2013年1月28日月曜日

100年のロマンに想う

2007.1.18 撮影
今朝の東京新聞朝刊に「JR日光駅 100年のロマン」と題する記事が一面に載った。記事によると、この建物は1912年(大正元年)にそれ以前の駅舎を大改造して木造二階建ての洋風の駅舎として生まれ変わり100年後の今日に至るということだが、これまでその設計者は不明だったそうだ。ところが昨年の11月にひょんな機会に郷土史家の手によりその建築家が明らかになったという記事だった。

6年前の1月、親戚の葬儀に出席するため、日光駅に降り立ち、記念に撮っておいた写真を早速引っ張り出してみた。人っ子ひとりいない殺風景な写真は私にとってお蔵入りになるはずであったのだが・・・。けれども振り返って見ると、この駅は決して馴染みのない駅ではない。5、60年前中学校の修学旅行で日光に初めて降りたのは多分この駅だ。改札口には関東では唯一の親戚に当たるおじさんおばさんが出迎えに来てくださっていた。同級生の手前、晴れがましくもあり、恥ずかしくもあったが、一行と別れ、そのおじさんおばさんに家まで連れられて行った道中の何とも言えないぬくもりを昨日のことのように覚えている。

それだけではない。これと言って何の取り柄もなかった私が糊口を教職に求めたのも元はと言えば、この親戚の家のご養子さんの口聞きがあったからである。しかも当時は今日ほど教師に対する世間の目は厳しくなかった。ましてや退職金の減額騒ぎだの、体罰云々、いじめの横行とか何やかやと問題になる現行の世相とは隔世の感があった。日々厳しくなって行く世相の中で、古から続く建築物の謎の設計者が明らかになったと新聞が報ずるのも故なしとはしない。現在を断ずるに、過去を懐かしみ、未来に希望を見出すのはどうすることもできない人間の性(さが)であろう。

ところで謎の設計者とは明石虎雄氏で鉄道院に所属し、設計に携わったのは20代で、「完成から数年後、工務店を営む父親を助けるため退職して故郷の愛媛県へ戻った。その後、病に倒れ、30代で他界した」とあった。歴史の中に埋もれてしまいかねない人物を見出したというロマンである。もともと大正時代の雰囲気を今に伝える遺産で、私がもう一つの駅である東武の駅からわざわざJRのこの駅にまで足を伸ばして撮影しようとしたのもその記憶があったからである。知らずして撮影していた年(2007年)に近代化産業遺産の認定を受けたとも書いてあった。

話は変わるが、いのちとは何だろうか。「神は魚と鳥を創造されました(創世記1章21節)。水そのものが魚を生み出すことは不可能です。同じように地が鳥を生み出すことも不可能です。魚と鳥は神によって創造されて、水と地上に置かれました。両方ともいのちを持っています(21節)。それらはいのちの形において異なるだけです。・・・魚や鳥の外側の形はそれぞれ異なっていますが、内側のいのちの原則は同じです。水に住む魚は水の「中に」いのちがあることを示します。地の鳥は「地上に」いのちがあることを示します。もともと水も地も死んでおり、そこにはいのちはありませんでした。しかし、形こそ異なっていますが、神は多くの生き物を創造して、そこに置かれました。これは非常にはっきりしています。」(『創世記を黙想する』ウオッチマン・ニー著99〜100頁)

私たちは人がいのちあるものとして、しかも神の似姿として創造されているがゆえに、このような駅舎というひとりの人による造型物にも心をひかれるのであろう。明石さんの1912年の設計意思が形あるものとして今も実在するところに100年のロマンを感ずるゆえんがある。

しかし、そもそも人は創造主自身の作品である。この作品である人のいのちは、神さまという創造主ご自身に心が向いていて始めて生ける神様との交流ができ、いのちの喜びを味わうことができる。しかし、罪がそれを不可能にしている。その私たちを救うために主イエス・キリストは地上に人となり、十字架にかかられた。人類誕生以来、この神さまの愛の呼びかけは変わることがない。100年のロマンを凌駕する圧倒的な真実がここにある。主イエス様を信ずる生活こそ過去の克服、未来への真の希望を与える建設的でかつ現実的な今の生き方でないだろうか。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(新約聖書 ヨハネ3・16)

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