2023年2月7日火曜日

『受肉者耶蘇』(5)博士とヘロデ王

7 全世界贖い主の降誕を待つ

 救い主の降誕を示されたものはイエスラエルの国内に数少なくありませんでした。ユダヤ国民がローマの圧政の下に苦しんだこの暗澹たる時代に、救い主を待つ希望はいよいよ盛んになり、間もなく贖い主は来られるという信念が生まれてきたことは不思議ではありません。このように主の降誕はもはや少しの猶予もない、国民の切迫した要求でありました。なお不思議なのは、聖地だけでなく、広く世界にこの熱望がみなぎっていたことであります。 

 もし『ちかづき来る事件には予表がある』ということわざが真であるなら、世界歴史のこの最大事件に予表があるのは当然であったことでしょう。宗教改革当時、ある人は、欧州の危機とも称すべき戦争が相次ぎ、秩序がまったく破壊され、不信感がはびこったとき、『全世界が大害悪の産褥にあった』と言いました。時が満ちて、神がその御子を遣わさんとされている時代もまさにその通りだったのです。ブルタークの書物にも一つの物語があります。(略)

 このような物語は数多く、イエス降誕の当時、人心に希望が絶えていたことを示すのに十分であって、まるで世界の太陽が没して、夜が次第に更けて行く心地だったのです。このような事情下にあって恐らくイスラエルの希望が国外まで伝えられ、異教徒も等しく眼をユダヤに注ぎながら、救い主を待望したのでありましょう。

8 星に導かれて博士ら来る

 このことから考えると、救い主の降誕にあたって、異教の人々が遠国から訪れて来たのは怪しむに足りません。『見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました」』(新約聖書 マタイの福音書2章2節)彼らは占星学者でした。

 宗教が力を失い、迷信がこれに代わって跋扈(ばっこ)したころには、彼らの職は非常な勢力でありました。その本拠は神秘的な東洋でありましたが、なお西方、ことにローマにおいてもカルデヤの占い者が、その型にあたるもので、無知な群民だけでなく、政治家や国王の上にまで恐るべき勢力をふるったのであります。(今訪れて来た彼らが献げた礼物が三種あったところから、人数は三人で、カスパル、メルキオル、バルサザルと言う名の国王たちであったと言う伝説があります。)

 彼らははるかに遠いその本国で不思議な星を見たと言うのであります。すでにその当時に天文学上の新たな現象があったという証拠があります。博士たちはその現象を見逃さなかったのであります。彼らは視界に漂う不思議な星の出現を見て王者の降誕の予表として歓呼して迎えたのは自然でありました。彼らは事が起こった場所を知りませんでしたが、それでもふさわしい礼物を調えて、この場所を探り求めるために故国を後にしたのです(旧約聖書 創世記43章11節、1列王記10章2節参照)。

 西に辿るにしたがって世人の期待する所はユダヤに集中することを知ったことでしょう。こうして彼らは足をエルサレムへと転じ、故国を出て二年目に、目的の地に到達しました。そして彼らはしきりに「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました」と尋ね求めたのであります。

9 ヘロデの警戒

 その降誕が星の出現をもって予告せれたことを信じることができるならば、このユダヤの王が救い主でないとしたら、何者と言えばいいのでしょうか。市民はこのために騒ぎ立ちましたが、ヘロデには警戒すべき事態です。

 彼は巧妙な術策を用いて王位を奪いましたが、臣下が自分を憎んでいることを熟知していました。彼はローマの庇護により、わずかに王冠を奪取し得て、今その地位をほしいままにしていたのです。日夜王位を奪還されるのを恐れながら心の休まる日はありませんでした。そのため自分の身を守り、子孫の領土を安泰にするため、たくさんの無辜の血を流し、その毒手を染めたのであります。(中略)

 今彼は自分をはじめ子孫を位より放逐するユダヤ人の王が新たに降誕されたと聞き、これまでの暴挙も、計画も、犯罪も、無益となってしまうのを憂えました。だからどんな手管をつくしてもこの危険を除かねばなりません。

「彼の残忍なる決心」

 ついに彼はこの幼い贖い主を屠ろうと決心したのです。しかし先ず第一にその贖い主を発見せねばなりません。彼はこれをサンヒドリンに問う以外にないと考えました。彼は三十年前にこの重要な機関を破壊したが、その後まもなく再興されました。今や暴君は救い主の降誕の地域を質(ただ)したいばかりに、このような問題には唯一の権威だとされるこの機関を、平素は軽蔑しているにも関わらず、諮問を下すために召集しました。 

 『ベツレヘムに』とは預言者の書により一般の確信となっているところに従った彼らの答えでした。ヘロデはすぐに占星学者を引見して、ベツレヘムに赴きその幼子を探せと命じ、幸いに発見できれば、自分も拝みたいので帰って報告せよと命じました。これは見え透いた企みでした。その昔、術策に富んだ外交家とも思えない拙策でした。齢傾いた暴君も、昔のままの猜疑、凶暴の本性に加え、気が衰えるにつれて悪虐の手段が陰険卑劣となってきたのであります。

 その企みのあまりにも見え透いていたことと、一方天によって導かれる博士たちを欺くことはできませんでした。博士たちはベツレヘムに赴いて、幼子を尋ね遭い、黄金、乳香、没薬などの贈り物を献げて礼拝しました。当時の古風な注釈法により、コンスタンチノープルの敬虔な修道士は言います『黄金は王者の表徴だ。王に捧げる貢には黄金を用いるからだ。乳香は神を祭るを象徴する。乳香は神を祭る際に焚く乳香である。没薬は死屍を象徴する。没薬をもって昔は死屍に塗り、腐敗と臭気とを防ぐためである』(これはキリストの三つの職分、王者、祭司、犠牲を象徴する)。博士らは幼子を探し当てたにもかかわらず、ヘロデのもとには帰りませんでした。他の道を求めてそれぞれの国に帰りました。

 小康を得られた王者(註:嬰児イエスのこと)は、なお暴君の狙いを逃れられることはできませんでした。星の出現を二ヵ年以前だとすれば、嬰児の降誕もまたその間にちがいありません。すなわち彼はベツレヘム並びに付近の2歳以下の男児をことごとく虐殺すべきことを命令しました。福音書の記者は巧妙な機転をきかせて、この悲劇に古の聖句を引用しています。曰く

『そのとき、預言者エレミヤを通して言われたことが成就した。「ラマで声がする。泣き、そして嘆き叫ぶ声。ラケルがその子らのために泣いている。ラケルは慰められることを拒んだ。子らがもういないからだ。」』(新約聖書 マタイの福音書2章17〜18節)

と、ラマはベテルと『エフラテすなわちベツレヘム』との間、ベニヤミンの境にある村であります。昔ヤコブはその妻ラケルが悲しみの子ベニヤミンを産んで死んだ時、ここに亡骸を葬りました。その墓が道の辺りにあって、イスラエルの民が捕囚としてバビロンに引いていかれる途上、その墓のそばを過ぎることを思い、エレミヤはさながらラケルがその子孫の不幸を嘆くと感じたのです。後年の物語にはラケルの墓をベツレヘムと記しています。すなわち福音書の記者は無垢の小児の虐殺を嘆く声をラケルが子孫のために泣いたことを適用したのであります。

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