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椋鳥の 餌豊かなり 草刈り場 |
私たちの散歩は平々凡々たる散歩だが、時折、妻が私より先に自然風景の異変に気づくことがある。今回もそうであった。今日の写真は、その妻が最初に見つけた椋鳥の集団である。遠くから見ると黒雲のように密集している椋鳥であった。私は写真を撮るのに夢中だったが、妻は数を数えていた(事実をおさえるのに二つの目だけではなく、四つの目が知覚するのは幸いである)。百十数羽だと言う。大変な数である。この間にも椋鳥はじっとしていない。さっさと餌を啄んでは外敵(近寄る私たち)を恐れてすぐ飛び立ってしまう。ゴッホの作品にカラスが翔び立つ絵があったように記憶するが、そのようであった。辛うじて撮影したのが上の写真である。川は画面上部の草地の向こう側に、流れており、手前が土手であるから、河川敷が意外に広いことに改めて気づかされる。
この「草刈り場」について書く気になったのは今朝の東京新聞の投書欄の「私のイラスト」(清野百合子さん【埼玉県久喜市在住】作)を目にしたことによる。そこには
どっこい さっさと 刈れ刈れ 栗橋草刈り唄 だって
と書かれ、襷姿の人々が鎌などを持ちながら、踊る姿が上手に描かれていた。
この歌詞の文句は、久喜市栗橋の「坂東栗橋感懐」に詳しく書かれている。https://rkato.sakura.ne.jp/Chor%20Glanz/bando_kurihashi_kankai4.pdf 大変な労働歌である。「ドッコイ サッサト 刈れ刈れ」とは何と臨場感あふれる唄であろうことか。その草刈り場の跡をめがけて鳥たちが群がる。彼らはこうして食を得る。まさに主イエス様のおことば「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです」(新約聖書 マタイの福音書6章26節)の通りである。
こうした草刈り場に残された各種草木の「穂ばらみ」こそ、椋鳥の格好の食べ物なのだろう。だから百十数羽の椋鳥が一斉に駆け付けたのである。しかし、この「穂ばらみ」を始めとする収穫の「穂」「実」の扱いについて、私たち人間に対する、天の父であり、主なる神様である方からなる、美しい勧めが、聖書には書いてある。最後にそのみことばを写してみる。
あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、畑のすみずみまで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない。またあなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神。主である。(旧約聖書 レビ記19章9〜10節)
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