2016年8月12日金曜日

苦悩をとおして年古る


犬上川土手から河川敷、なだらかな鈴鹿山脈を遠望する

お受けになった多くの苦しみ(ヘブル5:8)

 もし、私たちに以前過ぎ去った「多くのことに苦しんだ」ある大切な方がいるなら、それらを話すことによっては、慰めも助けも得られないでしょう。彼はあなたにそれらを思い出させ、あなたの傷ついた記憶を詳細に連れ戻す貧しい慰め手となることでしょう。人はむしろあなたの考えをそれらから方向転換することに最大限つとめ、あなたが現在の喜びをだけ深く考えるように導くことでしょう。そして人は思い返したくない過去の痛ましい思い出をすすんでぬぐい取ることでしょう。

 しかし、私たちの神の慰め手はそうは働かれないのです。慰め主はキリストの労苦を取り、それらを私たちに見せる時、私たちは主が蒙られた苦しみは非常に貴重であり、それらについての魂を労した思い出は他のすべてにまさって力あるものだと感じるのです。


 この痛ましい二つのことは示唆に富んでいます。ユダヤ人たちが主が30歳そこそこの時に、ほとんど50歳だと想定したことにはどれほどたくさんのことが隠されることでしょう。どの人よりもさらに損われた顔つきのうえに刻みつけられた経験はどんなにか鋭いものがあったに違いありません。「兄弟たちもイエスを信じていなかったのである(ヨハネ7:5)。」という主の家庭生活の外見上続いたに違いないすべてのことを思いなさい。

 主が自身に反抗する罪人のそのような反対に耐えられたお方であることを思いなさい。どんな誘惑が聖なるお方にあらねばならなかったか、そして暗闇の君が神の御子であると知っていた、孤独な人の子に、もっとも悪いことをするために前進した時、どんな悪意と大きな怒りの集中となったことでしょうか。

 サタンと二人きりのイエスを考えなさい。おお、主は苦悶と血を流された汗、十字架と受難に近づかれる前に、どれほどのことを苦しまれたか、それは父が私たち人間と私たちの救いのために飲むようにお与えになった杯を満たしていたものです。

 これらすべては、主がお支えになり、共感された苦しみはもちろんのこと、主が苦しみから救われる個人的な経験を学び、主は完全な救い主となられるためでした。つまり個人的な体験によって「多くの人が義人とされる(ローマ5:19)」従順、そしてただちに私たちが義とされ模範となられる従順を学ばれました。これらすべては、主があらゆること、兵卒のあらゆる困難にはるかにまさることを経験して、私たちの救いの完全な頭となられるためでした。これらすべては、主があなたと私にとって主にしたがう者にとっての永遠の救いの創始者となられるためでした。

あなたが水の中を通る時
わたしはあなたとともにいる
確実にして素晴らしく
すべてを満たすは
主の御臨在

あらゆる神様の大波が
主を圧倒した
偉大なる贖いの日に

今や主だけがあなたを導かれる
それらを通して
あなたとともにあらゆる道へと
 
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/august-12-aged-through-suffering/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97389です。今日の箇所は誤訳がいくつかあると思う。賢明なる読者のご指導を仰ぎたい。特に詩文の前の最後の一区切りになる文章のAll this, that He might beは三度繰り返されるが、どのように訳するのか全くわからなかった。8/13追加 読者の助言を生かして最初の訳を変えた。) 

1 件のコメント:

  1. ALL This  これら 凡ては a perfect Saviour におなりになるためー。2. ALL THIS  これら 凡ては a perfect Captain と なられるためー。3. ALL  THIS  これら 凡ては 従う者に とこしえの救いを 下さるためー あなた そして 私のため。

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