2023年2月26日日曜日

私は主の囚人

利根川を 線路で渡る 雄大さ
 久方ぶりに伊勢崎まで出かけた。写真は帰りの車中から撮影したものだが、利根川の上流面にあたる。行きは、その反対側の下流方面を見ながらの乗車であったが、広大な利根川が関東平野を悠々と流れ、その遠くには富士山がくっきりと見えた。

 私をふくめて14名の礼拝者であった。そのうちの2名の方は初めて来られたご夫婦であった。皆さんに暖かく迎えられた。あとでお聞きすると、ご主人は来られるつもりはなく別の予定だったが、朝、捻挫したため奥様について来られたということだった。それだけでなく、あと二つばかりの不思議なことがあった。

 福音集会でお話したことは、はたしてふさわしかったのかと帰る電車の中でも気になったが、利根川を通過する頃にはすっかり話の気まずさからも解放されていた。家に帰って録音したものを聴くと話の進め方は稚拙であっても、ここにも主のお導きがあったのかと強く思わされた。鍵としたみことばを記念に書いておく。題名は「(主の)囚人」であった。

ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。(新約聖書 2コリント5章15節)

私はどんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。(新約聖書 ピリピ4章11節)

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