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寄り添う白鳥 彦根城・黒御門に面するお堀 |
昨年一人の方(Mさん)が召された。奥様が最近家を整理していて、ご主人の召される11年前の証の録音テープを見つけられた。その証を聞かせていただいた。私はこの証を聞いて襟を正された。「夫婦の愛」という最も基本的な家庭の姿を、心中に植えつけられた思いがしたからである。昨日も長年奥様と別居していて、最後に病を得て、家族のもとで召されることになった敬愛する一人の方の葬儀に出席した。ご遺族の挨拶の中で、ご子息が「愛しあう夫婦の姿を最後に見させてもらった」と涙ながらに語られた。期せずして同じ感動を味わった。以下にMさんの証の聞き書きを紹介する。
今ここに二人でいるのもイエス様のみわざだと信じます。ふりかえれば、イエス様が妻を通して私に働きかけていただいたことはたくさんあります。軽井沢でもバイブルキャンプに一緒につどって、一緒に行ったこともありま
す。兄弟の真剣な祈りの姿を見たこともあります。救いの言葉を聞いたこともあります。力強い握手もいただきました。ぬくもりをとおして、私の冷え切った心をいやそうと働いてくださったイエス様でした。見てさわって食べて自分にとって都合の良いことだけを受け入れる、そんなどうしようもない私にも神様は助け手として妻を(与えてくださり)、再三、妻をとおして、私に働きかけてくださいました。
まあ、そんな中でも三人の子どもたちは、それぞれ祝福をいただき、主イエス様の御前で結婚式を挙げ、今は祝福された生活をしています。去年の9月に長男が巣立って、今は妻と二人の生活をしています。6年前に、センターの近くに家を与えられました。週末は御代田での生活をしています。
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家のまわりには自然が一杯あります。・・・・・・・・・そんな生活を与えられた中で、目を良く開いて見ました。何百年、何千年と、こういう自然が繰り返し、この大きな大地を育んだ土、大きな木、冬が来れば、凍りついた土地も、春が来れば、芽吹き、鳥がさえずり、小さな虫も地上に出てきます。すべて神様が創造された大自然の営みです。何千年、何万年をも繰り返しているのでしょう。
人間だけが、というよりも、私は、神のみこころからはずれ、自分だけの気持ちを持つ人間となり、自我に芽生え、ほんとうに、そんな自然を破壊するような、自分の都合の良いようにすべてを造りかえ、この世の価値にだけ心を奪われ、ましてやすぐそこにいる自分の助け手である妻をも傷つけるようなごうまんな心を持つ者となっていたわけです。自分を弁護するようですが、すべての人間は何らかの悩みを持ち、心の傷をもってこの世を渡って歩いているのではないでしょうか。
去年の12月に会社の忘年会での帰りに、また酒に酔って私の悪い面が出ました。もう妻がこの世の人間とは思えないほどの言葉で私に最後のことばをかけました。ちょうど日曜日の日でした。礼拝にも参加せず、二人で一日中話しあいました。妻の口から出る言葉は今まで経験したことのないほど、強さと恐ろしさとすごみがあり、もうイエス様が妻の口を通して話している最後の、土壇場の警告とわかりました。そのことばを受け入れる決心をした時、本当に心に持つすべてのなやみが砕かれ、この世での身についた垢で固められた自分のからだの殻が何か本当にすべて崩れ落ちて、心の中に光が差し込んだことは事実です。
話しあった後、二人で家の外に出ました。もう日が暮れようとして、もうわまわりは暗かったはずです。顔を上げて妻の後ろ姿を見て、本当に自分が歩んで来た道・・・。今ほんとうに明るい、どうしてこんなにまわりが明るいんだろうと言うような気持ちを実際に経験しました。疲れ切った妻の背中が、はっきりと私の目に入りました。
イエス様ありがとうございます。「○○子、ごめんなさい」と言いました。
その後、12月30日に洗礼を二人でさずかりました。妻の洗礼を目の当たりにし、心の中に今までのことがまた圧縮されて再びよみがえりました。家族の触れ合いを犠牲にして私の犯して来た罪、触れ合いの時間をも犠牲にして、自分の思うがまま会社での時間を主にした生活、自分が作った品物が、私が最もその当時力を注いで作った品物が10年後、解体されてゴミとなって捨てられていくさま、この世での価値を追い求め、自己満足していただけの自分の姿を振り返り、妻・子どもにほんとうに悪かったと思いました。
洗礼を受けてから毎日読む聖書のみことばがほんとうによくわかります。イエス様に救いを求め、イエス様の愛をいただき、イエス様の十字架の負い(目)をとおして、神様が人間をもとの人に立ち返らせるため、イエス様を死につかされたことを(感謝します)。ほんとうに私を救っていただき、ありがとうございました。
今、聖書のみことばがほんとうに私にとって真理であり、またほんとうにこれはもう決まった通りであるというように実感したところを拝読させていただきたいと思います。
まず創世記の1章27節。「人が神様に造られたこと」が書かれております。拝読します。
創世記1:27
「 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」
また、神様は男と女を結びつけ、互いに助け手とされるということが書いてあります。マタイ19章の4節から5節です。拝読します。
マタイ19:4
イエスは答えて言われた。「創造者は、初めから人を男と女に造って、 19:5 『それゆえ、人はその父と母を離れて、その妻と結ばれ、ふたりの者が一心同体になるのだ。』と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。
お互いに助け合うべき二人が(私は)一方的に(妻に)傷をつけ、神様に与えられた助け手を犠牲にして来た、(夫婦)生活をしいたげて来ました。
また、結婚後の、神様が、私の心を示しているところがあります。マタイの13章13節、14節、15節。すいません。読ませていただきます。
マタイ13:13〜15
わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞か
ず、また、悟ることもしないからです。13:14
こうしてイザヤの告げた預言が彼らの上に実現したのです。『あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。
13:15
この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされ
ることのないためである。』
心が救われるために、人間がまた神のもとに戻る人になるためには、(どうあれば良いか)ということも書かれてあります。ヨハネ3章の3節。拝読します。
ヨハネ3:3
イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
こうしてこのMさんの証はみことばが次々と証されていくのです。そして、その合間には心から発せられる「ありがとうございます」という主への感謝の気持ちが吐露されるのです。残念ながら全部をご紹介できないのですが、これこそ真の人間の生き方ではないでしょうか。