そこで、彼らはみことばを信じ、主への賛美を歌った。(詩篇106:12)
あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。(ヘブル3:12)
「どうして、昔のほうが今より良かったのか。」と言ってはならない。(伝道7:10)
多くの心は小さな歌を繰り返していた:私のいのちをとってください 主よあなたにささげさせてください
しかし、これらの繰り返しはどんな場合にもあらゆる時にも、私たちが望み恐らく期待したほどには大変明瞭な、完全にして、堅い絶えざる喜びではありませんでした
私たちのある者は言いました:私は乗り出します 無限の愛とやさしさの海へ
そして、しばらくして私たちは知りもし、想像もしました、私たちの船には隠れた水漏れがあるのではないかと。そして私たちは依然として疑いもなく海上にいるのですが、最初のように大喜びで確信をもって同じ自由で航海していないのです。
私たちの献身の歌の響きを鈍くも弱くもしたのは何でしょうか。私たちの献身生活の素早く軽快な道を邪魔している小さな漏れとは何ですか。それはかつて私たちのやさしい主が最も簡潔で平易なことばで言われた信仰の欠如はもちろんのこと、もっとも簡単な事実のうちにあるもっとも単純な信頼が欠乏しているところから生じているのかも知れません。端的に主が私たちのことを耳にされる不信仰という事実。私たちが全体重をあずけたり、私たちがかつて疑ったり今では「わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません(ヨハネ6:37)。」を疑う恐れが生ずるとは少しも考えもしなかった、それらの平たく広い土台石が随分前から不信頼のことばとなっています。
これが神の平和ですか
この奇妙な甘い静けさが
疲労の日はまだ絶頂です
まるでいくつかの冷たい澄みきった小川のそばにいるかのように
暗い静けさを通して一篇の夕べの詩篇が浮かんだ
そしてあらゆるいのちあるものの物音は静かにさせられた
そして穏やかな喜びがやさしくなだめる揺らぎをもってあたりをおさえた
ちょうど今はそうではなかったこの奇妙な甘い静けさが
疲労の日はまだ絶頂です
まるでいくつかの冷たい澄みきった小川のそばにいるかのように
暗い静けさを通して一篇の夕べの詩篇が浮かんだ
そしてあらゆるいのちあるものの物音は静かにさせられた
そして穏やかな喜びがやさしくなだめる揺らぎをもってあたりをおさえた
私はうずく頭と曲げられてもっとも痛む胸を脇へよけた
私のまわりには圧倒的な群衆のうちに不安と悲しみが
増進する潮に弱く不十分な感覚、そして
罪、恐れ、暗やみ、疑いが
巻き込む力ある洪水のうちに浮かぶだけだったが
私は弱さを感じない
あなたが私の力だ
私は罪を少しもみることなく
あなたの赦しの愛
そしてすべてに十分な恵みをもっとたくさん見る
あらゆるはためかす思考が静められ
私は休むだけ
そしてあなたが近くにおられることを感じ
私は祝福されると知る
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/august-1-a-little-want-hinders-much-freedom/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97378です。今日の文章もきわめて難解であった。8月早々、ハヴァガルに久しぶりに苦しめられた!読者の直しをお願いします!)
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