名にし負う クレヨンシン氏 招く町 |
それは本来開業を想定されていなかった「足利市駅」が路線を大いに曲げての開所駅であったということだ。それは当時銘仙の一大生産地(日本一)であった足利に立ち寄るべく、東武鉄道が路線をそのように、したということだった。番組を見ながら、何と私自身が後年その恩恵にあずかった一人であることを知って感慨深かった。
私は足利から1969年(昭和44年)12月21日(日)に初めて春日部駅に降り立った。それはそれまで通っていた教会が鴻巣駅にあり、そこまで通っていたが、あまりに遠いし不便なので、何とかもっと簡単に行ける方法がないかと日夜思案していたからだ。
どうして、「かすかべ」が視野に入って来たのか、覚えがないが、それは電光石火のごとく私に臨んできた。漢字三文字の組み合わせは好むものでなかったし、それまで「春日」とくれば「春日野部屋」の栃錦でしか馴染みがなかったので、「かすが」とは読めたが、それ以上はあとがつづかなかった。
その春日部に足利から電車一本で一時間も乗っていれば着けるというので、期待をもってやって来た。その日はクリスマス礼拝で、その上、洗礼式もあった。その教会に初めて出席したのだ。その日が春日部との初顔合わせで、その日、駅前の食堂に入って食事したのを覚えている。その場所こそ、写真の今回新装なった東口改札口のあたりであった。
その時、私は人目を気にしながら、一人で主に祈って食事をしたことを思い出す。まわりで楽しく食事している人にとって、もし注意している方がおられれば私の姿は異様に映ったことであろう。しかし、私には自分が神様を信じて霊の新生をいただいているよろこびがあったのだ。
それまで、婚約者の望むがままに過ごして来た私が、自分で探して来た教会に、婚約者とともに出席するのだという自立した喜びもあった。その後、4年して、住まいを足利から春日部に、さらに3年して、今度は職場を栃木県から埼玉県に移すことができた。
うかつだが、名にしおう「くれよんしんちゃん」の存在はつい最近まで知らなかった。保護者の方々が「眉を顰める」とは聞いてはいたので、ある程度内容はわかるが、作者が不慮の死をとげられた今となっては作者の意図がどこにあったのか確かめようがない。
それにしても人の一生はどこで何が起こり、どうなるかわからない。しかし、私にとっては「春日部」が主なる神様から住むようにと招いて下さった土地であることはまちがいない。「高宮(彦根市)」から「足利」へ、「足利」から「春日部」へ、そしてこの先、天の御国がわが終着点であることを思う。
今日も一人の方がすばらしいみことばを春日部の礼拝、福音集会の中で取り次いでくださった。感謝して以下のみことばを記念に書いておく。
私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。(新約聖書 ピリピ3章20節、4章4節)
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