虹ができあがるためには、三つの条件が必要で、その三つとは「雲」と「雨」と「日光」だ。1996年の10月、日本からスイスへ二百二十余名の方々と旅したことがあるが、ある時、宿舎に入るバスの車中から雨上がりの虹を見た。皆、一斉に歓声を上げて喜んだ。中でも同行したTさんは人一倍喜んでおられた。「神様は私の今までのわがまま、背きの罪をイエス様の身代わりの十字架の死で全部赦してくださり、『もうあなたの罪は忘れた』とこのように虹を見せてくださったのですね」とおっしゃった。
降って、2016年8月28日、同月23日に召されたベック兄の葬儀の帰り道、長野県の佐久インターに近づく谷間の雲間に光が差し、虹が出現した。つい一二時間前にベック兄と地上でのお別れを経験し、寂しさを禁じ得なかった時だけに、私たちの心に神様だけが語りかけてくださる一条(ひとすじ)の希望の光となった。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2016/08/blog-post_28.html
今まで八十余年の人生の中で、幾たび虹を見せられてきたことか。F.B.マイヤーは『きょうの力』と言う本の中で次のように呼びかけている。
空を仰いで虹を眺めたならば、あなたと(神様が)結ばれた契約を思い出しましょう。その滅びの洪水が再び地をおおうことはないとの御約束は、同時に御慈愛と恵みの洪水が地をおおうという宣言でもあったことを!(同書12ページより引用)
ちなみに残暑お見舞いの葉書をくださった方は次のみことばを書いてくださっていた。
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず高慢になりません。(新約聖書 1コリント13:4)
このみことばを通しても、主イエス様の愛がいかに大きなものか、改めて思わされる。最後にノアの大洪水後に虹を通して神様がくださった約束を今一度振り返りたい。
わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現われる。わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。(旧約聖書 創世記9章13〜16節)
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