2013年12月9日月曜日

東京三六会

滋賀・西明寺 2013.11.30 by N.Y
 先週の土曜日は卒業した高校の同期会に二年ぶりに出席した。卒業年次昭和36年にかこつけて「東京三六(さぶろく)会」※と名づけるこの会は、丸の内の某所で毎年12月の第一土曜日に東京在住者を中心に近辺に住む者が集まることになっている。今年は通算で30回目であったが、男子25名女子6名が集まった。私自身は過去5、6回ほど参加したに過ぎないから、あまり熱心な参加者とは言えないが、それでも常連の人たちが皆暖かく迎えてくださるのでありがたい。

 このような集まりがどのようにされているのか寡聞にして知らないが、多分そんなに大差はないのではないか。配膳された寿司などを一緒につまみ酒を汲み交わし、互いに旧交をあたためあうのがその要諦ではないか。古希を迎えただけに恐らく30年前と異なり、酒量も減り皆穏やかになってきているのではないだろうか。いつもは元気なM氏が病気のため欠席だからなおさらのことだった。

 幹事役が二名で会費徴収と司会進行役をつとめられる。終始落ち着いた雰囲気で会は進行する。この日は幹事の願いを受けて一人の方によるレジメを使っての「道中記」(「めいぶつの くうが無筆の 道中記」)の「講義」があった。江戸時代にはこのような日記がたくさん物されたようだ。当時の各地方の町人たち(昭島、鶴岡、熊谷、安中、世田谷)がお伊勢参りなどを目的に日本国内を歩き回っての見聞記録は一つ一つ興味があった。その中でも焦点は近江路にあったので、東京くんだりに居て、ふるさとを通過された古人の足跡を想うことは、同期会でタイムトンネルをくぐり抜け青春に帰る所作に通じて不思議な感慨を覚えた。

 そのあと参加者が与えられた一人二分の持ち時間を利用してこもごも互いの近況報告を皆の前でマイク片手にする時が来た。これがメインイベントであろう。二分などとっくにオーバーして司会者をひやひやさせる御仁もいるにはいるがそこは大目に見て会は進む。 ほとんどの人がリタイアしているので仕事の話はなく、病気や趣味の話が中心であったように思う。私も三、四人目に順番がまわってきて話をしたが他愛もない話になった。幸い座について落ち着いて他の方の話に耳を傾けることができた。後半の方で一人の方が、今年は初めて病気になって入院し、心細さを覚え、人生について真剣に考えるようになりました。大学はミッションでしたが、神様を「礼拝」することなどについて考えて見たい心境になりました、という意味のことを話された。

 内心驚いた。私はこの同期会に出席するにあたって、「主を求める方に出会わせてください」と祈っていたからである。31人で都合三時間余りではお互いに交流を深めることは不可能だが、古希を迎えて忍び寄る死、限りない生を思うから、若いころと違ってどなたのどんな一言も傾聴するに価すると思った。しかし、私自身としては主イエス・キリストについて旧友に個人的に語る機会はついぞ与えられず、不満を残したままの帰宅となった。家に帰り、今回は病で出席することの出来なかった京都在住のいとこに早速電話で見舞いを兼ね、会の様子を少し報告できたのが、責めてもの慰めとなった。

 一日経ち、果たして、私はこのような同期会に出席する意義があるのかと考えざるを得なかった。ついでながら今の話とは矛盾するが、私は来年の幹事をもうひとりの方と引き受けることになった。しかも片割れは同姓同名の方であった。入学の呼名の時、私が並んでいるクラスに来る二、三クラス前に、私の名前が呼ばれ、名前を呼ばれて立った人がいた。その人が立つまでは自分はそそっかしいから列を間違えたのかと思いもしたし、それともほんとうに合格したのだろうかと自分の呼名がなされるまでは心が落ち着かなかった記憶がある。結果は姓名のまったく同音の方がもうひとりいたのだ。高校在学中はその方とは一緒にならなかったのでどんな方か知らなかったが、まさかその方と来年の幹事をすることになるとは。だから元々意義があるやなしやの次元の話ではないのだが・・・。

 しかし、昨日の日曜日の福音集会で一人の方のメッセージをお聞きするうちに、私が同期会を軽視しようとしている考え方が間違っていることに気づかされたのである。諄々と語られるメッセンジャーはもちろん私の土曜日の同期会出席のことなど皆目ご存じないのは言うまでもない。しかし、まるで私が心の中で同期会出席の是非を求めて煩悶していることを諭すかのように静かに語られたのであった。その方のメッセージの中で「人は人として知らなければならない大切なものを知らなければ真の心の安息を得られない」という意味のことをしきりと語られていたからである。

 人は同期会になぜ集まるのだろうか。それは少しでも互いが生きていることを励まし合いたいのではないだろうか。そしてその心の希求するところは真の生き甲斐を求めてのことではないだろうか。だとすれば、私はそれらの方々に直接主イエス様のことを伝えられないからと言ってどうして忌避する理由があるのだろうかと思わされたからである。

 そのメッセンジャーの方は臨終を迎えた一人の若い女性のことを紹介してくださった。彼女は死を前にした全くの孤独の中で、病室の窓外にたたずむ裸木ではあるが生きているマロニエの木を見つけ、「わたしはここにいるよ」という声、「永遠のいのち」の語りかけを聞いたと言うことだった。「こんなひどい運命に会わせた運命に感謝しています」とも彼女は語ったということであった。同期会のつぶやきこそ、主イエス様ご自身が一番聞いておられる人間の悲痛な叫びでないだろうか。だとしたら、私のような罪赦された罪人がどうして忌避する理由があるのだろうか。来年は幹事として備えたい。そう言えば、現幹事の一人は別れ際、私への引き継ぎを念頭においてであろう、「キリストの精神でやってくれるんだろうな。ちゃんとやってよ!」と言い置き、足早に立ち去って行った。

 最後に昨日のメッセンジャーがメッセージの中で引用された聖句の一つを以下に掲げておこう。

苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。(詩篇119・71)

(※どこかで書いたように思ったら、このブログですでに書いていた。http://straysheep-vine-branches.blogspot.jp/2010/12/blog-post_08.html

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