2016年8月13日土曜日

輝きの展望

弦月を 夏空囲む 雲散りて 鎮守の森 暮なんとする(近江高宮にて)※

夕暮れ時に、光がある。(ゼカリヤ14:7)

 私たちは、長い間「夕暮れ時に、影がある」と言って来たはずだ。ところが神は言われる。「夕暮れ時に、光がある。」と。 私たちは何日かの最後の日没の幸福感だけがともなう人生の憂鬱な午後を期待しているのではない。なぜなら、主は「いよいよ輝きを増して真昼となり(箴言4:18)」ますます暗闇にとどまることはないと、仰せになっているからである。私たちは継続的に輝く道を期待している。「光のうちを歩くこと」だけを考えているお方にとって、「将来は輝きと祝福の一展望」である。

 ちょっと考えてほしい。あなたが七歳、十歳、二十歳年上である時、それは主の愛と真実についての七年、十年、二十年のもっと多くの体験、つまりイエス・キリストの御顔にある神の栄光を知る知識のもっと多い光を指しているに過ぎないのではなかろうか。そして依然として「いよいよ輝きを増して真昼となる」ことが私たちの前に開かれていることであろう。私たち主を信ずる者はこのことをまさしく「堅く信じている(ピリピ1:6)」のだ。

西に向かう影を恐れてはならない
おお 昼の子どもたちよ  
なぜなら さらに さらに 輝きが 
あなたの家路となろう 
より完全な輝きと力を持つ
朝のようなまばゆさが
さらには昼間よりも もっとはっきりする
あなたの日没の時となろう

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/august-13-a-vista-of-brightness/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97390です。

※鎮守の森にちなんで少し書き留めておく。それは1957年の彦根市への合併反対のために高宮町に生じた紛争である。私たち小学生にはその意味はわからなかったが、中学進学のあとにじわじわその影響が我が身にも及んで来た。
 それは私たちの中学が廃校になり、別の地域の中学校と統合されるというできごとであった。幸いと言うべきか、私たちの在学中には統合はなされなかった。市の方針に従わず、町は自分たちで独自に教師をかき集めて雇ったのであろう。講師的な先生を集めて変則的な授業が行われたように記憶する。
 その中に北川と言うまだ大学を出たばかりの先生が理科を教えてくれることになったが、ある時、彼は黒板に向かって『我思うゆえに我あり』と大書し教壇を行ったり来たりある時は目を閉じたり、ある時は遠くを見ながら話すのであった。存在するものがほんとうに存在するとどうして証明できるのかという内容であった。中学二年生の自分たちにはもちろんチンプンカンプンではあったが、私は初めてこの時この先生の姿を通して「哲学する心」を知った。もちろん彼は自らの恋愛観も語ったように記憶する。
 かと思うと、私の担任である福原先生には、英語も数学も職業家庭も体育も図工も教わった。あとでこの先生が体育の先生だったと知ったのはもう高校も大学も卒業した随分後だった。この先生は冬に全員はだしで学校近くの田園地帯をただひたすら走らせた。また乾布摩擦も教えてくれた。補習も率先してやってくれた。私たちが一心不乱に勉学に勤しむ中、彼がジャムパンを美味しそうに頬張る。その姿を見ながら、僕もあのように腹一杯食べてみたいと思った。
 大人のうちで起こされた町の合併騒動も、乱闘議会に始まり、このような型破りな新進気鋭の若い先生方の情熱で私たちは育てられた。鎮守の森に欠かせない1950年代の自分史、郷土史である。同時に日本の戦後民主政治模索期のおおらかな時代の一証言としたい。)

2 件のコメント:

  1. ほんとうに戦後の一時期、北川、福原先生のような型破りの
    教師(代用教員も)がいました。。いま思うと年齢もずいぶん
    若い青年でしたのに、、

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  2. 今になってこのコメントをいただいたことを知りました。ありがとうございました。

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