2010年4月25日日曜日

神のともし火 クララ


「あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい――光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである。主に喜ばれることがなんであるかを、わきまえ知りなさい」(新約聖書 エペソ5:8~9)

 あまりにも暗黒な現代の世相を見ては、人の世に望みもうすれようとします。しかしその時うなだれようとする首をもたげるのは「神の灯はまだ消えず」との力強いお言葉です。暗夜に光を、曠野に泉を見出したように力づき、信仰もて神を仰ぎます。かつて選民イスラエルが神を軽んじ、祭司エリの家庭も道徳的混乱と非行に乱れて聖き神の臨在が去った時、世は暗黒の翼におおわれました。

 そのような状態の中にあってもなお「神の灯はまだ消えない」との聖言のように童サムエルは神の前に若木のように育ち行き、国民の前に神の灯としての使命を果たしたのです。彼は永遠の灯をかかげてイスラエルの民を神に引きかえしました。どんな絶望的に見える時代にも、神のともし火はなお消えないとの事実は神の無限の憫れみを示しています。

 暴虐な異邦の王の前に神の灯をかざしたダニエルの生涯、また聖言に守られたエリヤの危機も神は生きていますとの証しでした。神はどんな混乱の中にも、暗黒の中にも永遠の灯をもちたまいます。世が悪の故に亡びた時も義しきノアは守られ、町が滅ぼされた時もロトは救われたのです。神は灯を与えたまいます。反逆ユダヤ人の中より一人のニコデモに限りなき生命を語られ、サマリヤの一婦人のためスカルの井戸辺に生命の泉は流れ出ました。神は誰を遣わそうかと生きた灯を求めていたまいます。

 信仰によって心に主イエスを宿します時、光は暗のうちに輝き、やみはこれに打ち勝たないのです。神の灯とは信仰に満ちた人で、彼らは神の業をします。ジョージ・ワシントンの祈りは、アメリカ建国の基となり、リンカーンは奴隷廃止によって人間に自由の流れを与えました。ルターは「信仰による義人は生きる」との灯をかかげた勇者です。

 かつてシカゴが手のつけようもない暗黒に覆われて、悪人は警官と手を結んで悪事の横行した時、市長は大決断をもって一人の優れた学校の教師を取り上げ、シカゴの市政に当たらせましたら、日ならずしてシカゴは一変したと言うことです。ともし火をもった唯一人の人が立ち上がりますなら、社会にもグループにも家庭にも必要な変化がおこります。神の灯なしに人は自らを知ることは出来ず、したがって自らの生きる目標も、生存の価値も責任も知る事は出来ません。

 思えば空しい存在でありました我々も、今は光の子とせられ、生きがいのある生涯を主に感謝する者です。

 ギデオンのいくさに用いられたからつぼのように神の火をうちに宿し、やがては使命の場所につぼは砕かれ、内なる神の火が輝き出て、み民の勝利が鮮やかにほめたたえられますように!! 神の火はまだ消えない!!

(『泉あるところ』小原十三司・鈴子共著116頁4月25日から引用。写真は中国生まれの月光花。「月光花 草むら照らす 灯よ 暗黒の世に キリストの愛」)

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