道端に野生のすみれが咲いていた。アスファルト道路と歩道のほんの隙間のところに写真のように一塊になって咲いていた。久しぶりに村田ユリさんの画文集を開いてみた。ユリさん曰く
日本の山野には五十種ものすみれがあるという。一生懸命に親しくなろうとしても、顔と名をはっきりと識別するのは大変に難しい。どれも、あけぼのすみれ、たちつぼすみれ、えいざんすみれ、と、名と姓がある。ところがただ一つ、すみれ、と姓だけ名乗る花がこれである。なぜそうなのかは知らないけれど、多分一番すみれらしいからなのだろう。代表者に選ばれた花なのであろう。
私もこの花だけは何処でも見つけても迷うことはない。優しく、愛らしく、誰もが眼を細めて眺める春の花である。
ゲーテもハイネも、この花によせる詩を書いた。これにモーツァルトやスカラッティーが旋律を添えて、これをより不朽のものとした。それだけではない。デューラーのたった一輪を描いた有名な絵もある。こんなに巨匠たちをとらえた花は他にあったろうか。花仲間の間でも羨望の的であろう。
4月28日 御代田
と、あった。文中、モーツアルトと書いていたので、早速調べてみた。声楽作品集に「すみれ K.476 Das Veilchen」として収められていた。原詩はやはりゲーテだ。
すみれが一つ草原に
丸まって人知れず咲いていた。
かわいらしいすみれだった。
そこへ羊飼いの若い娘が
足取り軽く心朗らかにやって来た。
向うから、向うから
草原をやって来ながら歌っていた。
ああ! とすみれは考える、私が
自然の中の一番美しい花であったなら、
ああ、もうすぐに
あの大好きな人が私を摘んで
胸にそっと当ててくれるだろうに!
ああほんの、ああほんの
15分間でいいのだが!
ああ! だがああ! 少女はやって来て
すみれは気づかずに
かわいそうなすみれを踏みつけた。
すみれはくずおれて死んだが、それでもなお喜んでいた、
たとえ私が死ぬとしても、
あの人に踏まれて、あの人に踏まれて、
あの人の足元で死ねるのだから。
かわいそうなすみれ! Das arme Veilchen!
かわいらしいすみれだった。 Es war ein herzig's Veilchen.
イエス・キリストもまた踏みつけられたお方だった。
彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て満足する。・・・自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられた・・・しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。(旧約聖書 イザヤ53・11、12、10)
春雨に 群れなすすみれ 往き交いて 無事見届けし 紫ロード
イエス君 踏まれしすみれ 友たりと 犠牲の心 汲みたりゲーテ
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