2016年8月20日土曜日

生か死か

あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。(ヨハネ5:40)

 あなたがたが来ようとしない限り、すなわち実際に進んで来ようとしない限り(というのはそれが本来の意味です)、もちろんあなたがたは来ることができません。そしてイエス様のところに来ないで、あなたがたはいのちを得ることはできません。そしてあなたがたがいのちを持たないなら、あなたがたにとっては死しかありません。すなわち第二の死です。その死はあらゆる未知の恐ろしさをともない、どの瞬間にもあなたがたを陥れる生々しいものであります。

 あなたがたがそのことを信じていないからと言って、この事実には何の違いももたらしません。あなたがたが疑っているからと言っても、その事実の確証に何の違いももたらさないのです。私は神のみことばの権威、つまり「私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死を・・・あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。」(申命記30:19)のみことばにおいてそう断言します。なぜならいのちを選ばないなら、あなたがたは死を望んでいるからです。だのに「なぜ、あなたがたは死のうとするのでしょうか(エゼキエル18:31)。」

もしあなたに自由を与えるまでは
あなたは鎖に繋がれた囚われの身だと
主が一旦知らせられたら
あなたは主なしには何もできなかったでしょう
 
もし一旦あなたがたましいの上におよぶ罪の恐ろしい道
主があなたを完全なものとされないなら
死で終わるしかない隠された災難を見たなら
死が近くに引き寄せられるそのときあなたは主なしに何をしますか
主の愛、あらゆる恐怖を投げ捨てる唯一の愛なしにです

光が射さず知られていない谷間の影が開く時
その暗闇の恐怖は全部過ぎ去るにちがいありません 

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