2010年4月5日月曜日

『イースターの朝のできごと』(フランク・モリソン著 清水氾訳 みくに書店)


 金曜日から日曜日まで関西に出かけた。お決まりのコース、18切符を使っての往復だった。18切符を使っての電車の往復は、時間の無い人には所詮無理な話だ。しかし時間があり、お金の無い者にとっては願ってもない方法ではある。すでに私は20年近い方法でこの切符の春夏冬の販売時期にその恩恵にあずかっている。

 このところ、この片道10時間前後の電車の行き帰りでは、決まって一冊の単行本を読み上げることを習慣にしている。今回は標題の本を読了した。原名は「who moved the stone」である。翻訳は清水氾さんである。何年か前に召されたが、長らく奈良女子大の先生をなさっていた方である。出版は1968年であり、この本の存在は前々から知っており、数年前に古本として購入しておいた。ところが書棚の奥にしまいこまれて、いつの間にか埃をかぶっていた本である。

 読了して、これだけスリリングな書物はないと思った。それだけでなく、いつも読んでいる聖書がいかにすべての検証に耐え得る本であるかを示された。鈍行列車の車内でカバンを膝の上に置き、その上に聖書とこの本を並べ、首っ引きで比較して読むことができた。聖書は書かれてから、最も最後に書かれた部分でも少なくとも2000年近い歳月が経過していると言う。そしてその叙述は真実を直裁に伝えてきたところにその特徴がある。しかもこの291頁にわたる、16章の章立てで叙述が進められている本は、イエス様の最後の生涯の七日間のできごとが中心である。すべて聖書の中の四つの福音書を中心に徹底的に検証が進む。

 著者は『使徒信条』という教会内で唱える文句のうち、若い頃、いつも次のところに差し掛かるとことばを発することに詰まったと言う。すなわち

「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ・・・」た。私は若い頃、教会の礼拝に出席し、使徒信条の詠唱がここまでくると、それ以上読むことができませんでした。私は固く歯をくいしばって、それ以上は口にすることを拒みました。(同書94頁)

その「・・・」の箇所は長い論述の末に、最後の方で「三日目に死人の中からよみがえり」であったと明かされる、要するに主イエス・キリストを信じていても、十字架刑からの三日後の「復活」を著者は信ずることができなかったのだ。ところが聖書を丹念に読むことを通して、著者は「復活」を疑い得ないものとして確信するに至った。その経過を七日間の全行程を追いながら読者にも追体験させて行くのだ。その手法はまさしくA級の推理小説のようで、一つ一つ証拠物件を確かめる思いで読まされた。

 イエスの逮捕、裁判、処刑そのものがどんなに厳密に組み立てられ、当時の法律に照らし合わせながら進められてゆくのかがわかり、今までの読み方がいかに浅かったかが思い知らされた。しかも聖書は四人の嘘偽りのない四方向の証言を相互に矛盾するまま載せている。こんなに強い真実への迫り方はないと言える。そしてそのキーポイントになる聖書箇所のひとつに福音書記事の中でもっとも古いマルコの福音書の次の叙述があるという。

そこで、ヨセフは亜麻布を買い、イエスを取り降ろしてその亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納めた。墓の入口には石をころがしかけておいた。マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスの納められる所をよく見ていた。さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。そして、週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた。彼女たちは、「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか。」とみなで話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がころがしてあった。(新約聖書 マルコ15・46~16・4)

 ところが、その墓内にはいった彼女たちが見つけたのは「空の墓」であった。それだけでなく、彼女たちより早く来ていた一人の若い男に遭遇するのである。そしてその若い男からイエスがよみがえったことを聞かされるのである。しかし

女たちは、墓を出て、そこから逃げ去った。すっかり震え上がって、気も転倒していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。(マルコ16・8)

 短いマルコの福音書はこれで終わっている。すなわち、「そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」で閉じているのである。一体、なぜだれにも言わなかったのか、またその恐ろしさとは何だったのかと追求してゆく。

 「who moved the stone」がこの本の原題だが、当時から、今日までイエスの埋葬された墓が空っぽであったことは、なぜか不思議と「復活」を信ずる側も、反対する側も共通して認めていることに著者は読者に注目させる。なぜなら、墓が空っぽでなかったことを証明しようと思えば、墓の中に十字架刑で処刑され葬られたイエスの亡骸を証拠として反対者は提出できたはずなのに、そうはしていないからである。

こんなことが歴史的事実であってよいでしょうか。(注:「こんなこ と」とはイエスが復活したと伝えることに反対する当局側が墓の番兵を買収して墓が空なのは、弟子たちが墓から死体をどこかに運んでいってしまったとする説をさす。マタイ28・11~15参照)イエス・キリスト神社に参詣した人の記事などは使徒行伝にもサウロの書簡にも、また古い経外典のどこにものっていま せん。キリストの死体がまた墓の中にあったとしたら、この墓はキリスト教徒の思い出の中で、最も神聖な場所となるはずです。けれど、この神聖なるべき墓に 関しては、決して破られることのない沈黙があるのみです。これは不思議というよりほかありません。もし死体が墓の中にあったなら、イエスの姿が栄光を帯び て婦人たちの思い出によみがえり、彼女たちはその墓にもうでて、しばらくの時をすごそうと思ったにきまっています。ヨハネとペテロとアンデレは、偉大なる 師の朽つべき肉体を納めた場所を至聖所にしてはどうかと、少なくとも一度は計画したはずです。けれど、そんな計画は事実一度もなかったのです。もし死体が 墓の中に置かれたままだとしたら、これほど不思議なことはないでしょう。(同書198頁)

 そして著者はひとつの大胆な仮説を提唱している。あのマルコの福音書の末尾に登場し、女が墓に到着する以前にすでに墓所内部にいた若い男は実は「祭司長の召使」でないか、という仮説である。そしてその鍵はマルコがイエスの逮捕劇の中で唐突に挿入させるマルコ14・51~52の青年であるとする。

ある青年が、素はだに亜麻布を一枚まとったままで、イエスについて行ったところ、人々は彼を捕えようとした。すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、はだかで逃げた。

その上で、後にこの墓所内にだれよりもいち早くいたに違いない「若い男」が他の福音書、すなわちマルコよりも後に書かれたマタイの福音書では「御使い」と表現されるようになったかが考察されている。この辺の叙述は本当に正しいかどうか私自身さらに考えて行きたいと思う。けれどもこの本のおかげで今年の受難週はより聖書の真実に近づき得た思いがしている。

 さて、こんなスリリングな謎解きに満ちている、この本の著者はフランク・モリソン氏という人物であるが、あとがきに清水氏は次のように書いている。

さて、この本の著者についてでありますが、じつのところ、一言しかいえないということです。フランク・モリソンとは匿名であって、実際の著者はだれなのか、一つとしてわかっていません。正体不明の著者とは、ますます推理小説もどきではありませんか。「だれがこの本を書いたか」といって茶化したくなりますが、それよりこの著者の行間にあふれる熱意からみても、こうした誤解は不用のようです。著者は私たちに復活の疑問を解く鍵を示していますから。(同書291頁)

 個人的な感想をさらに言わせてもらえば、私はこの一週間重篤にあるA氏からたまたま二度にわたりキリスト者が墓に葬られることについての具体的な説明を求められていたのである。私はもちろん天国を指し示すばかりであった。その時はこの本を読もうなんて意志はこれっぽちもなかった。ところがこの本を偶然のごとく車中で読んだのだ。答えはここにあると思った。

 「アリマタヤのヨセフは墓所を用意して丁寧に葬った。しかしイエス様はその墓からよみがえられた。その墓が空っぽであった。」

 こんな興味ある本で、しかも清水氏は翻訳を日本の実情に合わせて工夫して訳しておられる。上述のイエス・キリスト神社はその一例であろう。しかし、現在もはや古本市場でも見つけられず、巷間には流布していない本のようだ。残念である。唯一国会図書館なら閲覧可能であろう。ただ英文でなら、サイトにある。以下がそのサイトである。参考までに記しておく。http://www.gospeltruth.net/whomovedthestone.htm#13

(写真は大阪桜ノ宮駅付近から源八橋方面を望む。4月4日日曜イースター当日朝の風景である。正面は帝国ホテルか?「桜宮 つどいし聖徒 復活の 主を覚えて 心満たさる」)

1 件のコメント:

  1. イースターの朝のできごとという本が、牧師夫人であり伝道師である先生からお借りしたマンガ、「神なんていないと言うまえに」という本で紹介されており
    読んでみたいと思ったので、こちらのブログで紹介されていて、本当に参考になりました。ありがとうございます。興味深い本ですね。私も読んでみようと思っています。

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