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2024年11月30日土曜日

この日は、我が自戒の日なり


 今日で11月も終わりです。昔、31日に満たない月を覚えるため、「二四六九十一(西向く侍)」と教えられました。そのためか、私には、不思議と何となくこの11月30日で今年も終わりだという思いにさせられる日です。それは私にとって12月師走に入る前に、一年の歩みを振り返りながら、もうここまで来てしまった、もう後戻りできないという切迫感にさえ一瞬とらわれる不思議な日です。そんなこともあって昨日の出来事をめぐって大いに考えさせられる日となりました。

 昨日、私は高校の同窓会に5年ぶりに出席するため新橋まで出かけました(3年間ほどコロナ禍のため、実施されず、昨年は実施されたようですが、たまたま私には案内が来ませんでしたので欠席していました)。前日まで、先週の土曜日からの二泊三日の郷土帰りの強行軍が災いしてか、体調がずっとすぐれず何度も行くのを断念しようと思いました。結局、土壇場まで、逡巡に逡巡を重ねながら、勇を鼓して出かけることにしたのです。結果は、幸い体も守られ、かえって元気が与えられ、家に帰って来ました。出席者は私をふくめ21名(男性16名、女性5名)でした。

 都合三時間の間を利用してそれぞれが近況報告をしました。普通の集まりと違って。お互いに同年なので、今更、歳を経たことの苦しさを訴えるでもなく、その置かれた状態でどのように今生きているかの証、それに互いが耳をそばだてる集いだったように思います。それはもうほとんど全員が八十余年の年月を経て満身創痍の身であり(たとえ自分は健康であっても配偶者が健康を失っていたりしている場合もあり)、そのことにおいては一人の例外もないからであります。

 分けても寂しく思わされたのは、やはり多くの物故者のお名前を知らされたことでした。それぞれの方との関わりを思い出すにつけ、それらの人々とはもはや語り得ない、もう逝ってしまったという寂寥感は覆うべくもありませんでした。特に生前元気であり、会の主メンバーの一人でもあったM氏が10月に亡くなり、彼の奥様が写真をもって我々の集まりに「主人が喜ぶだろう」と言って参加されたのには、痛々しい思いがしました。もちろん、皆さん、奥様の来会を喜ばれ、それぞれが同君との思い出を語る貴重なひとときとなったことは言うまでもありません。

 一方私は、何とか同窓生の方に、「イエス様は、私たちのように座して死を待つばかりになっている人間に、ご自分のいのちと引き換えに永遠のいのちを与えてくださったお方だ」と個人的にご紹介したいと思っていましたが、そのような機会は与えられませんでした。

 ただ、皆さんと三々五々別れる時に、以前から私に「福音」について聞いてこられた方が今回の同窓会にも出席されていましたので、その方にだけは「死は終わりではない」というベック兄のメッセージの載っている小冊子をお渡ししました。私としては、何とかその小冊子がその方にとって「福音」となるようにと祈るばかりです。

 このように、わずか三時間の同窓会でしたが、来年度の幹事は早速その場で決められ、今日は今日で、手際良く、昨日の会計報告がメールで送られて来ました。今、私は許されれば来年の同窓会にも、出席したいと思わされています。冒頭、11月の末日に当たり、考えさせられる点がありましたと述べましたが、過去のブログ記事をこの機会に再読してみて、忘れていることばかりで、その時には切実に思い、決心して同窓会に出席していたのに、今ではいい加減になって、すっかり初心を忘れていることを自戒せざるを得ませんでした(※)。

https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2013/12/blog-post_9.html
覚えていなかったのですが、上記ブログでM氏について少し触れていたのです。そこから換算するとM氏はまさに10年余り、病に伏しておられたことになります。

https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2018/06/blog-post_23.html

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(新約聖書 ローマ人への手紙 6章23節)

もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。(新約聖書 1コリント15章19〜20節) 

2024年4月25日木曜日

復活の熱情(3)大指導者

今日は、ベニカナメの剪定作業に汗を流しました。と言っても、小一時間というところでしょうか(実際は二時間ほど費やしましたが・・・)。長女が剪定ばさみ、脚立を積み込んで都下東大和から駆けつけてくれました。昨日は雨だったか(もはや記憶も定かでないボケ老人の感覚でしかありませんが)、明日はどうなのかわからない天候不順の折、今日しかないと思い定めて来てくれました。

昼食は有り合わせのものを長女自身が作って、「自作自演」っていうところでした。普段中々交われないお互いですから、食べることよりも、どうしても話が弾みますが、遠路ゆえ、それもままならず、二時過ぎには元来た道を急いで帰って行きました。

いつの頃からか、高齢世帯である私たち夫婦を心配して、様々な作業にかこつけてはご機嫌伺いに来てくれます。

今日の写真は庭のブルーベリーの写真です。ただし上の写真は随分昔の写真で自分としては気に入っている写真で、過去のブログにも登場しているはずです。それを見るといつの頃かわかるのですが、多分、今よりはもう少し後の頃だと思います。今日のブルーベリーは、左端の写真です。しかし、この前も雨にも関わらず、大きなヒヨドリがちゃっかりここに潜り込んで、花を食べにやって来ました。猿知恵ならぬ「鳥知恵」はすごいです。仕上がりのベニカナメも載せたかったのですが、まだまだ剪定が不十分で父(とっ)ちゃん刈りなので載せませんでした。

さて、「復活の熱情」は今日で終わりですが、大指導者とは言うまでもなく、イエス・キリストです。この方が、今に至るまでどのように働かれているかを聖書に則って著者は丁寧に説明しています。私は新約聖書二十七巻、特に「使徒の働き」をコンパクトにまとめ上げた叙述だと感心しました。お読みになるみなさんの上に神様の祝福が大いにあらんことを祈ります。


三 大指導者の熱情 

 人々は、指導者に好意を持つ。頭脳においてであろうと体力においてであろうと、他の人に抜きんでた人物は、常に人を引きつける。その人気が続くかぎり、彼が何を事としていようと、人々は、彼のために生き、また死のうとする。それが共産主義とスターリンであれ、大英帝国とチャーチルであれ、または他のどのような結びつきのものであれ、世界の人々は今日においても、平和と繁栄とを約束し、各自の理想を実現させてくれるような指導者を求めてやまない。

 復活のおかげで私たちは、名ざしうるあらゆる人物にまさる指導者を与えられている。時代も、事件も、悪意や失策も、彼を押えつけておくことはできない。このようにして、私たちは、メッセージを伝えるときに彼の権威を保証されているだけでなく、また、その企て自体に、彼の助力を仰ぐことができるのである。

 聖書は彼の指導の方法についてどのように述べているかを見ておこう。彼は弟子たちを、まず、新しい世界に直面させられた。エルサレムの二階座敷をあとに、この小さな群れは、文化的な、しかし冷笑的な世界に、十字架の福音を携えて進んでいったのである。異邦人にとっては、十字架につけられたユダヤ人を信ずればその人は救いを約束される、というような不合理な宗教行為は、愚の骨頂に聞こえた。ユダヤ人にとっては、木にかけられた者をなおメシヤと呼ぶことは、瀆神もはなはだしい主張であった。この群れのだれにとっても、この奇異な福音を、ギリシア哲学やユダヤ的律法宗教に負けない、世界宗教とする伝道計画を立てることは、不可能であった。その彼らを、よみがえりのキリストは、エルサレムに引き止めて、上よりの力を着せられるまでは待つように導かれたのである。彼は弟子たちに、メッセージを、あかし人として語るのであって、演説家、雄弁家として語るのではない、とさとされた。教会を建て上げるのは、主ご自身でなければならなかったのである。「主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた」(マルコ16:20)「主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった」(使徒2:47)。

 彼は、事をどのように進めるかについても、彼らを導き教えられた。御霊を通して、方針、組織、計画におけるあらゆる主要な変更事項が啓示されるように、取り計らわれたのである。教会の社会事業のための七役員の選任、異邦人伝道の開始、異邦人回心者の立場に関するエルサレム会議の議決、ローマ帝国の伝道のために通る道筋ーーすべては彼によって決定された。彼は必ずしも、そのしもべの死を免れさせてはおられない。そのようなときにさえ、働く人はなくても、働きが停滞するようなことはなかったのである。彼らのために、彼は時にはドアを開き、時にはドアを閉じられた。彼らが反対に直面したときは、大胆さを与えられた。こうして彼は、敗北の中からひねり出すようにして勝利を導き出し、ローマ帝国のすべての植民州で、奴隷のあばら家からカイザルの宮廷に至るまで、人々がよみがえりの主の福音を知り、信じ、愛するようにされたのである。使徒教会に犠牲的忠実さを喚起したもうた主の助力は、今日の私たちが仰ぐべきものでもある。よみがえりのキリストは、依然として前進を試みておられ、私たちがそれに歩調を合わせることを求めておられる。教会において、商店において、田畑において、会社において、更には、貧民くつにおいても、教室においても、アラビアの砂漠においても、チベットの山においても、また南米のジャングルにおいても、彼は、最初の弟子たちに求められたのと同じ無条件の信仰、同じ不動の忠誠を私たちにも期しておられる。また彼は最初の人々に与えられたのと同じ導きと同じ保護の手を差し伸べておられる。彼は死を征服されたかたであるゆえに、私たちを、その勝利の行進にあずからせ、また、熱心に、歓呼の声をあげつつ、彼に従う者とさせて下さるのである。

導きたまえ 永久(とあ)の君よ
進軍の日 今しきたれり
戦いの野の なが幕屋こそ
今よりのちの われらが住み家
なが御恵みに 強くせられて
備えの日は 今こそ成りね
永久の君よ われらが主よ
高く歌わん 戦いの歌を

導きたまえ 永久の君よ
従い行けば 恐れは去りぬ
恵みの御顔 われを守れば
朝日のごとくに 喜びあふる
十字の光に 照りいだされて
われらの旅路は 輝きぬ
勝利の冠 われらにあり
導きたまえ 大能の神よ
    (アーネスト・W・シャートレフ)

2024年4月17日水曜日

復活の効力(序)

往く春や 白さも白し 花ありて
今年のイースターから日を数えてみると、今日は十七日目になる。イースターの日に青春18切符で、東海道線の鈍行に乗り、西下した。その際(長い乗車)時間潰しのために、一冊の薄い本『キリストの復活』(1962年初版)を携行した。少しずつ読んでいったが、中々難解であった(※)。しかし、こうして読み進めていってみると、著者はいったい何を言わんとしているのか、最後まで読み通したいと思うように変えられていった。二章「復活の予測」は後回しにし、先ず四章「復活の自由」を読み、その後一章「復活の事実」、三章「復活の信仰」と読み進めてきたが、今日から五章「復活の効力」という題名の個所を読んでみることにする。

考えてみると、イエス様は使徒の働きの以下の記述

イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。(使徒1:3)

によると、復活後四十日間、姿を現されたことがわかる。その伝にしたがい、今の時間に当てはめると、まだまだ主はご健在なのだ。なぜなら今日は十七日目だから。まだ復活後の生活は二十三日間続き、生きておられることになる。いよいよ、主の復活の意味をメリル・C・テニー氏の記述に従って考えていきたい。以下は五章「復活の効力」の序文である。

 私たちのほとんどは、復活を、今ここに存在する現実とはおよそ無縁なある事、と考えている。それは、時の功で今では、美しいが現実的ではない、ほとんど伝説的になった遠い昔の一事件、または、現世という地平線のはるかかなたに想像することさえ容易に許さない、未来をひたすらに望ませる、一個の信仰箇条といった程度のものとされている。しかしほんとうは、キリストが、歴史の一点で、死人の中から復活されたということは、神が私たちの中で今日に至るまで及ぼし続けておられる力についての、人間に対する最もめざましい例証にほかならない。それは、形式においては、私たちの現在の経験を越えたものである。しかし、質においては、異なるものではない。客観的に表現するとすれば、私たちはそれを、次のようなものであると信じている。すなわち、それは、キリストの人格において立証された時間とともに変化することを特徴とするもので、キリストにあって死んだ者がよみがえるいつの日にか、再び現わされるものである。しかし、主観的に言えば、その力は、今ここで、ありふれた生活条件の中で、いくらでも手に入れることのできるものである。

※この本は私が1970年、洗礼を受ける前に、買い求めたもので、自分がどの程度理解したのか覚えていない。いや、理解できていなかった。それから程なくして結婚に導かれている。結婚相手は何よりも私の洗礼を願っていた。私の洗礼は、結婚条件を満たすための滑り込みセーフの洗礼であった。そういう意味では、このわずか91頁の小冊子(定価100円)は、当時の私がキリスト信仰について右も左もわからないまま、とにかく「真理」を飲み込んだ本である。ただし、この本は当時のキリスト者が信仰良書選のトップバッターとして出版したくらいだから、かなり信頼のおける本ではなかったかと思う。

神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて・・・。(新約聖書 エペソ人への手紙 1章19〜20節) 

2024年4月15日月曜日

復活の信仰(3)目的に対する


年甲斐もなく、家の近くを走っている列車を、待ち構えて撮った。東武沿線に住んでいるので、鉄道マニアがよく線路沿いの柵にへばりついてはカメラを向けておられるのを何度も拝見してきた。まさか自宅において自分がそれらの人となるとは思いも寄らなかった。先週水曜日に日光に出かけたが、それはそれで目的を果たせたが、土曜日に「新美の巨人」という番組で「春の旅、日光江戸の美」とあったのでいったいどんな日光の風景を写しているのだろうかと期待して見た。ところがその番組名には続きがあった。「列車東武鉄道スペーシアX」とあったのだ。うっかりこれを見落としていた。だから、私の期待に反したものであった。第一「青春18切符」利用の日光行きとスペーシアX利用の日光行きとは土台、出発点からして条件が違っていた。

もちろん、かと言ってその番組を見たことがそもそも全面的に無駄だったわけではない。私の知らない世界を知ることができたのは有益であった。それだけでなく、次男の勧めもあって日曜日の夜には情熱大陸という番組で「特急やくも箱根遊覧船斬新なデザインと内装」という番組まで視聴するハメになった。スペーシアXにしろ、特急やくも箱根遊覧船にしろ、様々な社会の必要を考慮しながら、作品は誕生しているのだ。デザイナーはその一翼を担っているのだと理解した。

イエス様は目的をもって、33年というその短い人生を終えられた。しかし、そこには〈復活〉という大きな目的があった。その目的はすべて私たちのためであった。短いながらも下記のメリル・C・テニー氏の叙述はそのことを明らかに示している。

三 目的に対する信仰

 イエスの地上の生涯は、短くはあったが、目的とかみ合わされていた。その目的を彼は、弟子たちがあの偉大な告白によって、彼をメシヤまたは神の子として見るという態度を確立したすぐあとで、彼らに宣言された。「その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえられなければならないことを弟子たちに示し始められた」(マタイ16:21)。彼の言葉づかいは、死と復活とが彼の生涯の主要目的であるということを明らかにしている。同じ印象は、福音書全体の構造からも感じさせられる。と言うのは、彼の生涯の最後の一週だけに、記者たちの叙述の三分の一がさかれているからである。「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです」(マルコ10:45)。

 彼は、ご自分の死が、人間の運命に独特な効果を及ぼすということを教えられた。だが、彼の死が、道徳的な価値において、他のいかなる宗教の教師の死よりも大きいのはなぜか。同じ事は、ソクラテスについては言えないのだろうか。彼はその命を、人類の進歩とアテネの青年の利益になるように、ささげたのではないか。イエスがただ死なれただけであったなら、その死は、殉教者の死、または時代に先んじた一預言者の悲劇的な最後と受け取られたであろう。しかしそれでは、罪人の救い主のあがないの死と呼ぶことはできないのである。あがないは、死んだ者の価値に基礎を持つものであって、死の事実によるものではない。そして、復活によって証拠だてられるような彼の人格の特異性こそ、彼の死が単なる英雄的行為ではないということを、はっきりと立証するものなのである。「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです」(ローマ4:25)。 

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。(新約聖書 エペソ人への手紙2章8〜10節)

2024年4月14日日曜日

復活の信仰(2)人格に対する

川堤 ひときわ目立つ 八重桜
今夕は暑くもなく、寒くもなく、散歩には好適で、吹く風に揺られては、ひらひらと舞い降りる桜吹雪の中を、なぜかまるで王朝の貴人になった思いで歩けました。川堤は徐々に葉桜に移行しているのが遠目にもわかりました。そんな中で対岸にひときわ、赤い花木の群が目立ちました。何の花だろうと橋を渡って近寄りましたが、ご存知「八重桜」でした。蕾がたくさんあり、これから立派な花びらを見せてくれるのでしょうか。八重桜には「風格」がありました。「風格」に惹かれて重い足を引きずって近寄った甲斐がありました。

さて、「復活の信仰」は、前回の「イエス様の約束に対する信仰」に引き続くもので、「イエス様の人格に対する信仰」とは何かを明らかにしています。風格ならぬ、人格にあらわれたイエス様の真骨頂を味わいたいものです。

 二 人格に対する信仰

 イエスがほんとうに死からよみがえられたのであれば、その事によって彼は、すべての人と区別されるべきである。確かに、死から蘇生した人は数多くいるであろう。しかし、記録で知られるかぎり、死後、イエスのようにその力を及ぼしえた者はなく、また、自分は死後、自らの力によってその生命を再び手に入れる、と主張した者はない。ひとりとして、自分の復活を予告した者はないのである。彼らが個人的に予期していたところからするかぎり、死からの復活は、彼らの生涯の完成を意味するものでも、予告しうるたぐいのものでもなかったのである。イエスの場合だけは例外であった。彼は死と復活のことを、友人の家庭を訪問する計画を果たすときのように、平静に、しかも確実な事として語られたのである。

 旧約聖書の預言者の中には、イエスよりも長い説教の記録を残している者が大ぜいいる。また、量的な基盤に立てば、ユダヤ教の歴史の中で、イエスと少なくとも同列視される者もかなりいた。そのある者は、キリストの奇跡に匹敵する、幾つもの奇跡を行なった。それで人々は、イエスのことを、「エリヤ」か「あの預言者」ではないかと、いつも尋ねていたのである。なぜ彼だけが、イスラエルの預言者たちの偉大な相続人の中で、特に例外とされなければならないのであろうか。

 答えは、彼自身の弟子たちの言葉によって知られるであろう。彼らも、預言者について親しく学んでおり、今日の私たちと同様、その言葉や意義を疑問視したことはない。彼らは、預言者が強大な勢力を持っていた国土、また、過去一世紀の私たちと違って預言者の時代以来文明にたいした変化のない国土に生きた者として、イエス以前のすべての預言者の主張とイエスの主張とを、非常に公正に査定することができたにちがいない。彼らはまた、イエスが、殉教の死を遂げた預言者たちとは違う最後を遂げられるとは思っていなかったであろう。彼らは、イエスの予告にもかかわらず、彼が死からよみがえることについて、針の先ほどの期待も持っていなかったからである。ところが、弟子の集団の中で最も信仰に動かされにくい、最も悲観的なトマスでさえ、復活のイエスを見たてまつり、主はまことに生きておられると悟ったとき、「私の主、私の神」と叫ばざるを得なかったのである。この言葉は、彼が、ナザレのイエスの内には他の預言者たちには望みえない神性が宿っているということを確信して、口にしたものである、と考えないかぎり、ユダヤ人の言うはずのない言葉である。パウロによれば、キリストは、「聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方」(新約聖書 ローマ人への手紙1章4節)である。彼が死の手に拘束され続けることは、不可能なことであった。死は彼に対して、なんらの権利も持たないからである。彼は、ちりにとらわれていることがおできにならないのである。

2024年4月13日土曜日

復活の信仰(1)約束に対する

アヴィニヨン橋 2006.11
今日の写真は随分昔の過去ものを選びました。パリ在住の次男に連れられて、南仏まで旅した貴重な写真の一つです。この橋を撮影するため三枚撮っていましたが、この最後の写真には鳥が数羽写っていました。今の私ならば飛び上がらんばかりに喜んだでしょうに。橋はどうしても向こう岸まで届いていなければ、橋にはなりませんね。そこには隠された歴史事情があるのでしょうが、私には約束が空約束に終わった象徴だと勝手に読み込んでいます。イエス様の約束は果たしてどうなのでしょうか。

1 約束に対する信仰

 歴史を見ると、多くの指導者たちが口約を事としてきたことがわかる。そのあるものは成就されたが、他のものは不履行に終わった。イエスが現われて、教えをたれ、説教をし、いやしの奇跡を開始されたとき、その国の指導者たちは、彼に対してまゆをひそめた。彼はいったい、どんな権利があって民衆の指導者になろうとしているのだろうか。イエスに集まる人気をねたんで、彼らはついに、彼の信任状を人に調べさせた。

 イエスは返事として、一言、次のように答えられた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう」(ヨハネ2:19)。(彼の敵対者たちは、言うまでもなく、彼を誤解した。彼らは、イエスがエルサレムの丘を飾る神殿をさしてそういわれたのだと思ったのであるが、彼が語っておられたのは、ご自身のからだとしての神殿のことだったのである)

 また他の機会に、彼らがイエスにしるしを求めたとき、彼はこう答えられた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです」(マタイ12:39〜40)

 このように彼は二度にわたって、ご自分の復活を、自分の身分を保証するものとして、無条件で、ご自分が死の中から再びよみがえって来ることを約束されたのである、

 もし彼がこの途方もない約束を履行されなかったとすれば、私たちはすぐに、彼に対する信仰を投げ出してしまうであろう。それが条件付きの結局その場限りの予報であったなら、条件がぴったり合わなかったというような苦情を申し立てることもできたであろう。ところが、彼が二度までも、このできごとを自らその使命の至上の証拠また象徴と見る、と断言されたところからすれば、私たちは、彼の全約束に対する信仰はこの特殊なできごとの真実性に根ざしていると言うことができるのである 。

 この信任状の主要性は、信仰を否定する世界の人々によっても承認されている。フランスの啓蒙期時代のことであるが、ひとりの男が、皮肉屋で無神論者のタレーランのところに来て、「わたしは新しい宗教を広めようと思っているのですが、首相としてのあなたの署名をお願いできませんか」と言った。彼はまた、自分の宗派のために、どうしたら大衆の支持を獲得することができるか、知恵を貸してほしいと頼んだ。そのときタレーランは「わたしならあなたに、自分を十字架につけ、三日目によみがえってみせることをお勧めしますね」と答えたと言われている。そうすることができれば、彼の成功は疑いなしだと言うのである。その人にそれをなす力がなかったことは言うまでもない。そして彼の新宗教は、そのまま忘却のかなたに流されてしまった。しかしイエスはまさに、死に、そしてよみがえられたのである。また、彼の約束は、彼が生きていたもうことによって、今でも効果を期待することができるのである。

彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。(新約聖書 ローマ人への手紙4章20〜21節)

2024年4月12日金曜日

復活の信仰(序)

川堤 桜桜に 埋められて(※)
今年の桜もそろそろ見納めの時期を迎えているのだろうか。花びらが無数に撒き散らされ、地面に帰って行く。そのような潔(いさぎよ)い花の姿は、私たち人間の良き見本である。林芙美子は「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」と女の一生に投影したということだ。しかし、果たしてそれだけであろうか。『キリストの復活』と題されるメリル・C・テニー氏の著作は第三章として「復活の信仰」を述べている。引き続いて、聖書から「復活」の意味を教えられたい。


 ある美しい夏の日に、ひとりの男が、とあるりんご畑に寝ころんで、過ぎ行く雲の流れを目で追っていた。ちょうどそのとき、近くの木からりんごが落ちて来て、危うく彼は、もう少しで顔をやられるところであった。このような事は、異常なできごとと呼ぶにしては、確かに、あまりに平凡すぎる。りんごは、この男の生まれる前から、何千何百万となく落ち続けて来たからである。しかし、この場合のりんごの落下は、いささか特別であると言うことができた。と言うのは、それをきっかけとして、アイザック・ニュートン卿は、今日私たちが物理的世界の理解の基礎を構成すると考える偉大な物理学の諸法則を、幾つか公式にすることができたからである。果実の落下という事実に違いがあったのではない。しかし、ニュートンの鋭敏な頭脳は、この事実の背後には何かがあるということを見抜き、また、それと関連性を持つ諸原則を慎重に分析して、彼なりにその意義を解明させたのである。

 復活の事実は、物理学の諸法則の公式化を促した事実よりも、はるかに意義のあるものであるということを思えば、私たちは、その意味の解明をなおざりにすることはできないのである。確かに、事実は偶然に発生するものではない。それらは、背後にあってそれらを支配する原則、勢力、力を物語るものである。もし、キリストの復活という驚嘆に値するできごとが現実に起こったのであるなら、それは、その発生事実の背後で、その時まではわずかしかあるいは全然証拠を確認することのできなかったある新しい力が、実は世界に作用しているのだということを、意味するものでなければならない。更に、その事実に公正な解釈を施そうとするなら、私たちは、その事をしるす記録と、その事実に基づいて発生した教えとに手がかりを求めて、解釈に誤りのないようにしなければならない。復活は、イエスの人格と不離不即の関係にあるゆえに、彼を連想させる意義を持っていると思われるからである。

 パウロは、復活の事実は、キリストの人格に対する信仰を要求するものであると言っている。確かに、そのようにしてよみがえった者がいるとするなら、それがだれであれ、彼を人類一般の伍列に置くことは、妥当ではない。もし彼が、他の人々と違い、死を征服されたという点で、彼ら以上の人物であるとすれば、彼は、私たちがその指導に服することを求め、また、私たちが彼に最高の忠誠を誓うことを要求する権利を持たれるのである。復活は、私たちの信仰に、どのように挑戦しているのであろうか。

https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2024/03/blog-post_28.html 

もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。(新約聖書 第一コリント人への手紙 15章17節)

2024年4月10日水曜日

復活の事実(6)

「消化試合」という言葉がありますが、私にとって今日は「青春18切符」の使用期限最終日でした。合計5枚の切符は、この日までに未使用のまま2枚残していました。そのため、今日はこのJR一日乗り放題の切符を有効に使いました。言うならば、私の「消化切符」でした。写真はその帰りに車窓から写したものです。実は行き帰りとも車窓から見えたのは次々と展開してやまない沿線の桜並木の美しさでした。残念ながら、私の脳裏に残っているだけで写真には収められませんでした。ただ、振り返って見ると、今日の列車旅行の目的地は私にとってやはり記念すべき土地でした!

ところで、今日の「復活の事実」は同項目の最後のものとなりました。読んでいただくとお分かり願えると思いますが、後半に著者が指摘する三つの指摘はたいへん重要だと思いました。言うならば、この指摘は消化試合的なものでは決してありません。全力投球的なものです。是非、丁寧にお読みくだされば幸いです。

五 不本意な人たちによる証言

 復活の事実が、指導されることによってあるいは感情的な傾向によって、信ずる方向に導かれた人々にのみ、弁護されたのであれば、私たちはそれを希望的思考の所産とすることもできよう。しかしながら、過去の経歴や性向からしてそれに反発するような人々が、その真実さを承認しなければならなかったとしたら、私たちは、いっそうそれを信ずべきである。

 まだ古い話ではないが、フランク・モリソンという名で、「石を動かしたのはだれか」と題する本を著した人がいる。彼はそこで、イエスの生涯の最後の一週間を、分析的に論じている。彼は、復活に対する信仰の幻想を打破するという目的を、誓いをこめて立て、研究を始めた。その証拠を詳細に検討するならば、この信仰の愚かしさは、おのずから立証されるであろうと考え、聖書の霊感というようなことは意にも介さず、純粋に合理主義的な立場に立って研究を進めたのであるが、四福音書の証拠は、他のいかなる重力の作用もなく、彼を、出発したときの目的とは正反対の結論に追いやったのであった。彼はすべての事実を綿密に調査したのち、次のような説明をしている。

 そしてやはり、著者の考えるところによれば、どうしても、使徒信条の中で非常に論議された「三日目に死よりよみがえり」という文句には、非常に意義深い歴史的根拠があると考えられるのである。

 この証言は、十八世紀のギルバート・ウェストや、他の著者たちの経験とも、合致するものである。このようにして、キリスト教信仰に敵対的であった人たちが、この最も信じにくいとされている奇跡を信ぜざるを得なかったとするなら、私たちの信仰が単なるお人好しの果実であると、どうして言うことができよう。

 しかし、復活が事実だとしても、それがなんだ、と言う人もいるであろう。言うまでもなく、日が夜に続くように、復活には確かに、ある必然的結果が伴っている。

 第一に、もしイエス・キリストが、週の最初の日の朝、生きて墓からよみがえられたのであるならば、彼は、きょうも生きておられるのである。私たちは、単に、十九世紀前に英雄的な死を遂げた一人物の理想化された記憶を胸にいだいているのでもなく、また、教理体系の複合体を擬人化させて礼拝しているのでもない。彼はきょうも生きておられるのである。そして、世界における彼の事業は、今日においても、着々と進められている。目には見えないが、彼は決して非現実的ではなく、依然として人間の人格形成に携わっておられ、また、形あるものとして私たちとともにおられるわけではないが、依然として、指導と教えとに当たっておられるのである。

 第二に、復活によって、彼は他のすべての人とは違うことが主張されている。他の人たちは、よい生活を全うしたであろう。しかし、彼らの徳が神に喜ばれたということが、復活という形で公認されたことはない。他の人々は、英雄として死を全うしたかもしれない。しかし、その英雄行為は悲劇に終わった。それは、墓にのみ込まれたままだからである。他の人々は、偉大なことを約した。しかし、まだその約束を履行しないうちに世を去った。だが、キリストについては、「聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された」(ローマ1:4)と言われることができたのである。彼が他のすべての者にまさる永遠の優越性を保持されるおかたであるということは、ただこの一つの偉大な勝利によって確立されている。

 最後に、私たちは彼に対するのに、生けるおかたに対するようにしなければならない。私たちは、歴史の地平線のかなたで姿をかき消してしまったかたの理想に忠実な者となることを求められているのではない。また、律法の定めによって罪のゆるしを求めているのでもない。ある運動や機構に奉仕しているのでもない。審判のときに、一束の倫理的な教条に対決させられているのでもないのである。「あなたはわたしを愛しますか」ーーこれが、よみがえられたキリストの、ぐらついた弟子に対する質問であった。それは、全人格を傾けて忠誠を誓いなさいという呼びかけである。「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」(第一ヨハネ1:9)「わたしは社会で、何をすることができますか」というようなことではなく、「あなたはわたしに何を求めておられるのですか」ということこそ、新回心者の問いでなければならない。また、「なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです」(使徒7:31)ということは、確実な未来に対する展望である。

 ヨセフの庭園の、からになった墓という、この途方もない、しかし最もよく認識された歴史の事実から、キリスト教の核心をなす教えであり、また、死に脅かされている世界に対する永遠の希望である、よみがえられたキリストに対する動的な信仰が、生まれて来るのである。

2024年4月9日火曜日

復活の事実(5)

花曇 桜下の詩歌 誦じる
今日は、天気予報どおり、朝からすごい雨、風である。それを見越して昨日は古利根川沿いの桜並木を、花見を兼ねての散歩に励んだ。日曜日ほどではないが、たくさんの方が桜の木の下で、それぞれ思い思いに筵を延べては舌鼓しつつ会話に興じておられた。また、いつもになく、キャンバスに向かって絵筆を走らせる方々が数人おられた。もちろんカメラを手にして桜を懸命にとらえておられる方があちらこちらに散見された。当方も一枚だけ撮影した。改めて桜の花びらの麗しさにうっとりさせられた。やはり桜は日本の至宝である。
『キリストの復活』の証言は続く。タイミング良く、某大学の入学式の様子をYouTubeで拝見した。院長なる方が、新入生に、平易な言葉で「世の光、地の塩」たらんことを期待する告示を述べておられた。このミッションスクールの存在も、言うならば、本日の四 教会の起源の証言にふくまれると言えなくもない。

三 殉教者の証言

 証言は、価値という観点から言えば、決して証人の人格を上回るものではない。この点で、これらの証人たちは、どれほど確固としたものを示すことができたであろうか。彼らのあかしを掲載している記録そのものは、彼らが、復活が芽ばえさせた信仰のために、あらゆる窮乏に耐えたことを物語ってくれる。石うち、むちうち、投獄、国外追放、貝殻裁判、財産没収など、あらゆる種類の虐待が彼らの分け前であった。しかもこれは、彼らの説教の受動的な効果、彼らが予期せず、その前から逃走しなければならなかったような一つの結果だったのではなく、まさに、彼らが慕い、その所信を宣べ伝えるために、当時の官憲の面前で公然といどんだ戦いだったのである。

 しかし、これに対しては、彼らは他の場合と同様狂信者だったからしたまでで、狂信者であれば、事実の裏づけを持っていようといまいと、どんなことでも主張することができたのだ、という反論が申し立てられるかもしれない。まさしくしかりである。しかし人は、自ら真理と信ずる虚偽のためになら死んでも、自ら虚偽であると知っていることのためには死なない。もしイエスが決して死からよみがえられなかったのなら、彼らは、その事を知る機会に何度か巡り合っていたと思われる。イエスのからだが十字架からおろされてから七週間たったときに、彼らはエルサレムの町で、このイエスがよみがえられたことを大胆に説き、しかも、この主張のために、生命と自由と名声とのいっさいをかけていたのである。歴史の記録の中には、イエスの敵が彼のからだを作製したとか、また、その敵対者たちが、そのからだは依然として墓の中にあったのだということを証明する具体的な証拠を持っていたとかいうことをにおわせるものは全くない。もし、イエスの友人たちがからだを移動させたのであれば、それをにおわせるようなうわさが、線香の火花ほども立たず、イエスに最も身近な従者たちの説教を脅かさなかったというのは、どういうことであろうか。彼らは、復活を宣べ伝えるとき、その不正直によっていっさいを喪失しても、得るところは何もなかったのである。彼らが虚偽だと知っている事を故意に宣べ伝えたのだと信ずること、あるいは、彼らがその名声、同郷人の中での立場、また自由のすべてを、このある不確実な事のために犠牲にしたのだと信ずることは、イエスはよみがえられたという彼らの主要な主張を事実として承認することよりも、より大きな努力を要するものである。

四 教会の起源による証言

 キリストのからだごと死からよみがえられたかどうかという問題に対する態度とは無関係に、キリスト教会の存在は、すべての人の承知しているところである。歴史家、不可知論者、キリスト者のいかんを問わず、教会が十九世紀という長期間にわたって、社会、経済、政治、宗教的な世界の動きに、強力な影響力を及ぼしてきたことについては、異論がない。そして、この種の精神的運動には、すべて、あるはじまりがある。回教は、マホメットの個人的な影響力と教えにまでさかのぼることができる。仏教も、悉達多、釈迦牟尼の教えをまって発生したものである。キリスト教と、なんらかの意味で並列されるものすべてについて、その運動のそれ自体に関する証言は、その発生の説明が求められている場合には、まじめに考察されている。もし、キリスト教についてだけそれができないとすれば、私たちはどうして公正であると言えるだろうか。もしこの運動が、他のすべてと比較して独特なものとして、キリストの復活に起源があると主張しているならば、私たちは、復活を否定するとすればキリスト教を十分に納得させてくれる他の理由を見いださなければならない。

 キリストの復活を信じていない歴史家たちも、この事実は確認している。キリストの肉体の復活を信じてはいないが、その学問的見識においては疑義をいだかれたことのないF・J・フォークス・ジャクソンは、その著書「異邦人キリスト教の興隆」において、次のように述べている。

イエスが死に渡されたもうたのちに、墓からよみがえられたということは、疑問視されるかもしれない。しかし、すべての人は、彼の直接の従者たちが、彼がまさによみがえられたと信じていた、という命題には、同意しなければならない。また、最も初期のキリスト教文書が著される以前から、この事は、その集団の公認の所信であった。事実、復活の信仰なくして、宗教としてのキリスト教が存在しはじめることは決してなかったであろう。

 この信仰の原因はなんであろうか。復活を宣べ伝えた人々は、心理的な巧みをもてあそんだり、哲学的な白昼夢にうつつを抜かしたりしているのではない。彼らの経験の中には、このような革命的な主張をするようにと彼らに迫る何ものかがあったにちがいないのである。もし、一度この復活という単純な事実を認めさえしたら、すべては明白になる。そうしなければ、私たちは永久的な難題をかかえ込まなければならないのである。それとも、復活が私たちの直接経験しうる事柄の範囲外の事実に属するということのゆえに、その発生事実の確かさを認める代わりに、復活を否定する不確実さを採るほうが、より合理的だと考えられるのであろうか。

私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。(新約聖書 ペテロの手紙第一 1章16節)

2024年4月8日月曜日

復活の事実(4)

雨上がり セキレイを追う 春散歩
何の変哲もない写真である。セキレイを撮影しようとして撮ったものである。被写体として最も撮りにくいものの一つである。苦労して収めてもこの程度である。ところが、昨晩のNHK『ダーウイン』ではたまたま「翡翠(カワセミ)」の特集をやっていた。みなさん一様にすごいカメラ(望遠レンズの)を手に撮影されている姿を見て、我がiPhone撮影は児戯にすぎないと思い知らされた。それにしてもセキレイは絶え間なく、人に近づくように見えて、「チチッチー」と鳴きながら遠ざかり、途端に飛んでいくかわいい鳥である。このようなセキレイがいたことは確かである。写真がそれを示す。果たして、イエスのよみがえりはどのようにして証明されるのだろうか。引き続いてメリル・C・テニー氏の主張に耳を傾けたい。

二 生ける証人による証言

 文献というものはいくらでも捏造することができるという反論がなされるならば、私たちは、もう一つの資料をさし示すことができる。それは生きた証人がいたという事実である。コリント人への第一の手紙十五章は、紀元54年、パウロによって書かれたものであるが、そこに私たちは、当時生きており、しかもパウロによるならば、復活の真実性をあかしすることのできる人々の名簿を持っている。(略)その個所によると、パウロは、五つの、人物および集団を証人としてあげうるものとしている。

 第一の人はケパである。この人物はペテロをさすものと思われている。ケパというのはアラム語名で、ペテロというのは、それに相当するギリシア語である。全使徒の中でもペテロは、イエスに最も身近なひとりであった。そのような者として、彼は確かに、イエスを彼と認知することができ、場合によっては、彼の欺まん的な演出を見抜くこともできたと思われる。パウロは、このケパにイエスは「現れ」たもうたのだと主張している。もしだれかが、イエスの死後、イエスのふりをして見せて、彼がよみがえったのだという幻想を創成させようとしたのなら、まさしく、この忠実な、彼と懇意な間柄にあった追従者が、その変ぼうを見破らずにはおかなかったであろう。しかし、そのようなことはなかった。このペテロは、その生涯と任務を、イエスはよみがえられたという事実にかけていた。そして、彼が「私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ごいっしょに食事をしました」と言ったことが記録されているのである。(使徒10:41)

 第二の証人は、「十二人」の群れである。この「十二人」という用語は、正確な数をさすものではなく、おそらく、大ざっぱな集団をさすものであったろう。イスカリオテのユダは、主の復活後、彼らとともにいなかったからである。ひとりで証言するときには、まちがいがありうるかもしれないが、十一人で証言するときには、確かにその度合いは少なくなるであろう。仮に、彼らがキリストのよみがえりを期待していたならば、キリストがそうされなかったとしても、彼らが互いに感情を刺激し合って、彼はよみがえられたのだと考えるようになった、と仮定することができよう。そうだとすれば、復活は単なる希望的思考の所産にしかすぎなくなる。ところが、この集団に関する叙述の中には、彼らがほんとうにイエスのよみがえりを期待していたことを示すような暗示は、一つとしてないのである。十字架の刑に続く日々は、期待によってではなく、恐怖の感情によって支配されていた。しかも、イエスの現われは、この感を深めたのである。

 これらの人々が、突然その恐怖から解放され、おじけづいていた一団の仲間が、恐れを知らない説教者の哨兵隊に急遽変ぼうした事実は、その変化を生み出した何事かがそのとき、起こったということを、暗示するものである。

 第三の証人は、そのころ集まっていた五百人以上の兄弟たちの群れである。リンカーンはかつて、このようなことを言った、「人はある種の人を、いつまでもばかすことができるし、またあるときにはすべての人がばかされることもある。しかし人は、すべての人をいつまでもばかし続けることはできない」。五百人以上の人を同時にばかすような幻覚を創生させ、しかも、非常にうまくそれをやってのけて、二十五年のちにもなおその人たちに、イエスはよみがえられたと言うことのほうに分があると、進んで主張させることができたとしたら、そのこと自体がまさに奇跡と見なされるべきである。

 第四の証人は、ヤコブである。ヤコブは、主の兄弟であった。ヨハネによる福音書によると、彼も、他の主の兄弟たちも、主が公生涯の伝道に携わっておられたときには、彼を信じていなかったとある。私たちの友人は、忠実であってくれるかもしれない。しかし、彼らが私たちの人徳に対してする証言は、私たちの敵対者たちの証言に比べるなら、それほど信頼できるものではない。今友人が私たちに賛辞を与えてくれるとするなら、彼らの判断は、無意識のうちにその友情によってゆがめられているかもしれないのである。しかし、今私たちの敵が私たちを賞賛し、私たちの主張を認めてくれるとするなら、その証言は真実であるという可能性は、非常に濃いものであると言わなければならない。この手紙が書かれたとき、ヤコブは生存していた。それゆえ、イエスはよみがえられたと言う彼の証言は、彼が以前イエスの同志ではなく反対者であったという事実に照らして、より一層確固としたものだという感を深めてくれるものである。(中略)。

 最後の証人は、パウロ自身である。彼は、キリストが「月足らずに生まれた」者に対するように自分に現われたもうた、と主張している。この言及は、彼のダマスコ途上での経験に対するものであって、彼はそのとき回心したのである。このときこの人物に見られた、人生目的と性格上の唐突な変容は、適切な説明を要するものである。この、衆人にその才幹をうたわれていた、ガマリエルの青年門下生は、徹底的なユダヤ教の訓練を受けていたため、あのナザレ人の従者たちを、十字架で処刑された一ペテン師にかつがれた犠牲者とみなしていた。そして、神の御前の自分の立場ということに満足してなどいられるものかとばかりに、熱狂に駆り立てられて、自分に反対する者の絶滅を図るという極端さにまで暴走したのであった。そうであるなら、彼が、自ら根絶を誓ったその信仰に、不意に転向しているという事実は、いったいどのように説明されるべきであろうか。今彼の言葉をいくらかでも信用するとすれば、私たちは、この注目に値する心理的現象に関して彼が自ら下している説明を聞いて、よみがえりのキリストの顕現が、彼の中にこのような変化をつくり出したという事実を、認めなければならないのである。

キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現れたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。(新約聖書 コリント人への手紙第一 15章5〜8節)

2024年4月7日日曜日

復活の事実(3)

新緑 蘇芳の蕾 赤添える
家を出るときというのは、とかく慌ただしい。今朝もその例に漏れなかった。しかしこの赤い小さな蕾は私の目を惹きつけて離さなかった。こんな小さな蕾が10粒も咲いているとは・・・。同行者の家内に名前を聞いてみる。「わからない」と答えが返ってきた。そんなはずはない、わからないはずはないと思いながらも、家から出た。

実は、その直前、郵便受けの下に顔を出している草花が気になって、家内に尋ねてみた。即座に「十二単(じゅうにひとえ)」と教えてくれた。まさに十二単にふさわしい装いで、昔の人は良くぞ名づけたりと感心していた。それにしても家内は草花の名前をよく知っている。そのたびに、家内の両親の存在を覚える。その家族が草花を愛で、それにちなむ童謡などを共に歌ったのではないか。それが八十に近くなっても残っているのだ。そこに行くと、私は皆目ダメである。幼い時に、田畑、野原を両親とともに歩んだ記憶がないせいかもしれない。

それはそうと、私には家内が冒頭の木と花を知らないはずはないと思い、外出から帰って、その木を前に、私なりに以前家内が言っていた名前を必死に思い出した。そして「蘇芳(すおう)」という名前まで引き出せた。早速、ネットで調べてみるとほぼその通りだったし、以前家内がそのように教えてくれたと確信した。

キリストの復活は事実である。その記録は文献としての聖書にある。そのことをメリル・C・テニー氏は以下のように語っている。細かくかつ必要な議論がなされているが、少しでも読みやすくするため、文意を損ねない程度に一部を省略し載せたつもりである。諒とせられたい。なお、最後の聖句は引用者が選んで載せた。


1 文献による記録

 ナザレのイエスの生涯に関して、いくらかでも、明らかに彼の業績を伝えてくれる記録としては、ただ、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる聖書の福音書があるだけである。(中略)これら四つの福音書は、キリスト教の最も早い時期に書かれたものと考えられており、第一世紀の終結以前に完成していたことに、疑いの余地はない。事実、おそらくそれらは、イエスを個人的に見た人々がまだ生きていたうちに著されたであろうと思われる。そして、最初それらを読んだ人々によって、信頼のおけるものとして、広く受け入れられていたのである。実際、その記述内容に、本質的に正確さを欠く点があるとは思えない。

 更に、イエスの生前の記述を見れば、それらが、古代の文学の多くの特徴である気まぐれな英雄崇拝的修飾から、目をみはらせるほど、全く解放されているということも明らかである。(中略)それらが最初、イエスを神として礼拝した人々の群れの中で執筆され使用されたという事実を考慮に入れるとき(略)、福音書が、イエスに対する追憶を、記録されているだけの奇跡にとどめ、より多くの奇跡で粉飾しなかったということは、驚くべきことである。記者たちは、解説とか解釈といったたぐいのものを、比較的少数にとどめている。と言うことは、彼らが、キリストの言葉や行為のあるものだけを伝えて、そこから読者が自分なりの結論を引き出すように配慮していたことを意味する。

 福音書は四書とも皆、この復活の事実を認めている。ささいな点に関して、詳細には不一致が認められるにしても、すべては、キリストが死なれたという偉大な事実においては一致が見られる。更に、彼が埋葬されたこと、三日目の朝墓が空虚になっていることが発見されたこと、その後彼が弟子たちに現われたもうたことについても、意見は一致している。これらの点に関して、彼らは同じ証言をしているのである。

 小さな不一致と言ったが、それらも、決して、証言が偽りであることを指摘するものではない。もし四人の証人が、それぞれ法廷に引き出されたとき、四人とも全く同じ話を、全く同じ言葉で語ったならば、判事は、証人たちが罪になる合議をたくらんだと思うであろうし、事実、そのような嫌疑は妥当である。どんな証人でも、ある特定の事件に対して、ふたり同じ証言をなしうるものではない。特に、彼らの神経が緊張を経験しており、自分たちが目撃したことによって本心から驚いているときには、そうである。

 あるとき、著者は修史学の教室に出ていた。ある日のこと、その教授が、一かかえの紙の山を教室に持ち込んで来て、皆に配った。そして言った。「今配った書類の束は、いろいろな歴史的事件の原典資料の写しです。きょうは、この中から、証人たちがなんと言っているかを見て、起こったとおりのことを書き出して下さい」。その一つの束には、五つの異なった、レキシントンとコンコードにおける戦闘(※)の記述があった。それらはあの1775年の4月19日の運命の衝突に参加していた見証人たちの日誌や書類に含まれていた記述である。どれを比べてみても、詳細においては、二つとして同じものはない。あるものなどは、その主張する事実と突き合わせてみると、全く正反対のことを言っているようにさえ見えるのである。この証人たちが完全に一致することができなかったということを理由に、実はこの場所ではこの戦闘は起こらなかったのだと結論することは正しいことであろうか。もちろんそれは、不条理なことである。それは実際に起こったことであり、わずかながらその証拠が、今日まで残っているからである。(中略)。

 復活に関しても同様である。詳細なある点を、一連の事件として、系列のわくの中に入れることは困難である。しかし、墓が空虚になっていたという意味深長な事実は、同志によっても、等しく確認されているのであり、また、その後、生きておられる主が現われたもうたということも、すべての文献が確証するものとして、否定することができないのである。

※アメリカ独立戦争における戦いを指す。

週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。見ると、石が墓からわきにころがしてあった。はいってみると、主イエスのからだはなかった。そのため女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、といわれたでしょう。」女たちはイエスのみことばを思い出した。(新約聖書 ルカの福音書24:1〜8)

2024年4月6日土曜日

復活の事実(2)

水仙と フェンス越しに 見合いする
ここは埼玉県総合治水事務所(※)の一角である。このフェンスの向こうがその敷地であり、ひとり生えであろうか、水仙が四輪、花を咲かせていた。こちらは公道を散歩している。そして魅入られて近づく。一方、近づいて来る私の姿は水仙にはどのように見えているのだろうか、とつい想像したくなる。水仙は何もことさら、ここで取り上げるまでもなく、身近な草花で、それこそ冬から春にかけて私たちの季節への期待を先取り、しかも見届けるかのようにいつまでも咲いてくれている。桜の花のようには持て囃されないが、中々どうしていい花である。

さて、今日もお約束どおり、昨日の文章の続きを転写する。文章は決して読みやすい文章ではない。魅入られるようなものではないかもしれないが、上の私の感想ではないが、この文章は、水仙がフェンス越しに私を見ているように、私たちをじっと見つめているような気がする。その奥には生けるまことの神様の目がある。翻訳者の個人名が明記されていないが、おそらく、松代幸太郎氏らであろう、昭和37年(1962年)、信仰良書選のトップバッターとして世に出た出版物である。私にとっては、まさに以降10年弱の魂の咆哮するとば口にさしかかっていた時期の作品である。

 復活がこのように、信仰のための事実上の基礎として、主要なものであるということは、キリスト教教会の最初の説教者たちには、はっきりと理解されていた。未信者に対して語られた使徒行伝の十三の説教のうち、八つは、復活を、中心的教理、また、論争の余地のない信仰の証拠として、強く主張している。他の三つには、使徒行伝二十二章の民衆に対する説教において、パウロが、自分はよみがえりのキリストと話をかわしたことがあると主張しているところからもうかがわれるように、そのことが明らかに含意されている。残りの二つ、復活が述べられておらず、暗示されてもいない場合は、たとえば、ピリポと宦官の会話の例のように(使徒8:26〜38)、明らかに、他の問題が優先的に扱われなければならなかったのである。しかも、この場合においてさえ、復活について言及されていないということは、ピリポがそれについて何も語らなかったということを意味するわけではない。と言うのは、その個所では、彼の話の出発点が明らかにされているだけであって、そのあとのことについては、「この聖句から始めて、イエスのことを宣べ伝えた」と、総括的な表現がなされているだけだからである。使徒行伝の中で、語られたことの断片としてではなく、その全部を一つのものとして記録している、最も有名な二つの説教ーーペンテコステの時のペテロの説教(使徒二章)と、ピシデヤのアンテオケの会堂でのパウロの説教(使徒13:16〜41)ーーは、直接復活に基づいて語られたものであり、議論の相当な部分を、この事のためにさいている。コリント人への第一の手紙十五章においても、パウロは、いかなる種類の復活をも認めまいとしていた人々に挑戦して、答えを与えている。彼は反論の中に、私たちは、復活こそ、他の多くの事実の中でも特にキリスト教の主要な骨組みを形成する最も重要な事実であり、彼が事実その説教で、復活に、それにふさわしい主要な位置を与えているということを見るのである。

 復活が主位に置かれる理由は、決して、突き止めにくいものではない。故J・グレシャム・メイチェン博士がかつて述べたように、キリスト教は、概念の複合体の上に形成されたものではなく、歴史の事実の上に基づくものである。もし私たちの信仰が、単なる善意の思想家の案出した、他の体系よりも一貫性のある哲学といった程度のものでしかなければ、それは、時を経れば、更に優秀な思想家が編み出す他の体系によって先を越されるか、または、他の集団の人と比べてよくも悪くもない一群の人々の信念にしかすぎないと言って、論争の種となるだけであろう。世界観としては、それは、他のすべての、この世界を体系化させ克服するある方法形成のための、人間的な努力と考えられる世界観に伍する位置を占めるものである。しかし、キリスト教は、世界観以上のものである。それは超自然的な人格神が、歴史の明確なできごとを通して、人間の事態に介入されたことを説明するものである。そして、復活こそは、超自然的な神の生命が、平常の人間生活が営まれている時間、空間の連続の中に接点を持ち、その現実と力が、争われたり否定されたりすることを決して許さないものであるということを、決定的に印象づけるものである。

 このような途方もない主張が、具体的に立証されなければならないことは、言うまでもないであろう。それが真実でなければならないとすれば、復活は、キリスト教の礎石であるばかりか、歴史上の最も重大な事実でもなければならない。とすれば、この墓からのキリスト復活の物語が、単なる無益な伝説でもなく、また、ある宗派宗教の宣伝という目的から故意に創作された話でもないということを示すために、どんな証拠があげられるであろうか。その回答として、私たちは、その真実性をあかしするものとして五つの異なった明白な証言を提出することにしよう。

https://www.pref.saitama.lg.jp/b1015/123jimusyonoannaizu.html

もしキリストがよみがえられなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。(新約聖書 1コリント15:17〜19) 

2024年4月5日金曜日

復活の事実(1)

旧彦根高等商業学校講堂
彦根はまだ寒く、彦根東高校の前あたりのこの一木だけが花びらを見せてくれました。」と四月二日のブログに書きましたが、「群盲象を撫でる」とは言うではないか、あれは自分の狭い知見であって、ほんとうに、そう言っていいのだろうかと、心配になり、翌日、もう一度城周りの開花の様子を確認に出かけました。果たして、それ以外に花びらが開花している桜の木がたくさんあるではありませんか、たいへん恥入りました。ただ一方で、同日のNHKテレビニュースで同日に彦根気象台(※)が開花宣言を出したことを知り、少しホッとしました

ところが、その確認が目的で出かけた序でに、足を伸ばした大学構内の様子をこれまた「私は迂闊にも大学から彦根城の天守閣が見えることを今の今まで知らなかった。」と書いたがほんとうにそうと言っていいのだろうか、とこれまた疑問に思いました。そして当時は今ほど「彦根城」に注目する時代でもなく、また大学構内の配置も変わり、見えなかったのかもしれない。同時に自分の特別な一身上の悩み・煩悶を抱えていたため、目で見ていても全く意識していなかったというのが真相なのかと思いました。

このような様々な悩みから救い出されたのが私のキリスト信仰でした。そして今回ご紹介しているメリル・C・テニーの『キリストの復活』は私が1970年1月18日から読み始めた本であることが裏表紙に書き留めていた日付からわかりました。この記録からすると、洗礼を受ける(70.3.30)前、結婚する(70.4.26)前、二、三ヶ月前に手に取って読み始めたようですが、内容はさっぱり覚えていません。いったいこんな難しい文章を理解できたのだろうかと自分でも思います。しかし、今になってやっと理解できるようになったので、転写してみようと思います。皆さんも、我慢して引き続きお読みくだされば、幸いです。言うまでもなく、前回まで引用しましたのは、その本の第4章 復活の自由 からの引用でしたが、「復活の事実」が証明されていなければ、「復活の自由」は絵に描いた餅に過ぎません。以下は同書の第1章 復活の事実 からの引用です。「復活の事実」について聖書がどのように証言しているかを一緒に追ってみましょう。

 福音的なキリスト教信者であるならば、だれでも、どのような時代に生き、どのように特殊な教理を強調する教会に属していようと、普通、キリスト教信仰を持っていることを認められるためには、ある種の真理を告白することが不可欠であると考えられてきた。

 人格的な自己啓示の神の存在、この神の御子の位格における受肉、このイエス・キリストが処女から生まれたもうたこと、そして、信ずる者に罪のゆるしを与えるために、カルバリの十字架上で身代わりの死を遂げられたこと、肉体をもって復活されたこと、昇天されたこと、勝利のうちに再び来られること、彼に対する信仰によって救いが与えられること、また、彼を信ずる者にとって、生活をきよく守ることが必要であることーーこれらの根本的な信仰は、アーチの礎石のように、キリスト教の名で通っている歴史的神学の上部構造をささえているものである。

 ところが、一般の同意するところとなっている信仰のこの構造が、今日、非常な攻撃の的となっているのである。軍隊が戦線を、その主要地点を頑強に死守することによって、突破されないようにしているとすれば、私たちも、信仰の立場を強調することによって、その信仰を最もよく弁護することができるのである。そのためには、その主要な立場というものがどんなものであるかを、知らなければならない。それらの教えの中で、最も主要なものはなんであろうか。

私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと・・・・(新約聖書 1コリント15:3〜4)

 この引用聖句は、キリスト教信仰の弁護のために書かれたものである。コリントの合理主義者たちは、超自然というようなことは不可能であると、口々に言っていた。彼らは、復活を否定しても、除かれるのはキリスト教信仰のこぶくらいなものだ、としか感じていなかった。そうすることが、実は、頸(けい)動脈を切開するにも等しいことであることを悟っていなかったのである。

 私たちのキリスト教信仰で最も重要な教えは、すぐに共感を呼び起こす、神聖な神秘に包まれた処女降誕でもなく、また、神の愛とゆるしを荒れすさんだ世界にもたらした、あの血の流されたカルバリでのあがないでもない。それは、イエス・キリストが死の中から、肉体を携えて復活して来られたということである。復活なくして、処女降誕はどうして信ぜられよう。復活がなければ、望みもなく、死にのみ込まれたあの生物的奇跡を、一個の生命の起源として信ずる理由はないのである。同様に、復活なくしてあがないはない。あがないとしてのキリストの死の価値は、死なれたおかたの身分にかかっている。仮に、彼も他のすべての人間と同じく死に屈して、ついにそれに勝つことがなかったとすれば、彼の死は、殉教者とか英雄の死のたぐいと見られたであろう。しかし、それでは、その死が他の人々に救いをもたらすということは、全く不可能なのである。復活こそは、彼が他の人とは別な者であるということをきわだって見せ、また、彼の生涯のすべての事実にそれぞれの異なった価値を認めさせるものである。

※彦根には昔から測候所があり、寺田寅彦は、この気象台の情報をたよりに名随筆をあらわしています。寺田寅彦随筆集第二巻(岩波文庫)所収の「伊吹山の句について」がそれです。

2024年3月29日金曜日

さあ、この人です。

エッケホモ レンブラントの 刻みし画

 今日は午前は雨、その上、風もきつかった。歩いて五、六分の歯医者さんに行くのさえ、思いやられた。しかし、午後になると、空の一角に青空があらわれ、時間を追うごとに日差しがもどり、明るく暖かく、やっと春らしくなった。

 またしても東京新聞で恐縮だが、夕刊の大波小波欄に、ずっとこのところ続いている大谷フィーバーに対する疑問が直裁に述べられていた。その題名も「大谷、大谷、大谷?」であったが、要するに猫も杓子も浮かれていて、肝心の政治経済において、現在の日本が危険な方向に向かっていることに、無感覚では困るという慨嘆の文章であった。そして「なたね梅雨の晴れ間」とのペンネームがあった。読んでいて一々同意見なので嬉しかった。それだけでなく、今の天候は「なたね梅雨の晴れ間」なのだと合点することができた。

 さて、そんな一日であったが、今日は聖金曜日である。イエス・キリストが十字架にかけられた日である。そのことを考えようと、レンブラントの「エッチング・素描」集と友人の絵を眺めながら、以下の文章を味わった。(左の友人の絵にちなんで
  雨嵐 辛夷(こぶし)の花は 耐えたるや 

『受難の七日間』(A.フィビガー著青山一浪訳)の「見よ、この人だ」の冒頭部分を転写してみる。

兵士たちがしばらくイエスをなぐさみものにしていると、総督がはいってきました。彼は兵士たちがもうイエスのむち打ちを終わったに相違ないと思いました。しかし彼は、かれらがどんなにイエスにふざけた王衣を着させたか、また、そういうすごい虐待の結果、イエスがどんなに哀れな様子をしておられるか、を見ると、急に彼の心中を、こんな考えがひらめきましたーーもしも私が、今のような様子の彼を連れて出て、みじめなままの彼を見せたら、どうだろうか。たぶん人々は、私の兵隊が彼を虐待したやり方に怒るだろう。彼はなんと言ってもユダヤ人なのだから。そして、たぶん、かれらもふびんに感じて、彼の釈放を要求することだろう。

ピラトは、もう一度外に出て来て、彼らに言った。「よく聞きなさい。あなたがたのところにあの人を連れ出して来ます。あの人に何の罪も見られないということを、あなたがたに知らせるためです」(彼がこのことを言明したのは、これで四度目でした)。それでイエスは、いばらの冠と紫色の着物を着けて、出て来られた。するとピラトは彼らに「さあ、この人です。」と言った。(新約聖書 ヨハネの福音書19章4〜5節)

それで、権力のある総督と、哀れな犯罪人は、並んで、進み出ました。ユダヤ人たちがイエスを見た時、群集中に、言わばうめきが拡がりましたーー全く彼はひどい目にあったものです。「彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような身ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。」(旧約聖書 イザヤ書53章2〜3節)その時かれらは、イエスの優しい善い言葉や、汚れのない生活や、彼がもたらされた愛の貢献を、考えたに相違ありません。ピラトはこれに気が付き、このあわれな人の手をつかんで、彼の席の前に引き出して言いました。Ecce homo!(さあ、この人です)。たぶん彼はそれを自国語のラテン語で言いましたーーみずからイエスの苦難と、その場の重大さに捕えられて。

さあ、この人です。

神聖な清らかな額にいばらの冠をかぶり、紫の衣を肩にかけ、手にまねごとの葦を持って、ピラトのそばに立っておられるイエスを、ごらんなさい。全世界の罪を負っておられるイエス、屠殺所に引かれる小羊を、ごらんなさい。見よ、神の小羊。

「さあ、この人です。」この言葉はパラダイスの園の中でも聞かれました。アダムが土で造られて、神の霊によって命を与えられ、栄光に満ちて現れた時です。そして神が見られたところ、それは、はなはだ良かったのです。さあ、この人です。この言葉は、アダムとエバが、罪を背負い、おびえて、うなだれながら、こっそり園から出る時、聞かれました。さあ、この人です。この言葉は、イエスがその聖金曜日に苦難をうけられた時、天で、あわれまれて、再びこだましました。さあ、この人です。この言葉は今、イエス・キリストの血で堕落の罪から清められて、再びパラダイスの光の栄光の衣にくるまれ罪人ひとりひとりに喜んで語られます。

神はどんなに天からあなたを見つめておられるか、考えてごらんなさい。墓場と永遠の滅びに向かっている罪人としてですか、それとも、天にのぼって行く、救われた罪人としてですか。「さあ、この人です。」と主の口から、あなたのことを語られる時、この言葉はどんなに聞こえるでしょうか。(以上、同書270頁より引用、一部引用者が表現を変えたところもある)

 さて、このようなピラトによる再三再四の呼びかけにもかかわらず、人々の「十字架につけろ」という声が勝つ。そしてイエスは十字架にかけられた。聖書はさらに次のように伝える。

 そこでピラトは、そのとき、イエスを十字架につけるため彼らに引き渡した。彼らはイエスを受け取った。そしてイエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所に出ていかれた。彼らはそこでイエスを十字架につけた。(新約聖書 ヨハネの福音書19章16〜18節)

 まことに聖金曜日とは大変な一日である。

ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」。(新約聖書 ヨハネの福音書1章29節)

神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。(新約聖書 2コリント5章21節)

2023年4月15日土曜日

春のどか 太公望に 平和あれ

川縁に パラソル開く 釣り人ら
 今日はあいにく雨である。二日前の古利根川で目にした光景である。赤のパラソルは目立つ。この緑なす川縁の風景に快いアクセントとなっていた。この方はその前日もここで釣り糸を垂れておられた。画面左側にはやはり5、6名であったろうか、釣り糸を垂れている太公望がいらっしゃった。川は豊満で海のようだった。

 今日の雨降りは、一層水かさを増して、魚たちは喜んでいるのだろうか。魚の生態も知らず、呑気なこと、児戯にも等しいことを考えている。釣り人らは、この雨天下、次なる秘策をねらって格好のポイントを押さえる準備をしておられるのだろうか。人ごとながら興味ある川縁の人と魚と緑の織りなす平和な風景である。

 さて、われらが主なるイエス・キリストは大工であったが、どっこい海にも魚にも強かった。そのエピソードを福音書から引いてみよう。

群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸べに立っておられたが、岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われた。するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。(新約聖書 ルカの福音書5章1節〜6節)

 この福音書を書いた人物はルカと言い、医者であった。魚は海に川に生息する。釣り人は釣果(ちょうか)を求めて根気強く釣り糸を垂れておられるのだろう。一方、漁業者は漁獲を求めて日々天候と相談されながら漁をされており、私たちはそのおかげで魚を食べることができる。いつも変わらぬ人間世界の現実である。

 その現実世界にあって、イエスはこの石をパンに変えて見ろというサタンの声に耳を貸されなかった。しかし、ここではたいへんな奇跡が行なわれている。十字架から飛び降りてみろと罵られたイエス・キリスト、そんなことは日常茶飯事で神の子はできたはずである。しかし、十字架からは降りられなかった。かえって人間のなすがままにまかされ、逆にそのような人間(自分を十字架につけてやまない人間)の赦しをひたすら祈られた。そのことも、やはりこの医者ルカが後半で記している。だとすると、このシモンという漁師になさったみわざは、シモンのためになさった奇跡、シモンの「信仰」のためになさった奇跡だと考えるしかないのではないか。

2023年4月14日金曜日

今日は金曜日である!

十字架 レンブラントの 描きし絵 
 今日は金曜日である。先週の金曜日もこの絵を見ていた。いや、五十五年間、この絵を見てきた(と言っても過言ではない)。それほどこの絵は強烈であった。十字架からイエス・キリストを取り降ろす場面を描いたレンブラントのエッチングである。何よりも印象的だったのは、画面中央の梯子段上から、こちらを凝視するかのような男の表情である。

 その表情には、悲しみ、怒りを、見る者に与えるかの感があり、いつもそこだけに捉えられていた。それはレンブラント自身を描いているのだと思っていた。その見方は多分間違っていないと思うが、それは他者に向かうより、自己を凝視する視線だと今回思うようになった。そしてイエス・キリストの生身のからだのやわらかさが何よりも印象的で場違いであるように思わされた。

 この絵(絵葉書)は55年前の今日、東京の国立博物館で手にしたものである。暦を調べてみると1968年の4月14日はイースター(復活祭)の日であった。その日、私は25歳になる足利商業高校の新米の教師であったが、2年目にして担任となり、その一週間後初めて訪れた日曜日、休みの日だというので、東京のレンブラント展にまで出かけ、入手した絵葉書の一つである。

 絵葉書の裏面は、手紙となり「(前略)こちらは毎日充実した生活を送っていて幸福です。クラス担任になるとやはりやりがいがあります。それでも一週間ばかり前はあれやこれやで精神的に参る日々を送っていたんですから、ぼくの生活力も大したものだと自惚れています。聖書は最近読んでいません。教会へはずっと前、行きましたが、どうもああいう雰囲気に偽善めいたものを感じて足が遠のいています。その代わりプレーヤーを買ってバッハの曲を欠かさず聞いています。昨日はレンブラント展を見てきたのですが、もうなんていうか僕がするべきことは方向は決まっているし、レンブラントという天才でさえああいうふうに人生を送らねばならなかった(特に自画像の移り変わり)という祈りめいたものを感じました。(後略)」と今も変わらぬ私の字で綴られていた。

 その日がイースターであることも知らず、一端(いっぱし)の考えを生意気にも吐露している。その私が、二年後の1970年には結婚して、キリスト者として家庭を持つようになり、レンブラントの目をとおしてイエスさまを知るだけでなく、聖書そのものからイエスさまの十字架降下を考えるように変えられたのだから、今となってはこれすべて不思議なことだ。そして、気がついてみると、すでに50年以上経過している。

 果たせるかな、今年は新たに、『暗い雲の下』と題する以下の文章を通して、十字架が主イエスさまにとっていかなる苦しみであったかを改めて覚えることができた。煩を厭わず転記して見たい。

 それは聖金曜日の十二時でした。
 これまでイエスはいつも人々の間におられました。彼は今三時間も十字架にかかっておられましたし、九時から三時間の間に、はじめて三つの言葉を言われ、敵のために祈られ、母を慰められて、悔い改めた強盗を救われました。

 しかし今、彼はあたかも人々と手をお切りになったように見えました。くちびるをつぐんで、彼はあらゆるものや、あらゆる人から退いておられます。

 聖書はこのことを短い数言で述べています。ただ、それにつづく、ひるの十二時から午後三時までの三時間が、それ自体区分を作ることが、きわめて明らかになっています。

 それは別として、それに伴う驚くべきしるしーーイエスの受難に伴った自然のしるしーーだけが語られています。太陽は暗くなって、もはや光を放ちませんでした。にぶい鉛の円盤のように、赤っぽい灰色の空にかかっていて、息詰まるようなやみが、すべてのものをおおいました。最も不敵なあざけり人たちの舌をも拘束する、おしつけるような沈黙がありました。まるで夜になったように、小鳥たちは黙りこみ、小さい春の草花は頭をたれ、花びらを閉じました。人々はこの奇跡をも「説明」しようと努めてきたではありませんか。かれらは、それがこの時「偶然に」起こった日食だった、と推測し、その日食が、それを目撃した迷信的な土着民たちには、そうではなかったにしても、私たち、現代の大いに文化の進んだ教養ある人々にとって、本当に事件全体を「自然」にしたのです。しかし、悲しいかな、この「説明」はあたっていません。私たちは、イエスの死が過越の祭の時に起こったことと、過越の祭はいつも満月の時に来ることを、知っています。しかし天文学は、日食が新月の時にしか起こらないと、私たちに教えているのです。

 いや、この自然のしるしも、何かもっと高いものを暗示しているようです。クリソストムも「太陽は主の不名誉を見ないように顔を隠した」と言っています。そのとき(旧約聖書)ヨエル2章31節のこういう言葉が成就しました、「主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり」またイザヤ書50章3節「わたしは天をやみでおおい、荒布をそのおおいとする」また特にアモス書8章9節〜10節「その日にはーー神である主の御告げ。ーーわたしは真昼に太陽を沈ませ、日盛りに地を暗くし、あなたがたの祭りを喪に変え、あなたがたのすべての歌を哀歌に変え、すべての腰に荒布をまとわせ、すべての人の頭をそらせ、その日を、ひとり子を失ったときの喪のようにし、その終わりを苦い日のようにする。」

 そして、やみがゴルゴタの上にたちこめたとき、それは精神的なやみ、神に見捨てられているやみの姿で、その中にイエスはこの三時間はいっておられました。何びとも、そこで起こったことを根底まで、最も深い真実の中に見ることはできません。というのは、もしも私たちにできたとしたら、私たちの胸は張り裂けたことでしょうから。私たちは、神の聖さの輝く白さ、罪に対する神の激しい怒りを、のぞきこむことに耐えられないし、イエスの受けられた地獄の苦しみの奥底を、のぞきこむことにも耐えられません。

 ただこのこと、この三時間のうちに、あがないの偉大な永遠の救いのわざが、なし遂げられた、ということだけを、私たちは知っています。そのとき、あなたや私が神の名誉の輝かしい盾を汚した、あらゆる無数の罪とがのために、刑罰を要求する神の聖さと、清い罪のない血で私たちの罪を洗い去られた、イエス・キリストに現れた神の愛との間に、大いなる和解が起こりました。(『受難の七日間』348頁〜351頁)

 この暗黒の三時間に、どんなにイエスさまが、私たち罪人の身代わりとなって父なる神様から捨てられ、全くの孤独、地獄に突き落とされる孤独を経験されたかを、著者のフィビガーは更にくわしく考察しているが、残念ながら今日は省略せざるを得ない。それこそ、イエスさまが父なる神様から引き離された孤独の三時間の実相であり、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という叫びであったとだけ付け加えて置こう。

 さて、今朝、何気なしに一通のメールが入っているのに気づいた。まさに55年前に私が初めて担任となった時の生徒さんからのものであった。ほぼ一週間前の4/6のブログでその生徒さんたちが私にくださった愛の奉仕のわざを思い出し、紹介したが、それと同時に、そのうちの一人の住所は分かっていたので手紙を出し、53年ぶりにお礼を筆に認めることができた。ところがその彼からの応答は昨日までなかった。

 それもそのはず、同君はその4/6から4/13の昨日まで海外に出ており、帰国するなり私の手紙を見て、すぐメールされたのであった。そこには来年四月の皆既日食の調査のことが書いてあった。私はそのあまりにも絶妙なタイミングの良さに内心驚かされた。なぜと言って、ほぼ2000年前の受難週中の聖金曜日について、昼間の三時間全地は真っ暗になったが、その日は皆既日食の日ではあり得ない、とフィビガーは先述のように、それは「偶然」でも「自然」でもなく、「預言の成就」だと述べていたからである。

 一方、掲出の絵は1633年オランダでレンブラントが残した『十字架から降ろされるキリスト』と題したエッチングである。390年前の我が日本は折しもキリシタン禁制下、同時に鎖国令が本格化する時でもある。しかもそれにもかかわらず日本が通商を認めていた相手国はオランダであった。果たして、レンブラントのこの絵は当時の日本人の知るところではなかったのか。これまた尽きない興味が湧いてくる。

 一枚の絵、一通のメール、さまざまな人と人との出会いを残して歴史は進行する。しかし、そこには揺るぎない神の御意志(愛)のみが貫かれているのではないだろうか。それこそが、イエス・キリストの生涯であり、その集約はまさしく「十字架」と「復活」である。終わりに、ふたつのみことばを確認しておきたい。

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。(新約聖書 1コリント人への手紙1章18節)

主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。(新約聖書 ローマ人への手紙4章25節)

2023年3月29日水曜日

解題 受肉者耶蘇(メシヤの誘惑)

 デーヴィッド・スミスの『受肉者耶蘇』は、全編がほんとうに良く考えられた論考だと思います。そうは言っても、それは私一人の単なる思い込みに過ぎないかもしれません。それで、今回から、「解題」という形で私自身がどこに感心しているかをお示ししてみたいと思います。

 「メシヤの誘惑」は、明らかにマタイの福音書、ルカの福音書、マルコの福音書を前提に描かれています。もちろん、お読みいただいてわかりますように、これらだけでなく、ヨハネの福音書やその他の聖書全巻が視野に入っていることは当然ですし、それがこの書物の特徴です。全聖書から主イエスさまがお受けなさった誘惑について述べようとしているからです。

 ところで、マタイの福音書では、その「誘惑」は『石』『神殿の頂』『高い山』 の順に、ルカの福音書では『石』『高い山』『神殿の頂』とマタイとは2番目と3番目が入れ替わっています。マルコの福音書には誘惑に遭われたことだけが明記されていて、その内容は書かれていませんが、的確に「誘惑」を述べています。

 その流儀でデーヴィッド・スミスの表現を見ると最初に『世俗(の王者)』次に『見せ物(奇蹟)』最後が『自己』となっています。上の三者に当てはめるなら、『世俗』は『高い山』、『見せ物』は『神殿の頂(から飛び降りること)』、『自己』は『石(をパンにすること)』に該当することがわかります。

 マタイ 石   神殿の頂  高い山
 ルカ  石   高い山   神殿の頂
 スミス 世俗  見せ物   自己

 そして、「世俗のメシヤ像」が実に詳細に描かれています。そのポイントは「この世のすべての国々とその栄華を見せて」(マタイの福音書4章8節)と端的に指摘され、それが高い山から眺望できる全世界であることが、エリコからエルサレムへの坂道の描写を利用して、具体的に描かれています。そしてそのメシヤ像はローマ帝国の羈絆からイスラエルを政治的に解放する王者というイメージが上げられます。しかし、イエスは王者にあらず、全人類の罪を贖うために十字架にかかられなければならないことが強調されています。ことばとしては「高尚悠遠の救い」と言われていますが・・・

 次に、宗教者としてのサンヒドリン(ユダヤ教最高議会)との同盟の誘いがあったことが描かれています。この辺はまさに福音書に見え隠れする叙述であり、デーヴィッド・スミスはカトリック教会を念頭にでしょうか、次のように述べていました。「後年にいたってキリストの敵手はカイザルの帝位に座したではありませんか。しかもそのメシヤの王国は似ても似つかぬものでありました」と述べ、イザヤ書61章1〜2節、ルカの福音書4章17〜19節を引用し、これがイエスさまの職分であったと述べています。しかもその職分が制限されていたと述べ、その戦場は「イスラエルの狭隘な国内」であったと強調しています。

 この辺のイエスさまの葛藤が「イエスはこの天職の制限に対して伝道期間絶えず憂悶し、救いを渇望し、切実なる要求を持っていながらもなお滅び行く、国外大世界の人類を偲び痛み悲しまれたことは明らかであると言っても差し支えはないでしょう。その自らを虚しくして人と成られた間に、その恩寵を制し、心の赴くところを限られることは耐えることのできなかったほどの難事であったでありましょう。愛心を制限せられることは、その栄光を覆われ給うことに優る苦痛でありました。」と描かれていることに改めて目が開かされました。

 一方、2番目の「見せ物のメシヤ像」の誘惑の項では、「奇蹟」をめぐってのイエスさまの行動が描かれ、「その伝道の間に、ただ不思議を行なう人物と認められることを身震いしつつ厭われ、奇蹟を行なわれるごとに盗みでもなすかのように忍びやかに行なわれるのでありました。」と書かれていたので、さまざまな奇蹟が行なわれたあと、よく「気をつけて、だれにも話さないようにしなさい。」(マタイの福音書8章4節)ということが書いてあることが日頃読んでいて、なぜそう言われるのかわからなかったが、初めてああそういうことだったのかと思わされました。

 3番目の「自己のメシヤ像」という表現はわかりにくいことばでいまだに完全にわかったとは言えませんが、それは石をパンにせよと言う悪魔の誘惑に対して、その力を持っているお方があえてそうなさらなかった理由、あくまでも自己否定をされ、私たちと同じレベルにまで降りての主のご意志だったことを深く教えられました。

 そして、最後にこのような誘惑を受けるために荒野に退かれたイエスさまと、やはり同じように救われてすぐにアラビヤに退いたパウロの行動が比較されている項目、8「イエスの純潔」で「悔恨の涙にあらず、贖償の誓いにあらず、ただ誘導を求められる祈祷、天の父のみこころの外は何の律法も認められない不動の覚悟、天の父の栄光の外何をも求められない未来にだけ面を向けられました。このようにこの世を贖う事業に聖別されたメシヤの生涯には、一抹の汚れだに留められなかったのであります。」とあり、「過去」の悔い改めを必要としたパウロに対し、ただ「未来」にだけ目を向けておられました神の子イエスとの違いが言及されているのです。

 一点、個人的にはっとされたことばは『凶暴』ということばです。荒野の誘惑を説明する最初のところでデーヴィッド・スミスは荒野には『凶暴』があったと明記し、ルカの福音書10章30節「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で強盗に襲われた」をその例示としてあげています。そしてこの「メシヤの誘惑」の最後のほうで、パウロがアラビヤに退いた際の回想にこの『凶暴』ということばを再び用いています。それはパウロが信仰に導かれる以前、イエス並びに聖徒に対する『凶暴』の張本人であったことが含意されているのです。そして、イエスこそ悪魔の『凶暴』、『誘惑』に打ち勝たれたまことの神の子であったことをデーヴィッド・スミスは訴えているのです。

 デーヴィッド・スミスのもうひとつの大作は『聖パウロの生涯とその書簡』です。この書物も日高善一さんが訳しており、やはり国会図書館のデジタルライブラリーに保存されていますが、イエスさまの生涯とパウロの生涯を併せ読むことができるしあわせは何物にも変え難いと私は思っています。100年前の日本語表現ならではの名文の連続(これでも随分今風に置き換えて直しつつあらわしておりますが、そのため日高さんの名文の香りは失われている部分があります)で読みにくい面もあるかと思いますが、これに懲りず今後もお読みいただければ幸いです。

そしてすぐ、御霊はイエスを荒野に追いやられた。イエスは四十日間荒野にいて、サタンの誘惑を受けられた。野の獣とともにおられたが、御使いたちがイエスに仕えていた。(新約聖書 マルコの福音書1章12〜13節)

2023年3月28日火曜日

受肉者耶蘇(16)自己のメシヤ像の誘惑

 その伝道の間に、ただ不思議を行なう人物と認められることを身震いしつつ厭われ、奇蹟を行なわれるごとに盗みでもなすかのように忍びやかに行なわれるのでありました。その恩寵こそメシヤであることの証拠であって、いやしくもこれを実験したものはまた他の証拠を求める必要がなかったのであります。しるしを求めるのは結局その心が肉的であることを示しているに過ぎないのです。

(3)自己のメシヤ( A selfish Messiahship)

 荒野の滞在まさに終わらんとして、連日にわたる断食に加えるに間断なき苦悩に困憊されるや、イエスは最後にして巧妙極まれる誘惑に襲われ給いました。イエスの周囲には石灰石の砕片散乱し、一度目をその堆積に転ぜられるるや、この石を奇蹟を行なう力によってパンと変化せしめて飢えを癒さんかとの思想が起こったのであります。イエスはその力を持っておられました。後数日を出でずして、水を葡萄酒に変ぜしめ、また伝道の間に二回まで一握りのパンをもって数千人を養う食料と増殖されたのでありました。しかもイエスはその力をここに用いることを避けられました。考えてみるに、その伝道中奇蹟は皆ことごとく自己のために行われたのでないのを見れば理由はすでに明らかです。

 他の人の要求の声には敏活なイエスの権能は、自己のためには如何に重要な場合であっても鈍ったのであります。イエスの天職には自己を否定せらるる必要がありました。イエスは私たちの重荷を負い、私たちの杯を飲まんがために降臨せられたのであって、私たちのか弱き心を悟らんがためには、私たちの苦痛を極端までも実験せらるる必要がありました。苦痛を逃れんがため奇蹟を行なう力を応用せらるれば、悲しみの人にして悩みを知らんがため、人間に伍して、私たちの性状を実験せらるべき、犠牲を棄てらるることとなるのであります。この世に送られる一歩一歩の生涯に、イエスは己を棄てて、敢然としてこれを癒さんがためにこそ降臨せられたその悲痛に進んで身を投ぜられました。 

 『このようにイエスはこの世を送り給いぬ。
   己を棄てつつ己が痛みを厭わず
  我らの重きを負いて我らの悲しみをことごとく身に受けつつ
   己がためには何の楽しみも求めざる生涯を。』

8 イエスの純潔(The sinlessness of Jesus)

 イエスの遭遇された荒野における誘惑は、私たちの恩寵溢れる救い主の無垢純潔を最も鮮やかに証明します。タルソのサウロはアラビヤの野に退いた間に絶えず、イエス並びにその聖徒に対する『凶暴』を回想しました。これが彼の生涯につきまといつつその隠退の間にも、絶えずこれを嘆いて、出来うる限り、過去を償わんがため、その未来を用いんと悲痛惨憺誓ったものでありました。

 イエスの荒野の隠退はこれと天淵もただならざるの差がありました。イエスは過去を回想されるに何の遺憾も羞恥もありませんでした。その思いを潜められるのは過去にあらずして未来でありました。かつその一つに思いを集められるのは如何にして天の父のみこころを行ない、己に託された事実を完成すべきかと言うことにありました。過去には寸毫の遺憾もないのであります。

 悔恨の涙にあらず、贖償の誓いにあらず、ただ誘導を求められる祈祷、天の父のみこころの他は何の律法も認められない不動の覚悟、天の父の栄光の他何をも求められない未来にだけ面を向けられました。このようにこの世を贖う事業に聖別されたメシヤの生涯には、一抹の汚れだに留められなかったのであります。

2023年3月27日月曜日

受肉者耶蘇(15)見せ物のメシヤ像の誘惑

4 有司との同盟

 しかし、以上の他にもなお方法が無いのではありませんでした。すなわちユダヤの有司と同盟されることであります。サンヒドリンの如きは政策上喜んでイエスを迎え、これを保護したに違いありません。イエスが始めてエルサレムに現れ給うや、この政治機関は、これをくわしく観察せしめんがために、その議員の一人にして、温厚の君子ニコデモを遣わして、個人として接見せしめたのであります。イエスにしてもし彼らの建言を入れられるならば、平和の間に、何らの妨害をも被らず、その職分を続行せられることができたでありましょう。これは心をそそる有望な予想であります。

 しかし、イエスはなおこれにも顔を背けられたのであります。これと等しい誘惑は、サンヒドリンの代表者の来訪とともに、ヨハネをも試みたところでありました。ところがヨハネすら紛然としてこれを叱咤しました。イエスはヨハネにまさって一層明らかに有司の人物を察知して、その建言の動機を早くも看破されました。 俗臭芬々堕落せる心地をもって彼らはこの新運動の牛耳を握らんと欲する者であります。彼らは民衆の帰服せる預言者を圧迫するの愚を知るがゆえに、その傀儡としてこれを保護するのを安全であると心得ていました。しかし、ヨハネとの提携がすでに難しいならば、イエスとの提携はさらに一層の難事でありました。

 イエスは神よりの依託を負っておられるがゆえに、このような世界人類中の少数者に認識される必要がないのでありました。祭司商売や儀式万能主義はイエスの敵であります。どうして死をもって戦いを挑まれるはずのこのような団体と同盟することができるでありましょうか。

5 その職分の制限

 『この世のすべての国々とその栄華』のまぼろしがイエスの眼前に彷彿せるとき、おそらくさらに今一つの思想がその胸中に沸き起こったことでありましょう。イエスは『イスラエルのメシヤ』であると同時にまた『世界の救い主』であるとするその職分には表面矛盾がありました。これがイエスの地上の生涯に絶大な憂憤を与えたもので『茫々とした慈悲の大海』をその胸の内に湛えつつもなお、全世界を覆う情を圧搾して、人類中のただ一部民族の間に閉じ込めなければならなかったことです。

 もし不敬虔に陥る虞れがなければ、イエスはこの天職の制限に対して伝道期間絶えず憂悶し、救いを渇望し、切実なる要求を持っていながらもなお滅び行く、国外大世界の人類を偲び痛み悲しまれたことは明らかであると言っても差し支えはないでしょう。その自らを虚しくして人と成られた間に、その恩寵を制し、心の赴くところを限られることは耐えることのできなかったほどの難事であったでありましょう。愛心を制限せられることは、その栄光を覆われ給うことに優る苦痛でありました。程もはるかなまぼろしを望んでは、国境を踏破して、イスラエル国外の世界に広大な収穫地を求めんとの誘惑にかかられなかったのでありましょうか。しかもイエスは贖罪に関する神の計画が如何に遠き古から進行しているかを思い起こしつつその誘惑に勝たれるのでありました。

 その戦場はイスラエルの狭隘(きょうあい)な国内であります。そして摂理をもって準備の整った地域に、メシヤはその王国の良い種を蒔かれるべきであるのです。誘惑者が唆したように、また一度はその敵がその計画を惑わしめたように、イエスにしてもしイスラエルを棄てて、異邦の民に赴かれたならば、キリスト教はその行程を誤るべきはずであったでしょう(新約聖書 ヨハネの福音書7章35節)。ギリシヤの師父が『信仰』を『哲学』なりと論じたのは、隠れもない事実であって、もしイエスがギリシヤ人の間に伝道されたならば彼らはイエスをもって哲学者なりとしてこれを受け、救い主としてこれを仰がなかったに違いありません。その教訓もまた哲学と受け取られて福音となることはできなかったことでしょう。

6 イエスは殺されんがために降られる

 異邦人の間に赴かれればイエスは厚い待遇を受けられたに違いありません。しかし、これはイエスのさらに心を転ぜられるところではありませんでした。イエスは歓迎せられ、尊敬せられるためにこの世に降られたのではなく、排斥せられ、虐殺せられ、世の罪の犠牲たらんがために、この世に臨まれたことを覚悟せられました。『キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいる』(新約聖書 ルカの福音書24章26節)はずであります。これは初めよりイエスの意識せられるところであります。その死は決して、後からの発見でもなく、思いがけない『大段落』でも、また出来うべくんば逃れんと欲せられた不承不承の必要からでもありませんでした。

 始めより熟慮されたところであります。その伝道の当初に、苦難と復活との神秘的な預言を与えて、しるしを求める有司たちを困惑せしめられたのでありました(新約聖書 ヨハネの福音書2章18節〜22節)。ニコデモとの対話中にも、人の子は必ず『上げられる』必要があるのを示されたのであって、その意義は先ず十字架にかかって栄光に入ると言うにありました(新約聖書 ヨハネの福音書3章14節)。ガリラヤ伝道の開始後間もなく新郎は取り去られて、新婦の家の子らに悲しみあるべきを予告せられました(新約聖書 マタイの福音書9章15節、マルコの福音書2章19節〜20節、ルカの福音書5章34節〜35節)。

 イエスがかつて笑われたことがなく、常に哀しんでおられたとの伝説は確かな事実であります。イエスは死なんがためにこの世に降られ、その在世の日には一日として罪の重荷を卸された日はありませんでした。十字架はイエスの決勝点であって、その影は常に前途に暗闇を描き、また凄惨の気を漲(みなぎ)らすのでありました。『メシヤはこれらの苦しみを受けるべきにあらずや』されば自ら好んでイスラエルの国内に留まられたのであります。 

(2) 見せ物のメシヤ( A spectacular Messiahship)

 この世との提携を退けられるや、イエスは全く反対にして一層激烈な誘惑に襲われなさいました。イエスは神とは同盟せられて当然ではないでしょうか。時代はちょうど奇蹟を好んだころであって、しるしと表象を見るのでなければ、民衆はこれに信頼することができなかったのです。メシヤは自己の宣言の証拠としてしるしを示されるべきものと期待されました(新約聖書 ヨハネの福音書4章48節、7章31節)。イスラエルに起こった詐欺師は皆いずれも奇蹟を行なう力を示して民心の収攬を企てました。イエスの伝道の間にも、群衆や有司の求めるところは絶えず奇蹟でありました(新約聖書 ヨハネの福音書6章30節、2章18節、マタイの福音書12章38節、ルカの福音書11章16節、マタイの福音書16章1節、マルコの福音書8章11節)。

 すなわちこの一般の要望に投じてその宣言を確証せよとの思想が、荒野においてイエスの前に現れたのであります。その心は、後方の山を玉座としてきらめく神聖なる都城の上に転じました。この時を去る38年の後、主の兄弟ヤコブが投げ落とされたというその高い胸壁、すなわち『神殿の袖』に登って、過越節間近にして神苑に群衆の集まるその面前において、この眼も眩む高所から、身を倒し飛び降りるということを胸に描かれたのであります(旧約聖書 詩篇91篇11節12節)。これには神も関与せられるのであります。詩篇にはメシヤに関して『まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。彼らは、その手であなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする』とあるではありませんか。見えざる手はイエスを支えて、地上へ安全に降ろすことでしょう。そうして驚く群衆はイエスをメシヤとして祝しつつ、『ホサナ』と叫ぶに至るでしょう。

7 神を試みる

 イエスはこれをもって『神を試みる』こととして聖書のことばをもってこれを退けられました(旧約聖書 申命記6章16節)。いやしくも摂理によって身に転じ来ることならば、静粛、不動の心をもってこれに克つのは神の子であるものの特権であります。しかし軽率に危険のうちに投じたり、あるいはまた『この世の信任を誇る所為』、虚名を博するためとならば、決して神との協同を志すことはできません。見せ物に類する行動をもって喝采を博せんとする思想はイエスの拒まれるところです。驚駭は信仰ではありません。イエスは茫然たる群衆の喝采を受けるよりも、その宣言の道理より推して認識する、信仰的の霊魂に尊重されんことを望まれたのであります。

2023年3月26日日曜日

受肉者耶蘇(14)世俗のメシヤ像の誘惑

第4章 メシヤの誘惑

『救い主よ、我らに赦しを与え給え、
  我らの弱さをことごとく知り給う。
 汝は我らの先にこの世に在(いま)し、
  世に住む仇の狡賢(ずるがしこ)さを知り給えば 
 汝荒野を過ぎさせ給いて
  その荒涼惨憺(さんたん)たると
 困憊(こんぱい)疲労とを知り給えば。』
             James Edmeston

1 荒野への隠退

 時節は到来しました。イエスはその平和な生活を捨てて、その天職に身をささげねばなりません。ナザレの隠れ家に年久しく瞑想に耽られましたが、時はめぐりその職責の容易でないことを切実に意識せられたのであります。ちょうどあのパウロが悔い改めるや『人に相談せず、アラビヤに出て』(新約聖書 ガラテヤ1章15節〜17節)行ったのと同じように、イエスはその思想を統一し、また神との交わりによって光明と力を受けるため、人を避けて隠れ給うこととなりました。

 ヨルダンの西部にはやせ地で石だらけの不毛の荒野があります。ここは猛獣の棲家であって、またさらに猛獣よりも一層凶暴な山賊が出没し、エリコよりエルサレムに至る坂道は、彼らの凶暴の行為より『血の坂』との名を生じたほどでありました(新約聖書 マルコの福音書1章13節、ルカの福音書10章30節)。洗礼によってイエスのうちに内住し、またそれ以来『無限に』その上に注がれた聖霊は、この荒野へイエスを駆って赴かされました(新約聖書 ヨハネの福音書 3章34節)。こうして四十日の間イエスはその授けられた事業を熟考し、身辺に群がり来る困惑と苦戦奮闘し、その取られるべき道を明確にするために大変な努力をなされたのであります。

2 誘惑

 高遠雄大な事業がイエスの眼前に横たわっています。如何なる方法をもってこれを完成すべきかを思い惑われるにあたって、天の父のみこころに服従せんと決心されつつもなお誘惑はこれを遮(さえぎ)り妨げるのでありました。

(1) 世俗のメシヤ(A worldly Messiahship) 

 イエスはこの荒涼たる原野において瞑想しつつさまよっておられる間に、いつしかエリコを俯瞰(ふかん)すべき高山の頂に歩みをとめて佇まれました。ヨセフスはこのあたりの光景を述べて『原野の只中に市街あり、そのかなたに痩土赤裸の山あり、蛇行起伏して尽きるところを知らず、されども不毛なるがゆえに人跡を見ず』と言っています。山上の眺望は如何にも爽快であって、想像は遠く限界のかなたにまでも馳せられるのであります。

 イエスの足下には心地よき荒野に美わしい棕櫚(しゅろ)の都エリコが横たわっています。西方には神聖なる首都の白い外壁と、きらめく尖塔の頂が、澄み渡る大気に浮かべるように輝いています。まことにイスラエル全土の光景はイエスの双眸(そうぼう)のうちに収められ、右往左往の公道に眼を放たれば、エジプト、アラビヤ、ペルシア、ダマスコ、さては地中海沿岸諸港を経てギリシヤの諸島を始め、大帝国の大都城ローマに通ずる『この世のすべての国々とその栄華』のまぼろしは眼前に澎湃(ほうはい)として映じたのであります。

ユダヤ人の理想

 これこそイエスの贖わんがために降られた世界であります。如何にしてこの事業を完全に成就して、億兆の人類を救済することができるかとは当然起こるべき疑問であります。その上、その国民の間に存在するメシヤに関する思想が、イエスの眼前に提供せられていることも当然でありました。イスラエル国民を暴政の下より救い、衰退しているダビデの王統を、古の盛運に勝る栄華に進むべき凱旋の君主として、メシヤは期待されておられたのです。

 イエスにして真にこのメシヤならしめば、先ずその選民の熱烈な愛国心に訴えて、彼らが久しく期待している救い主であることを宣言し、彼らを叫合して、ローマの羈絆(きはん)を脱せしめられるのではないでしょうか。これは狂気に類する行動であります。しかしこの屈辱を重ねた時代に悲憤慷慨するユダヤ国民中にはこのような謀(はかりごと)を凝(こ)らすものも少なくありませんでした。前年ガリラヤのユダは叛逆の旗を翻して、その全国土を沸騰せしめたのであります。暴徒はたちまちに鎮定されたが、余炎はなお今も燻(くすぶ)り続け、一陣の風にも燎原を焼かんとして待っています。ゼロテの党と称する旗色鮮明な新党派はイエスラエルの間に起こりました。そうして機会あらば先の挫折を雪(そそ)ごうとして待っていました。

 イエスが単にイスラエル国王を復興するがために来たメシヤであると宣言せられたのみでもなお幾千万の民衆はたちまちその麾下(きか)に蝟集(いしゅう)したでありましょう。これこそ当時期待せられたメシヤの遂行すべき職分であって、第二にしてさらに有力なユダ・マカビイとして自由の義旗を押し立てるも決して軽蔑されることではありませんでした。ガマラのユダは失敗しました。しかしイエスにはその命令のままに動くべき天の万軍が備えられているのでありました(新約聖書 マタイの福音書26章52節53節)

3 真のメシヤ

 イエスがまさに獲得せんと思召される世界を見渡された時、このようなものがその眼前に展開したことでありましょう。けれどもイエスは決然他に眼を転ぜられました。すなわち、ローマの羈絆を脱するよりも、さらに高尚悠遠の救いを完成せんがためこの世に降臨せられた所以を意識せられたのであります。当時世に流布せるメシヤの思想は俗世の夢に過ぎないのであります。もしイエスにしてこの思想を抱かれんか、必ずや『この世のすべての国々とその栄華』を獲得せられたにちがいありません。

 後年にいたってキリストの敵手はカイザルの帝位に座したではありませんか。しかもそのメシヤの王国は似ても似つかぬものでありました。『神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年を告げ知らせるために』(旧約聖書 イザヤ書61章1節2節、新約聖書 ルカの福音書4章17節〜19節)これこそイエスの職分でありました。

 イエスの召しを受け給うた行程は、服従、犠牲、徴賤の険路であります。そしてその局を結ぶものは玉座に非ずして十字架であります。しかもイエスは敢然としてこれに面前されたのであります。(The path whereunto He was called, was a lowly path of service and sacrifice; and , though at its end there stood not a Throne but a Cross, He set His face like a flint to walk therein.)

※ブログ子の感想 私はこのDavid Smith氏の著書を愛する者です。今回もこの邦訳本を転写するにあたって感慨措く能わざるものがあります。この原著を日高善一氏がほぼ100年前に翻訳され、今は絶版で誰も見向きもされないかもしれません。しかしこの邦訳が国会図書館にデジタルライブラリーとして保存されており、英文はThe Days of His Flesh で自由に読めるのです。一人でも多くの方がこの本をとおして、神の子イエス・キリストが、人として、世に来られ、いかに歩まれたかを理解し、イエス・キリストが提供してくださる救いを受け入れて下さることを切に望む者であります。)