てるならば、彼らは貧民くつの道徳を身につける。中には、泥沼のすいれんのように、環境を超越した人も出るであろう。しかし、大多数の人は、水のように低きを求めて、人間性を失ってしまうのである。親ならばだれでも、子どもたちが自分と同様、またはそれ以上に、近所の環境に染まってしまうということを、知っている。

 ここでは罪の環境が私たちを囲んでいる。私たちはすでに内部にあがないをいただき、またキリスト者の社会は、悪しき世の中で義の小島を形成しているかもしれないが、それでも世界は、私たちにとって依然として手ごわい相手である。ジャズのすさまじい調べであるか、劣悪な小説であるか、野蛮窮まりない戦争であるか、風紀を乱す飲酒であるか、他の、私たちを取り囲む無数の何かであるかは問わず、それらは、私たちを、決定的にわなにかけてしまうことはないかもしれないが、いずれも、私たちの霊的生活を鈍らせてしまうものである。文明も、罪への運動作用を果たすことがあり、その最善の産物さえ、悪い動機や偽善性を表わすことがある。

 神の都は、私たちに、新しい環境を約束している。真珠の門や黄金の通りを文字どおりに取るべきか、それとも、預言者が幻で見た目もくらむような美しさを叙述するのに最善と思った手だてとだけ取るべきかは、ここでは問題にしない。それはともかくとして、神は、復活した信者に、神が彼らに植え付けたもうた霊的生命の純潔さを具現させているような環境を与えようとしておられることは、明らかである。新しい生活のためには、こうして、腐敗していないことは言うに及ばず、腐敗することもない環境が与えられるのである。それは、使徒と預言者の活動を土台とするものであり、その社会は、小羊のいのちの書に名を書きしるされた者たちだけのものとされる。復活はこのように、神の子たちを新世界に住みうる者とする、神の準備の、最後の段階を意味するものである。それは、永久に古い罪による環境をかたずけ、清潔ですばらしい世界に私たちを生まれさせるものなのである。

都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。都には大きな高い城壁と十二の門があって・・・十二の門は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。・・・すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は、決して都にはいれない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができる。(新約聖書 黙示録21章11〜12節、21節、27節)

2024年5月14日火曜日

復活の最終目的(1)礼拝の最終的完成


今日は昨日の雨に比べて、爽やかな一日でした。二日続きの病院通いでしたが、今日のは心臓の動きを調べるための24時間ホルダーを提出するためでした。無事に提出し、帰る時、目にしたのが写真の絵でした。山本容子さんの「沼の花」という作品です。絵はさらに左の方に続いていますのに、一部だけで、作者には申し訳ないです。病院にこのような空間・絵があることはありがたいことだと思い、撮らせていただきました。お許しください。

夕刊には全国の介護保険料が月6225円に上昇したことが報道されていました。高齢化の進展で介護サービスの利用が増加しているのがその要因だそうです。認知症基本法元年の年、介護福祉の充実は国民的課題です。一方、私たち人間の霊的課題は何でしょうか。昨日に引き続いて「復活の最終目的」の「(1)礼拝の最終的完成」の部分を転写しました。お読みください。

 私たちの霊的生活は、すべて、完全な神との交わりを目当てとする闘争である。この意味では、誘惑や悪へのけしかけに満ちた罪の環境は、私たちの神へ向かう渇仰をとどめる、一種のブレーキである。天へ向かう旅路をきびしく貫こうとする気持ちは、しばしば、禁断の野で快楽の草花を摘む手を差し出すことによって、中断されてしまう。あとになって、誘惑に引いて行かれたことを自ら悔やむかもしれないが、それにもかかわらず、私たちの敗北は明らかであり、事実それによって私たちは、神のみそば近くいることができたのに、いられなくなったのである。私たちが、みそば近くに進んで行くとき、しばしば、自分の感じを表現できないこと、また、肉体の必要が思いと祈りの継続を中絶させることに気づく。私たちは幕を通して礼拝する。だから、幕の後ろに神のかたちを識別することはできても、そのおかげで、神からの明らかな光をいただくことはできないのである。復活だけが、その幕を永久に引き払ってくれる。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」(黙示21:3〜4)

 歴史のいかなる瞬間にも、神は、人とともに住むことを求めてこられた。それは。罪によって、実現をはばまれている。神は楽園に下って来て、禁断の木の実を食べたために恥を知って神から隠れていたアダムを捜し出された。また神はシナイ山においても、雲と雷鳴のうちに下って来られた。しかし、そのときにも人々は、恐怖にかられ、「神が私たちにお話にならないように、私たちが死ぬといけませんから」(出エジプト20:19)と叫んだ。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」(ヨハネ1:14)のであるが、そこもやはり、彼が永遠にまくらしうる所ではなかったのである。聖誕の時には客間に彼のための余地がなく、説教の時は会堂に部屋がなく、教えをするときにも、宮は両替人でいっぱいで、彼のための余地もないありさまであった。ついに彼は、バラバの十字架にかかり、ヨセフの墓に葬られた。人間の罪の苦い皮肉は、それが、人間が必要とし、神が求めておられる交わりの道をふさいでいるということである。

 復活は、その事態を終わらせ、罪なき新しい世界を創始し、神が人と永遠の交わりを持ちうるようにするのである。そのとき可能になる礼拝においては、仲介者も儀式も象徴も、何一つ必要ではない。それは、神との直接の結びつきをもたらすのである。

 交わりが深められることを除けば、礼拝においてこれ以上の事を望むことはできない。復活は、最終的礼拝を可能にしてくれるものなのである。

2024年5月13日月曜日

復活の最終目的(序)


昨日は、ミンヘンママのお別れ会の席で、五女にあたるスーシーさんが挨拶された言葉を「母の日」にちなんで、ご紹介させていただきました。その中のポイントの一つは、主イエス様によって天国へと召された愛するお母様にご自分もまた天国で再会できるという主イエス様に対する感謝の表明だったのではないでしょうか。この確信を持つようにしてくださったのが、イエス様の十字架の死による私たちの罪の贖いと復活です。それゆえに、誰でもイエス様を素直に信ずる人はその場で直ちに、間違いなしに天国に行けるのです。それ以外の何の条件もいらないのです。

以前、と言っても8年前のことですが、ミンヘンさんの夫であるベックさんがその年の8月23日に召されるのも知らないで、私はその時、せっせとフランシス・リドレー・ハヴァガルの『霊想』を翻訳しながら、一方でそのお姉さんの「マライア・ハヴァガルの伝記」も併せて翻訳しては、このブログに載せていました。それは8月を遡ること、二ヶ月前の6月のことでした。私にとってその翻訳をとおしてキリスト者の死がいかに希望に満ちたものであるかを教えられた思いでした。そしてそれは私にとって、ベックさんの死に備える心の準備でもあったのです。ご参考のためにそのうちの一部6月15日の文章を紹介しておきます。お読みくだされば幸いです。

https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2016/06/blog-post_15.html

さて、しばらく、中断していた「キリストの復活」というメリル・C・テニーの著作の最終章「復活の最終目的」を引き続いて転写させていただきます。

すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする」(黙示21:5)

 ヨハネの黙示録は、絶えず、多くのキリスト者にとって、神秘的なものとされてきた。それをめぐって、ばかげているとしか思えないような多くの本も著された。しかし一つの点で、すべてのキリスト者は一致している。それは、最後の二章に描かれている神の都こそは、キリスト者の最後の状態だということである。その信仰は、ヘブル人への手紙では、「この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです」と表現されている(13:14)。そこに私たちは、アブラハムが求めた「堅い基礎の上に建てられた都」、またイエスが語られた「父の家」を見いだすことができるのである。

 神の都が、信者の最後に行き着く所であるとすると、それには必然的に、二つの結論が伴う。第一に、それが私たちの期待の目標であり、救いの冠である祝福を意味するものであるならば、それこそは、キリスト者の生涯の偉大な希望、また、動機を鼓舞するものでなければならない、ということである。ペテロは、私たちは「信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現わされるように用意されている救いをいただくのです」と言っている(第一ペテロ1:5)。そこは、私たちの市民権が登録されている真の母国であり、私たちはそれを今、外国にとらわれの身をかこつ者のように、仰ぎ望むのである。この地上の旅路を進めば進むほど、私たちは、この永遠の都の影を、熱心に捜す。神はこの国を、その贖罪の目的が完成される所として準備された。私たちはそこに行き着くまでは、完全にはならない。

 第二の必然的結論は、ここに言われている国にはいるには、復活を通して以外に道がない、ということである。文脈を注意深く見るならば、この事実が明らかになる。19章から21章8節までは、一連の不断の幻の進展をしるすものである。まず、神が大淫婦をさばき、小羊の婚姻の時をきたらせたもうという宣言がなされている。大淫婦によって特徴づけられる不敬けんな社会は除去され、ここに小羊の花嫁として表されている敬けんな者の社会が、キリストによって公に承認されるのである。

 征服者なるキリストが、次には、地をさばくために進み行かれる。地上の悪魔の使者たちは、そのとき火の池に送られ、悪魔自身は、「底知れぬ所」(黙示20:1、3)に閉じ込められる。キリストの支配の次には、サタンが解放され、断罪される。それからいよいよ、死せる者の大審判である。大いなる者も小さき者も、御座の前に立ち、開かれた書物にしたがってさばかれる。このさばきの恐ろしさは、「地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった」(黙示20:11)と言われているほどである。この審判に続くものが、新天新地の創始と神の都の下降である。

 この神の都が、祝福のうちに死んだ人々が現在いる所でないということは、次の二点から明らかであろう。第一は、それが大きな白い御座の前での審判の後のものであるということ、第二は、その前に復活が起こらなければならないということである。

 黙示録21章9節から22章5節までにある都の叙述が、全体の明確な一部を構成するものであることは、事実である。文学的構造も、その事を物語っている。この個所は、「最後の七つの・・・」という句で始まっており、思想においても、「また、七つの・・・」で始まっている17章1節と平行性を示している。この二つの部分は、構造において、また内容において(それはある程度までであるが、と言うのは、一方では大淫婦のさばきが語られ、他方では小羊の妻の顕現が述べられているから)、平行関係を持っているようであるが、本文の言葉は、ここでも時間的要素を考えるとすれば、後者(小羊の妻の顕現)が時間的には前者(大淫婦のさばき)のあとに来ることを、明りょうに示している。更に、21章1〜6節の言葉は、新しいエルサレムの到来が、最後の審判のあとであることを指摘している。したがって、21章9節から22章5節までは、この事を更に確認するものである。論理的には、それは17章1節から21章8節までと平行的であり、時間的には、それに続くものである。そうであるとすれば、新しいエルサレムは、祝福のうちに死んだ者たちの現存する場所の描写ではなく、まさにこれこそ、神の地上におけるあがないの働きの完成後における最終状態の描写なのである。

 更に、この最終状態は、復活に続くものでなければならない。20章4〜6節には、キリストのために苦難をなめた者たちの「第一の復活」が言及されている。彼らは、キリストの千年の支配のはじまりにあたってよみがえる。残りの死者は、この支配の終わりと大きい白い御座での審判の時までよみがえらない。とにかく、神の都は、よみがえりを経た人々の住居であり、復活した人だけがそこへの門をくぐることを許されるのである。もし復活が、霊的、肉体的新生、すなわち、罪人の神のかたちへの復元を意味するものであるならば、復活こそは、神の人間に対する最終目的へ向かっての入り口でなければならない。神はこの世を打ち砕き、それを、愛する者たちのために、再生したもうのである。

 したがって、復活は、あらゆる永遠的な決着の実現へのかぎである。それは手段であって、終わりではない。現在のように弱く罪深い血肉が望むことのできない、神の完全な啓示を、受けることができるように、私たちを備えてくれる一つの方法なのである。

2024年5月12日日曜日

また会う日まで、ミンヘンママ

昨日、浅間山の麓、長野県御代田町で、この5月5日、94歳で召されたミンヘン・ベックママのお別れ会がありました。以下の文章は、そのお別れ会の席で、遺族のお一人で六人姉妹の末娘にあたる方が述べられたものです。お読みください(※)。

 パパやママや私たち家族のために祈っていただき本当に感謝します。祈りに支えられてここまで来たのだと思います。ママと八年近くいっしょにいたので今はとてもさびしいです。

 このひと月食べなくなったりして、私たちはびっくりしていました。私はもうちょっといっしょにいたい。でもイエス様が身許へ連れて行きたいのなら、私たちに力と慰めと平安を与えてください、そしてママが天国へ行ったことを心から喜ぶことができるように、助けてください、と祈っていました。ママは何回もいっしょに祈ってくれました。

 最後の夜も一生懸命に祈ろうとする姿、言葉を出そうとしても言える力がありませんでした。それで、私もイエス様の十字架、罪の贖いについて感謝し、天国への希望を感謝し、イエス様がお迎えに来てくれるのを待っています、と祈ったら、軽くうなづきました。

 イエス様にベックママを、私のお母さんに与えてくれて、心からありがとうと言いたいです。特別、それぞれママが主と隣人に仕えたように、私も主と隣人に仕えたいです。ママは人を見ないでイエス様しか見ない人だったと思います。この最後の1日は、この地上がもうどうでもいい、目に見えないもの、天国だけを目指そうとますます願うようになりました。

私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。(新約聖書 2テモテ4章7節)

 本当にそういう人生を歩みたいです。本当に両親に心から感謝しています。

母の日にちなんで、こんな母娘の関係を持つ母子って素晴らしいな、と思いながら、お別れ会の録音から思わず聞き取らせていただきました。

※ゴットホルド・ベック夫妻は今から七十年前にドイツから日本に宣教師として来日されました。 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2016/08/blog-post_23.html

2024年5月10日金曜日

『隆明だもの』(ハルノ宵子著 晶文社刊)

 ゴールデンウィークもあっという間に日が過ぎました。私自身は、いつも通り、日課としている古利根川散策に励むのみで、どこにも出かけることなく、過ごした日々でした。この間にそれまで、その勇姿を見せてくれていた川中の雁も5月2日を最後に、完全にいなくなり、散策の張り合いをなくしていました(※1)。

 そんなおり、土手を歩き続ける私たちの側を、走り抜けて行った一組の父娘の方が印象に残りました。オレンジ色のTシャツを着たお嬢さんと、並走するのはお父さんでしょうか、大変身長のある外国人らしき方のお姿でした。気がついた時には、ずっと遠方に駆け抜けて行ってしまわれ、かろうじてその後ろ姿をこの写真のようにキャッチさせていただくのが精一杯でした。が、この父娘の後ろ姿を見ながら、TVなどで知る行楽地の賑わいぶりと違って、地元でのこんな素晴らしい過ごし方もあるもんだわいと感心させられたからです。

 もちろん、それだけでなく、私はその時、吉本隆明さんの長女であるハルノ宵子さんの著作である『隆明だもの』を読んでおり、その読後感をどのように自分の内側に内面化し消化していったらよいか思いあぐね、かつ願ってもない濃密な父娘関係についても考えさせられていたからです。

 お嬢さんの方では、(多分)高名な父親の呪縛から何とか逃れたいという思いもあったでしょうが、父親の開放的な〈来る者拒まずという〉人柄もあって、吉本家には実にたくさんの有名、無名の方々が隆明氏との交流を求めて次々訪れられ、その現場〈嘘偽りのない人間関係〉の中でお嬢さんは人間心理の裏表を知りながら成長されて行ったようです。

 そこに表現者として、一筋縄では決して行かない人間心理を熟知した吉本父娘の苦闘・研鑽があるのではないかと思わされました。隆明氏についての一連の文章はいずれも、吉本隆明全集の月報に編集者に請われてハルノ宵子さんが書かれた30篇の転載です(※2)。その最後は「読む掟・書く掟」という題名ですが、私にとって感銘を受けた文章でした。それは彼女がまだ無名の漫画作家であるときに、吉本隆明氏の長女であることを、知っている編集者が宣伝文句にしたかったのでしょうか、お父さんに何か一文を寄せてもらったらと言われて、思わず乗ってしまったことの顛末を記した文章です。(同書172頁より引用)

父の文章には、「はたして私は、この世界で娘と出会うことができるだろうか」ーーとあった。氷水をぶっかけられたように目が覚めた。大甘だった。私はこの世界では、まだ無名の一新人にすぎなかったのを忘れていた。ましてや、私が(編集者代わりに)仲介となって、父に文章を依頼するなど、掟破りもはなはだしい。思えば、父からあの言葉をくらったからこそ、私は(かろうじて)この世界で生きていられる。今は感謝しか無い。表現者として生きていく以上、この世界においては、誰に頼ることもできない。1人荒野を歩いて行く、それは途方もなく孤独な旅路なのだ。

 極めて、ストイックな人間の在り方に触れた一文ではないでしょうか。昔、森有正が『バビロンの流れのほとりにて』という作品の中で、自己を問い詰め、問い詰める、思索の中で、突然「娘が自分を余り愛し過ぎないように気をつける」 という意味のことを語っていたのを思い出します。

 考えてみると、冒頭の写真の父娘は肩を並べて、両雄相い並び立つ有様でゴールに向かって走っているかのようです。吉本父娘の間もそうだったのでしょう。そこに表現者としてのゴールを目指して生き抜こうとする姿勢があったことを思います。なお、この本にはもう一人のお嬢さん、吉本バナナ氏と姉のハルノ宵子氏の対談による父親の思い出が丁々発止よろしく、次々語られるものが、ハルノ宵子氏に対する編集者のインタビューと合わせて載せられていました。そして、このお二人の姉妹関係が微笑ましく、吉本夫妻は良きお子さん方を、しかも夫妻自身が奥様は句集を出しておられた俳人だったのですから、表現者としての十分なDNAが今も受け継がれているのだと思わされました。

 私にもちょうどこの姉妹と同じように年恰好の違う娘が二人いますので、吉本姉妹の父親母親を見る目から、普段何気なく接している親子関係をも振り返る良い機会となりました。こんなふうに書いてはいますが、実はこの本も図書館で数多(あまた)の予約者の順番を経て手にした本でした。図書館のおかげでこうして様々な本を読ませていただく恵みを感謝するものです。なお同書にはハルノ宵子氏の本職である挿画イラストが随所に載せてありますので、それも十分見応えがあります。私のように図書館に予約してお読みになってみられればいかがでしょうか。

※1 すっかりいなくなったと書きました雁(鴨)ですが、昨日(5/9)散歩していて、一羽見ました。まだいるんですね、少し嬉しくなりました。「ひとりでどうしたんだ!」「はぐれたの?」私たちの会話でした。

※2 三十本の月報記事は、言うまでもなく、その全集が30巻から成り立っているということです。ちなみに、30篇の月報の題名(下線部は別のものからの転載)を以下書き写しておきます。内容が何となくお分かり願えるんではないでしょうか。

じやあな! 父の手 eyes 混合比率 ノラかっ 党派ぎらい 蓮と骨 あの頃 小さく稼ぐ めら星の地より お気持ち ヘールポップ彗星の日々 ギフト 空の座 花見と海と忘年会 '96夏・狂騒曲 幻の機械 魂の値段 境界を越える ボケるんです! 非道な娘 片棒 銀河飛行船の夜 蜃気楼の地 Tの悲劇 孤独のリング 科学の子 形而上の形見 一片の追悼 手放す人 悪いとこしか似ていない 読む掟・書く掟

詳しくはhttp://www.yoshimototakaaki.com/

見よ。すべてのいのちはわたしのもの。父のいのちも、子のいのちもわたしのもの。罪を犯した者は、その者が死ぬ。(旧約聖書 エゼキエル書18章4節)

兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。(新約聖書 ピリピ人への手紙3章13節〜14節)

2024年5月9日木曜日

認知症基本法元年


 いつのまにか、四月が過ぎ、五月もあっと言う間に、10日ほど経ってしまいました。この間、ブログからすっかり遠ざかってしまいました。決して書くことがなかったわけではありませんが、中々文章を公開するまでには至りませんでした。

 昨日は雨でしたが、買い物に出かけたスーパーの入り口付近で、滑って転んでしまいました。どのようにして転んだのか、今もってわからず仕舞いです。同行者の家内に聞いてもよく分からないと言いますし、もはや家内は2分前のことは覚えていず、しばらく経って「滑って転んだんだよ」と言っても、もう記憶には無いようです。まして、側にいたのだからどのように倒れたか、客観的にわかるであろうと水を向けても、取り付く島もありませんでした。幸い、膝を強く打っただけで、いわゆる「打ち身」の症状で済みましたが・・・。

 よく、ご老人が階段から落ちて怪我したとか、転んで大腿骨骨折したとか聞きますが、いよいよ自分にもその番が回ってきたようです。考えてみれば、、5、6年前にはバスから降りる時、足がついて行かず、縁石に顎をぶっつけ顎骨折という大怪我を経験しましたし、その後も夜道の暗がりに蹴躓いて倒れ、その時は唇を切ってしまいました。また雨の日に歩いていてコンクリート面が滑りやすくなっていて、そのまま、滑って尻餅をついたこともありました。

 昨日の些事はこうして都合、四回目になります。いよいよ家内も当てにならず、自分のことは自分で責任を持たねばならないと思わされました。もっとも一人ではなく、全能の主が背後ですべてご支配していて、導いて下さっているのですから、安心して主の道を歩みなさい、との御声を覚える者です。

 今日の写真は野薔薇を載せました。古利根川の散策の中、河岸で目にした花です。花々に無知で不案内の私は、家内にいちいち「何の花?」と聞くのが常套手段です。すると、どうでしょうか。あれほど認知機能の衰えている家内は「野薔薇よ」と言って、早速「童(わらべ)は見たり、野なかの薔薇・・・」と歌ってくれました。私にとっては、昨日の出来事とは違ってまったくもって、もったいない伴走者と言わざるを得ませんでした。

 時あたかも、昨日厚生労働省が発表したとおり、今後超高齢化社会の中で三人に一人が認知症を患うと予想しました。「認知症基本法」が1月に施行され、個人としても家族としても国としても待ったなしですね。

 何日か前、吉本隆明さんの長女であるハルノ宵子(※1)さんの著作である『隆明だもの』を読みました。往年の吉本ファンであった私にとっては垂涎の書でありました。しかし、意外や意外、私にとっていま一番印象に残っているところは「ボケるんです!」という題名で父親隆明氏について触れている文章ですが、ついでに母親について述べた次のような件でした。同書88〜89頁より引用。

老人のボケは、一人ひとりまったく違う。がん細胞が、まったく千差万別なのと同じだ。他人と同じ過程をたどることは決してない。つまりエビデンスは、あくまでも参考でしかないのだ。母は元気な頃は、けっこうキツイ人で、父はよく「お母ちゃんは他人に優しく家族にはキビシイ」とこぼしていたが、ボケるにしたがって、角が取れてきたのは意外だった。もちろん1日のほとんどをボーッと眠りがちで過ごしていたし、2、3分前に言ったことを忘れたりはしていた。しかし、その場の会話は一応成立していた。一緒に動物番組などを観ていると「カワイイわね」と言ったり、深海生物には「あんな所に生まれなくて良かった」などと言っていた。かなり理想的なボケ方だったと思う。

 もちろん、この引用は『隆明だもの』の本質部分を全部網羅しているわけではありません。しかし読者というものは、得てしていつも自分の問題に引き寄せて読むのではないでしょうか。逆に言うとそれに十分答えられる本が最良の本と言えるのではないでしょうか。そう言う意味では私の吉本観(※2)はこのお嬢さんの書かれた本でも崩れず、ますますそうだったのだと確信するばかりでした。

 隆明氏亡き後、お嬢さんを通して、私どもの老後の世界にヒントとなることを垣間見させていただいたことは、私たち夫婦の今の有り様にとり、大いに益になりました。

※1 表現者を父に持った娘さんもまた表現者であることの複雑さがこの本には満ちていました。土台、この「ハルノ宵子」という筆名は、立派な父親を持つ娘さんの苦肉の策であったようです。何も知らない私は、何と人を喰ったペンネームとばかり思っていましたが、そこにはユーモアで受け流そうとする出発点がすでにあったようです。「春宵一刻価千金」という言葉があるようですが、「ハルノ」は「春の」に通じますし、「宵」とはまさに、その春と一緒になって「春宵」です。しかも「宵」は「よい」にも通じて、「よい子」です。日本語は何と融通無碍なんでしょうか。

※2 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2015/05/blog-post_30.html

昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。(旧約聖書 申命記33章27節)

2024年4月29日月曜日

『母の最終講義』(最相葉月著)

 世の中、ゴールデンウイークということで、各地の行楽地は賑わっているようですね。こちらは愚直に普段どおり、いつもの古利根川散策を敢行しました。その土手に上がる上り口に鎮座ましましていたのが、ご存知この「キショウブ」というアヤメでした。珍しく同行者の家内が、「この花、撮ったら」というので撮りました。(いわゆるアヤメは紫色のものを言うそうですが・・・)

 昨日、最相葉月(さいしょう・はづき)さんの書かれた『母の最終講義』を図書館からお借りしました。最相葉月さんを初めて知ったのは、昨年末、彦根に帰ったときに、本屋さんで『証し 日本のキリスト者』というとても大部な本の存在に出会ったことがきっかけでした。総頁数1000余に達する本は新刊書の中でも圧巻でした。著者がどのような観点からこの日本のキリスト者を訪ねて、このような本を出版されたか大変興味を覚えていました。

 ところが東京新聞の4月7日の朝刊の「家族のこと話そう」というコーナーにこの方のお母様が認知症を患われ、その介護の状態が手短に語られていました。そして、『証』という本を表わすために費やした6年にわたる取材経験が、お母さんの介護の力の源になった旨書かれていました。

 それで今日一気に読み上げました。短いエッセーの集まりですから、大変読みやすいですし、それ以上に、しばし立ち止まって考えさせられることが数多くありました。最相さんは1963年生まれ、私は1943年生まれですから、ちょうど20歳ちがいですが、私より地についた「終活」の備えをしながら、文筆活動を続けておられる様子を窺い知ることができました。それだけでなく、同氏がたいへん謙虚な方であり、ご家族のこともご主人をふくめて必要最小限包み隠すことなく語られていることに、たいへん好感を覚えさせられました。

 私は1981年に父の認知症発症と死を経験しました。その時は、今のように認知症に関する知識のなかった時代で、無我夢中の毎日でしたが、それこそ毎日「聖書と祈り」の生活をとおして大変な危機を乗り越えさせていただきました。もちろん、父に対する愛が果たして十分であったかというと、申し訳ない思いがあります。(最相さんの思いは、それこそ私の思いの代弁でもありました)あれから40数年、すっかり世の中は変わり、コロナ禍も経験し、認知症に関する理解はより一層進んできているようです。しかし、果たしてどうなのでしょうか。

 最相さんがふと漏らしている次のような気づきは貴重だと思いました。同書129頁より

最後に、先の青年に教えてもらった「静穏の祈り」を紹介したい。アメリカの神学者、ラインホルト・ニーバーの言葉だ。「神よ、変えることのできないものを受け入れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気と、そして、変えられないものと変えるべきものを見分ける知恵を与えてください」

 認知症対策は家族間の大きな問題です。親子の間、夫婦の間、親しければ親しいほど、そのギャップに泣きたくなることは請け合いです。しかし、考えてみると、主なる神様はニーバーの言葉を借りるまでもなく、日々私たちにみことばを通して語りかけてくださっているのですね。

何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(新約聖書 ピリピ人への手紙4章6〜7節)

知恵であるわたしは分別を住みかとする。そこには知識と思慮とがある。(旧約聖書 箴言8章12節)

2024年4月28日日曜日

復活と不屈の精神(3)

毎年決まってこの白薔薇は、都合百に達するでしょうか、次々と花びらを咲かせてくれます。それも二、三週間にわたって。ところが、今年初めて、私はこの白薔薇が甘くも薄い芳香を振りまいており、多くのミツバチが花から花へと渡り歩いていることに気づいたのです。散歩しては、美を求めて歩き回っている己にとり、灯台下暗しとはこのことを言うのでしょうね。春はいよいよ盛んです。せっせと蜜を求めて集まってくる昆虫の諸君に負けず歩まねばと思わされております。

第7章「復活と不屈の精神」の最終部分です。今日はイースター後4週目に入る聖日です。二千年前を想起するなら、まだまだイエス様が復活後、ご自身の生きている姿を現わしておられる期間に当たります。


 しかしながら、彼が忍ばなければならなかったのは、待つことだけではなかったのである。彼に対して競争意識を持っていたライバルの教師たちが、この間に、しだいにその地歩を占めていた。つまり、彼が監禁のうきめにあっている間に、彼らは、骨惜しみをせずに、パウロの回心者をせっせと自分の組に引き込んでいたのである。これはただ、自分たちの名声を求める手合いであった。

人々の中にはねたみや争いをもってキリストを宣べ伝える者もいますが、善意をもってする者もいます。一方の人たちは愛をもってキリストを伝え、私が福音を弁証するために立てられていることを認めていますが、他の人たちは純真な動機からではなく、党派心をもって、キリストを宣べ伝えており、投獄されている私をさらに苦しめるつもりなのです。(ピリピ1:15〜17)

 他人が自分の作品を粉々にし、生涯をかけた成果を不純な宣伝文句でだいなしにするのを、黙ってすわらされたまま見ているのは、耐えられないことである。パウロがのちにテモテに書き送った手紙の中には、その苦しみの反響がしるされている。「アジヤにいる人々はみな、私を離れて行きました」(第二テモテ1:15)。彼の入獄中に、ある教会から失われていった人々は、パウロをもってしても、再び連れ戻すことは、ついにできなかったようである。それにもかかわらず、彼の喜びは、決しておおい隠されることがなかった。彼は最後の復活の日に、完全に恥がすすがれることを信じて、待つことができた。しかも、その報いに対する希望のゆえに、彼は、純不純を問わず、キリストが宣べ伝えられることを喜びとすることができたのである。

 復活による不屈の精神は、失望と葛藤に悩む彼を、ささえ続けたのである。この手紙によると、パウロは更に、彼をねたむ兄弟たちが、彼をだしに、しかも彼がローマ帝国の政府によって不当な抑留生活をしいられているのをよいことにして弟子たちを集めていたことに対してと同時に、自分の内的な問題とも戦っていたことを暗示している。彼は、エパフロデトの病とともに彼に臨んだ「悲しみに悲しみ」(ピリピ2:25〜28)や、貧や飢えや乏しさ(4:12)、また、おそらく長びく獄中生活の緊張の結果と思われる内的葛藤についても、苦しさを訴えている。確かに投獄されてからは、以前と同じ強壮さを維持することができなかったであろう。強制された安逸と監禁の生活は、彼に法外な料金を要求したのである。しかも彼は、絶えざる微笑をもってそれに臨み、そのためにこの手紙は、キリスト者の喜びの書簡として知られるに至ったのである。彼は、すべての苦痛を、キリストの苦難にあずからせる特権として受け入れ、そこから、彼の復活の力を知る知識を得るに至ったのである。

 挫折や、見かけの失敗、また懐疑や闘争の渦の中で、この復活の希望は、彼の不屈の精神の源であった。こうして彼は、走者がたいまつを掲げて走り、次の走者に渡すまで走り続けるように、いのちの言葉を保ち続けた。それは、「そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができ」(ピリピ2:16)るためである。彼は悪しき時には特に、永遠を誇る、そそり立つ高嶺に目を留めて動かさずにいた。現在の苦難を、復活の暁がもたらす栄光とは比べるに足りない。彼の使命達成の途上のつまらないできごととみなしていたのである。それゆえ彼は、済んだ事柄は喜んで忘れ、目当てを目ざしてたゆみなく進んだのである。

 直接的な悪性の反対に対するより、一見たいしたことはないと思われる人生の挫折のほうが、普通は、より大いなる不屈の精神を必要とする。計画的な迫害は、当然予期しうることとして、それほど恐れるには足りない。イエスも助けを約束しておられる。助け手と考えられる人々のはりあい、自分が最も必要とされ、最も貢献しうると思えるときに、義務を果たす道を閉ざす、いわれのない投獄、また、ほかの人の必要のために心を集中させなければならないときに、魂を悩ます心痛や葛藤ーーこれらは私たちにとって最も耐えがたい事である。しかし、復活の希望は、このような問題に対しても勇気を与えてくれる。これらによって私たちは「キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかる」(ピリピ3:10)ことができるからである。

2024年4月27日土曜日

復活と不屈の精神(2)

今日は、これと言って良い被写体を見出せませんでした。その代わりと言っては何ですが、スケッチ帳に描かれていた一枚の絵を載せることにしました。絵の具でなく、クレヨンによる彩色の絵です。どう見ても古利根川とその川縁を描いたものと思われます。しかもこれからますます緑が濃くなっていく風景を描いたもののようです。筆致から推すと作者は家内のような気がしますが、本人は覚えがないと言うので、今となっては確かめる術がありません。

以下は、「復活と不屈の精神」の昨日の続きです。

 もちろん、キリストにある死人が、悪しき死人よりもさきによみがえらされるという点に、疑問の余地はない。ヨハネの黙示録20章4、5節は、このことを明らかにしている。

また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。

 この聖句が与えてくれる解釈の可能性に関する興味深いわき道にはいらなくても、私たちは、それが二つの復活を含意していることを知ることができるであろう。第一の復活には、キリストのために苦難を経た人々が加わる。彼らは、以前にどのような不面目な敗北を味わったにせよ、いまやキリストとともに支配者となるのである。そして、彼らのよみがえりは、「第一の復活」と呼ばれる。この第一のという区別は、必ずしも、それがごく少数の選ばれた人々だけの特権であるというように解釈されなければならないものではない。それは、義人の死者の復活は、悪人のそれと非常な間隔をおいており、そのとき復活する人は、キリストの僚友として御国における統治権にあずかる、ということを意味するだけなのかもしれない。このような、不敬けんな人を除外しているという意味で、これは、「死人の中からの復活」なのであり、それはまた、信者の中でもある序列の差を持つものであると考えられるのである。

 それでは、このように遠い未来の事が、どうして現在の必要に適用されうるのであろうか。

 実は、ピリピ人への手紙は、この復活の希望によって意中に創造された不屈の精神を、具体的に実証するものなのである。パウロは今、二十五年またはそれ以上にわたって心身を打ち込んできた労を、突然中断され、獄中の人となっている。彼からわいろを取ろうという下心を持つローマの官吏によって、すでに二年間も留め置かれているばかりか、彼自身カイザルに訴訟を起こすことによって、のっぴきならない立場に追い込まれていた。彼は、ピリピ人への手紙を書いたとき、すでに相当長く、おそらく二年はローマにとどまっており、しかも、釈放される目安は、全く立っていなかったのである。釈放という観点からは、その第1章における彼の言葉は悲観的である。「私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています」(ピリピ1:23)。彼は公判にもかけられていなかったようである。しかも、結果は、全く予断を許さなかったのである。彼は宙ぶらりんの状態であった。今死のことを言ったのかと思うと、次には、ピリピ人のところに「とどまり」、彼らのところへ行く、と宣べている(1:24〜26)。本式の告発も受けず、未来の見通しもなく置かれることは、疑いもなく、彼の神経をすり減らすものであったろう。しかし、彼の活発な生活が突然中断され、未来が暗雲にさえぎられているにもかかわらず、手紙の全体は、喜びの叫びを強く聞かせてくれるのである。復活による不屈の精神は、入獄中のパウロに、絶えざる勝利をもたらしていたのである。

2024年4月26日金曜日

復活と不屈の精神(1)

今日は記念日でした。それで、妻に「何の記念日だと思う」と聞いたところ、「わからない」と素直な答えが返ってきました。まあ、やむを得ないだろうなあーと思いました。その後、二人して妻のかかりつけの病院に出かけるため電車道を駅へと向かいました。久しぶりの駅道でしたが、途中線路際の舗装道路の隙間に花を見つけました。「すみれ(※)」でした。いつもこの数メートルの縁石の間に花を咲かせるので、決して珍しくはありませんが、妻が「すみれの花咲く頃」とハミングしてくれました。嬉しくなった私が、「なぜその歌詞を知っているの?」と聞くと、「宝塚の歌だ」と教えてくれました。記念日は、夜になって子どもたちが「おめでとう」とそれぞれLINEで寄越してくれました。この「記念日」は「すみれの花咲く頃だった」のですね。そんなロマンもなく、私にとってはただ一緒になれた喜びで一杯だった日でした。五十四年前のことです。老いが先行し、様々な不便が互いに生ずる今、そのことだけは忘れたくありません。

※ 「すみれ」について過去にもずいぶん書いていることに気づきました。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2010/04/blog-post_15.html
https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2012/04/blog-post_17.html
まだまだありますので、上のはこ欄に「すみれ」と入力すると出てきますのでご関心のある方は覗いてみて下さい。

さて、新しい項目「復活と不屈の精神」は、全八章の章立ての中の第七章に相当するもので、第二章の「復活の予測」は飛ばしましたが、それを除くとあとは順番に写していますので、章としてはあと一章を残すものとなりました。メリル・C・テニー氏はこの標題で、パウロの例を通して、語ります。三回続きますし、今日の個所は訓詁学的なところもあり、理解するのにややこしいところがありますが、忍耐強くお読みくだされば感謝です。残り二回と合わせて、「ピリピ人への手紙」に表れているパウロの信仰の裏表を思う存分知らされたいものです。

どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。(ピリピ3:11)

 復活の力が個人の生活にどのように現われるかを示すものとしては、新約聖書全体を通しても、このパウロの自伝の寸描を記録しているピリピ人への手紙三章にまさるものはない。その中で彼は、自分の前歴について、かなり多くのことを明らかにしている。彼は好戦的なベニヤミン族出身のユダヤ人であり、手紙を一読すると、戦闘的な血筋を誇りに思っていたことがわかる。彼の幼名は、イスラエル初代の王の名を採って、サウロと言った。サウル王もまた、ベニヤミン族の出である。彼は、すっかりギリシア文明に圧倒された地方に住んでいたにもかかわらず、先祖伝来のアラム語と、古来のヘブル人の習慣とを固守した、厳格なヘブライ主義的ユダヤ人の仲間になっていた。律法の解釈においては、儀式関係の法規の遵守に特別やかましかったパリサイ主義の伝統を擁立した。ユダヤ人の信仰に対する熱狂的な義務感から、彼は、エルサレム外の諸都市においても、教会に対する迫害の規模を拡大していった。最も驚くべき事は、彼が、完全な律法の義を自分に対して主張することができると言っていることである。その事は、「律法による義についてならば非難されるところのない者です」(ピリピ3:6)と言っているところから知られる。ところが、その彼が、ダマスコの途上でキリストに引き止められてからは、それらのすべてを失念してしまったのである。律法に対する情熱は、いまやキリストに対する情熱に置き換えられた。生誕、家系、宗教教育、教団での地位のすべてを、彼は損失と思うに至った。ユダヤ教の中で獲得しえたであろう特権や地位に対する願望を、キリストにおいて彼に与えられた新しい信仰のために、完全に否定してしまったのである。

 ピリピ人への手紙は、パウロが回心してから三十年ほどして書かれたものである。この間に彼は、長期にわたってさまざまの経験をした。シリアのアンテオケを起点として、南部アジア、マケドニア、ギリシアの伝道の開拓に当たった。キリスト教神学とキリスト教文学との基礎を据えた。ローマ帝国の議会や官憲たちの前でも、そのていねいな無関心さや刺すような冷笑をものともせず、キリストのための弁明を試みてきた。石打ち、あざけり、誤解、無視の試練にも耐えてきた。しかも彼は、神が彼の魂の中に植え付けられた不屈の精神によって、前進を停滞させることがなかったのである。その不屈の精神は、攻撃をはね返す耐久力であった。彼はまた、ただ一つの燃えさかる野心のゆえに、ひるみやためらいを感ずることは、決してなかった。その野心は、彼の前進を促す動力であった。「どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです」(ピリピ3:11)。彼は復活への見通しが自分の魂の中に生み出した希望のうちに、尽きぬ勇気の源を持っていたのである。

 この聖句は、ギリシア語では、非常に変わっていると言える。「ただどうにかして、死人の中から復活に達したいのです」。日本語では「中からの」とはっきり表現されているが、それは、ギリシア語の「の」を補強するために付加された訳である。そしてここでは確かに「の」だけでは不十分なのである。それは、たとえば、「わたしはそのケーキをいただきましょう」と言う場合のような、あるあいまいさを残すからである。この例の場合には、それは、そこに出されているケーキの中の一つを取ることか、幾つか出されているものの中からケーキを取ることかのどちらの意味をも持つことができる。ここのギリシア語の「の」も、そのあいまいさを持っているのであるが、パウロは、この例でなら前者の意味で、死人の中からの復活において、彼を他の人とは別な者とする復活を望んでいる、と言っているのである。

 言うまでもなく、この言葉は、彼が自分の救いを働きによって獲得しようとしている、と言うことを含意するものではない。彼はすぐ前で、自分は自分の義によってではなく、キリストの義によって救われることを求めた、と言っているからである。戦いが救いのためでないことは明白である。その点については、彼はすでに確信を持っている。それゆえ、ここでは報いのことを言っているのである。しかし復活は、報いと呼ばれるべきものであろうか。コリント人への第一の手紙15章22、51〜54節と、テサロニケ人への第一の手紙4章16節が教えていると思われるように、キリストにある者は究極においては皆復活するのであるとすれば、復活はどうして、よいわざの報いや不屈の精神をかきたてるものとなりうるのであろうか。もし、ある一つの学級の生徒が皆、あるほうびをもらうのだとすれば、それは成績に対する賞とは言えないであろう。

 聖書はこの問題に、一、二の個所で答えているように思える。ヘブル人への手紙11章35節には、迫害に耐えて忠実さを守り通した昔の聖徒について、こう書いてある、「女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました」。復活における程度の差が、ここには、苦難に対する報いとして設けられているように見える。この報いに対する見通しは、新しい契約の下にいるキリスト者に対してでなく、古い契約の下にいるヘブル人のキリスト者に対して与えられたものであった。しかし、もしこの手紙の読者に対して意味がなければ、このことが特記される理由はなかったであろうということは、言わずと知られるであろう。コリント人への第一の手紙15章23節は、各自が「おのおのにその順番が」あってよみがえると言っている。「順番」とは、どのようなものをさすのであろうか。順番は、ある人たちの席次の高さと優越性とを仮定している。テサロニケ人への第一の手紙4章16節は、「キリストにある死者が、まず初めによみがえり」と、彼らが、生存中の人よりは、少なくとも時間的にさきになると言っている。これらの聖句からすると、復活には、優越性や報いという点で段階があり、また、他の人より早くよみがえらされる人の中には、神への忠誠のゆえにさきに報いを与えられる人々が含まれていると考えることは、妥当なことであると思われる。

2024年4月25日木曜日

復活の熱情(3)大指導者

今日は、ベニカナメの剪定作業に汗を流しました。と言っても、小一時間というところでしょうか(実際は二時間ほど費やしましたが・・・)。長女が剪定ばさみ、脚立を積み込んで都下東大和から駆けつけてくれました。昨日は雨だったか(もはや記憶も定かでないボケ老人の感覚でしかありませんが)、明日はどうなのかわからない天候不順の折、今日しかないと思い定めて来てくれました。

昼食は有り合わせのものを長女自身が作って、「自作自演」っていうところでした。普段中々交われないお互いですから、食べることよりも、どうしても話が弾みますが、遠路ゆえ、それもままならず、二時過ぎには元来た道を急いで帰って行きました。

いつの頃からか、高齢世帯である私たち夫婦を心配して、様々な作業にかこつけてはご機嫌伺いに来てくれます。

今日の写真は庭のブルーベリーの写真です。ただし上の写真は随分昔の写真で自分としては気に入っている写真で、過去のブログにも登場しているはずです。それを見るといつの頃かわかるのですが、多分、今よりはもう少し後の頃だと思います。今日のブルーベリーは、左端の写真です。しかし、この前も雨にも関わらず、大きなヒヨドリがちゃっかりここに潜り込んで、花を食べにやって来ました。猿知恵ならぬ「鳥知恵」はすごいです。仕上がりのベニカナメも載せたかったのですが、まだまだ剪定が不十分で父(とっ)ちゃん刈りなので載せませんでした。

さて、「復活の熱情」は今日で終わりですが、大指導者とは言うまでもなく、イエス・キリストです。この方が、今に至るまでどのように働かれているかを聖書に則って著者は丁寧に説明しています。私は新約聖書二十七巻、特に「使徒の働き」をコンパクトにまとめ上げた叙述だと感心しました。お読みになるみなさんの上に神様の祝福が大いにあらんことを祈ります。


三 大指導者の熱情 

 人々は、指導者に好意を持つ。頭脳においてであろうと体力においてであろうと、他の人に抜きんでた人物は、常に人を引きつける。その人気が続くかぎり、彼が何を事としていようと、人々は、彼のために生き、また死のうとする。それが共産主義とスターリンであれ、大英帝国とチャーチルであれ、または他のどのような結びつきのものであれ、世界の人々は今日においても、平和と繁栄とを約束し、各自の理想を実現させてくれるような指導者を求めてやまない。

 復活のおかげで私たちは、名ざしうるあらゆる人物にまさる指導者を与えられている。時代も、事件も、悪意や失策も、彼を押えつけておくことはできない。このようにして、私たちは、メッセージを伝えるときに彼の権威を保証されているだけでなく、また、その企て自体に、彼の助力を仰ぐことができるのである。

 聖書は彼の指導の方法についてどのように述べているかを見ておこう。彼は弟子たちを、まず、新しい世界に直面させられた。エルサレムの二階座敷をあとに、この小さな群れは、文化的な、しかし冷笑的な世界に、十字架の福音を携えて進んでいったのである。異邦人にとっては、十字架につけられたユダヤ人を信ずればその人は救いを約束される、というような不合理な宗教行為は、愚の骨頂に聞こえた。ユダヤ人にとっては、木にかけられた者をなおメシヤと呼ぶことは、瀆神もはなはだしい主張であった。この群れのだれにとっても、この奇異な福音を、ギリシア哲学やユダヤ的律法宗教に負けない、世界宗教とする伝道計画を立てることは、不可能であった。その彼らを、よみがえりのキリストは、エルサレムに引き止めて、上よりの力を着せられるまでは待つように導かれたのである。彼は弟子たちに、メッセージを、あかし人として語るのであって、演説家、雄弁家として語るのではない、とさとされた。教会を建て上げるのは、主ご自身でなければならなかったのである。「主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた」(マルコ16:20)「主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった」(使徒2:47)。

 彼は、事をどのように進めるかについても、彼らを導き教えられた。御霊を通して、方針、組織、計画におけるあらゆる主要な変更事項が啓示されるように、取り計らわれたのである。教会の社会事業のための七役員の選任、異邦人伝道の開始、異邦人回心者の立場に関するエルサレム会議の議決、ローマ帝国の伝道のために通る道筋ーーすべては彼によって決定された。彼は必ずしも、そのしもべの死を免れさせてはおられない。そのようなときにさえ、働く人はなくても、働きが停滞するようなことはなかったのである。彼らのために、彼は時にはドアを開き、時にはドアを閉じられた。彼らが反対に直面したときは、大胆さを与えられた。こうして彼は、敗北の中からひねり出すようにして勝利を導き出し、ローマ帝国のすべての植民州で、奴隷のあばら家からカイザルの宮廷に至るまで、人々がよみがえりの主の福音を知り、信じ、愛するようにされたのである。使徒教会に犠牲的忠実さを喚起したもうた主の助力は、今日の私たちが仰ぐべきものでもある。よみがえりのキリストは、依然として前進を試みておられ、私たちがそれに歩調を合わせることを求めておられる。教会において、商店において、田畑において、会社において、更には、貧民くつにおいても、教室においても、アラビアの砂漠においても、チベットの山においても、また南米のジャングルにおいても、彼は、最初の弟子たちに求められたのと同じ無条件の信仰、同じ不動の忠誠を私たちにも期しておられる。また彼は最初の人々に与えられたのと同じ導きと同じ保護の手を差し伸べておられる。彼は死を征服されたかたであるゆえに、私たちを、その勝利の行進にあずからせ、また、熱心に、歓呼の声をあげつつ、彼に従う者とさせて下さるのである。

導きたまえ 永久(とあ)の君よ
進軍の日 今しきたれり
戦いの野の なが幕屋こそ
今よりのちの われらが住み家
なが御恵みに 強くせられて
備えの日は 今こそ成りね
永久の君よ われらが主よ
高く歌わん 戦いの歌を

導きたまえ 永久の君よ
従い行けば 恐れは去りぬ
恵みの御顔 われを守れば
朝日のごとくに 喜びあふる
十字の光に 照りいだされて
われらの旅路は 輝きぬ
勝利の冠 われらにあり
導きたまえ 大能の神よ
    (アーネスト・W・シャートレフ)

2024年4月24日水曜日

復活の熱情(2)最終的な権威


あちらこちらの街路のツツジの植え込みは、今時、赤と白で道行く私たちの心を弾ませてくれているのではないでしょうか。特に白色のツツジは、清楚な少女の出立ちをいつも思わされ、身を清められる思いが致します。

ところで、上記画面に見られるように、これまで堤上の桜の木々の下で、ひっそり出番を待っていた植え込みにも、陽が当たる時季がやってきたようです。赤いツツジが「こんにちは」と次々声をかけてくれるようになったからです。

赤いツツジの点描は、そのすぐ奥で、今を盛りとあたり一面に広がるタンポポの園とともに私たちに爽やかな笑顔を振りまくかのようでもあります。自然界は、一刻の猶予もなく、調和した美を私たちに提供してくれます。その自然の秩序は神様ご自身が私たちにくださっている大きな贈り物です。

今日の『キリストの復活』の「復活の熱情」にまつわるメリル・C・テニー氏の話は短いですが、世の権威にたちまさる主の権威がいかに最終的な権威であるかを語っています。その権威の熱情が如何なるものか少しでも知りたいものです。

二 最終的な権威の熱情

 伝えるに足るメッセージを持つということは、一つの事である。それと、メッセージを伝える権威を持つということとは、別な事である。セールスマンは、どんなによい品物を売り込もうとしているときにも、信用ある商社が自分の後ろだてとなっているということが確信できなければ、売り込みに熱心になることはできないものである。疑いと熱情とは、決して共存することができない。そうだとすれば、私たちがある重大な宣言ーー人は、そのメッセージを信じて救われるか、または、それを拒否することによって失われるか、二つのうちの一つを選択しなければならないという、猶予することを許さない重大な宣言ーーを携えて、海を渡り陸を越えて行くのは、いったいどのような権威に基づいてなのであろうか。

 よみがえりのキリストは、そのメッセージを伝えるにあたっての権威であられる。ペテロとヨハネは、足のなえた男をいやしたあとで、「あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか」(使徒4:7)と尋問されたとき、こう答えた。

民の指導者たち、ならびに長老の方々。私たちがきょう取り調べられているのが、病人に行なった良いわざについてであり、その人が何によっていやされたか、ということのためであるなら、皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。(使徒4:8〜10)

 復活は、イエスを、地のあらゆる権威の上にある神の右手に高く上らせた。それで彼の弟子たちは、自分たちを地上における彼の代表と考えて、彼らを沈黙させようとした彼以下のあらゆる君主たちや議会を、公然と無視する態度に出たのである。

 よみがえりのキリストは、語り手の伝えるメッセージを保護する権威でもあられる。彼が彼らに与えられた言葉、「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします」(ヨハネ20:21)と、増長したピラトに対する彼の返答、「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたがたはわたしに対して何の権威もありません」(ヨハネ19:11)とを比べていただきたい。御父が御子に対して、その働きが完成するまで、その身の保護を保証されたように、キリストは、彼の事業のために彼に従う者たちが出て行くとき、その安全を見守られるのである。キリストは彼らのために、獄屋のとびらをあけ、官憲らの裁判を導き、刑執行人のおのをそらせたもう(※)。弟子たちは、主がご自身のメッセージを尊重されると信じていたので、彼の名において、不可能事に敢然としていどんだのである。

※引用者註 著者が「キリストは彼らのために、獄屋のとびらをあけ、官憲らの裁判を導き、刑執行人のおのをそらせたもう」と要約している聖書個所はいったいどこの個所であろうかと思って調べたが、差し当たり、次の個所などが考えられるのではなかろうか。使徒5:22を中心とする前後の聖句。そして使徒12章。いずれもペテロが経験していることではある。ペテロはその「熱情」においては弟子中第一番であったが、主の預言(ルカ22:31)どおり、結局は主を裏切らざるを得なかった。その彼が復活の主に出会い、ペンテコステ(聖霊降臨)を経験し、全く別人の人となって、サンヒドリンでの尋問に対した。それは、まさに最終的な権威の熱情、「主イエスの熱情」に支えられてのことだと思わされた。繰り返しになるが、上記の最後の言葉「弟子たちは、主がご自身のメッセージを尊重されると信じていたので、彼の名において、不可能事に敢然としていどんだのである。」とは千金の重みを持つ言葉である。

2024年4月23日火曜日

復活の熱情(1)新しいメッセージ


今朝は、この花が目立ちました。毎年今頃決まって花を咲かせますが、庭に降り立って、この花の写真を撮るのは久しぶりです。名前は家人も知らないと申します。幸いなことに今ではiPhoneがその疑問に見事に答えてくれます。それによると、「オオツルボ」と言うそうです。この複雑な花弁(色の組み合わせといい、形状の様々の姿といい、その上、実に素晴らしいバランスを保ちながら環状に配置されている)が「いのち」の発露としてあらわされていることに深く敬意を表したいです。

復活のメッセージは、私たち一人一人が神を信じないという罪の証拠をイエス様のお体の傷跡として残していることと、それゆえにその方のよみがえりは、私たちに罪からの全き訣別という新しい生活への希望を与えてくれるものとして示されています。この二方面のメッセージは、この「オオツルボ」の開かれた花弁が示すように、すべての人に向かって開かれている、気高くも希望を抱かせるメッセージです。「新しいメッセージの熱情」と題して解き明かす、メリル・C・テニーの論述を引き続いて篤(とく)とご熟読くださいますように・・・。

一 新しいメッセージの熱情

 よみがえりのキリストというメッセージは、伝道における説教の核心をなすものである。イエスを、死人の中から復活したかたとして説いて投獄された、ペテロとヨハネとは、釈放されるやいなや、また同じ説教を試みた。パウロは、復活の福音の非常に有能な弁明を終えると、「この鎖は別として」(使徒26:29)、みんなの人がわたしのようになって下さることを、わたしは切望しているのです、と言って、その議論を結んだ。ただ強大な現実性だけが、彼らに、迫害や窮乏を乗り越えて世界伝道に進む、尽きることのない熱心さを与えることができたのである。

 この現実性において、第一に指摘されなければならない事実は、復活が罪の事実を証明するものだということである。イエスが墓の中にとどまっておられたならば、十字架は、手を焼かせた民衆先導者を法的に除去しただけのこと、あるいはおそらく、たいせつがられていたある教師の悲劇的な最後、あるいは悪くても、正義のひどい失策と見られただけで終わったであろう。このうち、今どの見解が採られるにしても、結局のところ、彼に対する刑の執行は、無知で偏屈な時代のへまとして説明し去られてしまうのである。死人の中からの復活だけが、次の事を決定的な事として立証する。すなわち、ナザレのイエスは、預言者たちがあらかじめ告げていたユダヤのメシヤであったということ、また、彼の神の子であるという主張が、詐欺師の根拠のない大言壮語ではなかったということ、更に、ユダヤ人と異邦人とがともに嘲笑し、退けた人物が、実は栄光の主であられたということである。「(あなたがたは)いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました」(使徒3:15)」と、ペテロは、議会の人々に言った。このひとつの行為を通して、神は、御子を死に追いやった人間の悪巧みと激情を、罪として、永遠に宣告されたのである。復活ののち、イエスは弟子たちに、「イエスは、その手と足をお見せになった」(ルカ24:40欄外)とあるが、それは、人間の罪が生み出したことの、無言の、しかし最も厳然とした証拠を示されたものであった。

 こうして弟子たちは、罪が決して理論上だけのものでなく、事実性を持つものであるということを思い知らされたのである。したがって、彼らの説教が、大づちの一撃のように、聞く者の心と良心に落ちかかり、悔い改めを激しく迫ったのは、少しも驚くにはあたらない。キリストがよみがえられたのなら、彼を死においやった罪は、まっこうから問題とされ、征服されなければならないのである。言いのがれや言い訳は許されない。それは直ちに解決されなければならないのである。

 キリストの復活は、真の救いの保証である。彼の傷跡は、罪のためのあがないが完成していることを物語っている。使徒行伝十三章には、有名な、ピシデヤのアンテオケにおけるパウロの説教が載せられている。それは、彼の伝道説教の典型的なものの一つと考えられている。彼は、長い歴史的な議論の終わりを、キリストの死と復活の叙述で最高潮にまで盛り上げ、次の言葉でその説教を結んでいる。

ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです(義と認められるのです)。 (使徒13:38〜39)

 キリストのよみがえりは、律法の要求が残らず満足させられたことを意味する。キリストのよみがえりは、人類の反逆に対する寛大な神の恵みにあふれる回答なのである。キリストのよみがえりは、「ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです」(ヘブル7:25)ということを意味しているのである。

 よみがえりのキリストは、不死の証拠である。キリスト抜きの不死は、よく見積もっても夢にしかすぎない。人々はそれを、可能性であると論じ、蓋然(がいぜん)性であると考え、ほんとうなら良いのにと望んだ。しかし、その点に関する、最善の、最も理論的な思想の表出も、ついには実現の可能性のないものと判断されるのが常であった。「プラトンよ、あなたはまことによく推論を重ねた。しかし・・・」というのが、多くの思想家たちの態度であった。それに反して、イエスは、不死について論じようとしてはおられない。ただ、「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません」(ヨハネ11:25〜26)と言われただけである。彼は墓からよみがえられたとき、ご自分の言葉を確証された。不死は、彼においては、一つの確かな事なのである。

 このようなメッセージに、真の熱情がかきたてられるのは、当然のことである。罪が真であるならば、人は非常な危険の中にいるのであって、それから救出されなければならない。だれかの家が燃えていたなら、私たちはその家の人を起こして、彼が焼け死んでしまうことのないようにするであろう。しかし、その人の霊的危険に対してなら、私たちは、それほどの関心を寄せなくてもよいのであろうか。もし救いが真であるならば、私たちは、人の益になるよい知らせを持っていることになる。そのよい知らせを持って友人を訪ねるのは、うれしいことである。それでも、永遠の現実を宣べ伝える特権に対してならば、あまり感興をわかさなくてもよいのだろうか。不死が真であるならば、私たちは、失意の人たちにも希望があることを教えることができる。それでも私たちは、そんなものを伝えることには熱心にはなれないと言うのであろうか。復活のメッセージの現実は、私たちの生活に、新しい妙味を添えてくれるものなのである。

2024年4月22日月曜日

復活の熱情(序)

庭先のクレマチスが、いつの間にか花を咲かせているのに、気づきました。私は、その余りにも、解放的な開花ぶりにはいつもびっくりさせられます。(もっと、お淑やかに、花を咲かせていけばいいのにと思って・・・)しかし、こんなに美しい花弁をじっと我慢していたとしたら、時満ちてパッとばかりに花を咲かせるのも当然なのでしょうね。

復活を実地に経験した弟子たちは、失意、絶望の中から熱情の使徒に変えられます。彼らなら、「クレマチス」のこの心に共鳴することでしょう。引き続いてメリル・C・テニーの『キリストの復活』の第六章「復活の熱情」からの引用です。

神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。(使徒2:32)

 ある日曜日の午後おそく、いくじなさそうな、落胆しきった十人の男たちが、エルサレムのとある二階の座敷に、ふさぎ込んですわっていた。三日前に、彼らの愛する師、また希望の柱であった指導者のイエスが、ユダヤの最高聖職者たちとローマ総督との決議によって。殺されてしまったのである。この不意のできごとに、彼らはただ、悲嘆にくれるばかりであった。幸いなきのうの記憶も、ただ連想のかなたのものであった。的を射るようなたとえ、不正に対する批判の鋭鋒、また、明察に基づくその教えの持つ威厳ーーすべては過去のものであった。罪のゆるし、永続的な心の平和、御国の到来について、彼が与えられた約束も、今では価値のないものに思えた。「彼の墓は悪者どもとともに設けられた」(イザヤ53:9)者が罪をゆるすということが、どうしてありえようか。恥辱の十字架の上で苦悶の死を遂げた者が心の平和を与えるということが、どうして可能であろうか。自分をさえ救いえなかった者に、どうして御国の到来を説く資格があると言えよう。永遠の義に対する彼らの信仰さえ、今では動揺せざるを得ない。義にして主権者なる神が、彼のように全き生涯を送った者を、あのような死の苦難にあわせられようとは、とても考えることができなかったからである。

 明らかに、彼らの集会は、彼らの熱心さの告別式をしか意味しえないものであった。彼らは、偉大なメッセージを持ち、よい動機に励まされて、事をしてきたように思っていたが、イエスの死とともに、いっさいは、穴のあいた風船のようにしぼんでしまったのである。イエスが民衆の眼前で、あの恥辱の死を遂げられたため、彼らは、彼を弁護するために声をあげることさえ控えた。それに、彼に忠誠を誓った者として身を現わすことは、あの際、危険であった。しかも彼らは、イエスに出会う前の自分たちに戻ることもできずにいた。それにしては彼は、あまりにも深い、打ち消しがたい印象を彼らに与えたのである。絶望の苦々しさと、思い出ーーそれも悲しい思い出ーーしかないであろう未来の殺伐さとのために、彼らは、人生や仕事に対する励みや熱を、すべて奪われてしまったのである。

 そのとき突然、集まりの暗がりの中で、彼らはだれかの存在に気づいた。彼らの耳に、聞きなれたかたの声が響いて来たのである。「平安があなたがたにあるように」ーーそして、まさにイエスが、彼らの前に立っておられるではないか。彼らは、自分たちの五感を信ずることができなかったため、彼に仰天し、自分たちは何か強い幻覚に襲われたのではないかと、互いに驚き合った。しかし、そうではなかった!

 「御手御足には傷を受け
     わきには刺し傷」

 傷跡を認めて、「弟子たちは、主を見て喜んだ」(ヨハネ20:20)。よみがえりのキリストの現実性が、彼らの態度を全く変えたのである。悲しみは喜びに、恐れは信仰に、そして落胆は希望に所を譲った。また、主とともに持った過去の経験も、彼が生きておられたことにより、あるつきまとう記憶というようなものではなく、動的な力として感ぜられるようになった。

 失意の人たちに、よみがえりのキリストが現われたもうことによって、彼らの中には、新しい熱情が生まれた。そしてそれは、ペンテコステの風にあおられて、ついには、教会の樹立を促すものとなったのである。真のキリスト教が存在する所には、どこにでも、真実の熱情のたぎりが見受けられる。キリストの福音は、ディレッタントがたいくつしのぎにもてあそんだり、学識者たちが、その個人に対する呼びかけにもかかわらず、超然として議論しえたりするものではない。それは真であるかないかのいずれかである。しかも、真でなければ、永遠に放棄されてもしかたのないものである。しかし、もし真であるならば、それは、私たちが衷心からそれを信奉し、また、無限の熱意をこめて、地の果てに至るまでそれを宣べ伝えることを、要求するのである。もし人々が、ただの人、しかも限られた期間だけ官位につく人の選挙に対して、熱狂的になりうるとすれば、神によって、救い主またさばき主になることを定められ、その身分を保証された、よみがえりのキリストの現実性に対して、私たちが熱情を示すのは、当然のことではないだろうか。

2024年4月21日日曜日

復活の効力(3)身体の効力


今朝も新しい訪問客がありました。昨日の彼女の美しさに目を見はりましたが、今日の彼はより鮮やかでした。その上、花の間を離れることなく丹念に蜜を吸っていました。飛び石伝いという言葉がありますが、まさしく花園を飛び回る彼の姿はそうでした。

さて、「復活の効力」の最終項目は、からだに及ぶと、最後の復活に働くことは当然として、今生かされている生身のからだにも及ぶのだと、パウロの証を著者は深く読み込んでいます。

 三 身体の効力

 復活の力は、この現存のからだにも適用されうるものである。

もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。(ローマ8:11)

 多くのよい注釈者たちは、この聖句を、最後の復活に対してだけ適用される言葉であるとしている。そうだとすれば、死から立ち上がるのは、「死ぬべきからだ」であるということになる。確かにそのような解釈は可能である。だが他方では、「死にやすい」という意味を持つ「死ぬべき」(ギリシア語thneta)という言葉が、なぜ、すでに死んでいるからだに用いられなければならないかについて、少し困難を感じさせられる。もし、神の御霊が宿っているのなら、なぜそれを、死体と認めなければならないのであろうか。なぜ、神の活動を、私たちの肉体に関するかぎり、未来の復活に限定しなければならないのであろうか。私たちは、ここで用いられている「死ぬべき」と「生かし」という二つの言葉が、コリント人への第一の手紙十五章でも使われており、そこで言及されているのは、明らかに最後の復活のことであるということを、認めるのをよしとする。しかし、この聖句の前後関係から、未来よりは現在に対して適用されるべきであるということは、明らかではないだろうか。「生かしてくださるのです」という語句を、ただ究極における肉体の更新をさすものとするよりは、ここでは、信者の現在の肉体生活における御霊の継続的な働きを描写するものと見るほうが好ましいと思われるのである。

 もちろん、神のみことばは、現在のからだがそのまま不死のものとなることを保証してはいない。私たちの生存中に主が来られるのでなければ、私たちは、他の人々と同様、やはり地のちりに化さなければならない。しかし、この聖句は、明りょうに、内住したもう神の霊が、私たちにキリストの復活の力を適用させることによって、私たちの現在の肉体に新しい生理的な力を分与することができ、また、分与しようとしておられる、という意味を含んでいるように見える。御霊は、私たちが地上における神のためのわざをなし終えるまで、随時必要に応じてそうすることがおできになり、またそうして下さるのである。

 パウロは、コリント人への第二の手紙において、彼がアジアにいた時のある経験に言及している。「私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました」(第二コリント1:8〜9)。その経験がどんなものであったか、私たちは知らない。病気であったか、非常な迫害であったか、ほかの何かであったか、私たちには知らされていない。たいせつな事は、そのとき彼が自分を頼みとせず、「死者をよみがえらせてくださる神により頼んだ」ことである。そのために彼は、更に幾年もの間有益な苦労をすることができるように、救い出されたのである。彼の生涯は、この力によって生き抜かれた。なぜなら彼が、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである」(第二コリント12:9)と言われた神を信じたからである。

 言うまでもなく、この力は、私たちに、罰を受けることなく神の生理的法則を無視した生活をすることを許すものではなく、また、むちゃな肉体の使用を保証するものでもない。しかし、私たちが、神の奉仕のため、また神の命令のゆえに、すべてを費やし、なおかつ弱さのゆえに自分にはこれ以上の事ができないと感ずるときに、御霊はその力によって、普通ならとうてい望みえないことをもなしうるように、私たちの肉体を更新し、その有用さを増して下さるのである。クリスチャン・ライフは、魂だけでなく、からだをも新鮮にしてくれるのである。

2024年4月20日土曜日

復活の効力(2)知的な効力


出がけに一羽のアゲハ蝶の来訪を受けました。玄関先の植え込みの花がお目当てのようでした。もちろん、彼女はじっとはしていません。数秒後にはどこかへ飛んで行きました。考えてみると彼らほど姿態を次々変えて行く生き物はいませんね。この一枚の静止画面を見ているだけの感想ですが、改めてその衣装の素晴らしさと花との調和に驚かされます。

さて、今日の個所は、いっそのこと省こうと思った作品でした。しかし、何度も読み返すうちに、自らの無知、無能を思い知りました。第二次世界大戦中に物されたと思われるこれらの著者の論稿は、当時鬼畜米英とばかりに「撃ちてし止まん」と意気盛んだった日本人による戦後の翻訳によって紹介されていることを思うと感無量の思いがします。

二 知的な効力

 私たちが新しい生活の場に向かって行くとき、それに相当する結果が、その思考生活にも見られなければならない。コロサイ人への手紙三章は、このことを明白に表現している。

こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい 。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されてあるからです。(コロサイ3:1〜3)

 ここで「思いなさい」と訳されている言葉は、思考過程のことではなく、思想内容に言及しているものである。だからこれは、今日の平たい言葉で言えば、「この問題をどう思いますか」と言うような場合に私たちの持つ概念を含んでいる。言うまでもなく、これは、「あなたの意見はどうですか」とか、「あなたの考えはどういうことですか」という質問を意味している。復活の力によって、思考は、新しい分野に対して開かれ、新しい内容を盛り込まれるのである。

 こうして、キリスト者は、救われていない人々の心をとらえているような事柄に、その心を煩わされるようなことはなくなる。かんばしくない浮薄な読み物や、肉性を扇動するような芸術、また、低級な激情をあおるような音楽ーーつまり、よみがえりのキリストという基準に調和しないすべてのものを、彼はその思考から遠ざけてしまうのである。

 これは決して、霊妙な、実行不可能な事柄ではない。あらゆる価値ある思想、また、人類の発展に寄与しうるあらゆる知的、美的な努力は、新しい光ーー復活の光ーーの下で、十分に可能であるばかりか、正しい評価もできるのである。欧米の最も偉大な音楽、過去十九世紀の間に生み出された最良の芸術、私たちの最も強力な自由に根ざす政治哲学、最高の文学、など、人生を愉快なものとし、美的、霊的特性の向上に貢献した業績はすべて、直接間接に、よみがえりのキリストに従った人々によってもたらされたものである。

 それだけではなく、思考は更に、復活によって、新しい力を与えられる。数年前、著者は、あるひとりの男を知っていた。彼は教育もなく、回心するまでは、そのような限られた履歴で、完全に満足しきっていた。学問などには、ほとんど関心がないように見えた。また、彼の無関心さは、彼が標準英語につゆほどの考慮も示していないことによって、だれにでも歴然としていた。回心とともに、彼は目ざめた。そして、数年後には、力強い説経者となり、また、将来を期待される神学者となったのである。死が彼の生涯を縮めなかったならば、彼はおそらく、この時代の有数な指導者のひとりになったと思われる。神の復活の力は、いかなる凡庸な人物をも変えて、思想において幅と深さとを兼ね備えた者を生み出すことができるのである。

2024年4月19日金曜日

復活の効力(1)霊的な効力(下)

名残惜し 航跡さやか 鴨夫婦
いつの間にか、川からは鴨たちがいなくなっています。そんな折り、遠目にも鮮やかな二つの波模様が交わることなく、川面に扇形の弧を描きながら、動いているのが見えました。二羽の鴨による航跡でした。数少なくなってきた水鳥のデモンストレーションを久方ぶりに見る思いでした。

今日の引用個所は昨日の「霊的な効力」と題する文章の続きの部分です。冒頭の「死人をその足で立たせようとした」とは、象徴的な言い回しであります。私自身の経験で恐縮ですが、かれこれ50数年以上前、昼飯を春日部駅東口前のラーメン店で食べたことがあります。その時、私は一人でしたが、食べ物のために、主に感謝の祈りをささげて食べました。その時、周りの人たちは、そんな私と違って笑いに興じながら皆楽しげに立派な食事をなさっていました。瞬間、確かに私は一人だし貧しい者だが、神様に祈って食事をしている、一人ではない。周りの方々は仲間がいて楽しげである。彼我(ひが)の違いはどこにあるのだろうかという思いでした。それは、たとえ、その食卓がどんなに立派であろうと、主を心の中に迎えていなければ、その食事は単に肉体が動いているだけであって、すなわち「死人」の動きに過ぎないのではないだろうかという素朴な思いでした。もともと信仰からは縁遠い者であった私が、そのような行動を取ったのもキリストの復活を通して与えられた霊的な効力の一例なのではないだろうかと思い、敢えて、今日の引用の前に「私見」を書かせていただきました。

 死人をその足で立たせようとした、ある昔のローマ人の話が伝えられている。彼は、むだな試みを何度もくり返したが、とうとう愛想をつかして投げ出してしまい、こう言った、”Deest aliquid intus"ーー「ふぬけめが!」。死体に必要なのは、支柱ではなくて、新しいいのちである。新生していない人に必要なものも、目新しい人生観ではなく、内的な動力でなければならない。

 この必要な動力は、キリストにおいて供給されている。神のいのちが死の力を殺し、キリストを墓から復帰させたように、それは、私たちすべての中に働いている罪の力を殺してくれる。イエスの復活後にも、死はこの地上から姿を消してはいない。しかし、いまや私たちは、それが打ちのめされた冥加の尽きた敵であり、その運命をのがれることのできないものであると言うことを、知っている。キリストが死を征服されたので、それはもはや無敵ではなく、最後には完敗を喫しなければならないのである。罪は依然として私たちにまつわりついている。私たちから除去されてはいない。しかし、復活のいのちは、その力を中性化させて、私たちを新しい者とすることができるのである。救いとは、単なる死体の改善ではなく、復活である。

 それだけではない。新生以前に絶やされた一生命の生き返り以上の、全く新しいいのちの創造を意味するものである。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です」(第二コリント5:17)。新しい動機、新しい習慣、新しい見方、新しい欲望ーーすべてが彼の内に創造され、彼は、新しい活動に従事し、新しい目標に向かって前進する者となるのである。パウロはしばしば、「新しい人」という言葉を口にする。それは、復活の力が彼の内に作用して、その人格を全く新しい内容のものとする、ということを意味している。

 この力は、ある人たちに対しては、直ちに、目をみはらせるような効果を現わす。だらしのない無知が、旺盛な知識欲に道を譲る。無愛想な自己主義が、犠牲的な愛に変ぼうする。道徳的面での腐敗は、清潔に変身し、不正直は廉潔になる。その人の存在がすっかり別のものになったのであるから、彼の変化をだれもが認める。

 他の人々の場合は、その効果がこれほど目を引くものではないかもしれない。しかし、だからと言って、それが現実的でないというわけではない。常にある体裁を保ってきたために、外的行為に急激な変化が認められることはないであろう。しかし、与えられたいのちに相違はない。過去に犯した罪からであろうと、未来に犯すかもしれない罪からであろうと、救いの力と不思議さと純粋性とに、相違のあるはずはない。復活の効力は、その人の霊性の実りによって明らかである。

 新生によってこのように新しい人が創造されるとすぐに、その人は、自分が生活の新しい場を必要としていることに気がつく。ひよこが、孵化の瞬間、殻を破って、外部の光と空気の世界に出て来るように、キリスト者は、魂にキリストの復活の力を受けるとき、新しい生活の場にその足を踏み出すのである。ローマ人への手紙六章は、この点を、罪に対して死んだ者はもはやその中に生き続けることはできないという表現によって、明らかにしてくれる。なぜなら、

私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。(ローマ6:4)

 復活した人は、復活のふんい気を必要としている。わしが、家禽(きん)といっしょに納屋の前庭で遊ぶ生活に満足できず、山の高峰や、空気も希薄な光り輝く大空に舞いかけるように、私たちも、ひとたび罪の死のさまから起こされると、罪深い交際や環境に満足できなくなるのである。私たちは、神に向かうように起こされたのである。

2024年4月18日木曜日

復活の効力(1)霊的な効力(上)

沢ぐるみ 蛙(かわず)啼く声 聞きおりて
春はいよいよ本番である。あらゆる植物が一斉にそれぞれの開花へと向かっている。桜はまだまだその前哨戦であり、その大旗手だったのかもしれない。水量たっぷりの川を眺めながら、様々な草花の成育を身に感じながら今朝も散歩に励んだ。それだけでなく、今夜の雨をすでに予見するかのように、川辺であろうか、どこからともなく、蛙が快い啼き声を聞かせてくれた。

今日以降の復活の記事は正直言って、私にとって、理解するのに困難を感じた。それで予定を変更して、違う記事に差し替えようかと何度も思い、最後まで迷った。しかし、自然界の新生命の誕生に立ち会っているこの季節こそ、「復活」を考察するには最適だとも思い、何とか踏みとどまった。火曜日には私どもの孫である新生児のその後を見舞ってきたばかりで、こちらの方の体験は、まさに霊の人の誕生の仔細を説明している下記の文章を理解するには役立った。新生児は生まれ出たこの世に適応する全てを獲得していたからだ。耳があり、目があり、手足を力一杯動かしていた。まさに新生命そのものだった。


一 霊的な効力

 復活の力の第一義的価値は、私たちからすれば、その霊的な面における効力にある。しかし、こういうことは、実際の歴史的事実性を否定するものではない。エペソ人への手紙一章十九、二十節のパウロの祈りには、こう書いてある。

神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて・・・。(新約聖書 エペソ人への手紙 1章19〜20節) 

 この祈りは、未来ではなく、現在の経験を豊かにするためにささげられたものである。この聖句によると、キリストの復活は、驚異の念をいだかせても実用には不向きであると考えざるを得ない、博物館のこっとう品のような、私たちの現実生活には関係を持ちえない孤立したできごとではない。そうではなく、復活は、神のいのちの、この物理的世界における具体的効力の証明であり、ひいては、現世において、おもに霊的な世界の生活に適用されるものなのである。新生は、霊の人の復活にほかならない。神の働きはここから始まるのである。

 新約聖書には、多くのたとえが、新生の説明に使用されている。ヨハネは、生物学的な誕生を例とした。その福音書三章には、イエスがニコデモに語られた言葉が、次のように引用されている、「あなたがたは新しく生まれなければならない」(7節)。幼児が、無条件の潜在性を持ち、またその形成にあずかって力があるいろいろな影響力に耐えうるものとして、肉体の世界に生まれて来るように、私たちも、新しい世界での各種の新しい接触に耐えうるものとして、霊の世界に足を踏み入れるのである。ペテロも、この思想を反映させ、特に復活とそれを結びつけて考えている。

私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。(1ペテロ1:3)

 生まれ変わりは、復活ときわめて重大なかかわりあいを持っているのである。

 パウロも多くのたとえを使用している。彼はキリスト者に対して、「古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てる」こと、また、「造り主に似せられてますます新しくされ、真の知識に至る」ことを勧めている(コロサイ3:9〜10)。ここでは、以前の生活が、どうしても新しい着物と取り替えられなければならない古い着物にたとえられている。パウロはまた、テサロニケ人たちが「偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、また、神が死者の中からよみがえらせなさった御子、すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが天から来られるのを待ち望むようになった」とも言う(第一テサロニケ1:9〜10)。更に、疎遠だった人々の和解、子としての身分を得ること、法的に義とされること、という表現をも使用する。これらのたとえの一つ一つは、救いのある面を表わすものである。しかし、彼が最もよく使用しているのは、復活のたとえである。新生していない人は死人ーー意志を伝えることも、反応を示すこともできず、また自分のために何をすることもできない死人ーーにたとえられている。

あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、ーーあなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。ーーキリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。(エペソ2:1〜6)

2024年4月17日水曜日

復活の効力(序)

往く春や 白さも白し 花ありて
今年のイースターから日を数えてみると、今日は十七日目になる。イースターの日に青春18切符で、東海道線の鈍行に乗り、西下した。その際(長い乗車)時間潰しのために、一冊の薄い本『キリストの復活』(1962年初版)を携行した。少しずつ読んでいったが、中々難解であった(※)。しかし、こうして読み進めていってみると、著者はいったい何を言わんとしているのか、最後まで読み通したいと思うように変えられていった。二章「復活の予測」は後回しにし、先ず四章「復活の自由」を読み、その後一章「復活の事実」、三章「復活の信仰」と読み進めてきたが、今日から五章「復活の効力」という題名の個所を読んでみることにする。

考えてみると、イエス様は使徒の働きの以下の記述

イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。(使徒1:3)

によると、復活後四十日間、姿を現されたことがわかる。その伝にしたがい、今の時間に当てはめると、まだまだ主はご健在なのだ。なぜなら今日は十七日目だから。まだ復活後の生活は二十三日間続き、生きておられることになる。いよいよ、主の復活の意味をメリル・C・テニー氏の記述に従って考えていきたい。以下は五章「復活の効力」の序文である。

 私たちのほとんどは、復活を、今ここに存在する現実とはおよそ無縁なある事、と考えている。それは、時の功で今では、美しいが現実的ではない、ほとんど伝説的になった遠い昔の一事件、または、現世という地平線のはるかかなたに想像することさえ容易に許さない、未来をひたすらに望ませる、一個の信仰箇条といった程度のものとされている。しかしほんとうは、キリストが、歴史の一点で、死人の中から復活されたということは、神が私たちの中で今日に至るまで及ぼし続けておられる力についての、人間に対する最もめざましい例証にほかならない。それは、形式においては、私たちの現在の経験を越えたものである。しかし、質においては、異なるものではない。客観的に表現するとすれば、私たちはそれを、次のようなものであると信じている。すなわち、それは、キリストの人格において立証された時間とともに変化することを特徴とするもので、キリストにあって死んだ者がよみがえるいつの日にか、再び現わされるものである。しかし、主観的に言えば、その力は、今ここで、ありふれた生活条件の中で、いくらでも手に入れることのできるものである。

※この本は私が1970年、洗礼を受ける前に、買い求めたもので、自分がどの程度理解したのか覚えていない。いや、理解できていなかった。それから程なくして結婚に導かれている。結婚相手は何よりも私の洗礼を願っていた。私の洗礼は、結婚条件を満たすための滑り込みセーフの洗礼であった。そういう意味では、このわずか91頁の小冊子(定価100円)は、当時の私がキリスト信仰について右も左もわからないまま、とにかく「真理」を飲み込んだ本である。ただし、この本は当時のキリスト者が信仰良書選のトップバッターとして出版したくらいだから、かなり信頼のおける本ではなかったかと思う。

神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて・・・。(新約聖書 エペソ人への手紙 1章19〜20節) 

2024年4月16日火曜日

復活の信仰(4)卓越性に対する

メリル・C・テニーの『キリストの復活』は第3章として「復活の信仰」を四つの点に分けて、すなわち、1(キリストの)約束に対する信仰 2(キリストの)人格に対する信仰 3(キリストの)目的に対する信仰 4(キリストの)卓越性に対する信仰を表しているが、今日の個所はその最後の個所である。

その「卓越性」にちなんで、「卓越」とは何か、考えてみたが、身の回りにその例がないことに思い当たり、これは困ったわいと思わざるを得なかった。かろうじて大谷翔平氏が卓越したホームランバッターであったことや、富士山が日本一高い山であることはわかったが、それ以上考えが進まなかった。ましてや春の風物でそのようなものを見つけるのは難しかった。ただ道沿いの、あるお宅の庭に芍薬(しゃくやく)が見事に咲き揃っているのには、目を見張らされた。カメラに収めたかったが、「盗撮(?)」の恐れゆえ遠慮した。その代わり空を見上げたら、今夕の空は三様に分かれており、その一部の雲を見上げているうちに、自らの「卑小さ」を示された。卓越性を知ろうとする前にまず己の卑小さを認めよと神様から言われているような気がして随分楽になった。未だかつて死を克服した人間は誰一人としていない。それを成し遂げられたイエス・キリストの卓越性に私たちはもっともっと目が開かれる必要があるのではないか。以下、メリル氏の論述に耳を傾けたい。

四 卓越性に対する信仰

 彼が今も生きておられるとすれば、私たちは彼をどのように評価するであろうか。その死と復活とによって、彼が人々の救い主であり、私たちすべての運命を解くおかたであるとすれば、私たちは彼をどのように遇するであろうか。 

 彼は、私たちの思考の中心に置かれなければならない。時代から時代へ、人々は、宇宙のなぞを解こうと努力してきた。私たちはどこから来たのか。私たちはなぜ今生きているのか。そして、どこに向かって進んでいるのか。これらの問題にはっきり答えうるおかたが、ここにおられるのである。彼は、ご自分が神から出て来たこと、神のみこころをなそうとしていること、また、神のみもとに帰ることを知っておられた。そのようなかたとして、彼は私たちに、人間は神によって創造されたのであり、それも神に奉仕するために造られたのであり、また、彼は御自ら備えに行かれる場所を彼らにわかち与えられる、と教えられた。私たちの生活の秘密を解くすべてのかぎは、彼の腰帯に下げられており、彼との関係に入れられるとき、私たちは、困惑の種にことかかないこの世界での、自分の正しい位置を、見いだすことができるのである。彼は、私たちの人生観の主位を占める価値を十分に持ちたもうおかたである。彼こそ、「死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです」(コロサイ1:18)

 彼は、私たちの生活の中心におられなければならない。ひとりの人物を、私たちすべての者の行為の模範とし、また、私たちすべての者の倫理の基準とするのは、おかしく思えるかもしれない。しかし、そのことは神の御定めなのである。「神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによってこのことの確証をすべての人にお与えになったのです」(使徒17:31)。復活は、神が彼を全生活の基準として承認しておられたことの確証である。私たちは、神のさばきの座の前で、彼によってさばかれ、量られるのである。

 したがって、復活によってイエス・キリストは、他のあらゆる指導者と区別される。彼らは、神および義務について、また、外なるあるいは内なる世界について、多くのことを語りえた。その多くは、賢明な、価値あるものではあったが、その言葉をもってしては、私たちの人生の秘義はついに解かれなかったのである。しかし、人々が議論を沸かせていたとき、彼は事を実行された。人々が人生の意味を論じていたときに、彼は死からよみがえられた。このようにして彼は、信仰の確実な基礎を提示しておられるのである。「わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです」(ヨハネ14:19)。

 物議をかもしだすかもしれないが、この途方もない事実は、私たちの反応を待って、今も私たちの面前に置かれている。私たちの態度は、信仰か不信仰かのいずれかである。この際、他の立場をとることはできない。そして私たちの運命は、この選択にかけられている。みことばは言っている、「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです」(ローマ10:9〜10)。きょう彼を信ずる者となっていただきたい。彼は、私たちの罪のために死なれた。しかし、私たちのために取りなし、私たちをささえるために生き、また私たちをご自身のみもとにおらせようとして、再臨の時を待っておられるのである。

「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。(新約聖書 コリント人への手紙第一 15章55〜57節)

2024年4月15日月曜日

復活の信仰(3)目的に対する


年甲斐もなく、家の近くを走っている列車を、待ち構えて撮った。東武沿線に住んでいるので、鉄道マニアがよく線路沿いの柵にへばりついてはカメラを向けておられるのを何度も拝見してきた。まさか自宅において自分がそれらの人となるとは思いも寄らなかった。先週水曜日に日光に出かけたが、それはそれで目的を果たせたが、土曜日に「新美の巨人」という番組で「春の旅、日光江戸の美」とあったのでいったいどんな日光の風景を写しているのだろうかと期待して見た。ところがその番組名には続きがあった。「列車東武鉄道スペーシアX」とあったのだ。うっかりこれを見落としていた。だから、私の期待に反したものであった。第一「青春18切符」利用の日光行きとスペーシアX利用の日光行きとは土台、出発点からして条件が違っていた。

もちろん、かと言ってその番組を見たことがそもそも全面的に無駄だったわけではない。私の知らない世界を知ることができたのは有益であった。それだけでなく、次男の勧めもあって日曜日の夜には情熱大陸という番組で「特急やくも箱根遊覧船斬新なデザインと内装」という番組まで視聴するハメになった。スペーシアXにしろ、特急やくも箱根遊覧船にしろ、様々な社会の必要を考慮しながら、作品は誕生しているのだ。デザイナーはその一翼を担っているのだと理解した。

イエス様は目的をもって、33年というその短い人生を終えられた。しかし、そこには〈復活〉という大きな目的があった。その目的はすべて私たちのためであった。短いながらも下記のメリル・C・テニー氏の叙述はそのことを明らかに示している。

三 目的に対する信仰

 イエスの地上の生涯は、短くはあったが、目的とかみ合わされていた。その目的を彼は、弟子たちがあの偉大な告白によって、彼をメシヤまたは神の子として見るという態度を確立したすぐあとで、彼らに宣言された。「その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえられなければならないことを弟子たちに示し始められた」(マタイ16:21)。彼の言葉づかいは、死と復活とが彼の生涯の主要目的であるということを明らかにしている。同じ印象は、福音書全体の構造からも感じさせられる。と言うのは、彼の生涯の最後の一週だけに、記者たちの叙述の三分の一がさかれているからである。「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです」(マルコ10:45)。

 彼は、ご自分の死が、人間の運命に独特な効果を及ぼすということを教えられた。だが、彼の死が、道徳的な価値において、他のいかなる宗教の教師の死よりも大きいのはなぜか。同じ事は、ソクラテスについては言えないのだろうか。彼はその命を、人類の進歩とアテネの青年の利益になるように、ささげたのではないか。イエスがただ死なれただけであったなら、その死は、殉教者の死、または時代に先んじた一預言者の悲劇的な最後と受け取られたであろう。しかしそれでは、罪人の救い主のあがないの死と呼ぶことはできないのである。あがないは、死んだ者の価値に基礎を持つものであって、死の事実によるものではない。そして、復活によって証拠だてられるような彼の人格の特異性こそ、彼の死が単なる英雄的行為ではないということを、はっきりと立証するものなのである。「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです」(ローマ4:25)。 

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。(新約聖書 エペソ人への手紙2章8〜10節)

2024年4月14日日曜日

復活の信仰(2)人格に対する

川堤 ひときわ目立つ 八重桜
今夕は暑くもなく、寒くもなく、散歩には好適で、吹く風に揺られては、ひらひらと舞い降りる桜吹雪の中を、なぜかまるで王朝の貴人になった思いで歩けました。川堤は徐々に葉桜に移行しているのが遠目にもわかりました。そんな中で対岸にひときわ、赤い花木の群が目立ちました。何の花だろうと橋を渡って近寄りましたが、ご存知「八重桜」でした。蕾がたくさんあり、これから立派な花びらを見せてくれるのでしょうか。八重桜には「風格」がありました。「風格」に惹かれて重い足を引きずって近寄った甲斐がありました。

さて、「復活の信仰」は、前回の「イエス様の約束に対する信仰」に引き続くもので、「イエス様の人格に対する信仰」とは何かを明らかにしています。風格ならぬ、人格にあらわれたイエス様の真骨頂を味わいたいものです。

 二 人格に対する信仰

 イエスがほんとうに死からよみがえられたのであれば、その事によって彼は、すべての人と区別されるべきである。確かに、死から蘇生した人は数多くいるであろう。しかし、記録で知られるかぎり、死後、イエスのようにその力を及ぼしえた者はなく、また、自分は死後、自らの力によってその生命を再び手に入れる、と主張した者はない。ひとりとして、自分の復活を予告した者はないのである。彼らが個人的に予期していたところからするかぎり、死からの復活は、彼らの生涯の完成を意味するものでも、予告しうるたぐいのものでもなかったのである。イエスの場合だけは例外であった。彼は死と復活のことを、友人の家庭を訪問する計画を果たすときのように、平静に、しかも確実な事として語られたのである。

 旧約聖書の預言者の中には、イエスよりも長い説教の記録を残している者が大ぜいいる。また、量的な基盤に立てば、ユダヤ教の歴史の中で、イエスと少なくとも同列視される者もかなりいた。そのある者は、キリストの奇跡に匹敵する、幾つもの奇跡を行なった。それで人々は、イエスのことを、「エリヤ」か「あの預言者」ではないかと、いつも尋ねていたのである。なぜ彼だけが、イスラエルの預言者たちの偉大な相続人の中で、特に例外とされなければならないのであろうか。

 答えは、彼自身の弟子たちの言葉によって知られるであろう。彼らも、預言者について親しく学んでおり、今日の私たちと同様、その言葉や意義を疑問視したことはない。彼らは、預言者が強大な勢力を持っていた国土、また、過去一世紀の私たちと違って預言者の時代以来文明にたいした変化のない国土に生きた者として、イエス以前のすべての預言者の主張とイエスの主張とを、非常に公正に査定することができたにちがいない。彼らはまた、イエスが、殉教の死を遂げた預言者たちとは違う最後を遂げられるとは思っていなかったであろう。彼らは、イエスの予告にもかかわらず、彼が死からよみがえることについて、針の先ほどの期待も持っていなかったからである。ところが、弟子の集団の中で最も信仰に動かされにくい、最も悲観的なトマスでさえ、復活のイエスを見たてまつり、主はまことに生きておられると悟ったとき、「私の主、私の神」と叫ばざるを得なかったのである。この言葉は、彼が、ナザレのイエスの内には他の預言者たちには望みえない神性が宿っているということを確信して、口にしたものである、と考えないかぎり、ユダヤ人の言うはずのない言葉である。パウロによれば、キリストは、「聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方」(新約聖書 ローマ人への手紙1章4節)である。彼が死の手に拘束され続けることは、不可能なことであった。死は彼に対して、なんらの権利も持たないからである。彼は、ちりにとらわれていることがおできにならないのである。

2024年4月13日土曜日

復活の信仰(1)約束に対する

アヴィニヨン橋 2006.11
今日の写真は随分昔の過去ものを選びました。パリ在住の次男に連れられて、南仏まで旅した貴重な写真の一つです。この橋を撮影するため三枚撮っていましたが、この最後の写真には鳥が数羽写っていました。今の私ならば飛び上がらんばかりに喜んだでしょうに。橋はどうしても向こう岸まで届いていなければ、橋にはなりませんね。そこには隠された歴史事情があるのでしょうが、私には約束が空約束に終わった象徴だと勝手に読み込んでいます。イエス様の約束は果たしてどうなのでしょうか。

1 約束に対する信仰

 歴史を見ると、多くの指導者たちが口約を事としてきたことがわかる。そのあるものは成就されたが、他のものは不履行に終わった。イエスが現われて、教えをたれ、説教をし、いやしの奇跡を開始されたとき、その国の指導者たちは、彼に対してまゆをひそめた。彼はいったい、どんな権利があって民衆の指導者になろうとしているのだろうか。イエスに集まる人気をねたんで、彼らはついに、彼の信任状を人に調べさせた。

 イエスは返事として、一言、次のように答えられた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう」(ヨハネ2:19)。(彼の敵対者たちは、言うまでもなく、彼を誤解した。彼らは、イエスがエルサレムの丘を飾る神殿をさしてそういわれたのだと思ったのであるが、彼が語っておられたのは、ご自身のからだとしての神殿のことだったのである)

 また他の機会に、彼らがイエスにしるしを求めたとき、彼はこう答えられた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです」(マタイ12:39〜40)

 このように彼は二度にわたって、ご自分の復活を、自分の身分を保証するものとして、無条件で、ご自分が死の中から再びよみがえって来ることを約束されたのである、

 もし彼がこの途方もない約束を履行されなかったとすれば、私たちはすぐに、彼に対する信仰を投げ出してしまうであろう。それが条件付きの結局その場限りの予報であったなら、条件がぴったり合わなかったというような苦情を申し立てることもできたであろう。ところが、彼が二度までも、このできごとを自らその使命の至上の証拠また象徴と見る、と断言されたところからすれば、私たちは、彼の全約束に対する信仰はこの特殊なできごとの真実性に根ざしていると言うことができるのである 。

 この信任状の主要性は、信仰を否定する世界の人々によっても承認されている。フランスの啓蒙期時代のことであるが、ひとりの男が、皮肉屋で無神論者のタレーランのところに来て、「わたしは新しい宗教を広めようと思っているのですが、首相としてのあなたの署名をお願いできませんか」と言った。彼はまた、自分の宗派のために、どうしたら大衆の支持を獲得することができるか、知恵を貸してほしいと頼んだ。そのときタレーランは「わたしならあなたに、自分を十字架につけ、三日目によみがえってみせることをお勧めしますね」と答えたと言われている。そうすることができれば、彼の成功は疑いなしだと言うのである。その人にそれをなす力がなかったことは言うまでもない。そして彼の新宗教は、そのまま忘却のかなたに流されてしまった。しかしイエスはまさに、死に、そしてよみがえられたのである。また、彼の約束は、彼が生きていたもうことによって、今でも効果を期待することができるのである。

彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。(新約聖書 ローマ人への手紙4章20〜21節)

2024年4月12日金曜日

復活の信仰(序)

川堤 桜桜に 埋められて(※)
今年の桜もそろそろ見納めの時期を迎えているのだろうか。花びらが無数に撒き散らされ、地面に帰って行く。そのような潔(いさぎよ)い花の姿は、私たち人間の良き見本である。林芙美子は「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」と女の一生に投影したということだ。しかし、果たしてそれだけであろうか。『キリストの復活』と題されるメリル・C・テニー氏の著作は第三章として「復活の信仰」を述べている。引き続いて、聖書から「復活」の意味を教えられたい。


 ある美しい夏の日に、ひとりの男が、とあるりんご畑に寝ころんで、過ぎ行く雲の流れを目で追っていた。ちょうどそのとき、近くの木からりんごが落ちて来て、危うく彼は、もう少しで顔をやられるところであった。このような事は、異常なできごとと呼ぶにしては、確かに、あまりに平凡すぎる。りんごは、この男の生まれる前から、何千何百万となく落ち続けて来たからである。しかし、この場合のりんごの落下は、いささか特別であると言うことができた。と言うのは、それをきっかけとして、アイザック・ニュートン卿は、今日私たちが物理的世界の理解の基礎を構成すると考える偉大な物理学の諸法則を、幾つか公式にすることができたからである。果実の落下という事実に違いがあったのではない。しかし、ニュートンの鋭敏な頭脳は、この事実の背後には何かがあるということを見抜き、また、それと関連性を持つ諸原則を慎重に分析して、彼なりにその意義を解明させたのである。

 復活の事実は、物理学の諸法則の公式化を促した事実よりも、はるかに意義のあるものであるということを思えば、私たちは、その意味の解明をなおざりにすることはできないのである。確かに、事実は偶然に発生するものではない。それらは、背後にあってそれらを支配する原則、勢力、力を物語るものである。もし、キリストの復活という驚嘆に値するできごとが現実に起こったのであるなら、それは、その発生事実の背後で、その時まではわずかしかあるいは全然証拠を確認することのできなかったある新しい力が、実は世界に作用しているのだということを、意味するものでなければならない。更に、その事実に公正な解釈を施そうとするなら、私たちは、その事をしるす記録と、その事実に基づいて発生した教えとに手がかりを求めて、解釈に誤りのないようにしなければならない。復活は、イエスの人格と不離不即の関係にあるゆえに、彼を連想させる意義を持っていると思われるからである。

 パウロは、復活の事実は、キリストの人格に対する信仰を要求するものであると言っている。確かに、そのようにしてよみがえった者がいるとするなら、それがだれであれ、彼を人類一般の伍列に置くことは、妥当ではない。もし彼が、他の人々と違い、死を征服されたという点で、彼ら以上の人物であるとすれば、彼は、私たちがその指導に服することを求め、また、私たちが彼に最高の忠誠を誓うことを要求する権利を持たれるのである。復活は、私たちの信仰に、どのように挑戦しているのであろうか。

https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2024/03/blog-post_28.html 

もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。(新約聖書 第一コリント人への手紙 15章17節)

2024年4月11日木曜日

閑話休題

「石」を図案化した街灯から山並を仰ぐ(鉢石町)
 昨日は、この写真の左側にある山を綺麗に撮影したいと思って出かけた。私のところから中々見られないので、是非近くで撮影したいものだと胸膨らませて出かけた。ところが、近づいても肝心の山頂にはなぜか雲が常につきまとい、残念ながら撮影できなかった。代わりにその右側のこの山容で我慢しなければならなかった。

 もう一つの期待があった。それは昔お世話になった家をもう一度訪ねて見たいという思いだった。駅から上り勾配の大通りを、かつて路面電車が走っていたころを思い出しながら、歩いたが、すっかり往来が変わっており、こちらの記憶も定かでなく、中々場所がつかめなかった。17年前にこの家の最後になる方の葬儀に来た当時(※)とはすっかり変わっていたのだ。やむを得ず、往来の図書館にはいって、司書の方のお手を煩わせることになった。おかげで場所はすぐ知ることができたが、お家はすっかり新しくされていて、昔の面影はなかった。また、突然お訪ねしたので、玄関先で短く挨拶をして帰って来た。

 途中、多くの外国人観光客と混じって、歩きに歩き、何度も上り下りしたが、ほとんど疲れを感じなかった。手元のApple Watchが普段のエネルギー消費量の倍だと表示を出したのに驚いたくらいだった。もう少し長くいたかったが、昼間の晴れ間が少しずつ崩れ、雲が空を覆うようになり、ひんやりして来たので帰宅を急いだ。そう言えば山岳のこの地の天気は崩れやすかった覚えがある。

 こうして我が「消化切符」の一日は終わった。終えてみて、この地を選んだ思いを改めて問わざるを得なかった。そして、自分自身がこの地から遠ざかることはあっても、決して近寄ろうとはしなかった過去の自らの所業に気づかされた。しかし、そんな私の忘恩の態度にも関わらず、今はいないこのお家のお一人お一人の愛を受けて、今の自分があるのだという感謝であった。

 1966年(昭和41年)夏に、関西からはるばるこの家に泊めてもらいに来て、教員採用試験の準備をし、受験し、合格できた。それは元々、私の実家から、この地の酒屋に嫁いだ方がいるという、家が取り持つ縁が始まりだった。血は通ってはいないが、そんなことはお構いなしに関東に不案内でかつ滋賀の田舎者を手厚くもてなしてくださった恩を新たに感ずることができた。  

 そして全く不思議なことに、それはこれとは無関係に、家内がまだ私を十分に知らないときだが、翌年の1967年(昭和42年)の夏にこの地の山裾の奥地にある湖のもとで行なわれたバイブルキャンプにやはり関西から出席して、彼女の人生を180度変えられていた。いやー、それだけでなく、江戸時代、彼女の出身地の滋賀県犬上郡甲良町の甲良豊後守(こうらぶんごのかみ)・宗広(むねひろ)がこの地の社殿の棟梁であったことを思うと、この土地が私たちにとって特別縁の深い土地だったと思わざるを得ない。

 私はかつての自分が、人を恐れ、神を愛することなく、この家の人をふくめ「後退(消極)の人生」を送ってしまったように思えてならない。そうではなく、いつも置かれている環境の中、精一杯、神を愛し、人を愛するように、今更でもないが「前進(積極)の人生」を歩ませていただきたいと思わされて帰って来た。

https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2013/01/blog-post_28.html

ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが、主のご計画にあずかったのですか。また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。(新約聖書 ローマ人への手紙 11章33〜36節) 

2024年4月10日水曜日

復活の事実(6)

「消化試合」という言葉がありますが、私にとって今日は「青春18切符」の使用期限最終日でした。合計5枚の切符は、この日までに未使用のまま2枚残していました。そのため、今日はこのJR一日乗り放題の切符を有効に使いました。言うならば、私の「消化切符」でした。写真はその帰りに車窓から写したものです。実は行き帰りとも車窓から見えたのは次々と展開してやまない沿線の桜並木の美しさでした。残念ながら、私の脳裏に残っているだけで写真には収められませんでした。ただ、振り返って見ると、今日の列車旅行の目的地は私にとってやはり記念すべき土地でした!

ところで、今日の「復活の事実」は同項目の最後のものとなりました。読んでいただくとお分かり願えると思いますが、後半に著者が指摘する三つの指摘はたいへん重要だと思いました。言うならば、この指摘は消化試合的なものでは決してありません。全力投球的なものです。是非、丁寧にお読みくだされば幸いです。

五 不本意な人たちによる証言

 復活の事実が、指導されることによってあるいは感情的な傾向によって、信ずる方向に導かれた人々にのみ、弁護されたのであれば、私たちはそれを希望的思考の所産とすることもできよう。しかしながら、過去の経歴や性向からしてそれに反発するような人々が、その真実さを承認しなければならなかったとしたら、私たちは、いっそうそれを信ずべきである。

 まだ古い話ではないが、フランク・モリソンという名で、「石を動かしたのはだれか」と題する本を著した人がいる。彼はそこで、イエスの生涯の最後の一週間を、分析的に論じている。彼は、復活に対する信仰の幻想を打破するという目的を、誓いをこめて立て、研究を始めた。その証拠を詳細に検討するならば、この信仰の愚かしさは、おのずから立証されるであろうと考え、聖書の霊感というようなことは意にも介さず、純粋に合理主義的な立場に立って研究を進めたのであるが、四福音書の証拠は、他のいかなる重力の作用もなく、彼を、出発したときの目的とは正反対の結論に追いやったのであった。彼はすべての事実を綿密に調査したのち、次のような説明をしている。

 そしてやはり、著者の考えるところによれば、どうしても、使徒信条の中で非常に論議された「三日目に死よりよみがえり」という文句には、非常に意義深い歴史的根拠があると考えられるのである。

 この証言は、十八世紀のギルバート・ウェストや、他の著者たちの経験とも、合致するものである。このようにして、キリスト教信仰に敵対的であった人たちが、この最も信じにくいとされている奇跡を信ぜざるを得なかったとするなら、私たちの信仰が単なるお人好しの果実であると、どうして言うことができよう。

 しかし、復活が事実だとしても、それがなんだ、と言う人もいるであろう。言うまでもなく、日が夜に続くように、復活には確かに、ある必然的結果が伴っている。

 第一に、もしイエス・キリストが、週の最初の日の朝、生きて墓からよみがえられたのであるならば、彼は、きょうも生きておられるのである。私たちは、単に、十九世紀前に英雄的な死を遂げた一人物の理想化された記憶を胸にいだいているのでもなく、また、教理体系の複合体を擬人化させて礼拝しているのでもない。彼はきょうも生きておられるのである。そして、世界における彼の事業は、今日においても、着々と進められている。目には見えないが、彼は決して非現実的ではなく、依然として人間の人格形成に携わっておられ、また、形あるものとして私たちとともにおられるわけではないが、依然として、指導と教えとに当たっておられるのである。

 第二に、復活によって、彼は他のすべての人とは違うことが主張されている。他の人たちは、よい生活を全うしたであろう。しかし、彼らの徳が神に喜ばれたということが、復活という形で公認されたことはない。他の人々は、英雄として死を全うしたかもしれない。しかし、その英雄行為は悲劇に終わった。それは、墓にのみ込まれたままだからである。他の人々は、偉大なことを約した。しかし、まだその約束を履行しないうちに世を去った。だが、キリストについては、「聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された」(ローマ1:4)と言われることができたのである。彼が他のすべての者にまさる永遠の優越性を保持されるおかたであるということは、ただこの一つの偉大な勝利によって確立されている。

 最後に、私たちは彼に対するのに、生けるおかたに対するようにしなければならない。私たちは、歴史の地平線のかなたで姿をかき消してしまったかたの理想に忠実な者となることを求められているのではない。また、律法の定めによって罪のゆるしを求めているのでもない。ある運動や機構に奉仕しているのでもない。審判のときに、一束の倫理的な教条に対決させられているのでもないのである。「あなたはわたしを愛しますか」ーーこれが、よみがえられたキリストの、ぐらついた弟子に対する質問であった。それは、全人格を傾けて忠誠を誓いなさいという呼びかけである。「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」(第一ヨハネ1:9)「わたしは社会で、何をすることができますか」というようなことではなく、「あなたはわたしに何を求めておられるのですか」ということこそ、新回心者の問いでなければならない。また、「なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです」(使徒7:31)ということは、確実な未来に対する展望である。

 ヨセフの庭園の、からになった墓という、この途方もない、しかし最もよく認識された歴史の事実から、キリスト教の核心をなす教えであり、また、死に脅かされている世界に対する永遠の希望である、よみがえられたキリストに対する動的な信仰が、生まれて来るのである。

2024年4月9日火曜日

復活の事実(5)

花曇 桜下の詩歌 誦じる
今日は、天気予報どおり、朝からすごい雨、風である。それを見越して昨日は古利根川沿いの桜並木を、花見を兼ねての散歩に励んだ。日曜日ほどではないが、たくさんの方が桜の木の下で、それぞれ思い思いに筵を延べては舌鼓しつつ会話に興じておられた。また、いつもになく、キャンバスに向かって絵筆を走らせる方々が数人おられた。もちろんカメラを手にして桜を懸命にとらえておられる方があちらこちらに散見された。当方も一枚だけ撮影した。改めて桜の花びらの麗しさにうっとりさせられた。やはり桜は日本の至宝である。
『キリストの復活』の証言は続く。タイミング良く、某大学の入学式の様子をYouTubeで拝見した。院長なる方が、新入生に、平易な言葉で「世の光、地の塩」たらんことを期待する告示を述べておられた。このミッションスクールの存在も、言うならば、本日の四 教会の起源の証言にふくまれると言えなくもない。

三 殉教者の証言

 証言は、価値という観点から言えば、決して証人の人格を上回るものではない。この点で、これらの証人たちは、どれほど確固としたものを示すことができたであろうか。彼らのあかしを掲載している記録そのものは、彼らが、復活が芽ばえさせた信仰のために、あらゆる窮乏に耐えたことを物語ってくれる。石うち、むちうち、投獄、国外追放、貝殻裁判、財産没収など、あらゆる種類の虐待が彼らの分け前であった。しかもこれは、彼らの説教の受動的な効果、彼らが予期せず、その前から逃走しなければならなかったような一つの結果だったのではなく、まさに、彼らが慕い、その所信を宣べ伝えるために、当時の官憲の面前で公然といどんだ戦いだったのである。

 しかし、これに対しては、彼らは他の場合と同様狂信者だったからしたまでで、狂信者であれば、事実の裏づけを持っていようといまいと、どんなことでも主張することができたのだ、という反論が申し立てられるかもしれない。まさしくしかりである。しかし人は、自ら真理と信ずる虚偽のためになら死んでも、自ら虚偽であると知っていることのためには死なない。もしイエスが決して死からよみがえられなかったのなら、彼らは、その事を知る機会に何度か巡り合っていたと思われる。イエスのからだが十字架からおろされてから七週間たったときに、彼らはエルサレムの町で、このイエスがよみがえられたことを大胆に説き、しかも、この主張のために、生命と自由と名声とのいっさいをかけていたのである。歴史の記録の中には、イエスの敵が彼のからだを作製したとか、また、その敵対者たちが、そのからだは依然として墓の中にあったのだということを証明する具体的な証拠を持っていたとかいうことをにおわせるものは全くない。もし、イエスの友人たちがからだを移動させたのであれば、それをにおわせるようなうわさが、線香の火花ほども立たず、イエスに最も身近な従者たちの説教を脅かさなかったというのは、どういうことであろうか。彼らは、復活を宣べ伝えるとき、その不正直によっていっさいを喪失しても、得るところは何もなかったのである。彼らが虚偽だと知っている事を故意に宣べ伝えたのだと信ずること、あるいは、彼らがその名声、同郷人の中での立場、また自由のすべてを、このある不確実な事のために犠牲にしたのだと信ずることは、イエスはよみがえられたという彼らの主要な主張を事実として承認することよりも、より大きな努力を要するものである。

四 教会の起源による証言

 キリストのからだごと死からよみがえられたかどうかという問題に対する態度とは無関係に、キリスト教会の存在は、すべての人の承知しているところである。歴史家、不可知論者、キリスト者のいかんを問わず、教会が十九世紀という長期間にわたって、社会、経済、政治、宗教的な世界の動きに、強力な影響力を及ぼしてきたことについては、異論がない。そして、この種の精神的運動には、すべて、あるはじまりがある。回教は、マホメットの個人的な影響力と教えにまでさかのぼることができる。仏教も、悉達多、釈迦牟尼の教えをまって発生したものである。キリスト教と、なんらかの意味で並列されるものすべてについて、その運動のそれ自体に関する証言は、その発生の説明が求められている場合には、まじめに考察されている。もし、キリスト教についてだけそれができないとすれば、私たちはどうして公正であると言えるだろうか。もしこの運動が、他のすべてと比較して独特なものとして、キリストの復活に起源があると主張しているならば、私たちは、復活を否定するとすればキリスト教を十分に納得させてくれる他の理由を見いださなければならない。

 キリストの復活を信じていない歴史家たちも、この事実は確認している。キリストの肉体の復活を信じてはいないが、その学問的見識においては疑義をいだかれたことのないF・J・フォークス・ジャクソンは、その著書「異邦人キリスト教の興隆」において、次のように述べている。

イエスが死に渡されたもうたのちに、墓からよみがえられたということは、疑問視されるかもしれない。しかし、すべての人は、彼の直接の従者たちが、彼がまさによみがえられたと信じていた、という命題には、同意しなければならない。また、最も初期のキリスト教文書が著される以前から、この事は、その集団の公認の所信であった。事実、復活の信仰なくして、宗教としてのキリスト教が存在しはじめることは決してなかったであろう。

 この信仰の原因はなんであろうか。復活を宣べ伝えた人々は、心理的な巧みをもてあそんだり、哲学的な白昼夢にうつつを抜かしたりしているのではない。彼らの経験の中には、このような革命的な主張をするようにと彼らに迫る何ものかがあったにちがいないのである。もし、一度この復活という単純な事実を認めさえしたら、すべては明白になる。そうしなければ、私たちは永久的な難題をかかえ込まなければならないのである。それとも、復活が私たちの直接経験しうる事柄の範囲外の事実に属するということのゆえに、その発生事実の確かさを認める代わりに、復活を否定する不確実さを採るほうが、より合理的だと考えられるのであろうか。

私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。(新約聖書 ペテロの手紙第一 1章16節)