2023年2月17日金曜日

市庁舎移転(上)

光射し 建設急ぐ 庁舎
 春日部市では今、市庁舎建設が急ピッチで進められている。1969年に春日部に私が初めて降り立った時には、西口には人家もまばらで、神社と教会が仲良くあるだけで、田畑が広がっていた(と思う)。もちろん銀行もなく、市の中心部は東口であった。

 翌年の1970年には市庁舎が西口に建てられ、いよいよ西口の市街化が進み今日に至ったが、その象徴とも言うべき現庁舎はすでに老朽化し、耐震基準を満たしていないということで、新庁舎は一昨年の8月から工事が始まり、今年の9月に完成の手筈になっている。市庁舎建設という大事業に私はこれまで無関心であったが、そのことを再考させられる本に出会った。

 その本は『田中耕太郎ーー闘う司法の確立者、世界法の探究者』(牧原出著中公新書)という昨年11月に出版された本である。「田中耕太郎」は知る人ぞ知る存在で、今の若い人には馴染みはないと思うが、文部大臣、最高裁判所長官をつとめ最後は国際司法裁判所の裁判官をつとめた人である。

 CIアートディレクターである飯守恪太郎さんの伯父君にあたる方と言うので、大変興味をもって読ませていただいた。と言うのは、飯守さんとは日頃親しくさせていただいているし、その天衣無縫とも言える言辞にはしばしば驚かされてばかりいたからである。

 それに対して田中耕太郎氏は反共で有名で、特に砂川事件で「統治行為論」を展開し、安保条約に違憲判決を下さなかったことに象徴される方で、左翼学生であった私にとってはとんでもない人物としてしかこれまで考えて来なかった。ところがこの評伝とも言うべき本をざっとであるが、読んで、私の考えこそ浅薄でそこには深い熟慮があったことを知らされた。

 その一例であるが、国際司法裁判所の裁判官当時、オランダのハーグにあった裁判所の移転をめぐり、国連とのすり合わせなどで大変苦労されたことが後半部分に叙述されていた。春日部市庁舎の移転と新築もまた小なりとは言えども同質の問題をはらんでいたはずだからである。目の前にそういう問題を抱えていないなら、この国際司法裁判所の移転問題もそんなに関心を持たずに読み過ごしたに違いない。

 そもそも司法とは縁遠く、何の手がかりもない高度な領域と考え、考えることもしなかった自分にとり、田中耕太郎が知人の親戚の方であり、一方身近に市庁舎移転を控えている我が身にとって、これまた田中耕太郎の最晩年の仕事の一部だが、そこを突破口として少し理解できるように導かれた。

 しかし、振り返ってみると、空気のように感じてしまってはいるが、何とかしなければならない、昨今の政治問題、日銀の総裁人事の問題など、実際は大いに私の周辺には問題は山積しているのである。そんな時、この本は真の「権威」は何かを問うている本ではないかと思い、今回は斜め読みだったが、もう一度じっくり読んでみたいと思っている。最後に文中に紹介されていた次の文章を転記しておく。同書120頁

田中が権威の重要性をとりわけ主張した領域が教育である。戦時体制の中、教育現場では混乱が起き、教師への信頼が低下していた。そこでは必要な権威とは、教師に無批判に追従する「外的物質的権威」ではなく、精神生活の内的な権威だと田中は説く。「福音書記者によりキリストが学者の如くならず権威ある者の如く語り給うたと伝えられている意味においての権威」なのである。

イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。(新約聖書 ヨハネの福音書17章1〜3節) 

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