昨日は石牟礼道子氏のことばを紹介しながら民数記21章に触れた。ところが、同氏の代表作『苦海浄土』を読んでいたら今朝次の箇所にさしかかった。(石牟礼道子全集不知火第二巻168頁)
杢よい。おまやこの世に母(かか)さんちゅうもんを持たんとぞ。かか女の写真な神棚にあげたろが。あそこば拝め。あの石ば拝め。
拝めば神さまとひとつ人じゃけん、お前と一緒にいつもおらす。杢よい、爺やんば、かんにんしてくれい。
五体のかなわぬ体にちなって生まれてきたおまいば残して、爺やんな、まだまだわれひとり、極楽にゆく気はせんとじゃ。爺やんな生きとる今も、あの世に行たてからも、迷われてならん。
杢よい、おまや耳と魂は人一倍にほげとる人間に生まれてきたくせ、なんでひとくちもわが胸のうちを、爺やんに語ることがでけんかい。
あねさん、わしゃこの杢めが、魂の深か子とおもうばかりに、この世に通らんムリもグチもこの子にむけて打ちこぼしていうが、五体のかなわぬ毎日しとって、かか女の恋しゅうなかこたあるめえが、こいつめは、じじとばばの、心のうちを見わけて、かか女のことは気ぶりにも、出さんとでござす。
しかし杢よい、おまや母女に頼る気の出れば、この先はまあだ地獄ぞ。
作者(石牟礼道子)が水俣市八ノ窪の江津野杢太郎少年(9歳ー昭和30年11月生)の家を訪ね、杢太郎少年のお爺さんと話をするくだりの最後に出て来る場面である。原田正純氏がこの全集の月報に寄せた文によると医者として自らが書き留めたカルテとこの石牟礼氏の叙述を比較して次のように言っている。「薄っぺらな一枚の診断書用紙でその人間の苦悩を表現できるものではない。私は地域や家庭の中でどのような生活障害があるか具体的に診断書に記載するように努力したつもりだった。しかし、石牟礼さんの記述には到底及ばなかった。」
この第四章「天の魚」と題する章で、天草から水俣に出てきた顛末が、70歳に達する爺さんの語りを通して明らかにされる。光ある生活を求めたにもかかわらず、一家から一人息子、孫を水俣病にとられ、嫁は去り、もはや漁に出ることもままならず、ジリ貧に終わるだけでなく、どのように彼らを介護して行けばよいのか途方に暮れる日々が描かれる。
しかし、そこに「暗さ」よりも、そうして生きなければならない人間存在に上から光が当てられ、つつがなく人生を送っているかに見える者までも照射してやまない「大いなる光」を見る思いがした。
そして、紹介した石牟礼氏の叙述に私は胸中で又しても民数記21章を思わざるを得なかった。(もちろん、「拝め」と爺さまが指し示しているのは『偶像』であり、主なる神様が指し示している『青銅の蛇』とは異なることは百も承知しているが)今日はその箇所を引用されたイエス様のことばを紹介しておきたい。
だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子〈イエスのこと〉です。モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。(ヨハネ3・13〜15)
2017年6月12日月曜日
お願いですから、聞く耳を持ってください
考えるところがあって今『評伝 石牟礼道子 (渚に立つひと)』(米本浩二著 新潮社)を読んでいる。その中で余りにも今の政権に代表される日本社会の風潮の源流を見るような思いがするので、忘れないうちに記すことにする。太字部分が引用者の共鳴する所である。(以下は同書222頁〜223頁より抜粋引用)
—あの、今の時代をどう思いますか。
「日本列島は今、コンクリート堤になっとるでしょう。コンクリート列島。海へ行くと、コンクリートの土手に息が詰まる。都会では小学校の運動場までコンクリートです。これは日本人の気質を変えますよ。海の音が聞こえんもん。渚がなくなったですもんね。海の呼吸が陸にあがるところ。陸の呼吸が海に行くところ。渚は行き来する生命で結ばれている。海の潮を吸うて生きとる植物もいるのに。コンクリートでは呼吸ができない。
渚の音が、聞こえんもん、渚にはいっぱい生き物がいるのに、特殊な植物は海の潮ばすうて生きとるですもんで。アコウの木はそう。葭(よしず)も。自伝に『葭の渚』とつけたのもそういう意味です。それで渚ば復活せんばと思っている。それがすんだら道行き。『曾根崎心中』の名文句は覚えていますもん。道行き文学について書こうと思います。古典は読んどらんけん。この際、読もうち思います」
—水俣病の現在をどうみますか。
「水俣病の場合はまず棄却という言葉で分類しようとしますね。認定基準を決めて、認定の基準というのは、いかに棄却するかということが柱になってますね。国も県も。そして乱暴な言葉を使っている。言葉に対して鈍感。あえて使うのかな。あえて使うんでしょうね。棄却する。一軒の家から願い出ている人が一人いるとしますね、私はあんまりたくさんまわっていないけど、ほんの少数の家しか回っていないけども、行ってみると、家族全員、水俣病にかかっとんなさるですよ。家族中でぜんぶ。ただその人の性格とか食生活とか生活習慣が先にあるんじゃなくて、水俣病になっている体が先にあるもんで、病の出方が違うんですよね、ひとりひとり。
魚を長く食べ続けたと訴えても、それを証明する魚屋さんの領収書とかもってくるようにという。そんなものあるわけない。認定する側の人だって魚屋さんから領収書もらってないでしょう。そういうひどいことを平気で押し付けてくる。証明するものって、本人の自覚だけですよね。それをちゃんと聞く耳がない。最初から聞くまいとして防衛してますね。自分のことを一言も語れない。生きている間、もう70年になるのに、自分のことを語れないんですよ、患者たちは。
普通の人生にとっても、たとえば私もパーキンソン病でいま具合が悪いけど、さまざま遠慮してお医者さまにも病状の実態をくわしく語れないんですよ。生きている間、生まれてこのかた自分のことをひとことも人に語れないのがいかにつらいか。なってみればわかるですよね。それで切ないですよ。一軒の家から何人も願い出るとみっともないとか、世間さまに恥ずかしいとか、ただでさえも気の弱い人が語れないですよね、人と語り合ってもことごとく食い違うですよね。そういう一人の人間の一生を考えただけでもつらいですよね。それが何百人も何千人もいるわけでしょう。個人の単位で考えてもそうだけど、村の単位で考えても。村がありますね。摂取量が違うと思うんです。村によって。そして山の中にも出ているはずです。鹿児島の山中に行商にいきよる、魚の。行商に行った人が山の中の人に領収書なんか渡すはずがなかでしょう・・・。
この希有な人、石牟礼道子と著者との2015年時点での対話の記録のようである。遅まきながら『苦海浄土』を読み始めた。しかし、なぜか私には民数記の次のくだりが思い出されたので記しておく。救済のすべてはここにしかないと思うからである。
彼らはホル山から、エドムの地を迂回して、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中でがまんができなくなり、民は神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」そこで主は民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死んだ。民はモーセのところに来て言った。「私たちは主とあなたを非難して罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう、主に祈ってください。」モーセは民のために祈った。すると、主はモーセに仰せられた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。(民数記21・4〜9)
石牟礼は聞く耳のない日本社会いや人間社会の誠意のなさを難渋している。それにはぐうの音も出ない。それにくらべて私は聖書をとおして知ることの出来る、主のみわざを思わざるを得なかった。すなわち荒野を旅するイスラエル人のつぶやきに対して、主が示されたこの愛の場面である。青銅の蛇は人のすべての罪をご自分のものとされたイエス様を指し示す型であった。上げられた蛇はどこからでも仰ぎ見ることができる。そしてそこに罪と汚れの死から私たちをいのちへと引き出してくださるイエス様の十字架の愛を見る。その愛こそ人のすべての悩み苦悩を聞く耳だと思うたからである。それにしても石牟礼文学の良質さは群を抜いていると思う。
—あの、今の時代をどう思いますか。
「日本列島は今、コンクリート堤になっとるでしょう。コンクリート列島。海へ行くと、コンクリートの土手に息が詰まる。都会では小学校の運動場までコンクリートです。これは日本人の気質を変えますよ。海の音が聞こえんもん。渚がなくなったですもんね。海の呼吸が陸にあがるところ。陸の呼吸が海に行くところ。渚は行き来する生命で結ばれている。海の潮を吸うて生きとる植物もいるのに。コンクリートでは呼吸ができない。
渚の音が、聞こえんもん、渚にはいっぱい生き物がいるのに、特殊な植物は海の潮ばすうて生きとるですもんで。アコウの木はそう。葭(よしず)も。自伝に『葭の渚』とつけたのもそういう意味です。それで渚ば復活せんばと思っている。それがすんだら道行き。『曾根崎心中』の名文句は覚えていますもん。道行き文学について書こうと思います。古典は読んどらんけん。この際、読もうち思います」
—水俣病の現在をどうみますか。
「水俣病の場合はまず棄却という言葉で分類しようとしますね。認定基準を決めて、認定の基準というのは、いかに棄却するかということが柱になってますね。国も県も。そして乱暴な言葉を使っている。言葉に対して鈍感。あえて使うのかな。あえて使うんでしょうね。棄却する。一軒の家から願い出ている人が一人いるとしますね、私はあんまりたくさんまわっていないけど、ほんの少数の家しか回っていないけども、行ってみると、家族全員、水俣病にかかっとんなさるですよ。家族中でぜんぶ。ただその人の性格とか食生活とか生活習慣が先にあるんじゃなくて、水俣病になっている体が先にあるもんで、病の出方が違うんですよね、ひとりひとり。
魚を長く食べ続けたと訴えても、それを証明する魚屋さんの領収書とかもってくるようにという。そんなものあるわけない。認定する側の人だって魚屋さんから領収書もらってないでしょう。そういうひどいことを平気で押し付けてくる。証明するものって、本人の自覚だけですよね。それをちゃんと聞く耳がない。最初から聞くまいとして防衛してますね。自分のことを一言も語れない。生きている間、もう70年になるのに、自分のことを語れないんですよ、患者たちは。
普通の人生にとっても、たとえば私もパーキンソン病でいま具合が悪いけど、さまざま遠慮してお医者さまにも病状の実態をくわしく語れないんですよ。生きている間、生まれてこのかた自分のことをひとことも人に語れないのがいかにつらいか。なってみればわかるですよね。それで切ないですよ。一軒の家から何人も願い出るとみっともないとか、世間さまに恥ずかしいとか、ただでさえも気の弱い人が語れないですよね、人と語り合ってもことごとく食い違うですよね。そういう一人の人間の一生を考えただけでもつらいですよね。それが何百人も何千人もいるわけでしょう。個人の単位で考えてもそうだけど、村の単位で考えても。村がありますね。摂取量が違うと思うんです。村によって。そして山の中にも出ているはずです。鹿児島の山中に行商にいきよる、魚の。行商に行った人が山の中の人に領収書なんか渡すはずがなかでしょう・・・。
この希有な人、石牟礼道子と著者との2015年時点での対話の記録のようである。遅まきながら『苦海浄土』を読み始めた。しかし、なぜか私には民数記の次のくだりが思い出されたので記しておく。救済のすべてはここにしかないと思うからである。
彼らはホル山から、エドムの地を迂回して、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中でがまんができなくなり、民は神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」そこで主は民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死んだ。民はモーセのところに来て言った。「私たちは主とあなたを非難して罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう、主に祈ってください。」モーセは民のために祈った。すると、主はモーセに仰せられた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。(民数記21・4〜9)
石牟礼は聞く耳のない日本社会いや人間社会の誠意のなさを難渋している。それにはぐうの音も出ない。それにくらべて私は聖書をとおして知ることの出来る、主のみわざを思わざるを得なかった。すなわち荒野を旅するイスラエル人のつぶやきに対して、主が示されたこの愛の場面である。青銅の蛇は人のすべての罪をご自分のものとされたイエス様を指し示す型であった。上げられた蛇はどこからでも仰ぎ見ることができる。そしてそこに罪と汚れの死から私たちをいのちへと引き出してくださるイエス様の十字架の愛を見る。その愛こそ人のすべての悩み苦悩を聞く耳だと思うたからである。それにしても石牟礼文学の良質さは群を抜いていると思う。
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