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2025年4月23日水曜日

二三人我が名により集まる所、我も在り


 毎週月曜日は長男と私たち夫婦とで祈り会を持っている。もちろん長男は現役の働き人である。様々な用事がある中で、時間を工面するのは中々大変だと思う。案の定、今週は会社の会食があり、昨日22日(火曜日)に延期してくれと、21日(月曜日)に連絡があった。

 ところが昨日九時過ぎに待機していたが、電話はかかって来なかった。多分疲れて眠ってしまったのだろうと思っていた。ところが二、三十分経って携帯でなく、家の電話にかけてきた。どうしたのだと聞くと、いつも通り携帯に電話するが通じなかったのだと言う。

 このような携帯電話を通して三人で祈り会を持つのはいつからか覚えていないが、10年くらいは続いているのじゃないだろうか。その中で通じないという経験は今回初めてだった。原因は私のiphone設定にあることがわかった。

 普段、子どもたちから、5年前に『金婚記念』にといただいたApple Watchに励まされて散歩を欠かさず行っているが、1日の終わりにはその充電量が残り10%を切り、毎日困っていた。それを改善すべく操作をしたが、その際、外部からかかって来る電話が繋がらないようにしてしまった(ようだ)。『集中モード』と言うシステムだ。

 結局昨日はこのためあたふたとし、祈り会は行なえなかった。予定通りであれば、昨日は『ローマ人への手紙』2章の輪読と互いの祈りで終わるはずだった。何となく、泡の抜けたビールのような感じがしないでもなかったが、そのまま二人とも休んだ(普段、ビールは全然飲まないので、この表現は間違っているかもしれないが・・・)。

 さて、2000年前のキリスト者の書翰を通しての交わりについて、今せっせとパソコンに打ち込むという書写に勤しんでいる。『聖パウロの生涯とその書翰』がその本の題名だが、その本に次のような記載があった。以下にコピペする。

書翰の提携者テモテ
 当時にあって書翰の送達は容易の業ではなかった。ペルシヤのangariaを見本としてローマ皇帝が創設した帝国郵便があったけれども、それは国家の施設で、個人の急信は個人の使者が運搬した。普通に富豪は飛脚の人数を具えていたが、それほど余裕のない者は臨時に使者を雇傭した。さらに貧困なるものは友人かまたはその方へ向かう旅人に託した。これがこの使徒の手紙の送られた方法であった。今日の例をもって見ればテモテが逓送夫となった訳である。これは重大な職分であった。蓋しパウロの逓送夫は単純な郵便夫でなかったからである。彼らは人間による音信の書状として信頼せられたのみならず、記された書信を布衍(ふえん)し、また補助する責任を負うていた(ローマ15:12、エペソ6:21〜22)。

 この文章は1926年に日高善一さんが1907年イギリスのスコットランドの片田舎で牧会していたDavid Smithが表題の作品を物すべく13年かかって発表したものを日本人向けに翻訳して総ページ700ページを越える大冊にまとめ出版にこぎつけられたもので、私は今、無謀にもその大冊を書写している。「ちりも積もれば山となる」のたとえ通り、やっと今日の個所はその187ページにあたるところにまで到達した。テサロニケのキリスト者に宛てた第一の書翰について述べている個所である。2000年後、100年後、iphoneを通して家族・友人の救いのために祈る私たちの祈り会は敢えなくも中止された。しかし、そこには彼我の通信手段(2000年前の書翰とiphone)、また日本語表現の違いはある(100年前の日高氏の漢字表現の豊かさ!)ものの、2000年、100年をものともしない主なる神様の御憐れみ、ご支配があることを思わずにはおれない。

 それにしても引用文の最後の文章は中々味わい深い文章である。著者・訳者の真意を表わすための聖句は何だろうと考え喘いで、思い至った聖句を今日の聖句として記しておく。

私たちの推薦状はあなたがたです。それは私たちの心にしるされていて、すべての人に知られ、また読まれているのです。あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。(新約聖書 2コリント3章2〜3節)

2025年4月11日金曜日

のどかなり、春の日

桜散り 戸惑いつつ 踏み歩む
 今日は、いつもの散歩コースと違い、久しぶりに古利根川の下流に歩を定めた。上流に比べると人通りは絶えており、野鳥(主に椋鳥だと思うが)の囀りのみが夥しかった。堤には桜花が路面を散り染めていた。一歩一歩踏み歩くのが思い慮られたが、何も言わない桜花に免じて歩かせていただいた。ふと見上げると今まで気づかなかった水原秋桜子の俳句があった。

 垣の梅 古利根川に 倒れゐる

とあった。流石に動的だ。私もそれを真似て、下の句を「歩みゐる」としたかったが、上のように詠んだ。

 一方、上流の河辺に見かけなくなった鴨や亀が下流にはそれなりに生息していることに気づかされた。左画面はその一つだが、上流と異なり、こうして丘の上に上がって日向ぼっこ(?)をしているのだ。一月ほど前に、「雉」をみつけたのも下流だったから、古利根川の包容力はなかなかどうして大したものだ。

 今朝は3月中旬以来、書写を試みている『聖パウロの生涯とその書簡』(David Smith著日高善一訳1927年刊行)も全700数ページのうち100ページまで辿り着けた。いよいよ本格的なパウロの伝道旅行の記述が始まるところだが、特に『使徒の働き』の13章の叙述が心に響いた。さわりの部分を紹介しよう。

占星家宣教師たちを妬む
 これぞまた得難き好機会であった。彼らは喜んでそれを捉えた。彼らは総督に福音を解説したが、彼は興趣を傾けてこれを聴いた。バルイエスはその傍に佇んでいたが、その主君が感激しているのを知って、警戒を与えた。彼は彼らが総督の信任を得て彼を排斥し、その営利事業を奪うことを虞れた。故に彼らを妨害しようと決心したが、パウロは遂に堪忍の緒を切った。彼はこの法螺吹きを尻目にかけて『ああ、あらゆる偽りとよこしまに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵。おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。』(使徒13:10)と叱咤した。この使徒の心は憤りに燃えたが、同時にまた羞恥の情があった。福音に対するこの詐欺漢の反抗は宛然彼が寸分違わぬ同様の精神によってかつて行うたところであることを認めたからであった。彼は自らかつて陥ったと等しき宣告をバルイエスに下した。『見よ。主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる。』(同13:11)と。その語は忽ち実現した。霊は占星家の眼を蔽うと、ダマスコ途上の迫害者と等しく『手を引いてくれる人を捜し回っ』て退かねばならなかった。
総督の回心
 これは一時的の現象で、恩恵深き計画であった。パウロは彼の罪とその刑罰と同様バルイエスがその悔い改めにおいても彼と等しからんことを望んだ。『これによりて彼が自ら受けたる休徴により』と聖クリソストムは言う『彼を捕えんことを望めるのみならず、なお「暫く」とは罰を与うる人の語ではない、回心せしめんとする人の語である。蓋し若しパウロにして罰せんとしたのならば、彼を永久の盲目たらしめたに相違はないからである』と。その結果は記録が残っていないけれども、奇蹟は無益ではなかった。占星家はともかくとして総督は捕らえられたからである。

この出来事を見た総督は、主の教えに驚嘆して信仰に入った。(新約聖書 使徒の働き13:12)

2023年3月29日水曜日

解題 受肉者耶蘇(メシヤの誘惑)

 デーヴィッド・スミスの『受肉者耶蘇』は、全編がほんとうに良く考えられた論考だと思います。そうは言っても、それは私一人の単なる思い込みに過ぎないかもしれません。それで、今回から、「解題」という形で私自身がどこに感心しているかをお示ししてみたいと思います。

 「メシヤの誘惑」は、明らかにマタイの福音書、ルカの福音書、マルコの福音書を前提に描かれています。もちろん、お読みいただいてわかりますように、これらだけでなく、ヨハネの福音書やその他の聖書全巻が視野に入っていることは当然ですし、それがこの書物の特徴です。全聖書から主イエスさまがお受けなさった誘惑について述べようとしているからです。

 ところで、マタイの福音書では、その「誘惑」は『石』『神殿の頂』『高い山』 の順に、ルカの福音書では『石』『高い山』『神殿の頂』とマタイとは2番目と3番目が入れ替わっています。マルコの福音書には誘惑に遭われたことだけが明記されていて、その内容は書かれていませんが、的確に「誘惑」を述べています。

 その流儀でデーヴィッド・スミスの表現を見ると最初に『世俗(の王者)』次に『見せ物(奇蹟)』最後が『自己』となっています。上の三者に当てはめるなら、『世俗』は『高い山』、『見せ物』は『神殿の頂(から飛び降りること)』、『自己』は『石(をパンにすること)』に該当することがわかります。

 マタイ 石   神殿の頂  高い山
 ルカ  石   高い山   神殿の頂
 スミス 世俗  見せ物   自己

 そして、「世俗のメシヤ像」が実に詳細に描かれています。そのポイントは「この世のすべての国々とその栄華を見せて」(マタイの福音書4章8節)と端的に指摘され、それが高い山から眺望できる全世界であることが、エリコからエルサレムへの坂道の描写を利用して、具体的に描かれています。そしてそのメシヤ像はローマ帝国の羈絆からイスラエルを政治的に解放する王者というイメージが上げられます。しかし、イエスは王者にあらず、全人類の罪を贖うために十字架にかかられなければならないことが強調されています。ことばとしては「高尚悠遠の救い」と言われていますが・・・

 次に、宗教者としてのサンヒドリン(ユダヤ教最高議会)との同盟の誘いがあったことが描かれています。この辺はまさに福音書に見え隠れする叙述であり、デーヴィッド・スミスはカトリック教会を念頭にでしょうか、次のように述べていました。「後年にいたってキリストの敵手はカイザルの帝位に座したではありませんか。しかもそのメシヤの王国は似ても似つかぬものでありました」と述べ、イザヤ書61章1〜2節、ルカの福音書4章17〜19節を引用し、これがイエスさまの職分であったと述べています。しかもその職分が制限されていたと述べ、その戦場は「イスラエルの狭隘な国内」であったと強調しています。

 この辺のイエスさまの葛藤が「イエスはこの天職の制限に対して伝道期間絶えず憂悶し、救いを渇望し、切実なる要求を持っていながらもなお滅び行く、国外大世界の人類を偲び痛み悲しまれたことは明らかであると言っても差し支えはないでしょう。その自らを虚しくして人と成られた間に、その恩寵を制し、心の赴くところを限られることは耐えることのできなかったほどの難事であったでありましょう。愛心を制限せられることは、その栄光を覆われ給うことに優る苦痛でありました。」と描かれていることに改めて目が開かされました。

 一方、2番目の「見せ物のメシヤ像」の誘惑の項では、「奇蹟」をめぐってのイエスさまの行動が描かれ、「その伝道の間に、ただ不思議を行なう人物と認められることを身震いしつつ厭われ、奇蹟を行なわれるごとに盗みでもなすかのように忍びやかに行なわれるのでありました。」と書かれていたので、さまざまな奇蹟が行なわれたあと、よく「気をつけて、だれにも話さないようにしなさい。」(マタイの福音書8章4節)ということが書いてあることが日頃読んでいて、なぜそう言われるのかわからなかったが、初めてああそういうことだったのかと思わされました。

 3番目の「自己のメシヤ像」という表現はわかりにくいことばでいまだに完全にわかったとは言えませんが、それは石をパンにせよと言う悪魔の誘惑に対して、その力を持っているお方があえてそうなさらなかった理由、あくまでも自己否定をされ、私たちと同じレベルにまで降りての主のご意志だったことを深く教えられました。

 そして、最後にこのような誘惑を受けるために荒野に退かれたイエスさまと、やはり同じように救われてすぐにアラビヤに退いたパウロの行動が比較されている項目、8「イエスの純潔」で「悔恨の涙にあらず、贖償の誓いにあらず、ただ誘導を求められる祈祷、天の父のみこころの外は何の律法も認められない不動の覚悟、天の父の栄光の外何をも求められない未来にだけ面を向けられました。このようにこの世を贖う事業に聖別されたメシヤの生涯には、一抹の汚れだに留められなかったのであります。」とあり、「過去」の悔い改めを必要としたパウロに対し、ただ「未来」にだけ目を向けておられました神の子イエスとの違いが言及されているのです。

 一点、個人的にはっとされたことばは『凶暴』ということばです。荒野の誘惑を説明する最初のところでデーヴィッド・スミスは荒野には『凶暴』があったと明記し、ルカの福音書10章30節「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で強盗に襲われた」をその例示としてあげています。そしてこの「メシヤの誘惑」の最後のほうで、パウロがアラビヤに退いた際の回想にこの『凶暴』ということばを再び用いています。それはパウロが信仰に導かれる以前、イエス並びに聖徒に対する『凶暴』の張本人であったことが含意されているのです。そして、イエスこそ悪魔の『凶暴』、『誘惑』に打ち勝たれたまことの神の子であったことをデーヴィッド・スミスは訴えているのです。

 デーヴィッド・スミスのもうひとつの大作は『聖パウロの生涯とその書簡』です。この書物も日高善一さんが訳しており、やはり国会図書館のデジタルライブラリーに保存されていますが、イエスさまの生涯とパウロの生涯を併せ読むことができるしあわせは何物にも変え難いと私は思っています。100年前の日本語表現ならではの名文の連続(これでも随分今風に置き換えて直しつつあらわしておりますが、そのため日高さんの名文の香りは失われている部分があります)で読みにくい面もあるかと思いますが、これに懲りず今後もお読みいただければ幸いです。

そしてすぐ、御霊はイエスを荒野に追いやられた。イエスは四十日間荒野にいて、サタンの誘惑を受けられた。野の獣とともにおられたが、御使いたちがイエスに仕えていた。(新約聖書 マルコの福音書1章12〜13節)

2023年3月28日火曜日

受肉者耶蘇(16)自己のメシヤ像の誘惑

 その伝道の間に、ただ不思議を行なう人物と認められることを身震いしつつ厭われ、奇蹟を行なわれるごとに盗みでもなすかのように忍びやかに行なわれるのでありました。その恩寵こそメシヤであることの証拠であって、いやしくもこれを実験したものはまた他の証拠を求める必要がなかったのであります。しるしを求めるのは結局その心が肉的であることを示しているに過ぎないのです。

(3)自己のメシヤ( A selfish Messiahship)

 荒野の滞在まさに終わらんとして、連日にわたる断食に加えるに間断なき苦悩に困憊されるや、イエスは最後にして巧妙極まれる誘惑に襲われ給いました。イエスの周囲には石灰石の砕片散乱し、一度目をその堆積に転ぜられるるや、この石を奇蹟を行なう力によってパンと変化せしめて飢えを癒さんかとの思想が起こったのであります。イエスはその力を持っておられました。後数日を出でずして、水を葡萄酒に変ぜしめ、また伝道の間に二回まで一握りのパンをもって数千人を養う食料と増殖されたのでありました。しかもイエスはその力をここに用いることを避けられました。考えてみるに、その伝道中奇蹟は皆ことごとく自己のために行われたのでないのを見れば理由はすでに明らかです。

 他の人の要求の声には敏活なイエスの権能は、自己のためには如何に重要な場合であっても鈍ったのであります。イエスの天職には自己を否定せらるる必要がありました。イエスは私たちの重荷を負い、私たちの杯を飲まんがために降臨せられたのであって、私たちのか弱き心を悟らんがためには、私たちの苦痛を極端までも実験せらるる必要がありました。苦痛を逃れんがため奇蹟を行なう力を応用せらるれば、悲しみの人にして悩みを知らんがため、人間に伍して、私たちの性状を実験せらるべき、犠牲を棄てらるることとなるのであります。この世に送られる一歩一歩の生涯に、イエスは己を棄てて、敢然としてこれを癒さんがためにこそ降臨せられたその悲痛に進んで身を投ぜられました。 

 『このようにイエスはこの世を送り給いぬ。
   己を棄てつつ己が痛みを厭わず
  我らの重きを負いて我らの悲しみをことごとく身に受けつつ
   己がためには何の楽しみも求めざる生涯を。』

8 イエスの純潔(The sinlessness of Jesus)

 イエスの遭遇された荒野における誘惑は、私たちの恩寵溢れる救い主の無垢純潔を最も鮮やかに証明します。タルソのサウロはアラビヤの野に退いた間に絶えず、イエス並びにその聖徒に対する『凶暴』を回想しました。これが彼の生涯につきまといつつその隠退の間にも、絶えずこれを嘆いて、出来うる限り、過去を償わんがため、その未来を用いんと悲痛惨憺誓ったものでありました。

 イエスの荒野の隠退はこれと天淵もただならざるの差がありました。イエスは過去を回想されるに何の遺憾も羞恥もありませんでした。その思いを潜められるのは過去にあらずして未来でありました。かつその一つに思いを集められるのは如何にして天の父のみこころを行ない、己に託された事実を完成すべきかと言うことにありました。過去には寸毫の遺憾もないのであります。

 悔恨の涙にあらず、贖償の誓いにあらず、ただ誘導を求められる祈祷、天の父のみこころの他は何の律法も認められない不動の覚悟、天の父の栄光の他何をも求められない未来にだけ面を向けられました。このようにこの世を贖う事業に聖別されたメシヤの生涯には、一抹の汚れだに留められなかったのであります。

2023年3月27日月曜日

受肉者耶蘇(15)見せ物のメシヤ像の誘惑

4 有司との同盟

 しかし、以上の他にもなお方法が無いのではありませんでした。すなわちユダヤの有司と同盟されることであります。サンヒドリンの如きは政策上喜んでイエスを迎え、これを保護したに違いありません。イエスが始めてエルサレムに現れ給うや、この政治機関は、これをくわしく観察せしめんがために、その議員の一人にして、温厚の君子ニコデモを遣わして、個人として接見せしめたのであります。イエスにしてもし彼らの建言を入れられるならば、平和の間に、何らの妨害をも被らず、その職分を続行せられることができたでありましょう。これは心をそそる有望な予想であります。

 しかし、イエスはなおこれにも顔を背けられたのであります。これと等しい誘惑は、サンヒドリンの代表者の来訪とともに、ヨハネをも試みたところでありました。ところがヨハネすら紛然としてこれを叱咤しました。イエスはヨハネにまさって一層明らかに有司の人物を察知して、その建言の動機を早くも看破されました。 俗臭芬々堕落せる心地をもって彼らはこの新運動の牛耳を握らんと欲する者であります。彼らは民衆の帰服せる預言者を圧迫するの愚を知るがゆえに、その傀儡としてこれを保護するのを安全であると心得ていました。しかし、ヨハネとの提携がすでに難しいならば、イエスとの提携はさらに一層の難事でありました。

 イエスは神よりの依託を負っておられるがゆえに、このような世界人類中の少数者に認識される必要がないのでありました。祭司商売や儀式万能主義はイエスの敵であります。どうして死をもって戦いを挑まれるはずのこのような団体と同盟することができるでありましょうか。

5 その職分の制限

 『この世のすべての国々とその栄華』のまぼろしがイエスの眼前に彷彿せるとき、おそらくさらに今一つの思想がその胸中に沸き起こったことでありましょう。イエスは『イスラエルのメシヤ』であると同時にまた『世界の救い主』であるとするその職分には表面矛盾がありました。これがイエスの地上の生涯に絶大な憂憤を与えたもので『茫々とした慈悲の大海』をその胸の内に湛えつつもなお、全世界を覆う情を圧搾して、人類中のただ一部民族の間に閉じ込めなければならなかったことです。

 もし不敬虔に陥る虞れがなければ、イエスはこの天職の制限に対して伝道期間絶えず憂悶し、救いを渇望し、切実なる要求を持っていながらもなお滅び行く、国外大世界の人類を偲び痛み悲しまれたことは明らかであると言っても差し支えはないでしょう。その自らを虚しくして人と成られた間に、その恩寵を制し、心の赴くところを限られることは耐えることのできなかったほどの難事であったでありましょう。愛心を制限せられることは、その栄光を覆われ給うことに優る苦痛でありました。程もはるかなまぼろしを望んでは、国境を踏破して、イスラエル国外の世界に広大な収穫地を求めんとの誘惑にかかられなかったのでありましょうか。しかもイエスは贖罪に関する神の計画が如何に遠き古から進行しているかを思い起こしつつその誘惑に勝たれるのでありました。

 その戦場はイスラエルの狭隘(きょうあい)な国内であります。そして摂理をもって準備の整った地域に、メシヤはその王国の良い種を蒔かれるべきであるのです。誘惑者が唆したように、また一度はその敵がその計画を惑わしめたように、イエスにしてもしイスラエルを棄てて、異邦の民に赴かれたならば、キリスト教はその行程を誤るべきはずであったでしょう(新約聖書 ヨハネの福音書7章35節)。ギリシヤの師父が『信仰』を『哲学』なりと論じたのは、隠れもない事実であって、もしイエスがギリシヤ人の間に伝道されたならば彼らはイエスをもって哲学者なりとしてこれを受け、救い主としてこれを仰がなかったに違いありません。その教訓もまた哲学と受け取られて福音となることはできなかったことでしょう。

6 イエスは殺されんがために降られる

 異邦人の間に赴かれればイエスは厚い待遇を受けられたに違いありません。しかし、これはイエスのさらに心を転ぜられるところではありませんでした。イエスは歓迎せられ、尊敬せられるためにこの世に降られたのではなく、排斥せられ、虐殺せられ、世の罪の犠牲たらんがために、この世に臨まれたことを覚悟せられました。『キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいる』(新約聖書 ルカの福音書24章26節)はずであります。これは初めよりイエスの意識せられるところであります。その死は決して、後からの発見でもなく、思いがけない『大段落』でも、また出来うべくんば逃れんと欲せられた不承不承の必要からでもありませんでした。

 始めより熟慮されたところであります。その伝道の当初に、苦難と復活との神秘的な預言を与えて、しるしを求める有司たちを困惑せしめられたのでありました(新約聖書 ヨハネの福音書2章18節〜22節)。ニコデモとの対話中にも、人の子は必ず『上げられる』必要があるのを示されたのであって、その意義は先ず十字架にかかって栄光に入ると言うにありました(新約聖書 ヨハネの福音書3章14節)。ガリラヤ伝道の開始後間もなく新郎は取り去られて、新婦の家の子らに悲しみあるべきを予告せられました(新約聖書 マタイの福音書9章15節、マルコの福音書2章19節〜20節、ルカの福音書5章34節〜35節)。

 イエスがかつて笑われたことがなく、常に哀しんでおられたとの伝説は確かな事実であります。イエスは死なんがためにこの世に降られ、その在世の日には一日として罪の重荷を卸された日はありませんでした。十字架はイエスの決勝点であって、その影は常に前途に暗闇を描き、また凄惨の気を漲(みなぎ)らすのでありました。『メシヤはこれらの苦しみを受けるべきにあらずや』されば自ら好んでイスラエルの国内に留まられたのであります。 

(2) 見せ物のメシヤ( A spectacular Messiahship)

 この世との提携を退けられるや、イエスは全く反対にして一層激烈な誘惑に襲われなさいました。イエスは神とは同盟せられて当然ではないでしょうか。時代はちょうど奇蹟を好んだころであって、しるしと表象を見るのでなければ、民衆はこれに信頼することができなかったのです。メシヤは自己の宣言の証拠としてしるしを示されるべきものと期待されました(新約聖書 ヨハネの福音書4章48節、7章31節)。イスラエルに起こった詐欺師は皆いずれも奇蹟を行なう力を示して民心の収攬を企てました。イエスの伝道の間にも、群衆や有司の求めるところは絶えず奇蹟でありました(新約聖書 ヨハネの福音書6章30節、2章18節、マタイの福音書12章38節、ルカの福音書11章16節、マタイの福音書16章1節、マルコの福音書8章11節)。

 すなわちこの一般の要望に投じてその宣言を確証せよとの思想が、荒野においてイエスの前に現れたのであります。その心は、後方の山を玉座としてきらめく神聖なる都城の上に転じました。この時を去る38年の後、主の兄弟ヤコブが投げ落とされたというその高い胸壁、すなわち『神殿の袖』に登って、過越節間近にして神苑に群衆の集まるその面前において、この眼も眩む高所から、身を倒し飛び降りるということを胸に描かれたのであります(旧約聖書 詩篇91篇11節12節)。これには神も関与せられるのであります。詩篇にはメシヤに関して『まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。彼らは、その手であなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする』とあるではありませんか。見えざる手はイエスを支えて、地上へ安全に降ろすことでしょう。そうして驚く群衆はイエスをメシヤとして祝しつつ、『ホサナ』と叫ぶに至るでしょう。

7 神を試みる

 イエスはこれをもって『神を試みる』こととして聖書のことばをもってこれを退けられました(旧約聖書 申命記6章16節)。いやしくも摂理によって身に転じ来ることならば、静粛、不動の心をもってこれに克つのは神の子であるものの特権であります。しかし軽率に危険のうちに投じたり、あるいはまた『この世の信任を誇る所為』、虚名を博するためとならば、決して神との協同を志すことはできません。見せ物に類する行動をもって喝采を博せんとする思想はイエスの拒まれるところです。驚駭は信仰ではありません。イエスは茫然たる群衆の喝采を受けるよりも、その宣言の道理より推して認識する、信仰的の霊魂に尊重されんことを望まれたのであります。

2023年3月26日日曜日

受肉者耶蘇(14)世俗のメシヤ像の誘惑

第4章 メシヤの誘惑

『救い主よ、我らに赦しを与え給え、
  我らの弱さをことごとく知り給う。
 汝は我らの先にこの世に在(いま)し、
  世に住む仇の狡賢(ずるがしこ)さを知り給えば 
 汝荒野を過ぎさせ給いて
  その荒涼惨憺(さんたん)たると
 困憊(こんぱい)疲労とを知り給えば。』
             James Edmeston

1 荒野への隠退

 時節は到来しました。イエスはその平和な生活を捨てて、その天職に身をささげねばなりません。ナザレの隠れ家に年久しく瞑想に耽られましたが、時はめぐりその職責の容易でないことを切実に意識せられたのであります。ちょうどあのパウロが悔い改めるや『人に相談せず、アラビヤに出て』(新約聖書 ガラテヤ1章15節〜17節)行ったのと同じように、イエスはその思想を統一し、また神との交わりによって光明と力を受けるため、人を避けて隠れ給うこととなりました。

 ヨルダンの西部にはやせ地で石だらけの不毛の荒野があります。ここは猛獣の棲家であって、またさらに猛獣よりも一層凶暴な山賊が出没し、エリコよりエルサレムに至る坂道は、彼らの凶暴の行為より『血の坂』との名を生じたほどでありました(新約聖書 マルコの福音書1章13節、ルカの福音書10章30節)。洗礼によってイエスのうちに内住し、またそれ以来『無限に』その上に注がれた聖霊は、この荒野へイエスを駆って赴かされました(新約聖書 ヨハネの福音書 3章34節)。こうして四十日の間イエスはその授けられた事業を熟考し、身辺に群がり来る困惑と苦戦奮闘し、その取られるべき道を明確にするために大変な努力をなされたのであります。

2 誘惑

 高遠雄大な事業がイエスの眼前に横たわっています。如何なる方法をもってこれを完成すべきかを思い惑われるにあたって、天の父のみこころに服従せんと決心されつつもなお誘惑はこれを遮(さえぎ)り妨げるのでありました。

(1) 世俗のメシヤ(A worldly Messiahship) 

 イエスはこの荒涼たる原野において瞑想しつつさまよっておられる間に、いつしかエリコを俯瞰(ふかん)すべき高山の頂に歩みをとめて佇まれました。ヨセフスはこのあたりの光景を述べて『原野の只中に市街あり、そのかなたに痩土赤裸の山あり、蛇行起伏して尽きるところを知らず、されども不毛なるがゆえに人跡を見ず』と言っています。山上の眺望は如何にも爽快であって、想像は遠く限界のかなたにまでも馳せられるのであります。

 イエスの足下には心地よき荒野に美わしい棕櫚(しゅろ)の都エリコが横たわっています。西方には神聖なる首都の白い外壁と、きらめく尖塔の頂が、澄み渡る大気に浮かべるように輝いています。まことにイスラエル全土の光景はイエスの双眸(そうぼう)のうちに収められ、右往左往の公道に眼を放たれば、エジプト、アラビヤ、ペルシア、ダマスコ、さては地中海沿岸諸港を経てギリシヤの諸島を始め、大帝国の大都城ローマに通ずる『この世のすべての国々とその栄華』のまぼろしは眼前に澎湃(ほうはい)として映じたのであります。

ユダヤ人の理想

 これこそイエスの贖わんがために降られた世界であります。如何にしてこの事業を完全に成就して、億兆の人類を救済することができるかとは当然起こるべき疑問であります。その上、その国民の間に存在するメシヤに関する思想が、イエスの眼前に提供せられていることも当然でありました。イスラエル国民を暴政の下より救い、衰退しているダビデの王統を、古の盛運に勝る栄華に進むべき凱旋の君主として、メシヤは期待されておられたのです。

 イエスにして真にこのメシヤならしめば、先ずその選民の熱烈な愛国心に訴えて、彼らが久しく期待している救い主であることを宣言し、彼らを叫合して、ローマの羈絆(きはん)を脱せしめられるのではないでしょうか。これは狂気に類する行動であります。しかしこの屈辱を重ねた時代に悲憤慷慨するユダヤ国民中にはこのような謀(はかりごと)を凝(こ)らすものも少なくありませんでした。前年ガリラヤのユダは叛逆の旗を翻して、その全国土を沸騰せしめたのであります。暴徒はたちまちに鎮定されたが、余炎はなお今も燻(くすぶ)り続け、一陣の風にも燎原を焼かんとして待っています。ゼロテの党と称する旗色鮮明な新党派はイエスラエルの間に起こりました。そうして機会あらば先の挫折を雪(そそ)ごうとして待っていました。

 イエスが単にイスラエル国王を復興するがために来たメシヤであると宣言せられたのみでもなお幾千万の民衆はたちまちその麾下(きか)に蝟集(いしゅう)したでありましょう。これこそ当時期待せられたメシヤの遂行すべき職分であって、第二にしてさらに有力なユダ・マカビイとして自由の義旗を押し立てるも決して軽蔑されることではありませんでした。ガマラのユダは失敗しました。しかしイエスにはその命令のままに動くべき天の万軍が備えられているのでありました(新約聖書 マタイの福音書26章52節53節)

3 真のメシヤ

 イエスがまさに獲得せんと思召される世界を見渡された時、このようなものがその眼前に展開したことでありましょう。けれどもイエスは決然他に眼を転ぜられました。すなわち、ローマの羈絆を脱するよりも、さらに高尚悠遠の救いを完成せんがためこの世に降臨せられた所以を意識せられたのであります。当時世に流布せるメシヤの思想は俗世の夢に過ぎないのであります。もしイエスにしてこの思想を抱かれんか、必ずや『この世のすべての国々とその栄華』を獲得せられたにちがいありません。

 後年にいたってキリストの敵手はカイザルの帝位に座したではありませんか。しかもそのメシヤの王国は似ても似つかぬものでありました。『神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年を告げ知らせるために』(旧約聖書 イザヤ書61章1節2節、新約聖書 ルカの福音書4章17節〜19節)これこそイエスの職分でありました。

 イエスの召しを受け給うた行程は、服従、犠牲、徴賤の険路であります。そしてその局を結ぶものは玉座に非ずして十字架であります。しかもイエスは敢然としてこれに面前されたのであります。(The path whereunto He was called, was a lowly path of service and sacrifice; and , though at its end there stood not a Throne but a Cross, He set His face like a flint to walk therein.)

※ブログ子の感想 私はこのDavid Smith氏の著書を愛する者です。今回もこの邦訳本を転写するにあたって感慨措く能わざるものがあります。この原著を日高善一氏がほぼ100年前に翻訳され、今は絶版で誰も見向きもされないかもしれません。しかしこの邦訳が国会図書館にデジタルライブラリーとして保存されており、英文はThe Days of His Flesh で自由に読めるのです。一人でも多くの方がこの本をとおして、神の子イエス・キリストが、人として、世に来られ、いかに歩まれたかを理解し、イエス・キリストが提供してくださる救いを受け入れて下さることを切に望む者であります。)

2023年3月11日土曜日

受肉者耶蘇(13)「洗礼志願者」イエス

9 洗礼志願者イエス

 イエスは直ちにヨハネに近づき、洗礼志願者として己をささげられるに至ってここに始めて一大発見が行われました。峻厳なこの預言者はその儀式を行なうにあたり。志願者の悔い改めは真摯なりや、また確かに新たな生涯に入る志あるやを、自ら満足するまで試験を課したので、イエスの出現されるにあたっても、等しく峻厳な試問を施したに違いありません。しかもその試問が深く進まないうちに、彼は驚愕措く能わざることとなったのです。もしそれわずか十二歳にしてなおかつエルサレムの『ミドラシュの家』にあってラビをして『知恵と答えに』(新約聖書 ルカの福音書2章47節)驚かされたとせよ、今十八カ年を神との交通、聖書に関する瞑想に費やされたこの時、洗礼者驚かされしむるに至ったことは怪しむに足りません。

 他のことはしばらく置くとしても、ただ一事がヨハネの驚嘆を引き起こしたのであります。すなわち洗礼志願者がこの預言者の訓戒警告に接するや、みな悔恨の情に慄き、へりくだって罪を告白しないものはいませんでした。しかるにイエスは罪悪も恐怖も一点もこれを示さないのであります。一方、このような態度は洗礼を施すことができない無感覚の人物によく見られる態度であります。

 しかし、イエスはその清楚な風采、神の平安に輝く顔容を仰いでは、霊魂は自ずから畏怖恭敬の誠にへりくだり、いやしくもその在世中にこれを仰いだ者が何人も感じたように、自らの憐れむべき姿を知覚するに至ったのであります。ちょうどあの楼上の客室でペテロが『主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか』(新約聖書 ヨハネの福音書12章6節)と拒んだように、ヨハネもまた『私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたが、私のところにおいでになるのですか』(新約聖書 マタイの福音書3章14節)とこれを辞退しました。

10 罪人とともに数えられる

 この神聖な人物が、悔恨せる群衆と伍しつつ罪を洗う意義を有する儀式に連なられるのはまことに奇怪至極なことであります。しかしヨハネに対するその答弁をもって事情は明らかになります。曰く『今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふわわしいのです』(新約聖書 マタイの福音書3章15節)と。イエスは『女から生まれた者、律法の下にある者』と(新約聖書 ガラテヤ書4章4節)なられました。そして『人の子の一人であるがゆえに服従を学ばれる』(参照 新約聖書 ヘブル書5章8節)必要がありました。

 まだ幼弱のころに、肉の汚れを除き去る意義の割礼を受け、成人に達せられるや、年々神殿に税を収められ、自ら神殿を己が家と称し、神の子にその必要がないことを宣言しながらもなお税を拒まれませんでした(新約聖書 マタイ17章24節〜27節、マタイ5章19節)。すなわちイエスの降臨は律法を廃止するためではなく、律法を成就するためであって、その神聖な生活によって吼々これを充実することに努められたのです。

 イエスは私達を神の子とさせるため、すなわち律法の下にある者を贖うために律法の下に生まれられたのであります(新約聖書 ガラテヤ4章4節5節)。聖クリソストムのことばを借りて言えば、イエスはさながら『我れ律法を全うせんがために割礼を受けたように、恩寵を批准せんがためにバプテスマを受く。我れもし一を全うして一を省かば、我が人となるに欠けるところあり、後にパウロが『キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです』(新約聖書 ローマ人への手紙10章4節)と記せる如く我れはすべてのことを全うする』と仰せられたものであります。

11 イエス、ヨハネに発見される

 このようにヨハネはイエスが何人かは深くは知らなかったけれども、しかし、たちまちにしてこれメシヤ以外の人物とは考えられない所以を発見しました。彼は聖書によってメシヤの現われ給う時、どういう特徴をもってこれを認められるかを学んでいました(旧約聖書 イザヤ11章2節、61章1節)。かつその上に神の霊の上り降りするのを見るべきはずであったが、今現にその象徴に接しました。

 神はその黙示を与えられるにあたり、恩寵裕(ゆた)かにも、人間に交通する手段として、自己を人間の地位に引きおろし、誤る場合もありやすいけれども、なお人間の知恵に相当の方法を取られます。博士たちには救い主の降誕を星によって伝えられました。ヨハネはユダヤ人であるがゆえにユダヤ人に対する方法を取られました。

 思うにユダヤ人の想像によれば、創世記第一章に『神の霊は水の上を動いていた』(旧約聖書 創世記1章2節)との記事を、ラビは『雛の上に翔ぶ鳩のように』と言ったほどで、神の霊は鳩の形をもってたとえるべきとしました。なお後年のユダヤ人の心に今一つの思想がありました。すなわち年久しく預言者の声を聞かないために、人心その寂寞に耐えることができず、昔の詩人が主の御声を雷としてあらわしたのを思い起こして、雷をもって危機に際し天より来る神の御声と称し、これをバス・コルすなわち『天の御声の娘』と思いなすに至りました。

12 鳩と御声

 ヨハネもまた時代の子としてこの思想を離れることは出来ませんでした。ゆえに神はメシヤの黙示を与えられるにあたって、この思想を利用されたのです。すなわち、バプテスマを受けてのち、イエスの河岸に佇んで祈られる時『天が開け、聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」』(新約聖書 ルカの福音書3章21節、ヨハネの福音書11章27節、20章21節)とあります。

 救い主に対するユダヤ人の称号は『神の子』と言うのであって、先のみことばは直ちにイエスがメシヤであることを表わす特別の保証でありました。この幻とその御声とは、ただイエスとヨハネ以外には分かりませんでした(新約聖書 マタイの福音書3章16節、マルコの福音書1章10節、ヨハネの福音書1章32節34節)。主の復活後もまたこれと同じで、その栄光に入られた体は肉眼では見ることができませんでした。ただ幻を見得る賜物を授けられたもののみが、これを認識したのです。

 このようにイエスとヨハネとのみにはその霊性が明らかにされ、幻は目撃され、また御声が聞こえたけれども一般の群衆はさらにこれを見ることができませんでした。これは当然のことでありました。この黙示は二人にのみ授けられたものであって、イエスに対しては、その時期のまさに到来したことを示し、ヨハネに対してはメシヤを認識させるためのものでありました。

2023年3月10日金曜日

受肉者耶蘇(12)血統でなくその心

 7 彼らを迎えたヨハネの態度

 彼らがいかなる素性の人々であるかをヨハネはたちまちに看破しました。彼は彼らが年功を経た偽善者で外形を偽るに巧みで、その公言するところを信用してはいけないことを早くも知った。彼らはヨハネの説く未来の審判の凄惨の様に胸をつかれたけれども、ただこれを恐れるのみで、悔い改めようとはしませんでした。

 彼らを見たヨハネは、たびたび荒野で見られる枯れた雑木が、火を招いて、蛇の類が狼狽しつつその巣を飛び出す光景を思い浮かべました。『まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたか』と彼は宣告しました。

 ヨハネの洗礼はこのような人物のためではありません。彼らは先ず益することのない野心を捨てて、その至誠を表明すべきでしょう。彼らは自らアブラハムの子孫であると誇り、神はアブラハムとその子孫に特殊の約束を与えられ、神はすなわち彼らの神、彼らはすなわち神の民であると論じつつ、アブラハムの子孫と言う意義は、つまるところその血統にあるのでなく、その精神があるがためであることを忘却しているのです(新約聖書 ヨハネの福音書8章35節〜59節)。

 イエスが後年これを戒められ、聖パウロもまたこのように論じた(新約聖書 ガラテヤ書3章)ように、ヨハネは彼らが独断をもって自己の地位を決めている無益な自負心に攻撃を加えました。時を遡ることほとんど十五世紀前、危急存亡の日に、この激流の間に一筋の道開け、イスラエル国民が渡渉した時、ヨシュアは川床の石の種類に従い、一個宛て、十二個を取って『それを宿営地に運び、そこに』(旧約聖書 ヨシュア記4章)据えました。その石はなお当時そのままに残っていたと言います。

 預言者はこの灰色の記念碑を指しつつ『「われわれの先祖はアブラハムだ。」と心の中で言うような考えではいけません。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです』(新約聖書 マタイの福音書2章9節)と叫びました。このように神は石のように頑迷にして、かつ石像の崇拝者である異邦人の中から、約束による世継ぎ者(相続人)としてアブラハムの子孫を起こされたのです。

8 ベタニヤに来れるガリラヤ人

 霊的覚醒の消息は北方にも広まって、ガリラヤ地方よりも、はるかにこの偉大な預言者の説教を聴き、古のマナのように荒野に降れる恩寵に願わくば浴せんとして多くの人々が集まって来ました。中にもまれなる幸運に会した五人の青年がありました。すなわちガリラヤ湖畔より来れるヨハネ及び、アンデレ、シモンの兄弟、ピリポならびに、カナと称する高原の一村より来れるナタナエルすなわちこれらの青年であります。ヨハネとアンデレとは単に預言者に招かれるがままに悔い改めたのみならず、弟子となってその団体に加わりました。さらに今一人のガリラヤ人が現われて来た。すなわちイエスであります。しかしイエスの外観は他の人々と選ぶところがなかったので、その来訪も特殊の注意を引くに足りませんでした。

2023年3月9日木曜日

受肉者耶蘇(11)洗礼者ヨハネの要求

4 その説教の特質 

 しかしたとえこのような特殊な後援の事実がなくても、ヨハネの説教は深刻な印象を与えたのでありました。これにより人心に反応ーー罪悪と審判、悔い改めと赦免ーーを起こさなければ止まないものがありました。ちょうどあのジョルジ・ホイットフィールドがキングスウッドの石炭坑夫の心を砕き、彼らの両眼から涙が流れて『その黒い頬に白い二筋の溝ができた』ほどで、二万の群衆はその周囲に集まり、その群衆の間から『数千のもの、たちまち確実に衷心から悔い改める深い決心を与えられる』に至らしめたその力と等しいものが彼の説教にもこもっていました。

5 確定したその要求

 ヨハネの伝えるところはただ特別の教えであったのみでなく、彼は確定した要求を提供しました。その伝えるところは『天国は近づけり』と言うのであって、その要求は『悔い改めよ』と言うにありました。そしてその要求は寸刻の猶予さえ許さない峻烈を極めておりました。

 長懼(ちょうく)すべき『復讐者』、仮借することない『改革者』である救い主は近づいて、今まさにこの世に現れんとしています。その手には箕(み)があり、収穫場の隅々までこれを潔め、麦は集めて倉に収められるけれども、糠(ぬか)は消えない火に投げ入れて焼かれるはずであります。その斧はすでに樹の根に据えられ、善い果実を結ばないものは折って炉に投げ入れられます。ユダヤ人の期待に背かなければ、メシヤは威風凛々(りんりん)たる国君として臨御され、異邦人には厳酷にしてイスラエルには恩寵を裕に垂れ給うはずであります。しかし、ヨハネは審判に独り異邦人に加えられるのみならず、イスラエルの罪あるものにも及ぶべきことを布告しました。聴衆の良心もまたこの預言者のことばに共鳴したのであります。

 彼らは『私たちはどうすればよいのでしょう』と叫びました。彼は『悔い改めよ』と答えました。ラビの諺にも『イスラエルにしてもし一日の間に悔い改めなければ、同時に贖い主現われるであろう』とありました。しかるに悔い改めを促す教訓が、剴切にもメシヤの先駆者の唇より叫ばれたのであります。ヨハネの事業は単に悔い改めを促すのみに止まりませんでした。悔恨したものには必ずバプテスマの儀式を受けるように要求したので、ついに『洗礼者』なる称号を受けるに至りました。

 この要求はこれに当たる価値のない者には脅迫、深刻なる信念を持つ者には呵責を加える途であります。かつこの儀式は二重の意義を表わす象徴であった、悔恨により内心を潔め、また一層高遠なる意義をふくむメシヤの洗礼を象(かたど)るものであります。『私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつのひもを篤値うちもありません。その方はあなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります』(新約聖書 ルカの福音書3章16節)とヨハネは言いました。

 洗礼志願者に対するヨハネの試問は甚だ適切で、また実際的でありました。彼は各人の罪悪を指摘し、これを拭い去れと迫りました。志願者が富豪ならば(新約聖書 マタイ19章21節、マルコ10章21節)、青年の司に対する主のみことば(新約聖書 ルカの福音書18章22節)を偲ぶべきことばをもって、財産を貧者に施すべしと命じ、税吏ならば、定めの税金額をよく守り、決して過重の付加をしないように命じ、兵卒ならば、略奪や、虚偽の拘引や、謀反を企てるなと命じました。

6 パリサイ、サドカイの徒も来る

 この洗礼者の説教がいかに力があったかは、ただに単純素朴な民衆のみならず、教育あり、地位ある人々もおびただしくベタニヤに集い来ったのを見ても明らかです。『パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見た(とき)』(新約聖書 マタイの福音書2章7節)。信仰を誇りとするパリサイ人と権勢に恃むサドカイ人とが、平素の激烈な軋轢を忘れ、一団となり、いわゆる愚夫愚婦の群衆に混じって集まって来たのは、まことに驚くべき現象であります。

 後年彼らがイエスに対抗するために協同したのは、その共同の敵に当たろうとして平生の恨みを忘れたのであったが、この場合には 彼らは事実一致融和して訪ねて来たのであります。敏捷怜悧なエルサレムの宗教の幹部員はヨルダン河畔に行われる光景を観察し、この運動を彼らの保護の下に置くことを利益と認め、後年イエスの場合にも試みたように、群衆を利用して自分たちの志を達しようと企てました。

 すなわちこれらのパリサイ、サドカイの両宗徒は、ヨハネの事業を探り、報告をなすためにサンヒドリンの代表者として遣わされたのです。しかし彼らはこの説教者と相対するに及び、その心に浸む雄弁を聞き、我知らずこれに捕えられることを覚えました。その訪れ来った動機は様々であったけれども知らず知らず、この預言者に親しみ、ついに自ら悔い改めて洗礼を受けるに至りました(新約聖書 ヨハネの福音書5章35節)。

 ヨハネがメシヤを証明した一カ年有余の後、ヨハネに対する彼らの批評を思い起こしてこれを引用し、イエスはヨハネを『彼は燃えて輝くともしびであり、あなたがたはしばらくの間、その光の中で楽しむことを願ったのです』と仰られました。

2023年3月8日水曜日

受肉者耶蘇(10)洗礼者ヨハネの出現

第三章 メシヤとしての召命

『主にバプテスマを授けつつ
    彼はバプテスマを受けぬ。
 その受洗のうちに主は万民を洗う能力を受け給えり、
    水は洗われて浄まりぬ、
 かくて恩寵溢るる受洗のためにと
    人に供せられたり』
          Henr Pist

1 ヨルダン対岸のベタニヤにおけるバプテスマのヨハネ

 幕をあげれば十八ヵ年は早くも経過して、緊張した舞台が現出するのであります。すなわち一大預言者が出現しました。そしてエルサレム、ユダヤ全州を始め、ヨルダン流域の国から熱心な群衆が、彼の活動の舞台であるベタニヤへ、かのヨシュアの指揮の下でイスラエル人が約束の地へと渡渉したあたりを逆に渡渉して、雪崩のように押し寄せたのであります。この預言者こそザカリヤと称する老祭司の一子で、ユダヤ山間のいずこか、密かに隠れてその事業を計画したヨハネでありました。三十余年の昔、イエスの降誕に先立つ六ヶ月、ザカリヤの妻エリサベツは、長く子がなかった所へ、一子を設けたので、夫と共に喜びつつ、これを主の御用にと聖別しました(新約聖書 ルカの福音書1章36節)。元来エリサベツはマリヤとは親戚に当たったけれども、両家は北と南、国の端と端とに住んでいたので、ヨハネとイエスとは全く他人と等しく未見のままに育てられました。

 イエスがナザレの作業所で労働に従事される頃、この聖なるナザレ人ヨハネもまた八世紀の昔、この地方に、羊飼いと桑の木の栽培を業とした祖先アモスのように、ユダヤの荒野でイエスに劣らぬ名もない生活を送っていました。ヨハネはアモスと等しく一生懸命に従事する傍ら、衰え果てたイスラエルの前途を憂いこの国民に対する神の思し召しを案じつつ、二六時中ただ黙想に耽っていたのであります。死海の彼方desolate(やせ地)の地方にはエッセネ派の人々が住んでおり、隠遁して、労働、慈善、黙想、祈祷、断食などを日課としていたのであります。かの有名な歴史家ヨセフスがその熱烈な青年時代、パナスと称する遁世者に従って峻厳な規律の下に三年間を荒野に送ったように、ヨハネもまたこのエッセネの徒と交わりを結んだのは疑うべくもありません。しかしどの宗派にも属してはおりませんでした。彼自らが教師として弟子の一団を組織していました。

2 その召命

 古えの預言者に見られるように、その三十歳に達するに及んで『神のみことばヨハネに臨む』です。さながら炎炎として焔がその骨々に押さえつけられているかのように、彼は胸中に燃えている思想を訴えないではおられなくなりました。『獅子がほえる。だれが恐れないだろう。神である主が語られる。だれが預言しないでいられよう』(旧約聖書 アモス書3章8節)。彼の説教の名高い噂はたちまちに好奇心に富む群衆を集めるに至りました。そして日ならずしてヨルダン対岸のベタニヤは有力な霊的覚醒の舞台と化しました。その昔イスラエル民族が、約束の地に踏み込んだ、その同じ地点が、今この日、最後の日の天国へ、門戸の開かれる場所となったのは、まことに珍しい配合と言わねばなりません。

3 その権威の秘密

 この説教者に権威のあった秘密はどこに潜んでいたのでしょうか。これには様々な理由がありました。

(1) 一個の預言者

 彼は一個の預言者でありました。而してこの国には年久しく預言者の声が絶えた場合でありました。そのいわゆる『善き友』の最後の人はマラキであって、その死後四百年の星霜は流れたけれども、神の御旨は黙々としてさらに降らなかったのであります(旧約聖書 1サムエル記3章1節)。

 かつて古にその例を見たように『そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった』。そして人々はマカビイ時代の詩人のように悲しみに沈み、『もう私たちのしるしは見られません。もはや預言者もいません。いつまでそうなのかを知っている者も、私たちの間にはいません。』(旧約聖書 詩篇74篇9節)と嘆きました。預言者の後継者と言うべきはただ過去のみを崇拝するラビたちであって、生ける神よりの生けることばは露だにも伝えられず、律法の注釈と長老の伝説を口授するのに日も足らない有様でした。しかるに今遂に預言者の声は、人々の霊魂に共鳴を喚起しなければ止むことのない確信の響と権威の音律をもって伝えられたのであります。

(2) 人心の準備

 国民は霊的覚醒に対する準備がすでに熟しておりました。国民の悲境はメシヤに対する希望を復興させ、その希望が日ならずして充実するに至らんとすることを期待しておりました。故にヨハネが確固不抜の信念と燃えるような熱心とをもって天国、すなわちメシヤの王国が近いと宣言するに及んで、躊躇なく信任を得たのは怪しむに足りません。ただそれだけでなく、古来の約束に準ずるならば、救い主の降誕にあたって、あらかじめモーセのような預言者が先ず起こり、その報告をなすであろうと思われました(旧約聖書 申命記18章15節)。

 しかるにこの時に及んでもさらに何のしるしもなく、新たな預言者が現われる様子も見えない所から、古の預言者の一人がよみがえり来たって、メシヤ王国の先駆となるであろうとの思想が生まれました。あるものはエレミヤが甦るだろうと言い、一般にはエリヤ来るべしと期待されていました。ヨハネが『エリヤの霊と力』をもってユダヤの野に現われ、彼と等しい衣服をまとい、彼と等しく荒野においてわずかに得られる単純なものをもって生活し、自分に勝る力ある人が出現することを説いたので、このような思想がこれと結びついたのは当然であります(新約聖書 ルカの福音書1章17節、旧約聖書 2列王記1章8節、1列王記17章2節〜7節)。

2023年2月25日土曜日

受肉者耶蘇(9)少年イエスの挿話

6 過越の祝いにおける少年イエス

 イエスはラビの大学には入学されなかったが、ただ一回たいせつな時期に、エルサレムの『ミドラシュの家』で、ラビたちの足下に座られたことがありました。ユダヤにおいては少年が十二歳に達すれば『律法の子』と認められ、イスラエル人としての特権と責任とをことごとく与えられ、過越の祝いにも列席することができたのです。

 毎年アビブまたはニサンとも言う、すなわち四月に相当する月に、エジプトの奴隷の境遇よりイスラエルが救い出された記念に行われる祝いがありました。それに列席のため、エルサレムを目指して南へ旅する巡礼の一団に加わって、イエスがヨセフおよびマリヤと共に出発されたのは、その前年の夏をもって十二歳に達されたはずの紀元八年であったことでしょう。

 初めて祝いの列に加わることが許されたその齢の少年の歓喜や、彼らがついに一歩昔ながらの神の都城に踏み込んで、目の当たりに荘厳な神殿を仰いだときの驚嘆の情を写したものが詩篇第百二十二篇(※)であります。この思い出多き季節に際会された少年イエスの感慨もまたこのようなものであったことでしょう。ヨセフやマリヤによって幾たびとなく神の都やシオンの山の物語を聞かされつつ、長い年月、自らこれに接する機会を待ち焦がれておられたことでしょう。ところが今その願いが達せられたのであります。

※人々が私に、
 「さあ、主の家に行こう。」と言ったとき、
 私は喜んだ。
 エルサレムよ。
 私たちの足は、おまえの門のうちに立っている。
 エルサレム、それは、
 よくまとめられた町として建てられている。
 そこに、多くの部族、主の部族が、上って来る。
 イスラエルのあかしとして、
 主の御名に感謝するために。
 そこには、さばきの座、
 ダビデの家の王座があったからだ。

 エルサレムの平和のために祈れ。
 「おまえを愛する人々が栄えるように。
  おまえの城壁のうちには、平和があるように。
  おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように。」
 私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。
 「おまえのうちに平和があるように。」
 私たちの神、主の家のために、
 私はおまえの繁栄を求めよう。

7 エルサレムへ残留

 聖き少年にとって、この厳粛な一週間はさながら不思議な夢を見られる心地でありました。印象鮮やかな実物にその目をもてなされ、また耳に聞かれる所をもってその渇きを癒されました。祝い果ててガリラヤの一団も故郷をあとに出発し、ヨセフ、マリヤもまたイエスを取り残したとも気づかず一同と共に旅路に上りました。

 人に埋まる都の雑踏の間にはこのような災難は起こり易いはずです。ことに男子は男子、婦人は婦人と別々の団体を作って旅をする場合には、小児は両親いずれかの列に加わっておられるものと思い合っていました。一日の行程を終わって一隊が泊まりにつこうと言うときになって彼らは初めて気がつきました。

「ラビの足下にて発見」

 中途に取り残したものと心得た彼らは、尋ね尋ねてもと来た道へと引き返したけれども、エルサレムに来ても、イエスの姿を見つけられませんでした。三日の後にようやく『ミドラシュの家』で、ラビの足下に座りつつ、彼らの説に耳を傾けては、また質問を試みて、単純にしてこの世ならざる知識に彼らを驚駭感嘆せしめておられる所に尋ね当てたのです。

 その聡明な理解力と応答とに驚きながら、厳粛謹直な教師らは、この不思議な少年は何者なるかを自ら悟り得たにちがいありません。イウセミアスは『ゆえに願わくは我らも、我らの間に救い主の在(いま)すを認め、その教える所に心を用いながら、心から主を畏れる者となれますように』と言っています。

「神との関係ならびにメシヤとしての職分の発見」

 イエスの両親は驚いた。マリヤは失った宝を発見した喜びに、威儀堂々たる場所柄をも打ち忘れつつ、柔らかな調子で『まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを探し回っていたのです』と叱りました。イエスは今、さながら心も遠く漂うように、思いに沈みつつ『どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか』(新約聖書 ルカの福音書2章29節)とお答えになりました。このことばこそ、恵み深い私たちの主のみことばの記録に残る第一のものであります。

 ヨセフとマリヤがこれに当惑したのももっともであります。これぞ後の生涯の主調であるものであります。爾来イエスは地上において何人をもその父と仰せられず、また何人をも親戚と思し召しされず、人の子の間にあって唯一つの事業、すなわち彼らを贖い出すべき大事業をのみ有することを意識せられ、寤寐(ごび)の間にも止むときなく、衰えられることなく、退転することなく、このことを思い続けられました。

8 ナザレへ帰郷

 しかしイエスは静かにナザレに帰り、再び単純にして律儀な生涯を営まれたのであります。この後十八カ年、自ら何者にして何のため世に来れるかを鮮やかに意識しつつもなお、この驚くべき秘密を胸に秘めて、時期の到来するまでは、ことばの端にも所作にもあらわさず、槌と鋸とに労働を継続せられたのであります。しかもその年月は無益に失われたのではありません。神の摂理の下にあって、事業を完成されるのに必要な準備の時期となりました。

 このようにして自己の降誕を預言し、またその贖いを予め現わす己についての聖書の記事に思いを潜め、また遠くその慧眼を馳せ、温かい心をそそいではやがて救おうとされる世界を間断なく注意されたのであります。ナザレの魯鈍の人の目にはイエスは一個の同郷人に過ぎませんでした。しかしイエスにとって彼らは、その父の家を迷い出た子供でありました。ゆえにその間に伍される間に、彼らを熱心に研究し、その思想に分け入って、その誘惑に心を潜め、その悲しみをともにしつつ、時至って彼らの心を洞察し、その必要に敏く応ずる救い主として、彼らに教えるに足るべき用意を整えられたのであります。

2023年2月24日金曜日

受肉者耶蘇(8)イエスの家庭とその教育

 3 イエスの家庭、その兄弟姉妹

 以上は私たちの救い主が、その少年時代より成人に達せられるまで聖き生活を営まれた四囲の光景であります。その家庭には他にも子供があって、イエスはすなわちマリヤの長子で、彼女はヨセフによって後にヤコブ、ヨセフ、ユダおよびシモン(新約聖書 ルカの福音書2章7節、マタイの福音書13章55〜56節、マルコの福音書6章3節)の四人の男児とほかに数名の女児をも産みました。復活の後に至って彼らは初めてイエスの聖跡(みあと)を踏むに至ったけれども、その伝道の当初には主の兄弟たちはその宣言を否定したのみならず、これを冷笑するのでありました。(新約聖書 ヨハネの福音書7章3〜5節)一度はイエスを狂者と公言して、これを捕えてナザレの家庭へ拉致しようとさえ計りました(新約聖書 マルコの福音書3章21節31節)。

 『預言者は自分の故郷では尊ばれない』とのことばを度々イエスが引用せられるそのままの事情でありました。後年のイエスの生涯はことごとに志と相反する境地に立たれたが、その少年時代は福音書記者のわずかに残した記事によっても美わしい楽しい時期を過ごされたものと察せられます。聖ルカは『幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちて行った。神の恵みがその上にあった』(新約聖書 ルカの福音書2章40節)と言っています。ヨセフは貧しい大工で、毎日の生計によって乏しい暮しを営んだに過ぎませんでした。したがって栄光の主が、その驚くべき少年時代を過ごされた家庭にはぜいたくの如きは夢にも思い設けられないところでありました。しかし世の物質は如何に貧しくとも、天の宝にははなはだ豊かであられました。過越の祝いには婦人は自由に故郷に止まることもできたにかかわらず、マリヤは毎年その夫に伴われエルサレムに上った(新約聖書 ルカの福音書2章41節)ことに照らしてもその敬虔の念が深かったのが窺われます。

「その父」

 ヨセフは篤実な人物で、その『父』と傅(かしず)かれるにふさわしく、心を傾けてこの聖き幼児を育みました(新約聖書 ルカの福音書2章33節41節43節48節)。マルティン・ルターは生涯アイスレーベンの家庭で受けた少年時代の過酷なしつけを忘れることができないで『父』という語は、やがて自分を撲(なぐ)るものと言う連想を浮かべるに至り『バテル・ノステル』(われらの父よ)と繰り返すごとに不意に身震いが出て如何にしても止まらなかったと言います。
 主がこの温厚なヨセフを追懐されるにあたってはそのようなものではありませんでした。つまり天父に関する主の中心思想は、その少年時代に、必要と思し召されたものを供え、善きものを拒まなかった家庭の父の愛に負われるところありと言っても敢えて不敬虔ではないでしょう。(新約聖書 マタイの福音書6章8節、7章11節)。牧羊詩人は自ら羊を取り扱うように、神が己を取り扱い、自らの牧者たらんようにと熱望した(旧約聖書 詩篇23篇1節)ように、イエスもまた人間世界の経験を広く見渡された後、これをあらわさんがため、自らこの世に降られた神の愛を表現するもの、すなわち、その感恩の思召(おぼしめし)やみ難い少年時代に被(こうむ)られた慈愛の記憶より、剴切(がいせつ)なるものはないことを発見されたのであります。

「その母」

 その母マリヤもまた神より授けられたこの幼児に対する己が職分を等閑(なおざり)にしませんでした。ヤイロの娘をよみがえらされたとき、タリタ『我が小羊よ』(新約聖書 マルコ5章41節)と言う母の愛情籠る語を発せられたのは、その母から学ばれたところでありましょう。

4 その教育

 典外聖書には、主の学校時代や、その教師並びに同窓生に対する態度がおびただしく記されています。しかし四福音書にはそれを一つも載せていません。彼らはただ偶然イエスの読書や筆記をよくせられたことを伝えています(新約聖書 ルカの福音書4章16節、ヨハネの福音書8章8節)。したがって無教育のまま成長されたとは到底信じられないのであります。

 ヨセフスは『我が国は土地豊穣なり、国民は極力耕作に努む。しかれども我が国最大の努力はその小児の教育にあり』と言っています。ラビ・サロモの語によると、父がその子の教育を等閑にするのは、これを葬ることと同じだと言うのであります。実に少年時代は青雲に志す黄金時代と認められました。ラビ・エリシャ・ベン・アブヤは『少年時代に志を立てて学ぶは、白紙に文字を記すが如し、されども老年志を立てて学ぶは反古に文字を記すが如し』と言い、聖者ラビ・ユダは『世界は学校児童の息によりて存在す』と言いました。

5 家庭教育

 ユダヤにおける少年の教育はその家庭において先ず授けられ、その両親は教師となりました。聖パウロは、テモテの信仰が祖母ロイスおよび母ユニケより承けたもので、幼少のころより聖書を学んだと言っています(新約聖書 第二テモテへの手紙1章5節、3章15節)。

 ヨセフやマリヤがその小児を教育する熱心の、他の両親に譲るべき筈はありません。イエスまた聡明な児童であって、『知恵は齢』とともに『ますます増し加え』られました(新約聖書 ルカの福音書2章52節)。当時聖書の写本は甚だ高価であったが、紀元前168年既にアンテオカスの密使はユダの諸都市で多くの家からこれを発見しました。ヨセフは貧しくともなお律法の写本は持っていたに違いありません。かつ彼は『私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。』(旧約聖書 申命記6章6〜7節)との戒めに心を留めないはずはありませんでしたでしょう。 

5 聖書の家

 6、7歳に及ぶや、ユダヤの小児は初等の学校に送られました。ここは律法の署をその教科書とするゆえをもって『聖書の家』と称せられ、いずれも会堂に付属のものでありました。会堂は村ごとに建設されたので、学校もまた村ごとに設けられたわけであります。さらに進んで研究するものは学者の大学校すなわち『ミドラシュの家』と称して、有名なラビたちの教授がいる学校へ移されるのであります。

「ミドラシュの家」

 『ミドラシュの家』はヤブネに一校あり、『葡萄の園』という所で、ラビ・エリアザルおよびラビ・イシュマエルがその教鞭をとっていたけれども、最高学府はやはりエルサレムにありました(新約聖書 ルカの福音書2章46節参照)。場所は神殿の苑内、恐らく神殿内の会堂のうちにあったものでしょう。中心となった科目は口頭に伝える所を弟子に授けたが、時にはまた問題を提供して教師から弟子の答えを確かめ、あるいは弟子の 質問に対して説明を与えるため質疑をも許しました。教師はやや高い上座に着いて、生徒はいわゆる『賢人の足の塵を浴びつつ』床の上に円座を作りました。聖パウロが『ガマリエルの足下にて育てられ』(新約聖書 使徒の働き22章3節文語訳)と言うのはそれであります。
 イエスはラビになられるつもりはなかったので、このような学校には入学されませんでした(新約聖書 ヨハネの福音書7章15節)。

「手内職」

 ユダヤの父はその子に正直な職業を必ず教えよ、これを怠るはその子に盗みを教えるなりとの責任を負っていました(新約聖書 使徒の働き18章3節)。イスラエルの賢者の一人は『労働を厭うなかれ』と戒め、ラビすらなお必ず手工の職を知っていました。タルソのサウロはラビとなる目的で、エルサレムの大学に入学したが、それでもなお天幕製造の職を習っていました(新約聖書 使徒の働き18章2節)。それが後年使徒として活動する時代、彼に思いがけない助けを与える準備となりました。一般のユダヤの少年と等しくイエスもまた労働を学ばれたが、その職は当然ヨセフの業を継いで、後年天国の比喩として用い給うた棃(すき)や軛(くびき)をナザレの村民のために製造せられたのであります(新約聖書 マルコの福音書6章2〜3節)。

2023年2月23日木曜日

受肉者耶蘇(7)イエスの郷里

第二章 密かに忍ばれる30年

「恥ずべき十字架の慕わしきかな
  ここに主は罪人との誹謗を受け給えり、
 また第三日の来るまで臥し給いし
  その墓場の慕わしきかな。
 されど主自ら同じ苦痛を忍び、
  また同じ険しき道を歩み、
 ナザレの村の大工として、
  神のための賤しき業を努め給いぬ。」
                             Walter C. Smith

1 ガリラヤ 

「その美観」

 その昔、ナフタリ、アセル、ゼブルン、イッサカルの領地であるこのガリラヤは、イスラエル国中もっとも美しい地方でありました。泉、小川に恵まれ、丘は緑滴るばかり、谷は豊穣な国土でありました。『雅歌』の作者の故国であって、彼の秀麗な叙事詩に慕わしいこの地方の麗しい光景、駘蕩(たいとう)にして心も溶かされるばかりの様が迫ってきます。花爛漫たる葡萄の園、薔薇や百合の香り漂う谷間、枝もたわわに実る林檎の大樹、柘榴の畑、牧場に草を食み、また真昼には木陰に憩う羊の群れ、牧羊者の天幕のそばで戯れる小羊、岩間に巣を営む鴿(はと)、葡萄畑を荒らす小狐、山を跳ね回る子鹿、どれひとつとして美わしからぬものはありません。晨(あさ)の涼しい風は吸うべく、春の息は胸に満たすべく、甘松香、没薬、乳香、曼荼羅華(まんだらげ)のゆかしい薫り、風に誘われるレバノン山からの芳ばしい香りは馥郁(ふくいく)と鼻を掠(かす)めます。または葡萄園丁の鄙歌(ひなうた)や、蜂の羽ばたき、羊や山羊の啼く音、山鳩の忍びなく声、小川のせせらぎ、草葉を潜る囁きは、耳に心地よく聞かれるのでありました。

「その肥沃さ」

 国家衰亡廃頽の悲運に会っても、主がここに日を送られる頃には、ガリラヤはなおその魅力に満ちる面影を止めておりました。ラビ・ヨナの記す所によれば、当時なお、聖地は『乳と蜜の流れる地』と賛辞を与えられるほど美わしく快い豊穣な土地でありました。

「人口の稠密」

 また豊穣な土地にふさわしく、たくさんの人々を有しておりました。ラビ・エリアザルは言います。『イスラエルの国において一人の小児を養うよりは、ガリラヤにおいてオリーヴ樹の一叢(ひとむら)を育てるはさらに容易なり』と。ユダヤ歴史家ヨセフスはまた言います。『この地方は肥沃、豊穣にして、あらゆる果樹に適せり。而して収穫夥(おびただ)しきがため如何に耕作を怠る者もこれに励まされざるを得ず。したがって住民の開墾好く行き届き、荒蕪(こうぶ)の地を見ず。随所に都会あり、豊穣なるが故にいずれの村落も人口稠密にして、最も小さき村もなお人口一万五千を下らず』と。これによって計算すれば当時ガリラヤにおける町村は二百四個所であったので、人口正に三百万を越えたこととなります。しかし数百平方マイルに過ぎない地方にこの夥しい人口を支え得たとはいささか信じ難いが、たとえ如何に内輪に見積もっても、なお多数の人口であったにちがいありません。ユダヤ戦争の間にヨセフ自ら一万の壮丁をガリラヤから募集し得たと言っています。なお福音書を読むにあたって、イエスの赴かれる所、いずこにあってもしばらくの間にたちまち群衆が蝟集(いしゅう)し来るを注意せざるを得ません。(新約聖書 マルコの福音書1章45節、2章4節、3章8節、6章31節、ルカ12章1節)

「異邦人の分子」

 ガリラヤはヘブル語のガリル、すなわち『囲繞(いにょう)』と言う意味で、元来はガリル・ハツゴイム、すなわち『異邦人の囲繞』(旧約聖書 イザヤ書9章1節)と称せられたのであります。砂漠をもって四方を囲まれたユダヤ州と異なり、種々の異教国民と境を接していましたーーすなわちフェニキヤ、デカポリス、サマリヤなどがこれであります。(略)

「ユダヤ州民の軽侮」

 このようであったにもかかわらず、なおガリラヤ人は傲慢なユダヤ州民には軽侮せられました。ユダヤ州はユダヤ人正統の住所で、イスラエル民族の神聖な公共施設の住所であります。首都エルサレム、神殿、サンヒドリン、大学者の所在地であります。彼らはこれを誇りとして、鄙びたガリラヤ人を侮蔑しました。彼らの無知はさながらことわざのようにして嘲られ、祝いの季節に彼らがエルサレムに上るごとに、その所作、衣服、言語の調子など市民の物笑の種でありました。彼らは強い喉音で話をするために、口を開くや否や、その郷里は露われました(新約聖書 マタイの福音書26章73節、マルコの福音書14章70節)。その喉音のなまりから時には滑稽極まる間違いを生じました。ガリラヤの一婦人がある時隣の人に『お出でなさい。バターをご馳走致しましょう』と言ったが、『獅子に食われなさい』と聞こえたと言います。ユダヤ州民がガリラヤ人を嘲るにはいささか妬みの意味もありました。ユダヤ州は土地がやせているのに引き換えてガリラヤは肥えているのが、彼らの妬みの原因でありました。(中略)ユダヤ州民の侮辱はもちろん謂(いわ)れのないことでありました。彼らのことわざには『ガリラヤから預言者は起こらない』(新約聖書 ヨハネの福音書 7章52節)と言ったけれど、事実はイスラエルの偉大な預言者にしてガリラヤ人なるもの数名に及んでいます。その生まれはギルアデのティシュべの出であったけれどもエリヤの活動の舞台はガリラヤであってその後継者アベル・メホラのエリシャの舞台もまたここでありました。後年に及んで女預言者アンナは言うまでもなく、また聖パウロはキリキヤのタルソに生まれたけれども、聖ジェロームのことばによればその両親はギスカラにおったガリラヤ人で、ローマに捕虜となって後、許されたものだと言います。さらに一層歴史上忘れるべからざる一事は、一度はユダヤ州民に侮辱され、嘲笑されたガリラヤ人が『われらの主イエス・キリストの尊き肉と血とをもって祝福され、聖別され、ここに祝福豊かなる御足の跡を印さんがために、処女マリヤより肉と血とをもって生まれ給える』地上において最も神聖な地方と崇められるに至ったことであります。ガリラヤは救い主に家庭を奉り、ユダヤはこれに十字架を供えたのであります。

2 ナザレ

 ガリラヤ連山の間、断崖急にエスドラエロンの平原に落ちる所に、まるい窪地があります。その北西の坂に群がるナザレの部落こそ、この聖なる幼子が『ますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛され』(新約聖書 ルカの福音書2章52節)育たれた場所であります。ナザレの村民は、ガリラヤ内地の住民の間にすらも評判宜しからず、『ナザレから何の良いものが出るだろう』(新約聖書 ヨハネの福音書1章46節)とのことわざさえもありました。イエスがその伝道の中途にこの村を訪れて、会堂において説教されたときの彼らの行動によっても、その感情的な狂暴な性状が窺われます。しかし村民にこのような欠点あるにもかかわらず、ナザレは慕わしい土地であって、殉教者アントニナスがここを天の楽園に凝し、賛嘆おく能わざりし価値は十分であります。家屋は村を囲んだ山々から切りおろす純白の石灰石をもって建築しました。ユダヤ教聖典中、ささげものの酒に用いるべき葡萄の産地として『山上の白き町』と称するはこの外観から察してナザレの村を指すに違いありません。村は四方に聳え立つ山々に囲まれているけれども、一度その懸崖の頂に攀じ登れば、雄大なパノラマは眼前に開展するのであります。北にはレバノンの山脈および雲を戴くヘルモンの高峰烟波に霞み東にはヨルダンの渓谷並びにギルアデの諸山を展望すべく、南にはイスラエルの歴史に名ある古戦場エスドラエロンの平原、西にはカルメル山と地中海の閃くのとが、この一幅のパノラマに収められる光景であります。山の麓を『西の大道』すなわちダマス地中海沿岸諸港との間を往来する商船隊織るように辿るいわゆる『海への通路』廻り、南には商人の引きも切らず打ち続くエジプト街道と、祝いの近づく頃には巡礼の幾百団体が都へと喜び勇んで志すエルサレム街道が通じています。

2023年2月8日水曜日

『受肉者耶蘇』(6)降誕のその年、その日

10 エジプトへ逃れられる

 ところが幼弱の贖い主(イエス)は、暴君の毒手を免れなさったのであります。降りかかる危険を予知することのできたヨセフは、その妻マリヤとともに主を守りながら、夜に紛れてエジプトへ下りました。この因縁浅からぬ国は、祖先が圧制の下に苦しみ、またユダヤ民族としておびただだしい国民となり、大変栄えた所であります。ここに落人は安住の隠れ家を求めることができたのであります。伝説によれば、この一家は一ヵ年の間、血に飢えた暴君の世を去るまで滞留したと言います。このようにして再びイスラエルの故国に引き返して、幾年月を留守にしたナザレの家に落ち着きました。

11 新時代の紀元であるイエスの降誕

 恩寵に満ちている主の降誕が、世界歴史の分水嶺と認められるに至ったことは主に対する著しい貢物であります。主の出現し給うまでは、ローマ市建設の日をもって年号の紀元とせられました。ところがその降誕は間もなく新世界出現の時と認められることになりました。つまり紀元六世紀の半ばごろローマの一修道院の院長ダイオニシアス・エキシグアスがその書シクラス・バスカリスのうちにキリスト教徒は爾後この最大事件をもって年号の紀元となすべきを主張しました。この主張はたちまち全教会の採用するところとなりました。しかしキリスト教徒の紀元はダイオニシアスの計算に幾年かの誤りがあることが明らかで、主の降誕は歴史上最も大事件であるにもかかわらず、その確かな時日を定めることは困難であります。いや到底不可能と思います。

12 その年

 イエスの降誕はヘロデの死んだ紀元四年の春より前であったことは確かであります。しかし幾年前であったかにいたっては、ただ近いと思われるころを定めるしかありません。つまりその降誕はクイリニアスの戸籍調査が行われた間でしょう。これはローマ帝国の最初の登録であり、紀元前八年であったとあるこの資料には間違いがないものと思われます。しかしユダヤの戸籍調べはヘロデに種々の難題があったため、著しく延期したものと思われるのであります。時はあたかも彼がその子アレキサンドルとアリストプラスとを誅せんとして惨憺たる難戦の最中に当たっています。そして彼は紀元前9年か8年かに、その窮状を皇帝に奏上するためにローマに上りました。帰ってみると彼の不在に力を得、また不逞のアラビヤ王シルリウスに唆されたツラコニチスの凶徒のためにユダヤは蹂躙尽くされていました。彼は軍を率いてアラビヤに進んだが、機敏なシルリウスはこれを防ぎながら、一方ローマ皇帝アウグストに書を送って、ヘロデの侵入は暴虐無道の攻撃であると、その窮状を訴えました。激怒した皇帝はヘロデに激越な書を下して『従来、予は汝を遇するに友人の礼をもってせり、しかれども爾後汝を遇するに家臣の例をもってすべし』と通告しました。惨憺たる苦心の結果、憐れむべきヘロデは皇帝の信任を辛うじて回復しました。このようにして戸籍調査に取り掛かるべき時は満二ヵ年も流れ去りました。ゆえにその実行は紀元前5年であったと信じられるのであります。

 また聖ルカはバプテスマのヨハネの事業を開始したのをポンテオ・ピラト(紀元前25年〜35年)の知事のとき、テベリオ政府の第15年すなわち紀元25年であったと言っております。テベリオ政府はその即位の紀元14年から始まったのでなく、彼が自らアウグストの同輩なりとして『領土において、軍隊において、同等の権威』を有すと僭称した紀元11年に始まっているのであります。したがってもし紀元26年の初めの頃、受洗の当時三十歳(新約聖書 ルカの福音書3章23節)に達せられたとすれば、イエスの降誕は紀元前5年であったはずであります。同時にこの計算が、イエスの伝道開始当時、過越の祝いをエルサレムで守られた年が、ヘロデの建築になる神殿の起工後第46年(新約聖書 ヨハネの福音書 2章20節)に相当するものとよく照応します。ヘロデは紀元前37年に王位に即いたので、神殿再興の工事を起こしたのは、その在位の第18年、すなわち紀元前20年であったとすれば、この過越の祝いはまさに紀元26年となるのであります。

13 その日

 西部キリスト教国では主の降誕の日を12月25日に守ることにしています。しかしこれは間違いです。主の降誕は牧羊者がユダヤの野に、その群羊を守ったときとあります。ところが羊を牧場に放つのは過越の祝いのころから冬の初め10月の半ばごろまでであります。したがってその降誕は四月から十月の間でなければなりません。西部教会が何故に十二月二十五日と定めたかは確かにわかりません。この月の終わりの頃ローマにはサターンの神の祭りを行って宴席に己れを忘れながら騒ぎました。淫楽に耽りつつではありますが、なおこれは平和と歓喜の季節でありました。その期間には戦争を起こし、あるいは罪人を罰するのは不敬虔とされ、また友人間で贈り物を交換しました。特に記憶すべきは、丸一日奴隷に自由を与える不思議な習慣であります。当初のキリスト教徒は多く奴隷の境遇にいたもので、異教の同胞が放蕩にその自由の一日を費やす隙を、彼らは尊い血をもって彼らを贖い、神の子である光栄ある自由を与えるため、罪の束縛(※)より彼らを救い給える、彼らの主の降誕を祝しつつ、厳かに、この日に祭りを行ったのは当然でありましょう。

※新約聖書 ローマ人への手紙 7章21節 私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。

以上で『受肉者耶蘇』の 第一章 奇蹟的降誕 は終わります。次は 第二章 秘かに忍ばれる三十年 です。

2023年2月7日火曜日

『受肉者耶蘇』(5)博士とヘロデ王

7 全世界贖い主の降誕を待つ

 救い主の降誕を示されたものはイエスラエルの国内に数少なくありませんでした。ユダヤ国民がローマの圧政の下に苦しんだこの暗澹たる時代に、救い主を待つ希望はいよいよ盛んになり、間もなく贖い主は来られるという信念が生まれてきたことは不思議ではありません。このように主の降誕はもはや少しの猶予もない、国民の切迫した要求でありました。なお不思議なのは、聖地だけでなく、広く世界にこの熱望がみなぎっていたことであります。 

 もし『ちかづき来る事件には予表がある』ということわざが真であるなら、世界歴史のこの最大事件に予表があるのは当然であったことでしょう。宗教改革当時、ある人は、欧州の危機とも称すべき戦争が相次ぎ、秩序がまったく破壊され、不信感がはびこったとき、『全世界が大害悪の産褥にあった』と言いました。時が満ちて、神がその御子を遣わさんとされている時代もまさにその通りだったのです。ブルタークの書物にも一つの物語があります。(略)

 このような物語は数多く、イエス降誕の当時、人心に希望が絶えていたことを示すのに十分であって、まるで世界の太陽が没して、夜が次第に更けて行く心地だったのです。このような事情下にあって恐らくイスラエルの希望が国外まで伝えられ、異教徒も等しく眼をユダヤに注ぎながら、救い主を待望したのでありましょう。

8 星に導かれて博士ら来る

 このことから考えると、救い主の降誕にあたって、異教の人々が遠国から訪れて来たのは怪しむに足りません。『見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました」』(新約聖書 マタイの福音書2章2節)彼らは占星学者でした。

 宗教が力を失い、迷信がこれに代わって跋扈(ばっこ)したころには、彼らの職は非常な勢力でありました。その本拠は神秘的な東洋でありましたが、なお西方、ことにローマにおいてもカルデヤの占い者が、その型にあたるもので、無知な群民だけでなく、政治家や国王の上にまで恐るべき勢力をふるったのであります。(今訪れて来た彼らが献げた礼物が三種あったところから、人数は三人で、カスパル、メルキオル、バルサザルと言う名の国王たちであったと言う伝説があります。)

 彼らははるかに遠いその本国で不思議な星を見たと言うのであります。すでにその当時に天文学上の新たな現象があったという証拠があります。博士たちはその現象を見逃さなかったのであります。彼らは視界に漂う不思議な星の出現を見て王者の降誕の予表として歓呼して迎えたのは自然でありました。彼らは事が起こった場所を知りませんでしたが、それでもふさわしい礼物を調えて、この場所を探り求めるために故国を後にしたのです(旧約聖書 創世記43章11節、1列王記10章2節参照)。

 西に辿るにしたがって世人の期待する所はユダヤに集中することを知ったことでしょう。こうして彼らは足をエルサレムへと転じ、故国を出て二年目に、目的の地に到達しました。そして彼らはしきりに「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました」と尋ね求めたのであります。

9 ヘロデの警戒

 その降誕が星の出現をもって予告せれたことを信じることができるならば、このユダヤの王が救い主でないとしたら、何者と言えばいいのでしょうか。市民はこのために騒ぎ立ちましたが、ヘロデには警戒すべき事態です。

 彼は巧妙な術策を用いて王位を奪いましたが、臣下が自分を憎んでいることを熟知していました。彼はローマの庇護により、わずかに王冠を奪取し得て、今その地位をほしいままにしていたのです。日夜王位を奪還されるのを恐れながら心の休まる日はありませんでした。そのため自分の身を守り、子孫の領土を安泰にするため、たくさんの無辜の血を流し、その毒手を染めたのであります。(中略)

 今彼は自分をはじめ子孫を位より放逐するユダヤ人の王が新たに降誕されたと聞き、これまでの暴挙も、計画も、犯罪も、無益となってしまうのを憂えました。だからどんな手管をつくしてもこの危険を除かねばなりません。

「彼の残忍なる決心」

 ついに彼はこの幼い贖い主を屠ろうと決心したのです。しかし先ず第一にその贖い主を発見せねばなりません。彼はこれをサンヒドリンに問う以外にないと考えました。彼は三十年前にこの重要な機関を破壊したが、その後まもなく再興されました。今や暴君は救い主の降誕の地域を質(ただ)したいばかりに、このような問題には唯一の権威だとされるこの機関を、平素は軽蔑しているにも関わらず、諮問を下すために召集しました。 

 『ベツレヘムに』とは預言者の書により一般の確信となっているところに従った彼らの答えでした。ヘロデはすぐに占星学者を引見して、ベツレヘムに赴きその幼子を探せと命じ、幸いに発見できれば、自分も拝みたいので帰って報告せよと命じました。これは見え透いた企みでした。その昔、術策に富んだ外交家とも思えない拙策でした。齢傾いた暴君も、昔のままの猜疑、凶暴の本性に加え、気が衰えるにつれて悪虐の手段が陰険卑劣となってきたのであります。

 その企みのあまりにも見え透いていたことと、一方天によって導かれる博士たちを欺くことはできませんでした。博士たちはベツレヘムに赴いて、幼子を尋ね遭い、黄金、乳香、没薬などの贈り物を献げて礼拝しました。当時の古風な注釈法により、コンスタンチノープルの敬虔な修道士は言います『黄金は王者の表徴だ。王に捧げる貢には黄金を用いるからだ。乳香は神を祭るを象徴する。乳香は神を祭る際に焚く乳香である。没薬は死屍を象徴する。没薬をもって昔は死屍に塗り、腐敗と臭気とを防ぐためである』(これはキリストの三つの職分、王者、祭司、犠牲を象徴する)。博士らは幼子を探し当てたにもかかわらず、ヘロデのもとには帰りませんでした。他の道を求めてそれぞれの国に帰りました。

 小康を得られた王者(註:嬰児イエスのこと)は、なお暴君の狙いを逃れられることはできませんでした。星の出現を二ヵ年以前だとすれば、嬰児の降誕もまたその間にちがいありません。すなわち彼はベツレヘム並びに付近の2歳以下の男児をことごとく虐殺すべきことを命令しました。福音書の記者は巧妙な機転をきかせて、この悲劇に古の聖句を引用しています。曰く

『そのとき、預言者エレミヤを通して言われたことが成就した。「ラマで声がする。泣き、そして嘆き叫ぶ声。ラケルがその子らのために泣いている。ラケルは慰められることを拒んだ。子らがもういないからだ。」』(新約聖書 マタイの福音書2章17〜18節)

と、ラマはベテルと『エフラテすなわちベツレヘム』との間、ベニヤミンの境にある村であります。昔ヤコブはその妻ラケルが悲しみの子ベニヤミンを産んで死んだ時、ここに亡骸を葬りました。その墓が道の辺りにあって、イスラエルの民が捕囚としてバビロンに引いていかれる途上、その墓のそばを過ぎることを思い、エレミヤはさながらラケルがその子孫の不幸を嘆くと感じたのです。後年の物語にはラケルの墓をベツレヘムと記しています。すなわち福音書の記者は無垢の小児の虐殺を嘆く声をラケルが子孫のために泣いたことを適用したのであります。

2023年2月6日月曜日

『受肉者耶蘇』(4)待望する神の人

初めに

 年初のお約束と異なり、このところ私自身のエッセーが連続してしまった。本年は昨年度の青木澄十郎氏のマルコ伝霊解に次いで、David Smithの『The Days of His Flesh』の未完了部分を補充したい意向を持ってスタートしたが、予定に対してその作業が中断した形になってしまった。それこそ、昨日のエッセーで触れた、予定線路を大幅に曲げて「足利市駅」開設に至ったみたいなもので、本来の予定から連載が大分遅れてしまった。それで二、三日少しエッセーから離れて、『The Days of His Flesh』の1/25(3)「牧羊者の群れ」に接続する部分を紹介することにする。

 5 敬虔な志士

 この時のイスラエルの宗教はいたく衰退していました。国の祭司はサドカイ派に属し、教師はパリサイ派でした。しかし、そのうちに二、三の隠れた神の人、敬虔な志士が残っていて、聖書に霊性を養い、信仰と祈祷とのうちに静かに世を送りながら、神の約束と希望とを胸に秘め、暁の曙光を待つように、救い主の出現を今か今かと待ち望んでいたのであります。そのうちの二人に主の降誕(advent)は示されたのです。

「イエスの割礼」 

 このことは実に主の降誕後40日目のことでありました。ユダヤの律法にしたがって主は生後『八日が満ちて割礼を施され』(新約聖書 ルカの福音書2章21節参照)、そしてその名をイエスと命名されました。この名はイスラエル人の間では神聖かつ英雄的な名でありました。思うに、ヨシュアと同じ意味でモーセの後継者がそうでしたし、ゼルバベルを助けて神殿を再興し、ゼカリヤに現われた幻を実行した忠信な祭司もヨシュアと名乗りました。

6 イエス神殿に詣でる

 一か月の後マリヤはヨセフに付き添われ、律法にしたがって身のきよめの供物を献げ、なお長子の生命の贖いとして五シェケルの金を納めるため幼子を抱いて、ベツレヘムからエルサレムに上りました。きよめの供物は通常小羊を用います。しかし貧しい者に対しては『二羽の山鳩か、二羽の家鳩のひな』で許されました。言うならば、この『貧しい者』の献げ物がマリヤが辛うじて献げ得たものであったのでしょう。

「シメオン」 

 この国運すでに傾きつくした暗黒の時代にあって、なお天よりの曙光が輝き、イスラエルの平安がもたらされるべき将来を期待しながら待っている人々の中にシメオンと称する年老いた聖徒がおりました。彼は『主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けており』(新約聖書 ルカの福音書2章26節)、まるで獄屋に入れられた囚人のように自由の日を待ち焦がれていたのです。

 今聖き一家が詣で来るにあたり、老聖徒は祈るために神殿に詣でていたのですが、幼子を見るやこれを腕に抱き取り、心は歓喜にあふれつつ神を賛美して、『主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです』(新約聖書 ルカの福音書2章29〜30節)と言いました。

 主に関する聖書の示しを瞑想した老聖徒の期待は空しくならず、世人が当時の全世界を征服すべき大王の出現を夢見ていた間に、彼は苦しみを負う贖罪の預言に心を留めたのであります。彼は将来をマリヤに預言して『ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また立ち上がるために定められ、また反対を受けるしるしとして定められています。剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現われるためです』(新約聖書 ルカの福音書2章34〜35節)と伝えました。

「アンナ」

 シメオンのことばが終わらない間に、また一人の聖徒がそこに現われました。名前をアンナと称す女預言者で『この人は非常に年をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、その後やもめになり、84歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた』(新約聖書 ルカの福音書2章36〜37節)とあります。アンナは、側に立ちつつ、口の裡に神を賛美し、やがてここを出て、主がイスラエルに現われるのを熱く望みながら、これを喜び迎える準備を整えた『エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に』(新約聖書 ルカの福音書2章38節)、この聖なる幼子の降誕を語りました。

2023年1月25日水曜日

『受肉者耶蘇』(3)牧羊者の喜び

 「牧羊者の群」

  いわゆる全世界の主アウグストは、金色輝く宮殿にあって、そのローマ大帝国が滅亡して、その栄華も過去の名残となった後に、彼が侮蔑するユダヤの国に、その御名は日とともに長く輝き、その領土は四海に及ぶようになる君主が降誕するとは夢にも悟らなかったのであります。神は賢者、達者にこれを隠して幼児にあらわされたのであります。

 この夜、牧羊者の一団は、その昔ダビデが父の羊を守り、アモスがいちじく桑の樹を作りながら家畜を率いたベツレヘムの郊外で、羊の群れを監視していました。彼らは元来大胆不逞、世をも人をも物とせぬ連中であります。聖書のうちには美わしく描写されるこの職は、後世まことに賤しいものになってしまいました。ラヒ・ゴリオンは「息子をロバの馭者、ラクダの馭者、理髪師、水夫、牧羊者、旅館の番頭にならせるな、彼らの職は盗賊の業に異ならない」と言いました。

 ところが主の降誕の布告は先ずこの牧羊者に授けられたのであります。彼らが星影燦々たる蒼空の下に頭を垂れながら、歌と笛とに、徹夜の無聊(ぶりょう)を慰められている時もあれ、天使は頭上に現われて、彼らが驚き騒ぐのを鎮めながら『きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました』との喜び極まる音信(おとづれ)を伝えました。これこそまことに歓喜の音信、驚くべき祝福の音信であります。

 イスラエルに永い年月約束され、また彼らがこの永い年月待ち望んだ救い主は降誕されたのであります。その上、卑しめられていた牧羊者をすら贖わんがために降られたのであります。これこそ後年やがて示されることになる恩寵の尊い預表でありました。この伝令の天使は天より翻り降り、聖都の空を過ぎようとして、先ず荒野の漂泊の民である下賤の牧羊者を訪れ、救い主は義しい人を招くのでなく、罪ある者を招き、失われた者を求めて救わんがために降られたことを布告したのであります。

4 天使の歌

 天使はさらに言います。『あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これがあなたがたのためのしるしです』と、同時に天は開かれ、蒼空は天の万軍をもっておおわれて天籟(てんらい)に和しつつ、

『いと高き所に、栄光が、神にあるように。
 地の上に、平和が、
 御心にかなう人々にあるように』

との歌が聞かれたのであります。しばらくして幻は消えました。牧羊者は野を辿って走り求め、天使のことばどおりの嬰児を発見することができました。

羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。(新約聖書 ルカの福音書 2章20節)

2023年1月24日火曜日

『受肉者耶蘇』(2)降誕

3 処女より降誕

 このような人物(引用者註:神のふところにおられたイエスが人間としてお生まれになった方だということ)の誕生が他に類例のないことであるのは驚くには足りません。イエスは神の御手による新たな創造、天来の人物、第二にしてまたさらに偉大なアダムとして処女の胎内に、聖霊によって宿られました。その母マリヤはナザレの住民で、大工を生業とするヨセフと言う者と婚約しました。もし伝説が正しければ、彼はマリヤよりもはるかに年長でした。彼は親切な人物で、マリヤの容態を発見するや、できる限り、マリヤの恥を包むため、ひそかに破談して赦そうと考えました。ところがその目的を実行するのに先立って、驚くべき真理を幻によって示されたのです。

4 戸籍調査

 マリヤの臨月がまさに近づいて、わずらわしく考えられたにもかかわらず、なお、実は神の計画によって、夫ヨセフに伴われ、遠い旅に上らなければならないことになりました。政治に巧妙な皇帝アウグストはローマが誇って『全世界』と称したユーフラテス川から大西洋に及び、ブリテンからナイルの上流にわたりあらゆる征服した地方及び貢物を献げる諸王国を統治する大帝国内に、14年目ごとに一回、人口ならびに財産の調査を命じました。

 ユダヤがもし、後年のように一属地に過ぎなければ、住民はローマの規定に準じて、現在の場所で戸籍に登録されるはずであったが、当時はまだ一王国とみなされていたので、ユダヤの規定によって、それぞれ祖先発祥の地に赴いて調査を受けることになりました。

「ヨセフ、マリヤ、ベツレヘムに赴く」

 ヨセフは元来『ダビデの家、その血統に』属するので、ナザレから三日行程にあたるダビデの町ベツレヘムに赴くことになりました。マリヤの容態がこのようであるにもかかわらず、好奇心と悪意をもって眺める郷里の人々の間に、この特別の事情にある処女を残しておくには忍びず、ヨセフは彼女を伴って出発しました。

「救い主の降誕」

 ベツレヘムに近づいた頃マリヤの苦痛は襲ってきました。そのあたり商隊の宿舎に並んで、旅人の便宜を計る、東洋地方によく見る粗末な建物が見すぼらしく設けられていました。前庭の広場に家畜を繋ぎ、周囲の壁に沿って床をつけ、屋根を設けて、それをいくつにも区画して、旅人に宿るに任せたのです。時あたかも旅客がかなり多くなり、部屋は人で一杯だったので、マリヤはやむを得ず、牛やロバやラクダの類に混じって、前庭へ、秣(まぐさ)を褥(しとね)に代えて足を休めるほかはありませんでした。ここでマリヤは嬰児を産み、その嬰児のゆりかごとしては馬槽(まぶね)を用いたのでした。

 これこそまことに歴史に現われた類いないアイロニーの一例であります。すなわちローマがアラリック王の略奪にあった時(※)、帝都の貴族は男も女も競いつつ難をこの一小邑(しょうゆう)ベツレヘムに避け隠れたのであります。ところがまた自ら知らずして、この大帝国が栄光の主のゆりかごにと馬槽を献げる光栄に浴したこの神聖の小邑は、帝国滅亡の時に、家なく食なき帝都の敗残者に隠れ家を提供したのでありました。

※引用者註:410年のローマ略奪を指す

彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。(新約聖書 ルカの福音書2章6節〜7節)

2023年1月17日火曜日

『受肉者耶蘇』(1)イエスの先在

第一章 奇蹟的降誕

 『ああ、崇(たか)きかな、何故に斯くも卑しき厩に汝寝ね給える?
 流るる星の如く生まれ、馬槽(まぶね)に棄てられ給うはそも何人?
 ああ驚くべきかなイエス、人に対するその企てや!
 楽園より自ら好んで己れをこの世に棄て給う、
 ああ大いなるかな その愛。』
                   中世紀讃美歌

1 イエスの先在

 恵みに満ちている私たちの主、世の救い主、イエス・キリストの生涯には、地上に生きたどんな人とも異なる重大な一条件があります。それはその生涯が降誕の日に始まったことではないということです。聖ヨハネはその福音書の冒頭でイエスを『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。すべてのものはこの方によって造られた。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった』『ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た』(ヨハネ1・1〜4、14)と言っています。

 また聖パウロも簡潔なことばではありますが、聖ヨハネと同じように動かすことができない主張をしています。彼はイエスの誕生前の存在を堅く主張しているのです。彼はイエスの死後、一世代しか経っていないし、イエス在世当時の人々がたくさん生き残っている中で、これを読む読者が決して否定できない信仰の上で確定している一問題としてこのことを主張しています。『あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです』(2コリント8・9)『あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです』(ピリピ2・5〜7)

2 イエス自らの主張

 ここに驚くべき不思議があります。イエスの在世の当時、飲食されるのを目の当たりに目撃し、毎日相共に親しく交わった多くの人々がこのように考え、このように主張するに至ったイエスはそもそもどのような人であろうかということです。

 もし、イエスが自らこのように宣言せられなかったなら、彼らがイエスに対してこのようなすぐれた主張をなすことは到底できなかったことでしょう。これは実に福音書記者が一致している記述であります。イエスは自らこの世に降ったことを繰り返し宣言されました。『わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです』(マタイ5・17)と言い、『人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです』(ルカ19・10)『人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです』(マタイ20・28、マルコ10・45)(ヨハネ9・39参照)と称されました。またその宣教の危機迫ったとき不平を鳴らす弟子たちに対しては『もし人の子がもとにいた所に上るのを見たらどうなるのか』(ヨハネ6・62)と問い、その最後には『今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください』(ヨハネ17・5)と祈られたのです。

 その誕生はすなわち『降臨(Advent)』でありました。また、永遠の初めから神のふところにあった人格の『受肉(Incarnation)』であったのであります。

(David Smith『The Days of His Flesh』1~2 頁、日高善一訳1〜4頁参照)

2023年1月16日月曜日

『受肉者耶蘇』(序)

  昨年、私は本ブログをとおして一年間、新約聖書のマルコの福音書に関する青木澄十郎さんの『一日一文マルコ伝霊解』を紹介させていただいた。

 私にとってはこの試みは冒険を要した。それは青木澄十郎さんの全文を読んだわけではなく、彼がどんなことを書くのかもわからないまま、とにかく半分は興味本位もあって見切り発車し、続けさせていただいたものだった。

 何しろマルコの福音書は福音書の中でももっとも短いもので、初めから終わりまで読み通すには一日もかからないし、むしろ時間単位で読めると言ってもいいくらいの代物である。その福音書を一年三百六十五日にわたってせっせと『霊解』を書き続けられるだけでもすごいことだと思っていた。だからその著者の心を知りたいと思っていた。

 一年終わってみて、私がその試みに挑戦したことは正解だった。それまで福音書は何となくわかったつもりでいたが、青木さんの指し示す『霊解』などの助けを借りながら、一方では福音書そのものの精読から、今まで全く気づかなかったたくさんの恵みをいただいた。それは弟子に代表される私たち人間とイエス・キリストとの大懸隔とも言うべき「深い淵」の発見であった。

 その際、私は他の方の著書も途中から参考文書として付け足しさせていただいた。その中に『受肉者耶蘇』がある。この著書は100年以上前に、イギリスで刊行された『The Days of His Flesh』(David Smith著)が原著で、日高善一さんがこの名訳『受肉者耶蘇』を日本の江湖に紹介なさったものである。

 私がこの本の存在を知ったのは、David W. Lambertの『Oswald Chambers』を通してであった。その本の43頁に、オズワルド・チェンバーズが1907年(明治39年)に初めて日本に渡航する際について、次のように書かれている箇所があった。

The diaries of the voyage to Japan make fascinating reading. Chambers gave himself to reading, and we note among the authors on his list at this time were George MacDonald, Walter Scott, and Crockett; also, more serious, Westcott's Gospel of the resurrection and David Smith's Days of His Flesh.

 この箇所を私はうかつにも「デービッド・スミスの肉にある日々」と訳して澄ましていたが、それでも何となく心の中に残っていたのだろうか。それから何年か経って、デーヴィッド・スミスの『聖パウロの生涯とその書簡』(日高善一訳)を古書で手にし、その内容のすばらしさに目が覚める思いを経験せられたことがあった。

 その後、さらに『受肉者耶蘇』下巻を古書で見つけ、読み始めたが、何しろ上巻を飛ばして途中からのもので名訳であることは何となくわかっても言い回しが文語調で、やはり私の読書力では抵抗があった。そんなおり、昨年だったか。ふっと先ほど英文でお示しした箇所を思い出して、ああこの本はオズワルド・チェンバーズの愛した大切な本だったのだ、それは決してデーヴィッド・スミスの「肉にある日々」を述べたものでなく、彼が「受肉されたイエス・キリストの日々」をくわしく書いたものだったのだと改めてその重要さに刮目させられたのだった。

 もうお気づきだと思うが、私は英文を読む際、Days of His Fleshと認識せず、days of his fleshと大文字と小文字の違いを読み落としていたのだった。

 『受肉者耶蘇』は日高さん(※)の訳で上巻から国会図書館のデジタルライブラリーで読むことができる。最近、もちろん英文で読むことができることを知った。今年は昨年末の決心通り、少しずつその『受肉者耶蘇』をできるだけ今風に表現を変えながら、明日から単発的に紹介したいと思う。

※日高さんについては、以前、デジタルライブラリーで彼の訳「フランダースの犬」を読み、その苦心の訳業を知った。なお児童書「都を立て直した人の話」もデジタルでダウンロードできるが、この本は児童書とは言え、エズラ記、ネヘミヤ記を描いていて、いかに彼が聖書と日本人の心に通じている御仁であるかがわかる良書で、一読の価値のある本である。なお、この稿を起こすにあたり、同学の方がおられることを知った。日高さんのことはその方のブログ  http://www.patrasche.net/nello/human/06.html に少し紹介されている。