2010年4月1日木曜日
イエス捕縛 ジェームズ・ストーカー
とうとう終わりは目前に迫ってきた。エルサレムのどこの家庭でも、過越しの食事をする木曜日の夕方になった。イエスも十二使徒とともに、席についてその食事をなさった。彼は今夜が地上での最後の晩であること、またこれが弟子たちとの別れの宴であることを知っておられた。幸いにもそれについてはくわしい記録が残っていて、クリスチャンにはよく親しまれているところである。彼の生涯の最大の晩だった。彼の魂の筆舌に尽くしがたい優雅さと荘厳さが溢れた。もっとも、宵の口にいくつかの陰が彼の霊にかかった。だがすぐ消え去った。
弟子の足を洗われる光景、過越しの食事、主の晩餐の設定、別れの挨拶、それに偉大なる大祭司の祈りと、この間彼の性格のすべての栄光は輝いた。友情のあたたかな衝動と限りなく流れ出すおのが者への愛とに、すっかり身を任せきっておられた。そして、まるで彼らのあらゆる欠点を忘れられたかのように、彼らの将来の成功を思って喜び、彼の働きの勝利を語ったりされた。一条の影といえども彼の父の顔を隠すことをしなかったし、今まさに完成しようとしているわざを見て感じられた満足感を減じはしなかった。まるで受難はすでに過ぎ去って、彼のまわりにははや高揚の栄光がきざしつつあるかのようだった。
しかし反動はすぐやってきた。彼らは真夜中に席をたって街を通り抜け、市の東の門から都の城外へ出てケデロンの谷を横切り、彼がよく行かれたオリーブ山のふもとのゲッセマネの園に着いた。ここであの恐ろしい記憶すべき苦悩が起こった。晩餐の席において絶頂に達した歓喜と信頼の気分と、この一週間ずっと戦い続けてきた憂うつの気分がイエスに忍び寄ったのも、これが最後だった。
それは最後の試みの攻撃だった。実に彼は一生試みられ通しだった。だが、われわれはこの光景の要素を分析することをおそれる。どう考えてみても、その意味を尽くし得ないことは明らかである。その中の主な要素―彼が贖いつつあられた世の罪の押し潰さんばかりの、焼き焦がすような力―をほんのわずかでも測り知ることができるだろうか。
だが戦いは完全な勝利に終わった。哀れな弟子たちは、間近に迫った危機への準備の数時間を眠って過ごしたが、彼はその間に、それに対してすっかり準備を整えられた。残された最後の試みに打ち勝ち、死の苦しみは過ぎ去り、何ものにも乱されない落着きと、彼の裁判と処刑を人類の誇りと栄光に変じた尊厳とをもって、次の場面を抑え得る力が与えられた。
オリーブの枝の間から、敵の一団が月光の中を反対側の斜面を下りながら彼を捕えようとしてやってくるのをごらんになったのは、彼がちょうどこの戦いに勝利をおさめられた時だった。裏切り者がその先頭に立っていた。彼は主がよく行かれる所を心得ていて、おそらくそこへ行けばそこに眠っておられるだろうと予想していた。彼がその暗い行いの時刻として真夜中を選んだのは、そのためである。その方が彼の新しい主人たちにもつごうが良かった。市内にたくさんいるガリラヤ人の怒りを恐れて、昼間イエスに手をかけるのをためらっていたからである。(略)
彼らは相手が洞穴の中にひそんでいたり、森の中を追跡しなければならない場合のことを考えて、たいまつとあかりとを持ってきていた。しかし彼は、園の入り口へ自分から出て来て彼らを迎えられた。彼らはその威厳ある態度と、人をたじろがさせるような言葉の前に、臆病者のように小さくなった。彼は自らを相手の手に委ねられ、彼らは彼を町へつれ戻った。時刻は多分真夜中頃であったろう。そしてその晩の残りの時間と翌朝まだ暗いうちに、彼らは、彼の生命を求める渇きをうるおす前に、なさなければならない法律上の手続きをすませた。
(『キリスト伝』ジェームズ・ストーカー著村岡崇光訳164~167頁より引用。ここには触れられていないが弟子ペテロによる主に対する三度の否認もまたこの夜の出来事である。写真は『オリブ山で』ルター著石橋幸男訳裏表紙のもの。捕縛の場面を描いたものだが、刀をふりあげるのはペテロであろうか、イエス様は刀をおさめるようにおっしゃっているのであろう。背面に明らかに逃げてゆく弟子の姿が見える。「そのとき、弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった。」マタイ26・56。)
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