2025年9月11日木曜日

石破首相退陣表明

ニラの花 たおやかにして 屹立す
 とうとう、石破首相が辞意を表明した。再び佐藤正明さんがセミにあやかって早くも自民党の総裁選選びを一口マンガにまとめ上げていた(9月10日東京新聞朝刊)。題名は「次は短命に終わらないように」となっている。画面は地下と地上に分かれ、地下が7割くらい、地上が3割で樹木が覆う中で、敢えなくも蝉に扮した一人の男が仰向けに倒れている。その男に聞かせたいのか、「ジージー ミンミン」と長いこの夏に今まさに消えなんとして鳴いている蝉の声が擬音として描かれている。言うまでもなく倒れているのは石破氏である。

 前回印象的であった同氏の一口マンガは7月30日の発表(※)だったから、この作品で言うなら40日の期間になる。しかし、この作品の真骨頂は、何と言っても地下深く出番を求めて、蝉の幼虫さながらそれぞれの姿で待機して地上に出ようとしている五人の面々である。中央の蝉が倒れたのだから、地下にいた五人がそれぞれ地表に姿を現すべく、動き出したのだろう。昔少年の頃、神社の境内に蝉の幼虫探しに地面の穴ボコを探し回り、見つけては小さな小枝を差しれては幼虫を誘導し、引きあげに成功しては喜んだものだが、その穴ボコに通ずる地下深くに進次郎、高市、茂木、林、小林の諸氏がそれぞれ正座した状態で特徴深く描かれている。


 40日前の一口マンガでは作中で木にしがみついているセミ(石破首相)を虫網を手にして捕えようとしている人(麻生氏、茂木氏)を描き、彼らの口を通して、「どのみち短命なのだから」と言わせていたのだから、随分石破氏は粘ったことになる。

 首相の辞意表明が日曜日にあったが、東京新聞の主張は、早速月曜日、50日間に及んだ辞意表明の遅さに、「遅きに失した『投了』」と政治空白をつくったことの非を唱えていた。さて、斎藤美奈子氏は何と書くだろうかと、水曜日の『本音のコラム』を注視した。果たせるかな、斎藤氏は『50日間の攻防』と題し、冒頭、「石破氏が退陣を表明した。残念である」と書いた(図書館で拝見した朝日の『天声人語』にも同趣旨のコメントが載っていたように記憶する)。何か救われた気持ちになった。余りにも旧態依然たる自民党の姿(石破おろし)には、正直言って辟易していたからである。石破氏がダメなら、他に誰が解党的出直しができると言うのか。

 ジージーとミンミンと蝉の声はこの夏最後の足掻きとも思える声で今日も鳴いていた。ジージーの「自由」と、ミンミンの「民主」。自由と民主を生かす新総裁が選ばれることを期待したい。もっとも斎藤氏は最後にこう書いた。「総裁選が始まれば、またウンザリの日々が戻ってくる。党内の権力争いと安倍時代を懐かしむ勢力の暗躍。政局好きのメディアのお祭り騒ぎ。予想されるのは政治に対する無気力だ。これでますます自民党離れは進むだろう。」

 創世記から始まる歴史叙述をずっと聖書にしたがって毎日読み続けて、第二列王記17章にまで至ったが、間(あい)も変わらぬ人の罪の姿を見せつけられて唖然とする。我が人生もご多聞にもれず、そうだと思う。主なる神様の前に嘘偽りは許されない。まして政治の世界には権力を求める浅ましい戦い、駆け引きが絶えない。こんな時だからこそ、次のイエス様の言葉は珠玉の言葉だと思う。

あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。(新約聖書 マルコの福音書10章42〜45節)

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