2016年8月16日火曜日

影でなく主ご自身を

ぶどう棚 手塩にかける 実りかな※

わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。(ヘブル13:5)

 あなたはほんとうに主イエス様の弟子ですか。もしそうなら、主はあなたに、「わたしは、いつも、あなたがたとともにいます(マタイ28:20)」と言われます。 そのことは過去のすべての後悔、そして未来の可能性のすべてを押し流すものです。当然、このことは現在をふくむことでもあります。

 だから、この今の瞬間に、つまりあなたの目がこの書き物に注がれているのと同じ程度に、確かに主イエス様はあなたとともにおられるのですよ。そのやさしい臨在、主イエス・キリスト御自身の今この場の御臨在に背を向けて、信仰を覚えることもなく感謝の囁きもなく「そうかもしれません、でも私は納得できません」と言うのは余りにもひどすぎるのではないでしょうか。

 結局、あなたが求めているのは臨在でなく認識なのです。それは影であって本体ではないのです。実際のところそうなんです。なぜなら、あなたはもっとも単純な約束のことばにまとめられ、神の愛が遺贈することのできる実在の絶対的な確信を持っているので、あえて主をうそつきとはしませんが、「いいえ、主は私とともにはおられません」と言うのです。

 あなたが言うことのできるすべては「私は主の御臨在を意識しません」であります。よろしい、その時あなたの愛する主の誠実さを疑っていることを恥じ入りなさい。そして主の御臨在について「もう口出ししないように(エゼキエル16:63)」しなさい。

 なぜなら、こういう疑い、落胆する言葉は主の御臨在のうちに言われていたのですよ。あなたがそれらのことを言ったり思ったりしている間も、主はあなたとともにおられたのです。主はこういう疑い落胆についてどのようにお考えにならねばならなかったのでしょうか。 

主は私たちを決して裏切られない
主は私たちを決して捨てない
主のとこしえの契約を決して反古にされない
前進せよ 恐れるな 昼の子どもよ※※
なぜなら
主のことばは決して決して廃らないからだ 

 (今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/august-16-not-a-shadow-but-himself/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97393です。

※ご近所の方の「ぶどう棚」である。毎年、丹誠込めてぶどう作りに励まれる。通行人に過ぎないが、許可を得て撮影させていただいた。
 今日の火曜の学び会はメッセージがルカ9:12〜17から「主の祝福のために」であった。また証は明日79歳になる日頃お世話になっている方がなさった。その方のご友人が出席され共に話を聞かれた。会を散じたあとその方を交えてお交わりができたのは幸いであった。あとでご友人が証しをされた方に地の産物を贈られたことを知った。
 帰る時、方面が同じであったが、ちょっとしたハプニングで総勢6人いたお互いがばらばらになりかけた。しかし最後は全員無事に同じ電車に乗ることができた。思わず「奇跡」と口走った。五つのパンと二匹の魚の持ち主である私たちは(これさえも主があずけてくださったものに過ぎないが)、主の祝福なしに何事も成し得ぬことを改めて思わされる。

※※the children of the day〈昼の子ども〉は1テサロニケ5:5のみことばだが、ハヴァガルは聖書を暗唱しているので自由自在にこのようにみことばを本文にさりげなく割り込ませることができるのだ。本文中のエゼキエル16章の引用句などは全く舌を巻かせる内容である。かつ確かなハヴァガルの信仰は時代・民族を超えて普遍であることを改めて知る。どの程度その薫りを伝え得るか、翻訳の力が試されるが、訳者としては訳しがいのあるすばらしい作品であることを感謝する。
 久しく姉マライアの伝記の翻訳を7/31以来中断してしまっているが、秋には再開したい。読者の祈りを切に乞う。) 

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