過去の痛み、まさしくこの瞬間も重くのしかかってくる痛み。あなたの痛みのすべて、私の痛みのすべて。主の子どもたちがうめきながら何世代にもわたって経験するすべての痛み。それらすべては子どもたちにとっては「余りにも重過ぎる」ものでした。それらすべてをイエス様は負われました。「(道行くみなの人よ。)よく見よ(エレミヤ哀歌1:12)」です。
主が「今、わたしは彼らを寄せ集める(ホセア8:10)。」(それは数多くの叛逆する者や迷い出た者たちのことですが)と仰る時、主は「しばらくすれば、彼らは王や首長たちの重荷を負わなくなるであろう。」と付け加えられます。私たちは主がまことに私たちを集めてくださったというこの証しを持っていますか。
もし持っていなければ、待ち望みなさい。なぜなら、主は「道のほとりの流れから水を飲まれよう。それゆえ、その頭を高く上げられる(詩篇110:7)」とあるからであります。すでに「悲しみのあまり(死ぬほどです)(マルコ14:34)」ということばは「御前の喜びで彼(王なる方)を楽しませてくださいます(詩篇21:6)」ということばに置き換えられているのです。
そして主によって身代金を払われた者(訳者補注:罪の債務を完全に支払われた者)や集められた者が永遠に尽きない喜びを携えて戻って来る時、「彼らの王は彼らの前を進む(ミカ2:13)」のです。
「主はお受けになった(ヘブル5:8)」
主よ それはまことに私のためだったのですか
不正な者のために正しいお方である
あなたが耐えられたのですか
私が暗黒のゲッセマネで
あえてほとんど見ることもしなかった
苦痛の重みに
「主はお受けになった(ヘブル5:8)」
あなたは 私の近しい 恵み深い友なる方
しかし それ以上に私の主であり 私の神である
あなたは 揺り動かされなかった
主よ それはまことに私のためだったのですか
不正な者のために正しいお方である
あなたが耐えられたのですか
私が暗黒のゲッセマネで
あえてほとんど見ることもしなかった
苦痛の重みに
「主はお受けになった(ヘブル5:8)」
あなたは 私の近しい 恵み深い友なる方
しかし それ以上に私の主であり 私の神である
あなたは 揺り動かされなかった
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/august-29-exceeding-sorrowful-exceeding-glad/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97406です。
※Godhold Beck (7)
ベック兄の生涯は宣教師として首尾一貫していた。60数年前に主から導かれて日本に来られた。日本語を学ぶのは決して容易でなかった。「メトシェラの老齢、ソロモンの英知、そしてヨブの忍耐が必要だとモージマン宣教師から言われた」〈『ドイツマガジン』30頁〉と告白しておられる。ベック兄は流暢に日本語を話され、しかも私たち以上に品格のある日本語を話されたが、謙虚であった。私は何回も直接、ご自身から自分の話している言葉は日本語だと思っているだけで、外人だからちがっているかもしれないと言われるのを聞いた。
そのくせ、ドイツ人である兄は日本に骨を埋めることを決めていた。微動だにしなかった。ベック兄の生涯は「主があなたにお与えになった自分の仕事をつづけなさい。あなたの目標は、空の恒星のように不動のものでなければなりません」〈『絶えず祈れ』下巻10頁〉という主の命令に忠実であった。それが吉祥寺で召され、体は軽井沢の外人墓地に埋葬するという方針であったのだろう。2009年にドイツに帰られて以来、どんなに苦しくとも悲しくとも、この七年間召されるまで一度もドイツには戻られなかった。帰るべき故郷天国をひたすら求め、地上にあっては、たとえ愛する日本人に外人だから日本のことが分からないと非難されようが、日本人の救いのために最後まで仕えるという姿勢であった。
それがすべて「悲しみのあまり」から「喜びのあまり」へと導いてくださった主イエス様を紹介する人生の結論であったのでないか。)
※Godhold Beck (7)
ベック兄の生涯は宣教師として首尾一貫していた。60数年前に主から導かれて日本に来られた。日本語を学ぶのは決して容易でなかった。「メトシェラの老齢、ソロモンの英知、そしてヨブの忍耐が必要だとモージマン宣教師から言われた」〈『ドイツマガジン』30頁〉と告白しておられる。ベック兄は流暢に日本語を話され、しかも私たち以上に品格のある日本語を話されたが、謙虚であった。私は何回も直接、ご自身から自分の話している言葉は日本語だと思っているだけで、外人だからちがっているかもしれないと言われるのを聞いた。
そのくせ、ドイツ人である兄は日本に骨を埋めることを決めていた。微動だにしなかった。ベック兄の生涯は「主があなたにお与えになった自分の仕事をつづけなさい。あなたの目標は、空の恒星のように不動のものでなければなりません」〈『絶えず祈れ』下巻10頁〉という主の命令に忠実であった。それが吉祥寺で召され、体は軽井沢の外人墓地に埋葬するという方針であったのだろう。2009年にドイツに帰られて以来、どんなに苦しくとも悲しくとも、この七年間召されるまで一度もドイツには戻られなかった。帰るべき故郷天国をひたすら求め、地上にあっては、たとえ愛する日本人に外人だから日本のことが分からないと非難されようが、日本人の救いのために最後まで仕えるという姿勢であった。
それがすべて「悲しみのあまり」から「喜びのあまり」へと導いてくださった主イエス様を紹介する人生の結論であったのでないか。)
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