ざわめきて 秋の香乗せる 停車場 |
「いや、青春18だよ!」
とは、若い友と駅頭で出会った時の会話です。
友人であるY夫妻が、洗礼を受けるので、立ち会って欲しいと一月ほど前にお電話をかけて来られました。急なことでビックリしましたが、喜ばしいことなので、出かけることにし、先週末、長野県の御代田の西軽井沢国際福音センターまで出かけました。
ご夫妻とのお付き合いは、家内が、ご夫妻と高校の同級生であったことに起因します。家内とこのご夫妻は同じ高校の一年の時に同じクラスにいました。私も同じ高校なのですが、彼らが入学した時の春にはすでに卒業していました。だから私は当時の彼らを知る由はありません。
ご夫妻が同級生同士で結婚されるとは、よほど縁が深かったと思われます。その奥様と家内は女同士で親友の間柄でした。だから高校を卒業してもその交流は続いたようです。家内は、その親友に、当時出席していた名古屋の教会に誘われ出かけました。その時の心境について、のちに家内は「私は仕事のジレンマに陥り、とうとう自分にあると思いこんでいた自信を失ってしまい、ほかにも精神的な悩みがあり、どこにも逃げ場が見つからず苦しみました。高校時代のY夫人に誘われ名古屋の教会にまで行ったのもこの頃で、神様に頼れる彼女がうらやましく、私も何かにすがりつきたい思いでした」(※1)と告白しています。
家内は何年かしてその思いが満たされ、主イエス様を救い主として受け入れ、当時結婚を前にして罪の重荷に苦しんでいた私にも、その福音を伝え、私は信仰を持つに至りました。私たちはクリスチャン夫婦としてスタートしました。一方、友人であるYさん夫妻は、仲のいい夫妻として歩まれ、ご主人の仕事にも恵まれておられたのではないでしょうか。それゆえ「信仰」はご夫妻にとっては、片隅の存在ではなかったのではないでしょうか。だから、私たちの交流は、年賀状でお互いの安否を問い合う中で終わりを告げるはずでした。
ところが、私たちが「教会」から「集会」に移って来た頃から、私たちとYさん夫妻との関係がにわかに変わり始めたのです。その頃、私たちは時々春日部から遠く吉祥寺までその信仰を求めて通うことが多くなっていましたが、Yさん夫妻の社宅が吉祥寺にあり、家内とY夫人との交流は高校生の時以来、復活したからです。
その集大成が今回のYさんご夫妻の洗礼へとつながったのです。顧みますれば、高校時代に机を並べた二人の少女のうちに信仰の炎はすでに燃やされていたのです。それが周り回って、今回のY夫妻の受洗と私たちの立ち合いとなったのです。60数年前の紅顔の美少年美少女もいつの間にやら歳を取り、人生の終末を迎えつつあります。しかし、主の恵みは尽きないと思い、私たち夫婦は西軽井沢の国際福音センターをあとにしました。
※1「光よあれ第7集」328頁より
ところで、冒頭の会話は、御代田駅の駅頭でばったりと出会ったK兄と私が交わしたものです。30数年前に、少年であった京都出身のK兄が、今や立派に成長して、私どもの老体を労(いたわ)ってくださるあまり、そう呼びかけてくださったのであります。福音のためとは言え、自分の人生で神戸・京都へとしばしば出かけることがなければ、おそらく「青春18切符」を知ることも利用することもなかったことでしょう。その思い出を共有してくださっているのがK兄でした。そのK兄とは軽井沢駅で別れましたが、新幹線で大宮に向かわず、これからその先の横川行きのバスに乗り換えるための便利な出口を教えてくださいました。それこそ今日の写真に載せました信濃鉄道の軽井沢駅の改札口の風景です。レトロ調に見え、バス出発時刻は迫っていましたが、格好の被写体なので大急ぎで写真に収めました。
あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。(新約聖書 ローマ6章3〜5節)
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