今春には小学校二年生になる女の子がいる。彼女に新春早々、パンダの遊園地に招待された。誰よりも先に入場するという最高待遇を受けたのは私とその母親の二人であった。入場する前にはそれぞれ腕に鈴の鳴る腕環をつけてくれた。先ず、私が入場した。ところが入場する際に、ペットボトルのふたにパンダを乗せて入場するのだが、入り口でその遊園地の支配人である女の子の注意があった。
「もし園に入って、中国人が来てパンダを盗りに来て取られたら鈴を鳴らしてください 。もとに返されます」
遊園地の中にはいると、早速見えたのは右側の滑り台仕掛けの遊具であった。昇って降りて来ると、さっと手が伸びてパンダが盗られてしまう。一瞬何が起こったのかわからないでうろちょろしていると、「鈴を鳴らしてください」とその支配人の声がかかる。あわててその指示に従うと、パンダがもどってきた。次はさらに左奥手に観覧車が見える。これにも乗せてもらった。降りるとまたしてもパンダをさっと奪って行く。あわてて鈴を鳴らす。うまい具合に今度はすぐにパンダが返って来た。
遊園地のしきたりに慣れた頃、最後にシーソーの台が見えた。それに乗って無事門を出た。ところが支配人が宣(のたま)う。さっきは遊園地の仕掛けの説明を忘れましたので、もう一度最初からやり直してください、と。その説明とは、はいるときにカードを渡すのでそれを受け取り、遊園地内の絵探しもやって欲しいということだった。園内には一番二番とふたつの隠し絵があるという。
改めて再入場すると、確かに地面に隠し絵があった。滑り台の下あたりにハートが描いてあって一番と書いてあったのだ。ところが二番もシーソーの下にあったのだが、やはりハートであったので、おかしいなと思いながらもカードにそのとおり描いて、それぞれの遊具で遊んで退場すると出口でカードがチェックされた。二つとも正解であった。ご褒美としてパンダのキャラメルを数個もらった。この間、15分程度であったろうか。大いに楽しませてもらった。
もともとこの遊園地は女の子が姉と一緒に家内が使えなくなったCDやCDケース、包装の切れ端や緩衝材をあてがい、工作を始めさせたことによる。上の小学4年になる女の子はいつも通り、巧みにこれらを使いながら造型を手がけていた。それに対してこの下の子は遊園地を作ると言い出してびっくりさせられたが、できあがりもすばらしかったので褒めてあげた。ところが、てっきりそれで終わりだと思っていたが、まさかその先があるとは思いもしなかった。
それにしてもいったいなぜパンダの遊園地か、最初はわからなかったが、出口でパンダの菓子を沢山ご褒美としていただいて始めて合点が行った。振り返れば、二人が来るというので、最近中国から一時帰国された方がくださったパンダの絵の描いたお菓子を用意しておいた。それが一気にこの女の子の夢を膨らませたのだろうか。確かに、パンダのお菓子は数も多く、この幼い魂に圧倒的な影響を与えたのだと思う。それにしてもその女の子がそのように想像を逞しくして遊園地を作り、そこへ家族全員を招待するとは!実は、私のあとでは、台所で忙しく働いている家内もかつぎだされ、姉も動員された。
ちなみに以前はこの女の子は消防士になりたいと言っていたが、新春には開口一番サッカー選手になりたいと言ったのだ。しかし、この分で行くと、将来は遊園地の企画立案をまかせてもいいようだ。この女の子のアイデアと夢を傷つけてはならないと切に思わされたが、主の助けなしには何事もなし得ないことを肝に銘ずる。
さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。(新約聖書 マルコ10・13〜16)
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