篠ノ井線姨捨駅から見た葡萄棚。 |
一昨日は学校のことを書いた。そしてほとんど卒業生には会わないと半分は嘆き節のようなことを書いた。ところがその舌の根が渇かないうちに、今日は二人も卒業生にそれも同じ場所で会った。帰って来て調べてみたら1997年の卒業生と、2003年の卒業生であった。それぞれ高校卒業以来14年、8
年と経過している人たちだ。彼らの方はどうだったか分からないが、担任でもないのに私の記憶にしっかり納まっていた人たちだった。何年経っても人の立ち居振る舞いはそう変わるものではない。高校時代、3年間立場は違っても同じところで時を過ごしたのである。私にとっては忘れられないのである。
事の次第は、東京の知人の知り合いの方が私たちの住んでいる田舎の病院でリハビリに専念していらっしゃるということをお聞きして、お見舞いにその方と私たち夫婦で出かけた先の病院での出会いだった。それぞれ作業療法士として活躍しているようだった。もちろん私の主たる目的は入院されている方のお見舞いであっ
た。75歳になるその方は二ヶ月前脳梗塞で突然倒れられ、左半身が不随になられ、病院では復帰は駄目だと言われた方であった。
その後、ご主人が今のリハビリの充実している病院に移され、奥様の機能の回復が少しずつ進み、大変その病院の施設とスタッフの充実ぶりに感謝されているということであった。ご主人も77歳で大分耳がお悪く、私たちとの会話が十分できなくては困るというので、ワープロで書いた文章を手渡ししてくださった。奥様を愛し、献身的にリハビリに協力しておられる様子が伝わって来る、一月ほど前に病院に提出された文章もあった。
その中の文章を一部拝借させていただく。
(以前の入院先の)担当医様がおっしゃったのは、「大変難しい。左側の完全な麻痺は回復不可能だし、言葉の少し複雑な組み立ては出来ない。視覚の正常な回復も期待出来ない。こ
れでは社会生活も無理。そのように理解してください」とのことでした。多分おっしゃるとおりだと思います。ですが、これは臨床医のおっしゃることです。私は信じます。これからが真の「リハビリ」の出番ではないのでしょうか。私は素人です。ですから、プロの皆様がどんなに努力しても無理は無理とおっしゃれば従うほかありませんが、どうか苦しんでいる患者の、心の中を察して下さい。彼女の心の中はおそらく、主イエス・キリストに祈り、思考は狂っていましても、
いま一度、正常な状態に戻ろうと、衰えた力の中で必死の努力を致していますものと信じます。どうか、彼女の心の中の、いま働いている力(ちから)を信じてやってください。
その奥様はリハビリの効果があり、旧知の東京の方はもちろんのこと初対面であった
私たちとも笑顔で、またある時は亡くされた遺児のことなど目に涙さえ浮かばせて話して下さった。ご主人が甲斐甲斐しく車椅子の奥様の容態を気遣いながら同じ会話に加わって下さった。奥様と東京の私たちの知人に当たる方は昔、教会でご一緒であり主にある姉妹同士であったので余計会話が弾む。そのような中で時間も経過したので、私がおもむろに聖書を開けて読もうとすると、ご主人が「聖書を読んでもらおうね」と奥様にやさしく語りかけられる。特にどこという当てがあったわけでないが、詩篇21篇と詩篇16:8〜9をお読みして、一緒にお祈りした。奥様の目頭にはうっすらと涙があふれていた。
交わりを終えてご主人がリハビリ施設を案内して下さった。その談話ルームから席を外す時になって、それまで病院内で働いていて何となく気になっていた卒業生とはお互いの目と目が合って私の方から確認したら、まさしくそうだった。その彼に「もう一人いるよね」と言うと、「そうです」と言う。病院に入って来たとき、すでに第六感で一瞬卒業生ではないかと思った人がいたからである。ところが、ご主人に案内されてリハビリ室に向かう廊下で、その彼とばったり会う。握手する。互いに懐かしかった。私にとっては現役時代の最後の卒業生に当たる人だった。考えてみるとお見舞いしたご夫妻がリハビリ施設とスタッフの充実ぶりに感謝しておられたのである。卒業生が二人その中にいたことになる。主のご配慮は測り知れない。
イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを
知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかける
と、もうほかの人が先に降りて行くのです。」イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」すると、その人はすぐに直って、床を取り上げ
て歩き出した。(新約聖書 ヨハネ5:6〜9)