こんなことがあり得るのでしょうか。私たちは王が慕うことのできるどんな美しさを持っているというのですか。なぜなら、私たちが王の美しさを見れば見るほど、ますます私たちは自らの醜さを知ったからです。それでは王は何をご覧になるのでしょうか。
「 わたしがあなたにまとわせたわたしの飾り物(エゼキエル16:14)」「私たちの神、主のご慈愛が私たちの上にあります(詩篇90:17)。」というのは「主は救いをもって貧しい者を飾られる(詩篇149:4)」からです。
ですから、王の慕われるものが私たちの上に置かれているのです。〈おそらく語気を強めた「 greatly」を条件にする文脈に指し示されているように強調句「so」が置かれているのでしょう。〉王が花嫁の美を慕うのは、花嫁が自らの民そして父の家を忘れる時、すなわち彼女のいのちと愛が王の花婿に全部ささげられている時です。
その時、王の栄光に富んだ美は私たちの目には有り余るほどであり、同様に王の考えられない愛も私たちの心には有り余るもので、王はすべてのうちで最初であり最大であり最愛の方であるのです。その時、私たちは「私たちのたましいは、あなたの御名、あなたの呼び名を慕います(イザヤ26:8)」と言うだけでなく、「地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません(詩篇73:25)。」と言うことができます。
このようにして、私たちは私たちの存在の深みから、真実に完全に私たちの愛する方のものとなります。その時私たちは厳粛な驚くべき喜びを覚えて「あの方は私を恋い慕う(雅歌7:10)。」とつけ加えることができるのです。
おお 愛 考える以上に
それほど輝き それほど大きく 明瞭で 真実に 栄光ある
無限の愛 やさしい愛 求められない愛
変わることのない愛 喜びの愛 勝利の愛
そして この偉大な愛は 私たちのために
無限に貯えられてある
キリストの永遠に続く愛
あなたは それ以上の何を 求めたいのですか
それほど輝き それほど大きく 明瞭で 真実に 栄光ある
無限の愛 やさしい愛 求められない愛
変わることのない愛 喜びの愛 勝利の愛
そして この偉大な愛は 私たちのために
無限に貯えられてある
キリストの永遠に続く愛
あなたは それ以上の何を 求めたいのですか
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/august-22-imputed-beauty/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97399です。
※疲れ果てて帰ろうとする時、ふと停めていた車の直ぐ下に花が咲いていた。王はどんな美を慕い求められるのであろうか。)
※疲れ果てて帰ろうとする時、ふと停めていた車の直ぐ下に花が咲いていた。王はどんな美を慕い求められるのであろうか。)
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