2010年4月21日水曜日
十六、太平洋をへだてて
親愛なる教父ヴォーリズ様
わたしは今、生まれてはじめて、味わう大陸の気分に浸っています。あなたが買ってくださった万年筆をとって、遠く太平洋のかなた、ロッキー山脈の東、コロラドの高原を想像しています。わたしは、今、満州の中央奉天府の郊外、清朝の廟所、草むす北稜の、石獣がいならんでいる庭から、茶褐色のはてしないこうりゃん畑を眺めています。
あなたはこの初夏、太平洋を渡られました。わたしはこの真夏に玄界灘と黄海を渡りました。あなたは東しました。わたしは西しました。詩人キプリングは、西と東は永久に一致せずとか詠ったそうですが、あなたとわたしは太平洋をへだてても、キリストの結び給いし兄弟の心は親しいものですね。
わたしは、今、あなたから離れてゆく最長の距離―奉天とデンバー市―よりこの手紙をだして、わたしは、あす方向を逆転して再び一歩一歩、あなたに近づくことになることを喜びます。あなたは早く健康を回復して日本に戻ってください。
まだ見ぬご両親様と弟様によろしく。
明治38年8月10日
わたしは書きおえて涙ぐんで祈った。
『天の神様。メレルはあなたの愛子です。必ず日本へ再び帰れるようにしてください』
繰り返しごとを祈るなと、キリストの教えにあっても、わたしの祈りは繰り返されることが多かった。
北稜の見物を終えて、わたしはこうりゃん畑の中の一筋道を、学友のOとHの三人で肩をそろえて奉天府北門へ帰ってきたとき、大陸の澄み切った西の空は、光り輝く夕日に照らされていた。陸のうねりと、海のうねりとを考えたり、人影のない広野と、せせこましい琵琶湖畔の景色などを思ったりしながら、泥と汗にまみれた満州苦力(クーリー)のようになって宿に帰った。
その翌日、わたしは七人の馬賊が斬殺される刑をみた。
半裸体の男の首のない死体が七つころんだ。筋肉隆々とした一粒よりにしても珍しい、七つの肉の持ち主の首がとんだ。鮮血はしょうゆ徳利がころんだように、だくだくとでた。そして切り跡の首筋は脊髄を白くみせて、じりじりと縮んだ。(引用者註:このあと延々と5行程度悲惨な様子が淡々と述べられてゆく。引用者としてはこれ以上パソコンに打つ気力をなくしたので、カットする。)
わたしは支那に渡って、初めて、日本の文化が隣国よりもすぐれていることを体験をもって知った。そして同時に、宣教師や教師として欧米より日本に渡来する人たちが、日本をどんなにみることだろうと考えてみた。こんどヴォーリズさんが、再び日本に来られたなら、真の親切がしてみたい気がした。わたしは夏の終わりごろ朝鮮を渡って帰国した。
親愛なるベビー様
わたしの身体は日増しによくなります。九月には再び近江八幡に着きましょう。神はわたしをお導きになりますから。諸兄弟によろしく。メレル
という文字のある、美しい絵葉書が、神戸の家にきていて、わたしを待っていた。わたしはうれしくて、ただちにイザヤ書と詩篇を英文の聖書で毎日読むことにした。そして性の目覚めようとするころの奮闘に、その夏を勝利者、克己者としてすごした。
やがて九月がきた。
ある日、横浜にヴォーリズさんを迎えに行った。
汽船から岸壁に降りたヴォーリズさんは、見違えるほどの健康体でにこにこして握手した。「ベビーさん」というのは、わたしのことで、わたしはヴォーリズさんの八幡における家族生活の最年少者なので、ベビーさんという綽名をもらっていた。
『ベビーさん。あなたは、わたしより背が高くなりましたね。うれしいことです。わたしはわたしのボーイズがわたしよりも高くなることを無上の喜びと思います』
(やっと春らしい天候に恵まれました。思い切って古利根川にまで出かけ、川べりで菜種花を撮影しました。今日の引用文章は吉田悦蔵氏の著作の24年版と友人から貸与いただいている44年版とを適当に組み合わせて編集しなおしました。横浜は私にとって全く縁のない都市だとばかり思っていましたが、先々代が横浜の南仲通というところにいて『福翁百話』をせっせと模写したものが虫食い状態ですが保存されていたのをいつのころか田舎の家で見つけ感激したことがあります。『福翁百話』は明治29年の作ですから、恐らく先々代は買うお金もなく、どなたかのものをお借りして筆で書き写したものと思われます。今日のヴォーリズさんの横浜港への帰還の話とそう違わない時期に先々代もいたのか、と勝手に思いを馳せました。吉田さんに敬意を表して英文欽定訳聖書イザヤ書を書き写す。And the ransomed of the Lord shall return, and come to Zion with songs and everlasting joy and gladness, and sorrow and sighing shall flee away. Isaiah 35:10)
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