2010年4月26日月曜日

主イエス様が下さった40年の恵みとこれから

 今日で結婚して40年になる。あっと言う間に時は過ぎた感じである。40年と何日か前、当時下宿していた足利市の旧家N家の「離れ」の続きに建てられた洋館(上の写真) に関西から家内の嫁入り道具がトラックでどっと運び込まれてきた。広い洋館もたちまち手狭になり、畳二枚をやっと残すのみだったことを懐かしく思い出す。

 その後何週間か仮住まい的に住んでいた下宿先を出て、県営住宅、校長官舎、公団住宅など何度か居所を変え、また栃木県から埼玉県へ移るという大決断をしたこともあったが、1978年以来やっと現住所に落ち着いた。この間、五人の子どもたちもそれぞれ成長し独立し、離れてゆき、今一緒に住んでいるのは次女を残すのみになった。40年前の今日、京都の教会で結婚式を挙げさせていただいたが、過ぎし日々を振り返る時、感無量なものがある。結婚生活は 主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。(旧約聖書 詩篇127:1) のみことばでスタートした。聖書には夫婦の関係がイエス様と信者との関係に比して述べられている有名な箇所がある。いつも余りにも自分たちの結婚生活と程遠くまぶしいばかりで、敬遠していたが、今晩の『日々の光』(愛和技術研究所発行で毎日朝・夜と数聖句が載せられている本)は次のように書いてあった。

キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何ひとつない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。(新約聖書 エペソ5:25~27)

 言うまでもなく、イエス様が私たちの罪とがを贖うために十字架におかかりくださったことをパウロが述べている文章であるが、「キリスト」を「夫」として、「教会」を「妻」にあてはめて読むことも出来る。そんなことは土台無理だと初めから決めてかかったところもあったが、もう一度初心に帰り、少しでもそうありたいと願わずにはおられない。後ともに二人そろって何年生きられるかは分からない。しかし『日々の光』はさらに次のみことばを載せていた。

小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができた。花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。(黙示録19:7、8) イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。(ローマ3:23)

 このみことばは将来主イエス様が再臨されることを述べた文章である。小羊はイエス様の別名である。それに対して花嫁は主イエス様を信ずる者を指している。結婚生活を通してこれからも相変わらずお互いの欠点・醜い部分をさらけださねばならないことであろう。しかし、主イエス様を信ずるだけで、自己中心的な醜い奪う愛でなく、主が着せてくださる「光り輝く、きよい麻布の衣」をいただくことができるという望みが信ずる者には与えられているから感謝である。そして、これらのみことばを通して、ともに永遠の御国を仰ぎ見てこれからも歩み続けなさいと励まされた思いがした。

  一緒にいる次女のお手製の料理とケーキに囲まれて最初は私が祈り、最後は家内が感謝の祈りをささげたが、二人とも主に相見えることを祈った。その後、家族三人の団欒の中で料理の中にタラとジャガイモを上手に混ぜ合わせたコロッケがあり、そのことで私の高校時代の弁当の話になった。亡母の「主婦日記」(1958年)を引っ張り出し、今日4月26日のところを見た。

  朝 ちしゃ味噌汁 じゃこ煮豆
  昼 べんとう(アジ 卵焼 煮豆)
  夜 ライスカレー  

と、あった。思わず三人とも顔を見合わせて大笑いした。夜の食事メニューのメインが全く同じだったからである。(「べんとう」とあるのは父と高校一年である私が携えていった弁当の中身であり、主婦としての母は残り物を食べていたのだろうか)

  若くして召されていった亡母の願いは仲睦まじい夫婦関係・家族関係にあった。私は母が亡くなった後、家族関係で蹉跌を経験し苦しみを体験したが、主は助け手としてキリストを信ずる女性を妻として備えて下さり、私にも信仰を与え、亡母の願いに答えてくださった。遺された「主婦日記」の冒頭に羽仁もと子の次の文章があった。

  人の思うことはまづ感ずるところから来る。思うことの浅いのは、感ずることの浅さ不徹底さから来る。・・・ではその導きの手はどこにある。私はルカ伝10章を思い出す。 「視(み)よ、我なんじらを遣わすは、小羊を狼のなかに入るるが如し、財布も袋も鞋も携うな。また途にて誰にも挨拶すな。いずれの家に入るとも、先ず平安この家にあれと言え」と言われた。

  遣わされて厳粛なお仕事に従事するものに余計な道草をする時はない。もしも私たちはこの世において、無駄な道草をしない純粋な気持ちになって、ゆかり因縁のある人に場合に遭う度に、現実の好みにも思いにも囚われず、心から平安この人にあれこの家にあれということが出来るならば、真の平和はそこにあり、真の平和はそのようにして来るであろう。

  亡母にもこのような形で福音(主イエス様)は確実に伝えられていることを今日初めて知った。結婚40年目を区切りに先述の『日々の光』にあわせて、52年前の母が新年の冒頭に読んだであろう標語をさらに付け加えたい。残された結婚生活を通して私たちもまた「平安この家にあれ」とイエス様に遣わされて人々の真の平和のために祈る者でありたいからだ。

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