天国では、どのようにして住むのでしょうか。家や町があるのでしょうか。聖書はそれについて語っていません。しかし、聖書は天国は住みかであり、たくさんの住まいがある神の都、新しいエルサレムというように述べています。けれども、それは重要なことではなく、天国にはいることだけが最もたいせつなのです。ほかのことは、いつくしみと善意の主におまかせすることができます。
信じる者たちがつどう天国で、わたしたちは全き祝福と喜びの中に生きるのです。ヨハネの黙示録7章17節には、「また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとってくださるであろう」「彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽の炎暑も彼らを侵すことはない」とあるように、天国には、もう苦しみがありません。「もはや悲しみもなく」(ヨハネの黙示録21章4節)、背信も、罪に落ちることもないのです。「勝利を得る者を、わたしの神の聖所の柱にしよう。彼らはけっして二度と外へ出ることはない」(ヨハネの黙示録3章12節)、「また、彼らをわたしの手から奪い去る者はいない」(ヨハネによる福音書10章28節)としるされています。
この天国は、たまものです。主イエス・キリストが、尊い、聖なる血潮によって求めてくださった恵みなのです。「これは、わたしたちが、キリストの恵みによって義とされ、永遠のいのちを望むことによって、み国をつぐ者となるためである」(テトスへの手紙3章7節)。「しかし、神のたまものは、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである」(ローマ人への手紙6章23節)と聖書は述べています。
イエスは信じる者たちを迎えるために、この天国におのぼりになりました。そこではキリストが王の中の王、主の中の主として、永遠におおさめになるのです。この涙の谷にあっても、いつの日か永遠に滅びることのないみ国の世継ぎとして、天に迎えられることを信じて、この世の苦しみにくじけることなく生きましょう。
祈り
主イエス、尊い救い主よ、あなたが天国の栄光をお示しになり、わたしを永遠の栄光の世継ぎとさせるために、あなたの血潮であがなってくださいましたことを感謝いたします。終わりの時まで、どうぞ信仰堅く生きることができますようにお守りください。天国に迎えられるという言い表わしようもない恵みにくらべます時、この時、この世の苦しみはとるにたりないものであることを、思い起こさせてください。この家族の者が、ともにあなたの栄光を仰ぐ恵みをいただけますよう、また不信と疑惑と罪とによって、この祝福されたいのちを失うことがありませんよう、日々あなたに従う者となしてください。
この世の思い煩いをしりぞけて、永遠の尊さを思い、日々を過ごすことができますように。この世には永遠の都はなく、わたしはこの世では巡礼であることを思い起こさせてください。この輝かしい真理によって、この世の煩いや不安のすべてを忍耐し、喜びをもって忍ぶことができますように、また、ついにはあなたの王座近く、あなたととこしえに生きることができますようにお導きください。わが救い主、王なるあなたをたたえます。
(『いこいのみぎわ』A.ドーフラー著 松尾紀子訳より引用。)