2011年7月15日金曜日

われは神の子、白波の

熟れ始めたブラックベリー
都内の某所の家庭集会に先日出席した。高校時代の友人も一緒だった。一年のとき同じクラスだった。二年、三年とは別のクラスで交流はなかった。一年浪人して大学の夜間に入ったら、その友人は昼間の大学二年生であった。久しぶりの再開であった。その時彼はバドミントン部に所属していて見違えるばかりであった。何かの機会にその友人の手ほどきを受けたことがある。その後、一年して私はその大学の昼間の学部に入った。彼は三年生、私は遅れて入った一年生。当然の如く私には屈辱感があった。彼が卒業して私はゼミを選んだ。そのゼミは彼が在籍していたゼミであった。相談した訳でない。ほとんど互いには没交渉であったからである。彼がどうしてそのマルクス経済学のゼミを選んだか知らなかった。私はと言えば、それが自らの良心の証ともなる思いで選んだ。経済学史という地味な分野ではあったが悔いはなかった。

なぜか、その友人とはいつの頃からか年賀状をやりとりする間柄になった。私たちが結婚してから、家内がその友人が結婚しようとしていた女性と懇意であったことを知らされたからである。しかもその女性は私の小中の一学年先輩の人であった。私よりも早くその友人たち夫妻は主イエス様を知っていたのだが、私たちとほぼ同じ頃、都内の教会で結婚式をあげたのであった。風の便りにそのことをお聞きして賀状の交換が始まったように記憶する。1970年頃からだろうから、ほぼ40年近い年月が経った。形式的なやり取りに過ぎず、彼がどんな生活をしているか、肩書きが明示する仕事以外のことは知らず仕舞いであった。ところが二年ほど前のその友人の賀状に、一度礼拝に出席したい旨のことが書かれてあった。突然のことでびっくりしたが、嬉しかった。

こうして、ここ一二年彼と何度か会う機会が増えた。彼は大学時代にすでに主イエス様を信じていたという。その彼がどうして、私のようにキリスト教嫌いの者が選ぶ「マル経」のゼミを選んだのか不思議で聞いた。彼の答えもほぼ私の選択理由と同じだった。私自身は大学卒業後三年してキリスト教嫌いが転じて、主イエス様を受け入れるようになり、その後つかず離れず今日に至った。ところが、彼は途中から教会には出席しなくなったという。その彼が何らかの心境の変化なのだろう。上述の年賀状の便りを寄越したのであった。

先日の都内の某所で語られたみことばは1ヨハネからであったが、三つのポイントが話された。一つは人の救いということ。二つ目は私たちは主イエスに似た者となること。最後に主イエスをこの目で見ることが出来るということであった。そしてあとの二つはこれから経験することだと言われた。私はそのことを聞いていて心の底から沸き上がってくる喜びを禁じ得なかった。私のように愚かで罪深い者がキリストに似た者となるという真理に目が開かされたからである。それだけでなく、縁あって一緒に出席した友人も同じようにキリストに似た者となるのだ。そして私たちはともに神の子どもであるという確信に満ちた喜びであった。あまり、人と交わるのが苦手な彼は集会が終わるや席を立った。私も彼に合わせることにした。そして最寄りの駅へと夜道を急いだ。互いに語らずとも気心が通ずるような思いがした。ぼそぼそと語る彼の家庭の様子をお聞きしながら彼の家族のために祈ろうと思った。

ほぼ50年以上経った高校一年生の時に席を同じくした友人とこのように今度は主の福音を味わい知る者とされている幸せを噛み締めた。そう言えば、この夜の家庭集会はそれぞれの方が友人や家族をその集会に連れて来ておられた。その友人には私の方から夜の集会の案内をした訳でなかった。彼が自由意志で出席し、私も別の用事があり、その帰り道に立ち寄った集会であった。主は主を求める者をいつも愛し捨てられないお方だと思った。

私たちが神の子どもと呼ばれるために、—事実、いま私たちは神の子どもです。—御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。愛する者たち。私たちは、今、すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら 、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。(新約聖書 1ヨハネ3:1~2)

2011年7月8日金曜日

ことばと時代

余りにもお粗末な内容であった。言わずと知れた松本復興大臣の言をめぐる一連の騒動である。信じがたい言辞であった。松本氏と聞いて松本治一郎氏と関係がある方かと一瞬思ったのだが、案の定そうであった。偶然だが、その二三日前、モノを整理していて、たくさんあるパンフを捨てにかかり、何となく捨てがたく残したものがあった。その中の一つに「夜明けの旗」という映画パンフがあった。表紙上部に「荊冠」が赤く染められ、黒雲の暗夜に浮かぶという印象的な図柄である。映画を視聴して、その骨太な生き方と義を求めて生きる生き方に感銘を受けたように記憶している。パンフによると治一郎氏は今から45年前の1966年に亡くなっている。治一郎氏には信じがたいことであろうが、それだけ時代がますます悪くなっているのだろうか。大変残念なことである。

その暴言をきっかけに自分自身が受けた一つのことばを思い出した。それは小学校高学年か中学校に入る頃か記憶が定かでないのだが、病院のお医者さんに診察してもらった時だった。開口一番というか、診察の最初に「何だ、針金のような足だな」と言われた。その時、顔から火が出るように恥ずかしかった、と同時にそうして自分の姿は外の人の目にそのように映るんだということを自分のうちで繰り返し言い聞かせた。爾来、人の前で裸になるのが何となく恥ずかしくなった記憶がある。

けれどもそのお医者さんを恨んだ訳でなかった。父が肺病に罹患し、その関係で診察を受け、励ます意味があったように思うし、現に、もっと太い足になるように食べ物を良く食べて運動するんだと言われた。当方には豪放なお医者さんの印象が残っている。むしろ図星であったので、自身でも納得せざるを得なかった。ただ「針金のような足」と決めつけられた悲哀とそれでも生きているという言われた側の人間存在の誇りのようなものを持っていた。これから自我が形成されるという微妙な時期であった。今時の時勢だったら親は目くじら立てるのかもしれない。でもことばの背後に愛を覚えていた。それは社会全体が医者は医者として当然のことを行なっている。私たちは尊敬を持ってそれにしたがう、という社会であった。それが信頼関係に基づく社会秩序でなかったのだろうか。その先生にも私のために言ってくれているという愛があった。だから一見暴言と思われる言葉にも傷つかずにすんだのではなかろうか。

ひるがえって自らも同じ癖なしとしない。何と多くの人をこれまで傷つけてきたことであろうか。そして今もなお傷つけている。口にチャックをするわけにはいかない。日々悔い改め心の中心にイエス様に入っていただくしかそこから離脱する方法はない。松本氏にとってこのことが真の悔い改めにつながるならこれほど幸いないことはない。「荊冠」は主イエス様が全ての人のために味わわれた死である。

わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。(新約聖書 マタイ12:36)


「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」(同上 マルコ1:15)

その弱い人は、あなたの知識によって、滅びることになるのです。キリストはその兄弟のためにも死んでくださったのです。(同上 1コリント8:11)