主よ。私たちに、あなたの恵みを示し、あなたの救いを私たちに与えてください。(詩篇85:7)
主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。(イザヤ55:7)
人々は彼らが望まないものを求めては来ない。聖霊なる神様が私たちにあわれみの必要性を示し「みじめな罪人である私たちにあわれみをお示しください」と祈りの中の真実を示されるまで、私たちは決してあわれみを獲得するために、恵みの御座には来ないであろう。
神の王国に入って来る者は
この扉によって入らねばならない
そのようにして、もしあなたが心から「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。(ルカ18:13)」と言うことさえできたらと感じたこともなく、それゆえ、そのあわれみを獲得するために恵みの御座に来たいという特別な願いを感じなかったら、私はあなたに「主よ私に自分の姿をお示しください」と祈るように切に勧めたい。
聖霊なる神様がその祈りに答えてくださるとき、あわれみを求めて主のところに来るのに十分な熱意があなたにはあることでしょう。その時、あなたが特に願うことはその一事※であります。
戻って来なさい
おお 私の側から 迷い出た人たち
おお 私の側から 迷い出た人たち
すぐに うなだれるのだ それぞれの花は だんだん暗くなる野育ちだから
すぐに 溶ける それぞれの流星は あなたがたの歩みを 喜ばせたが
すぐに あなたがたが 切り開くのを中断した タンクは 乾く
そして あなたがたは 嘆き悲しむことだろう 苦しみのうちに まったくすぐに
戻って来なさい
ここに 集まって来る夜が 道を覆うだろう
あなたがたの足跡はもう踏みつけることができるだろう
この受け入れられた日に
すぐに 溶ける それぞれの流星は あなたがたの歩みを 喜ばせたが
すぐに あなたがたが 切り開くのを中断した タンクは 乾く
そして あなたがたは 嘆き悲しむことだろう 苦しみのうちに まったくすぐに
戻って来なさい
ここに 集まって来る夜が 道を覆うだろう
あなたがたの足跡はもう踏みつけることができるだろう
この受け入れられた日に
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/august-23-lord-show-me-myself/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97400です。詩は意味がわからぬまま訳した。大幅な訂正が必要だと思う。どなたか教えていただきたいものだ。
※Godhold Beck (1)
文章中の「一事」は「one thing」をそう訳した。訳しながら一つのエピソードを思い出した。それは一人の宣教師が任地の中国で溺れている人を飛び込んで助けることはできたが、自らは犠牲となってしまった事件だ。その宣教師には結婚することにしていた女性もその場にともにいた。彼女自身も水に飛び込んで死に物狂いで泳ぎ救助に向かったが、実らず死体となってしまったその宣教師を彼女は岸に引き上げ、両手で顔をおおい悲しまざるを得なかった。
しかし、それは一瞬だった。彼女はすばやく立ち上がると、その現場に呆然と立ちすくんでいる数人の中国人のクーリーに向かって、この地面に横たわっているからだは、自分の愛する宣教師の姿ではない。彼は神とともに安全に生きていると証した。こうして彼女はまだ救いを知らない死の恐怖に怯えている人々に福音を伝えた。
その宣教師の持っていた聖書は幸い彼女の手に残された。そこにはその宣教師の字で「this one thing I do」ピリピ書3:13と記されていた。彼女はそのみことばを頼りに以後の人生を生きたという話しだ。
今日は定例の学び会であった。学び会とその後の葬儀の合間にご自宅で療養しておられた敬愛するベック兄が救急車で病院に搬送されるという椿事が起きた。そしてベック兄はそのまま天に召された。しかし、多くの人が集まられた学び会も、葬儀も、特に葬儀は召された方の家族を思う友人知人の方が出席され広い二つの会堂は一杯の人であふれかえっていたが、ベック兄をお世話する少人数の方々が奔走されただけで、粛々といつも通り行なわれた。
50代の若いご婦人の葬儀は、出席したそれぞれが、いわゆる葬儀を越え「天国」を間近に体験する一時となった。お母様の病を通して家庭に訪れた試練はご主人と三人のお子さん方〈大学生、高校生〉それぞれに主が働かれて、完全な救いをもたらした事実が明らかにされたからだ。「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」のみことばどおりであった。
この一事こそベック兄が日本に来て成し遂げられた大きな功績である。恐らく万を越す日本人がベック兄を通して福音に触れ、永遠のいのちをいただいたのではないか。今日のご婦人の葬儀は悲しみに打ち沈みそうになる私たちへの大きな餞の葬儀であった。ベック兄もまたそのご婦人とともに天国に憩うておられる。36年前にドイツで天に召されたベック兄の愛するお嬢さんリンデさん、またウスラさんその他多くの方々とともに再会されている。
私はベック兄の生涯を思うとき、このピリピ人へのみことばがもっともふさわしいと思う。「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」)
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