出がけに、何を持っていこうかと思いましたが、用意をしていたのはジャムだけでした。ところが都合良いことに、家を出た途端、近所のお家に里芋がたくさん袋詰めして置いてありました。早速、それを買い求め、一方でバインダーを携えていくことにしました。そのバインダーには1973年から1981年ごろまでの私のメモ書きがB5サイズですがルーズリーフの形で収められているのですが、その中に一片だけ娘に見せたいものがあったからです。
その一片には娘が誕生した前後のことが記されているので、いいかなと思ったからでした。それにしても、すでに里芋やジャムを持っているのに、わざわざバインダーを持っていって何になるかと思い、少し荷物になるが、まあいいやと思いながら携えていきました。途中、電車の中でも自由に眺めながら、とうとう娘の迎えに来た駅で下車し、一挙に家へと案内されました。屋上に位置する庭には、このようにたわわなみかんが「花盛り」でした。家内が喜んだのは当然です。同じ時期に買ったみかんの木は娘の家ではこのようにたわわに実っているのに、私たちの庭はさっぱりなのです。
ひとしきり、みかん狩りに精を出しましたが、あとは昼食のご馳走になり、取り留めない座談のひとときとなりました。その時、意外や意外、それまで厄介者と思われていたバインダーが活躍し始めたのです。50年ほど前のことが書かれているものを読み上げては話に花が咲いたのです。
もともと、このバインダーは先日の八潮高同窓会出席がきっかけとなったのです。そこで私は盛んに自らの記憶が何とか記録で確かめられないかと思っていたからです。家にはルーズリーフで500枚(1000頁)に近い断片が無造作に積み重ねられ、廃棄処分の対象としながら、何となく部屋の片隅に放置されて今日まで不思議と生き残っていたのです。問題はこの断片は無秩序だったのです。
それを並べ替えねばなりません。年月日が書いてあるものは比較的簡単なのですが、三割くらいは未記入です。それを再現するのはとてもしんどい作業でした。そのうち井波さんが召されました。その際に先ず思い出したのは写真でしたが、今回この作業をとおしてそれぞれの事実に直面させられたのです。何しろ、この500枚余りのピースはまさに私が葬り去ろうとしていた教会時代20年のことが細大漏らさず書かれていたからです。まさにこれぞ生き証人です。
この500枚のピースには娘が3歳の時に、のちに高校でお世話になる先生が、教会にフルート演奏で来られる人としてすでに名前が記されていたのには、娘もふくめ私たち三人は痛く感動させられました。そして余談ではありますが、私が井波さんと同じ時期に日曜日の聖日に初めて教会でメッセージしたのは1974年7月28日であったことも記されており、その原稿も出てきたのです。
まだこの作業は半分終わったばかりで、後半の1981年から1990年までのピースは未整理です。教会の中で行を共にしてきた井波さんに関する記事は満載しており、私たちがお世話になった牧師さんはすでに引退されており、今回の葬儀の司式をなさったのはその二代後の牧師さんでしたので、この私のピースが伝える事実は知られないと思います。それはそれで素晴らしいことだと思います。なぜなら、主なる神様がすべてのピースを支配してご存知なのですから。
ただ、私は500枚近い断片を前にして、主の前にはすべての事実がこのように明らかにされると思い、かえって今厳粛な思いにさせられているのです。昨日の何気ない娘と私たち夫婦との交わりも大きな主なる神様のご計画のうちにあったことを思い、主を畏れます。
主は、その働きを始める前から、そのみわざの初めから、わたしを得ておられた。大昔から、初めから、大地の始まりから、わたしを立てられた。・・・わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。わたしは毎日喜び、いつも御前で楽しみ、神の地、この世界で楽しみ、人の子らを喜んだ。(旧約聖書 箴言8章22〜23節、30〜31節)
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