雨静か 馬酔木(あせび)の花の 輝きよ |
季節は確実に動いている。トルコ・シリアの地震被害には胸が傷む。たまたま、3、4日前、縁あって、フィクションではあるが、2000年ほど前のトルコ西部での地震に人々が右往左往する様を描写する文章に接した。(『オネシモ物語』パトリシア・M・セントジョン著山口衣子訳159頁以下※)
そのとき、三度目の、一番強い最後の地震が来た。町全体が大きな音を立ててくずれ、市場のすみの避難民の近くも、すさまじい音とともにくだけるようにつぶれた。倉庫はとつぜん見えなくなり、今まで立っていた場所がおびただしい石やれんがでうまっていた。オネシモは、ポレモンがその中で、両手に金をわしづかみにして死んでいる姿を想像し、ぞっとして身ぶるいをした。彼は、ふるえ、あえいでいたものの、心は、ポレモンのことにも、グラウコスのことにも、自分の安全のことにもなかった。
市の周辺の大きな家は、中心街の家より被害が少なかった。エイレーネはぶじかも知れない。彼女が生きていても死んでいても、自分はすぐにそこに行かなければならない。自分のいのちはどうでもよかった。ほんとうのところ、彼の心はエイレーネのためならいのちを投げ出してもかまわないという思いでいっぱいだった。柱から馬のたずなをはずすと、彼はヒエラポリスの門に向かって勢いよく進んだ。
よく知っている道だった。そこを大またで歩いて行くことをたびたび考えていたからである。しかし、進むのはたいへんだった。通りはどこもかしこもふさがれて、人々はがれきの山にひざをつき、両手でかきまわしながら何かをさがしたり、泣いたり、わめいたり、神々を呼んだりしていた。ところどころで、大きな柱がまだぐらぐらゆれていた。町の人々は、牧場や丘の方にのがれようと門のあたりに群がっていた。
オネシモは、ほこりにまみれた石やれんが、しっくいのかたまり、そして大きな大理石の平らなかべ板の上をこえ、放心している人々や、泣いている子どもたちの間を通りぬけて丘の家まで進んだ。彼はかなり遠くから、目ざす家の屋根がくずれているのを見た。しかし、家のかべはまだ立っていた。門を大またでまたぐと、エイレーネがまっすぐ走って来てしがみついた。
よく知っている道だった。そこを大またで歩いて行くことをたびたび考えていたからである。しかし、進むのはたいへんだった。通りはどこもかしこもふさがれて、人々はがれきの山にひざをつき、両手でかきまわしながら何かをさがしたり、泣いたり、わめいたり、神々を呼んだりしていた。ところどころで、大きな柱がまだぐらぐらゆれていた。町の人々は、牧場や丘の方にのがれようと門のあたりに群がっていた。
オネシモは、ほこりにまみれた石やれんが、しっくいのかたまり、そして大きな大理石の平らなかべ板の上をこえ、放心している人々や、泣いている子どもたちの間を通りぬけて丘の家まで進んだ。彼はかなり遠くから、目ざす家の屋根がくずれているのを見た。しかし、家のかべはまだ立っていた。門を大またでまたぐと、エイレーネがまっすぐ走って来てしがみついた。
今もおそらく被害民の方の様子は異ならないことだろう。何日か前、テレビが第一報を報じた時であっただろうか、一人のトルコ人の方が、肉親の死を前にして、悲嘆のあまりであろうが「私は生きている死者なのです」と言われた。全くその通りだと思う。何とか人々に希望が失せないようにと祈りたい。
前述の話は奴隷オネシモが主人の言いつけに従って、やはり奴隷ではあるが農場管理人のグラウコスの護衛役として同行し、住んでいたコロサイを離れ、隣町ラオデキヤのポレモンとの商売に出かけ、そこで地震に出会った出来事を記している。
『オネシモ物語』は、主人公が奴隷オネシモであり、隣の町ラオデキヤに居を構える裕福な家ポレモンの娘エイレーネがコロサイに来た時、初めて出会ったことから始まる。二人はまだ少年少女の時ではあるが、互いに好意を持つ。この身分の差を越えて芽生えていたかすかな恋の描写の第一話から始まる物語は、彼らの成長とともに話は次々に展開してゆく。先に述べた地震のできごとはその第十五話にあたるが、全部で二十三の話からなる、この物語は紆余曲折を経ながら、最終章では二人が真の人格の一致を与えられてとうとう一つになる。
その背後に何があったかくわしいことは次の機会に譲ることとするが、端的に言えば、そこにはオネシモ自身が主なる神様、イエス様に向かってなした一つの重大な告白があるとだけ言って置こう。その告白は、なぜか、私にはあのトルコ人の方がおっしゃった「私は生きている死者なのです」と絶望を顔にあらわして言われたことばと共通するものを感ずるのである。もし、そうならば、そこには絶望から希望へのほんとうの生きる道が用意されているのだと思いたい。
※この本は、私の書棚に1986年から今日に至るまで読まずに放置していた児童書である。それは子どもがその年、日曜学校に通い、皆出席のご褒美としていただいたものであった。当時子どもは小学校4年生であった。今では三女の父親になっている。私は実に37年目にしてはじめてその本を手にして読んだ。
あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に合わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。(新約聖書 第二コリント人への手紙 10章13節)
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