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北風に 白蓮つぼみ 空向かう |
気温の高下が激しい。昨日は冷たい風が強かった。しかし、白蓮通りにある木々のつぼみは敢然と風をものともしていない(ふうに見える)。雪国の人にとってはこんな程度ではないと思いながらも心底(しんそこ)冷える思いがした。その雪国の人の勇気に触れた江戸期の紀行文がある。『北越雪譜』(鈴木牧之著)がそれだ。「東南寸雪」の暖国と「北方丈雪」の越後の国を比較しての名文の数々だ。さしずめ次の文章はその白眉だろう。
雪吹は樹などに積りたる雪の風に散乱するをいふ。其状優美ものゆゑ花のちるを是に比して花雪吹といひて古哥にもあまた見えたり。是東南寸雪の国の事也、北方丈雪の国我が越後の雪深ところの雪吹は雪中の暴風雪を巻騰也。雪中第一の難義これがために死する人年々也。その一ツを挙てこゝに記し、寸雪の雪吹のやさしきを観人の為に丈雪の雪吹の愕を示す。(※)
寸雪どころか、これまで雪といっても、わずか一日、しかも降り始めても昼過ぎには止み、夕方にはその跡形もなくなった。西高東低の気圧配置は今後どのような気候を暖地の者にももたらすのだろうか。
旧約聖書に次のような記述がある。
主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。・・・あなたは雪の倉にはいったことがあるか。雹(ひょう)の倉を見たことがあるか。これらは苦難の時のために、いくさと戦いの日のために、わたしが押さえているのだ。(旧約聖書 ヨブ記38章1〜2節、22〜23節)
※なお『北越雪譜』は青空文庫から自由に読める。https://www.aozora.gr.jp/cards/001930/files/58400_69157.html
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