2025年7月22日火曜日

石破首相への退陣要求

 今週の日曜日(7/20)は参議院選挙の投票日でした。当日は私にとっては礼拝の日に当たりましたが、近くの施設が借りられず、電車に乗って隣の市へと出かけました。暑い最中、外出そのものが危険視される日でした。だから、礼拝を終えて、家に戻って再び投票会場に行くのはしんどいので、懐中にあらかじめ投票用紙を用意して出かけました。礼拝中には投票のことなどすっかり忘れていました。それでも帰りの道では家と駅の中間点に位置する投票所に行くことができました。投票の「秘密」で妻がどの党の誰に投票したかは聞かず仕舞でした。もちろん私自身の投票先も妻には話してはいません。

 そのくせ、家に戻ってからは夜8時の各テレビ局の報道に釘付けになっておりました。選挙結果は各メディアの事前の予想通りで、国民民主党、参政党の大躍進で、自公は参議院で過半数を獲得できず、47議席で終わりました。あっと言う間の勝負でした。時あたかも大相撲名古屋場所が開かれていますが、強いと思っていた力士が呆気なく負けると、様々な原因が分析され、なるほどと合点するものです。当然、選挙結果の分析が今それぞれの立場で語られています。

 選挙は日本全国中の有権者がそれぞれ投票した結果です。これには従わざるを得ませんね。私にとっては理不尽と思われる参政党の躍進も民意がもたらしたものですから、それなりに尊重せざるを得ないと今は思わされています。もともと「参政党」というネーミングから受け取れた「政治参加」というニュアンスゆえに人々の注目を得ているのだろうというのが漠然とした私の印象でした(「三権分立」を解することのない「政治参加」を標榜する素人集団ゆえの魅力、それゆえに「危なっかさ」があるのではいか、いずれ馬脚をあらわすのでないかという危惧)。しかし、それが外国人排斥の運動を進めていることを知り、これは良くないと思いました。もちろん今もそう思っています。

 ただ現実に私たちの地域社会に外国人の方々が身近に住み、プラス・マイナスをふくめて日々様々な思いを持たせられていることはおそらく全国津々浦々の日本人のすべてが経験している事実です。そこに光をあてたことは参政党の功績だと思います。排外主義は望みませんが・・・。一方で痛切な物価高生活の中で経済をどう立て直すかの対策も与野党それぞれの主張が並行したままで決着がつかず終わってしまいそうです。

 このような政治状況で石破首相がどのような政治判断を下すか注目されましたが、「続投表明」がなされました。それに対して「石破首相への退陣要求(※)」が内外から日毎に奔出しているようです。そのような中で一昨日の20日、すなわち投票日の東京新聞の『首相の一日』記録の記事が私の目を引きました。

【午前】9時38分、東京・丸の内のパレスホテル東京、理容室「ヒロ銀座パレスホテル東京店」で散髪。10時30分 東京・富士見の富士見町教会、主日礼拝に参加。11時55分、公邸・・・

 首相は何と、私とほぼ同じ時間に場所は違いますが、礼拝していたのです。いったい、そこでどんなメッセージを聞かれたのか、知りたく同教会がyou tubeで配信していましたので聞かせていただきました。ここでは詳しく語れませんが、私にとっては実にタイムリーなメッセージでした。果たして首相にとってはどうだったのでしょうか。ここ数日間の首相の表情は何とも言えない苦渋に満ちた顔つきとなっていますが、主日礼拝の中で聞かれた聖書のことばが石破首相の霊の糧となっていることを信じます。

 そして、日本の政治が漂流しないで民主主義の王道を歩めるように祈りたいです。ちなみに富士見教会の主日礼拝で開かれた聖句を最後に書き加えておきます。

※なお、この一人に京都選出参議院議員の西田昌司さんがおられ、もちろん一切面識はありませんが、私より14年後に同じ学窓を巣立った人です。石破首相については昨年の10月30日のブログで「石破首相の舵取り」という題名で書かせていただいています。よろしかったらそちらもご覧ください。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2024/10/blog-post_30.html

イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」(マタイ16:24〜25)

0 件のコメント:

コメントを投稿