ところが、何と今朝のことです。この写真を見て、妻の口から「金平糖の花」だと即座に答えが返って来ました。うれしくなり、ネットでも調べましたが、やはり「金平糖の花」でした。昨日は今季初めて「曼珠沙華」の花に遭遇しました。二、三日目を離している間に忽然とこの花が目の前に出現した感じです。
写真を見て「何と素晴らしい赤だろう」と妻は申します。確かに赤は赤でも見れば見るほどやはり独特の赤ですね。この曼珠沙華は昨日散歩のおり二人して見かけたものですが、そのことは覚えていないようです。しっかり彼女の記憶原野には残っているのでしょうが、それをうまく取り出すことができないのだと思います。 私としたところで、この曼珠沙華の咲くところは毎年決まっているのに、つい先だっても、急(せ)いてしまって、妻の過去の絵を載せ『待ち遠しい、彼岸花』として投稿してしまいました。今年のいつ果てるとも知れない長い夏にうんざりしてとっくに曼珠沙華もダメになっただろうと勝手に決めつけてしまっておりました。しかし、曼珠沙華はきっちりほぼ同時期にいつもと同じところに芽を出し花を咲かせてくれたのです。
テレビと言えば、ニュースしか見ない、それも午後9時台のものしか見ない日々ですが、昨晩は珍しく『ゴッホが日本にやって来た』〜名画の誕生と家族〜を題名に惹かれNHKプラスで視聴しました。ゴッホと言えば二人とも大のファンですが、見ていて、私のファンぶりは浮ついたもので、妻のファンぶりは地についたものだと思わされました。
ゴッホのことについて、私は確かにその手紙や絵の存在を知っていて誰よりもゴッホを知っているものと自負していましたが、彼の37年の短い生涯のこともその画業を彼の家族がいかに受け継ぎ、後世の私たちに伝えようとしたかを知るに及んで大層考えさせられました。ましてゴッホの弟テオのひ孫の方が今回の東京都美術館の展示のため来られ、作品展示のアドバイスをなさっておられることを知り、今も生きている「ゴッホ」を思わずにいられませんでした。
見終わって、妻が「ゴッホが好きだ」とポツンと申しました。このような発語は私にとって驚きでした。「金平糖」の発語と言い、「好きだ」と言う感情表現は、このところすっかり無口になっている妻の、何よりも生き生きとした健在ぶりを物語っていたからです。ゴッホ読みのゴッホ知らずよりも、ゴッホの絵を好きだと言える妻の真実な姿から一瞬多くを教えられました。私自身聖書読みの聖書知らずになっていないか、このことも思わされました。
そんな今朝の東京新聞の『筆洗』欄は、聖書の言葉を正確に伝えて、トランプ大統領の態度、その結果及ぶアメリカ社会の分断を嘆いていました。その中で銃殺されたカーク夫人の言葉は福音の勝利が示されているもので感動しました。指導者がいかにあろうとも主なる神様のご判断・裁きは、私ども日本の政治家の上にもあることを思います。自民党の総裁選選びが始まりました。正しく自己の信念を語ろうとしない政治指導者が何人いようとも政治は変わらないと思いながらも、何とかふさわしい方が選ばれて欲しいと思う今日この頃です。
もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(新約聖書 ローマ12章20〜21節)
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20年ほど前にゴッホ終焉の地で手にした一枚の絵です。 |
こんにちは。
返信削除同時期に「ゴッホ」や「彼岸花・曼珠沙華」を話題にしていたので、思わず笑ってしまいました。写真にも力を入れている私としては、どう撮るは永遠の課題。伝える、が一番の目的でしょうが、その中に「私の気持ち」を織り込められたら、と思っています。
そうですね。私も今朝の迫田さんの投稿を先ほど拝見したばかりで、えらくゴッホづいたなと思っておりました。
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