2024年10月30日水曜日

石破首相の舵取り

見つけたり 青鷺ひそむ 橋の下
 「少数与党」という新しい政治体制が出現しました。これが日本の政治にとって吉となるのか凶となるのか予断を許しません。今回、選挙前に私は東京新聞の夕刊(10/23)に掲載された『論壇時評』(中島岳志氏執筆)に密かに着目していました。そこでは石破茂首相の行動原理を佐藤優氏の指摘などを参考に「クリスチャンとしての石破茂ーー神への「畏れ」が行動原理に?」と題して詳細に述べられていたからです。

 その論旨展開にいちいちうなづきながら、中島氏の結びの言葉に、過分な石破氏への期待(?)が込められているように私は受け取りました。その結びの言葉とは以下のものです。

自己への過信をいさめ、他者との合意形成を重視すれば「ブレた」と批判され、神の声に従って決断すると「独断」だと批判される。石破首相は、いかにして両者の平衡をとりながら、細い尾根の上を歩いていくことができるのか。選挙後も難しい判断を迫られ続けるだろう。

 このような中島氏の指摘を読みながら、私は石破氏には神を「畏れ」て歩んでほしいと思っていました。その私にも、党執行部が非公認候補が代表を務める政党支部への「二千万円」の支給をしたことは、合点がいかず、何と石破氏は説明できるのかと思っていましたが、「選挙には使わない、法的に問題はない」と答えるばかりでした。中島氏の『論壇時評』の執筆は、おそらく、この共産党の赤旗が明らかにした事実を知らない間になされたものだと思われます。

 それはともかく、石破氏の自民惨敗後の苦渋の顔つきを見ていると、「衆院選の民意」について、東大の牧原出教授(※)が東京新聞の近藤記者に問われて答えている文句を連想せざるを得ませんでした(10/29朝刊)。「与党の敗北をどうみるか」という問いに対して

自民が裏金問題に対する明確な姿勢を示さないことに対し、有権者の不満がたまっていた。・・・石破茂首相には、自民のあしきレガシーを断ち切る期待感があったが、党総裁らしい態度をとることでそれが失われていった。・・・

 石破氏のTV画面をとおしてうかがえる「苦渋」には、「党総裁」としての顔がそのまま現わされているのだと合点がいったからです。一方で、「首相の責任は。」という問いに対しては

責任がより大きいのは裏金議員であるはずだ。今首相を代えたところで、来夏の参院選を乗り切れるか分からない。首相に求められるのは『こらえる政治』だ。党内で強いリーダーシップを発揮し、批判に耐えながら政治改革を毅然とやり抜けるかが試されている。

 と、牧原氏は答えています。牧原氏は中島氏と同様、政権基盤の弱い首相にここは何とか踏みとどまって、日本の政治改革をやり遂げてほしいという期待を表明しておられるのではないでしょうか。同日(10/29)の東京新聞の一面見出しは

 「裏金」責任向き合わず 首相自民惨敗でも続投表明

という文字が踊っていました。

 東京新聞が、首相が衆院選惨敗後に実施した記者会見を受けて、まとめ上げた見出しです。一キリスト者として、私は首相が何とかこの直言に真摯に向き合ってほしいと思っています。

※牧原出氏については昨年その著書を紹介したことがあります。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2023/02/blog-post_17.html

主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。私たちの神、主よ。私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に当たります。主よ。あなたは私たちの神です。(旧約聖書 2歴代誌14章11節)

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