2025年7月31日木曜日

三題噺(自然と世相を読む)

炎天下 ヘクサカズラの 花負けじ
 昨夕散歩中、足元に小さな花の花弁が見えた。すかさず、同行者に聞く。「ヘクサカズラ」と返って来た。草花の名辞がまたしてもスラスラと口をついて出てくることに驚くと同時に感謝する。それにしても余りの暑さに青息、吐息の私たちだのに、どうしてヘクサカズラはびくともしないでこんなにたくさんの花をつけているのだろうと、今日の午前中今一度確認を兼ねて行ってみた。茎がつる状に伸びているのであって、根はしっかりと河岸に近いところに根ざしていることがわかった、
輝けり カルガモ家族 真っ赤なり
 日没寸前、カルガモ家族が、夕陽に向かって泳いで行く。思わず、「真っ赤に燃えた・・・」という美空ひばりの歌唱を思い出した。昭和42年(1967年)のことだ。こんなに暑いと、今や太陽を恋の燃える象徴としてだけで歌い込むことはできなくなったのでないだろうか。それとも・・・
しがみつき 青味帯ぶ蝉 これからか
 今夏、初めて蝉の成虫を見つけた。まだ一部青味がかっており、脱皮してまもないかも知れない。この成虫の寿命は極めて短い。

 さて、昨日の東京新聞の佐藤正明さんの一口漫画は「しがみつく」という題名で、セミが木に止まっている姿を描写し、木の下では捕虫網を持った二人の男がセミを見上げている様子が描写されていた。
 もちろん、セミが石破首相、下の二人の男はどうみても麻生氏と茂木氏のように見える。その上、茂木氏らしき人物には「どのみち短命だから」と語らせている。その上、麻生氏は何やら言っているらしいが、それは音声とはなっていない。しかし、それにもかかわらず「辞ー」「辞ー」という声が木々の間から聞こえてくるという凝りようである。いうまでもなく、蝉の鳴き声は今や盛んになっているが、この一口漫画の「辞ー」「辞ー」はまさしくそれにあやかった揶揄のようだ。

 なお、同じ日の『本音のコラム』欄では斎藤美奈子氏が「石破おろしの傲慢」という題名で注目すべき論考を書いていた。自民党だけでなく、大手新聞紙(東京新聞をふくめ)が一様に石破おろしに走っているのは「石破やめるな」運動が市民から起こっていることの意味を顧み確かめずそのような結論に至っているとすれば、それは新聞紙の在り方として「傲慢」に他ならないと言っている。

 参院選の結果については、30日の夕刊『論壇時評』欄で中島岳志氏が「参政党躍進の背景は?」と題して、参政党の支持者が無党派層であったことを指摘し「既成政党は真摯に分析を」と呼びかけている。同時に隣の『大波小波』欄では「ディストピアの空気感を読む」という題名で匿名氏「木春菊」氏がナチス政権の手法と同じ轍を踏むことになるのでないかと危惧している。

 以上、7月にして暑い夏が連日続きますが、その中での自然を眺め、一方、参院選の結果あらわれた民意をいかに考えて良いか、能う限りの識者の論評に耳を傾ける日々です。明日から始まる8月は何が待っているのでしょうか。

主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。(旧約聖書 エレミヤ17章7〜8節)

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