2010年4月9日金曜日
十二、爆発(上)
『諸君!』と黒板の前に突っ立ったのはクラスの勢力家、ベースボールのチャンピオンで、チームのレフトを引き受けているKであって、無鉄砲の青年でどんなに強い球が直線にとんで来ようが、高いフライ球が落下してきようが、グローヴもつけないで、素手で、パチリと肉音を立てうけとめるので有名な男だ。
『喧しい、いうな、おい、諸君、こっち向いてくれ、黙れ!』
Kの顔が青黒く光る。そして拳骨で教壇を破れるばかりに叩いていた。今、教師が商法の講義をすまして教員室に引き揚げたばかりで、最早、放課後だから三年級の一同は教科書やインキ壺をまとめている時間であった。
『なんや、なんや』と口々にとなえて黒板の方をみると、Kが演説を始めた。
『僕等はもう三年級にいるのは三ヶ月しかないんだ、そして、僕等の級はまだ目覚しいこともしないで、最上級生になってしまうのは、僕は残念でたまらん。』
『木谷ツ、俺ら、腕が鳴ってるぞ』
『シッカリやれ、拳骨が風邪を引くぞ』
とKの共鳴者、鬼瓦と赤猿がどなった。
『四年級の奴等近頃、紳士振りやがって、チックをつけたり、インパネスを着たり、ポリ公のアーメン宗に入ったり』というと、
『僕等のクラスにもバテレンの悦公がいるぞ』
『ストライキやってやれ、悦から始めたれ』という者があった。
『そうガヤガヤいうな、木谷のいう事をきいてやれ』と赤猿がいうた。
『僕はもう堪らんから僕一人でも下級生の生意気な奴に鉄拳制裁を加えてやって、最上級生のフヌケ共に、男子の意義を見せてやる、賛成する者はないか』
『あるぞあるぞ』
クリスチャンになった、Iはその場をはずした。彼は三年級ただ一人のアーメン党であったのだ。
『生意気な奴の名前をこの黒板に書いてくれ給え、そして諸君の賛成があったら、明日の朝雨天体操場に呼び出して、皆でストライキをやってやる事にしよう』とKは結論した。
黒板に白墨で十人位の名がでる。
一々紹介者が説明する。その理由は、上級生にお辞儀をしない奴、袴のつけ方が生意気だ、彼奴の顔をみると癪に触るからやってやれ、バテレン臭い奴だ、等とあってそれが一々三十余名の三年級生のまんなかに、オビキ出されて鉄拳の五六十から二三百に値する罪状なのだから堪らない。
『I君一寸きてくれ給え』
Iは変に思った。そして少し青くなったが、呼び出しにきた青瓢箪と命名された、日頃おとなしい同級生についていった。その日は雨がふっていた。そして放課後、教室から外に出ようとする時だった。廊下を少しゆくと、誰もいない教室に青瓢箪が入れというので、気味悪くはいった。ドヤドヤと同級生全部がきてIをその真中にいれて円陣をつくった。
『オイ』と、壺と綽名のある、小さい年寄った同級生が口をきった。
『君はクラスの秘密をヴォーリズさんに密告するんだそうだね』
Iは頭をたれた。そうすると背部から拳骨で背中をつつく者があった。
『クラスの秘密を売る奴は制裁するぞ』
風雲は急になったIは心臓が変調になったことと、クリスチャンの殉教の話が頭に浮かんだ。それから数日前同級の夏蜜柑君から顔の真中、鼻の上をイヤというほど殴られて鼻血の始末に困ったことやら、Sに教壇へ投げつけられたことやら、バテレン、国賊、売国奴と同級生から痰をはきかけられたことを思い出して情けなくなってきた。しかし、キリストとヴォーリズさんは捨てられないと思って、
『クラスの秘密て、何んですか、僕にいってください』と返答した。
以上が十二、爆発の前半部分である。この項は長いので二つに分けた。上級生の鉄拳は私たちの学校生活でも生きていたような気がする。実際にそのような目にあったことはなかったが、そのような目に会いはしないかという恐怖心のようなものはあった気がする。そのくせ私の内側にはこのような悪をかえって愉快に思う心があることを否定することができない。心の内側から新しくされたい、と思う。人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。(新約聖書 マルコ7・20~23)とはイエス様の私たちに対する的確な診断である。
(写真は地元古利根川桜堤)
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