鷺二羽 喧嘩するなよ 魚求め |
しかし、神様は一人の仲介者を用意してくださったのです。それは二人をよく知っているSさんでした。前回も少し触れましたが、今から7年前、2017年の2月、突然Sさんが家のリフォームを記念して交わりを持つから、出席しないかとお誘いいただきました。その席に井波兄姉も招待されておられたのです。総計15名の出席でしたが、お互いに近況を報告し合いました。3時間弱のお交わりでした。その後、一度寿司チェーン店の駐車場ですれ違ったことがあります。後でお聞きするとその頃はご夫妻は栃木県の小山のご両親の介護に専念され、久しぶりに春日部に帰って来られた時だったようです。
それから三年経ち、再びS兄から井波さんがご病気で入院しておられるから祈ってほしいという要請があり、私もびっくりしました。それこそ頑健そのものの兄ですから、にわかに信ずることができませんでした。その後、病状は深刻で自宅に帰られ、今は皆さんとお別れの時を静かに持っておられ、自分も行くのだと、S兄から聞かされました。それはちょうど佐久間邦雄兄を送った召天式の席でのことでした。その後、彼からお見舞いされた状況が詳しく私宛にメールで届きました。
主にあって愛する友がまた新たに召されて行くという寂しさでした。それで、これが最後の便りになるかも知れないと思い、勇気を出してお手紙を認めました。すると手紙を受け取られた兄姉からすぐ電話がありました。「是非会いに来て欲しい」という願ってもないお返事でした。私たちは兄姉に受け入れられているという喜びのもと、10月8日(火)お見舞いに出かけることができたのです。
お見舞いは多くを語る必要はありませんでした。兄はベッド上で笑顔と握手で迎えてくださり、「来し方を振り返りつつあり、また今天国への階段を一歩一歩踏みしめているんだ」という意味のことを言われたように思います。隣の部屋で井波姉と私たち夫婦で兄弟が葬儀で歌って欲しいと言われた新聖歌471番「われ聞けり かなたには」(※)を讃美しました。それで長居は禁物と思い、辞去しようとした時、井波姉から、「祈ってください」と乞われました。ああ、それは何という「和解」の証の言葉だったでしょうか。私は心を込めて祈りましたが、夢中でどんなことを祈ったか思い出せません。
このお見舞いの件をリフレッシュ集会の場で報告したら、これまた参加していたS兄が端的に「これで、吉田さんと井波さんは和解できたんだ」と言われましたが、まさしくそうでした。だから私にとってその後、兄弟が10月14日(月)に召されたと、ご長男からその旨電話があった時、寂しさを禁じ得ませんでしたが、「お母さんを大切にね」という言葉が自然に口の端に上ってきた程でした。(上)の写真が示すように、私の長男は彬訓兄に抱かれていました。今、その息子と同い年で竹馬の友であったご長男から電話をいただいたのです。
「兄弟愛の発露」と思わず、題名をつけさせていただきましたが、多くの人々の祈りと、具体的なS兄の仲介の労をとおして、彬訓兄の最晩年に互いに肝胆相照らす言葉を交わすことが出来たのです。人間の仲介により、敵味方と別れていた人同士が和解できる時があります。しかし、神様は私たち罪人の身代わりに御子イエス・キリストの命を十字架におかけになって私たちに永遠のいのちを提供してくださるのです。これこそ「和解」の大きな手立てではないでしょうか。
※1 われ聞けり「かなたには 麗しき都あり」
輝ける彼の岸に われはまもなく着かん
「ハレルヤ」と歌いつつ 歌いつつ 進み行かん
わが足は弱けれど 導き給え 主よ
2 われ聞けり「かしこには 争いも煩いも
明日の憂いもなし」と われはまもなく着かん
「ハレルヤ」と歌いなば 悲しみも幸とならん
われは はや さ迷わじ 神 共にいませば
3 われ聞けり「御冠と真白き衣をつけ 主を
ほむる民あり」と われも共に歌わん
「ハレルヤ」と叫びつつ 御声 聞きて喜び
御国へと昇り行かん わが旅路 終わらば
詩篇46:4 ヘブル11:13ー16
黙示録22:1ー5
神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自分をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。(新約聖書 1テモテ2章5〜6節)
神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。( 新約聖書 2コリント5章19節)
仙波工務所によるリフォーム工事期間中が
返信削除仙波兄との和解の時間でした。私たち夫婦が教会を退会してから仙波兄姉と25年間断絶していました。この二家族の結婚の証人が井波兄姉でした。これが和解のきっかけでもありました。