2020年8月15日土曜日

クロムエルの手紙(1650年8月3日)

エジンバラ・プリンセス通りの花園  2010.10

 過去二日間、クロムエルの手紙の中では私信とも言うべき手紙を紹介しましたが、今日は公的な手紙を紹介したいと思います。現代風にしようかとも思いましたが、やはり畔上氏の周到な訳文の方が雰囲気を味わっていただけるのではないかと思い、それを以下転写します。(『畔上賢造全集第9巻430〜431頁より引用。)

卿(けい)らよ

 卿らの我が軍の宣言に対する返答書拝見仕(つかまつ)り候。我が僧職はそれに答える辞を草したれば、同封にて送り申し候。

 この度のことにおいて卿らが神意に叶うか我らが神意に従えるかは、神の慈愛によりて定まることにて候。されば我らはこの結果をすべてを処理する全能者に任せ申し候。ただし我らは光明と慰安の日に増し加わるを知り、遠からずして神その大能を現わし給いて、万人これを認めることと確信致し候。

 卿らは我らを知らずして、我らの神のことについて、我らを審(さば)く。そして卿らは頑なにして巧みなる語をもって、人民の中に偏見を懐かしめたり。人民は、良心の問題については一人一人が神に対して責を負うべきなるを、あまりに卿らに盲従し過ぎたり。ーーこれ彼らを破滅に導くにあらざりかと、我らは危ぶみおり候。

 卿らは我らよりスコットランド人民に告げし公言を隠して人民に示さず。(彼らこれを見なば、我らの彼らに対する愛情をも知らん者をーーことに神を恐るる者は。)然れども我らは卿らより来る文書を自由に兵卒に示し候ゆえ、たくさんお送り越されたく候。余はこれを恐れず候。

 我らは人として各種の宣言公示をなすか、あるいは主のため主の民のためにこれをなすか?まことに我らは卿らの数を恐れず、また己にも信任を置かず候。我らは卿らの軍に対し得べし(神に祈る、我らをもって誇るものとなすなかれ)と信じおり候。 我ら卿らに近よりし以来、神は聖顔を隠し給いしことこれなく候。

 卿らの罪大なり。無辜の民の血を流すの責を受け給うなかれ。(卿らは王及び誓約を掩飾として民を欺き、民の眼を暗くせり。)卿らは他を非難し自己を神言の上に立てりと言う。卿らの言うところことごとく神言に応ぜるか、願わくは自らを欺き給うなかれ。教訓(いましめ)に教訓を加え、度(のり)に度を加うるも、主の語は、ある人には審判の語となりて後に倒れ、損なわれ、わなにかかりて捕らえられるべく候(イザヤ28:13)。使徒行伝第二章にあるが如く、世がもって狂気と認める霊的充実もあらん。また霊的酩酊(めいてい)と言わるる肉的信頼(誤解せる教えの上に立てる)もあり。死と立てし契約あり。陰府(よみ)と結びし契りあり(イザヤ28:15)。我ら卿らの契約をもってこの類となすにはあらず。されどこのことに於いて悪しき肉の人と同盟するも、なおかつ神の契約にして霊的なりと言い得べきや。願わくは三思せられたく候。

 イザヤ書第二十八章を五節より十五節まで読みて、命を与うるものは聖霊なることを知られたく候。主卿らと我らに聖意を為すの明を与え給わんことを祈る。願わくは神恩卿らの上にあれ、以上。

1650年8月3日           マッセルバラにて
                     オリヴァー・クロムエル

スコットランド国僧職総会御中
(もし総会開会中ならぬ時は僧職委員会へ)

 以上が、クロムエル51歳の時の手紙である。この時クロムエルは16000名の兵を率いてイングランドとスコットランド国境のトゥイード川をわたり、エディンバラから8マイルの地点に迫ったが豪雨と補給不足に退却を余儀なくされていたようであります。マッセルバラはエジンバラ近郊の村です。さて、私はこの手紙の最後の言葉に大変心惹かれました。それはイエス様が「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。」(ヨハネ6:63)と言っておられるが、クロムエルは激戦の最中そのおことばを味わっており、上杉謙信の塩にまさりて余りあるイザヤ書28章の瞑想を勧めているところであります。

2020年8月14日金曜日

クロムエルの手紙(1638年)

蜜を求めて蝶舞う。振り返りて、我が人生もまた。

 親愛なる我が従妹へ

 粗野である私に対してつねに少なからぬ愛情を寄せてくださることを、この機会に感謝申し上げます。まことに貴女は私の手紙や友情に対して、過分なご芳情をくださっておられます。私は自らの愚鈍さを思い、貴女のこのお褒めの手紙をいただいて恥入っております。

 しかし、神様が私の霊魂になしてくださったことを公言して神様の御名を崇めることは、今日ただ今の私の確信であり、また将来もそうであります。神様は水の一滴もない、乾いた、不毛の地に泉を湧き起こしてくださることを私は確信いたしております。私はメシェクに住み、ケダルに宿っております。メシェクは延期を意味し、ケダルは暗黒を意味します(※)。しかし主は私を捨てられません。主は延期はされても、ついには主の幕屋まで、主の安息所まで私を連れて行ってくださると信じております。私の魂は長子キリストにつらなる会衆とともにあり、私の体は希望の中に宿っております。そして行為であろうと、苦難であろうと、私の神の御名が崇められますならば私は嬉しいのです。

 いかなる人がいらっしゃろうとも、私ほど神様のために身を呈して働かなければならない理由を持つ方はいらっしゃらないでしょう。私は給料をたっぷり前払いとして神様からいただいております。しかし一銭も神様のために私が儲けることができないことは明らかです。主はそのひとり子(=イエス・キリスト)において私を受け、私をして光の中に歩ましめてくださいました。主が光ですから、私たちは光の中を歩めるのです。私たちの暗黒を輝かしてくださるのは主です。主は聖顔(みかお)を私から隠すとは申されないのです。

 主は私に主の光のうちに光を見せてくださいました。暗いところに照らされた一つの光はその中に無限の慰めを持っていたのでございます。私のように暗い心を持っていた者を照らして下さった主の御名はまことにほむべきかな!

 貴女は私の過去の姿を知っておられるでしょう。そうです、私は暗黒の中に住み、暗黒を愛し、光明を憎んでおりました。私は罪人の首(かしら)であり、私は心から聖いことを憎んでおりました。ところが神様は私に慈悲を上から下さいました。ああ主の恵みの何という豊かさでしょうか。私のために主を賛美してください。私のうちに良きわざを創(はじ)められたことが、キリストの日にそれを完成してくださるように私のために祈ってください。

 マシャム家の人々によろしくお伝えください。みなさんの愛に負うところが多いのです。私は皆さんのために主を褒めあげます。また私の息子も皆さんのおかげで健全になりました。主を褒めあげます。願わくは今後も我が息子のために祈り、教えてやってください。また私のためにも。

 ご主人様にも、御妹様にもよろしくお伝えください。
これで名残惜しく筆を置きますが、主が貴女とともにあられますようにお祈り申し上げます。

 1638年10月13日         エライにて
                      オリヴアー・クロムエル

 エセクス、サー・ウイリヤム・マシャム方
  愛する従妹、セント・ジョン夫人様

※引用者注:詩篇120:5に「ああ、哀れな私よ。メシェクに寄留し、ケダルの天幕で暮らすとは」とあります。

 以上は、畔上賢造全集第9巻213頁からの引用である。ただし、格調高い畔上氏の翻訳文章は現代人には、今一つ理解が困難があると思われるので、あえて現代風に表現を改めた。なお、この手紙はクロムエル39歳の時のものである。59歳で召される彼の人生はその後の20年間もまた主の前に検証さるべき生涯であったろう。しかし、この手紙を解説するに際してカーライルは次のように述べている。これに関しては畔上氏の翻訳原文のまま転写する。

「ここに人が霊魂を有せしこと、神とともに歩みしことの証がある。彼は「上へ召して賜うところの褒美を得んと標準(めあて)に向いて進」(ピリピ3:14)んだのである。一度神の道に従う、苦難窮乏何かあらん。恩恵既に足る、ただ己を殺して神の許に投ずる。生くるも死ぬるも主の思いのままである。これがクロムエルの信仰であった。読者よ、かかる経験を有するか。もし有せずば、現世(このよ)の行路は平安ならんも、天の光を宿すことは出来ぬ、天の光を放つことは出来ぬ。」

 1638年の手紙は、遺されている二百余通のうちの初めから二通目のものであるが、まことに彼の思い・信仰はイングランドの死命を制する要路にあっても、変わらなかったのではないかと思う。

2020年8月13日木曜日

クロムエルの手紙(1649年8月13日)

your most humble servant 署名・肖像


 畔上賢造という方がおられる。この方が大正初期に翻訳し発表されたカーライル著『クロムエル伝』がある。本ブログでも何度かご紹介したことがある小林儀八郎さんhttps://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2015/02/blog-post_26.htmlが親しんでおられた著者である。今から10年ほど前に、同氏の全集を遺族の方から譲っていただいていたが、これまで書棚の片隅に置かれたままだった。ところが、最近知人になった方からクロムエルの話がたまたま出てきた。クロムエルについて自らも何らかの知見を得たいと思うようになった。その時にこのカーライル著『クロムエル伝』の存在を思い出し、ここ4、5日読んでいる。

 そんな時、またしても日々読んでいるブッシュさんの『365日の主』の昨日のところの冒頭で、権力者のひとつの例示としてクロムエルがフリードリッヒ・ウイルヘルム二世、ヒトラーとともに名前があげられていた。ブッシュさんは「怒りを遅くする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる」(箴言16:32)という聖句のすばらしい解き明かしをなさっていた。

 確かに、クロムエルは「町を攻め取る」者であった。アイルランド、スコットランドと17世紀内乱状態のイングランドにあって「鉄騎兵隊」の指揮官として権力をほしいままにしたと言われてもしかたがないかもしれない。しかし、彼が自らの心を治めていなかったか?いなかった、と果たしてそう簡単に言ってしまっていいのだろうか、という思いがした。

 幸い、畔上さんはカーライルが紹介している200数十通の手紙を1600年代(我が国で言うと江戸時代初期に該当するが)当時にあわせ、訳しておられる。2020年の私たちにはそのままでは読みにくいかもしれないが、以下そのまま転写した。しかも1649年の8月13日の日にちだけは今日の日付のある手紙である。(以下は『畔上全集』9巻372頁より引用)

我が親愛なる娘よ〔子の嫁に対して〕

 御身の手紙ははなはだ喜ばし。私は御身を愛しおるもの、御身よりの贈り物は何によらず喜ばしく候(そうろう)。さればつまらぬご助言申し上げたく候。
 何よりも先づ神を求め神の御声を聞くことが大切にて候。御身にして怠るなくば主の声は耳または心に聞ゆるものにて候。御身の良人(おっと)をも勧めてこの態度を取らしめたまえ。現世の快楽や有形の事件を第二、第三とせられよ。キリストにおける信仰によってこれらの上に出られよ。然らずしては真にこれらを利用しまたは味わうこと出来がたく候。御身の淑徳(しゅくとく)増し、主にして救い主なるイエス・キリストを益々深く味わわんことを祈る。主は近し、これそのわざにて明らかに候。アイルランドにおける主の大恩恵は明らかにこれを示し候。委細は良人より聞きたまえ、我ら皆感謝の思いにあふれざるべからず。我らかかる恩恵について神を賛美せんには大いにキリストの精神を要し候。我が親しき娘よ、主御身を恵まんことを祈る。

1649年8月13日       ジョン号船上にて
                   御身の親愛なる父
                    オリヴァー・クロムエル

ハースレーに在る
 愛する娘ドロシー・クロムエルに

2020年8月10日月曜日

エル・ロイ(ごらんになる神)

テムズ川上空から(2010.10.14)※

 昨日の朝日新聞に編集委員の曽我豪氏が「戦後75年の夏・継がれゆく記憶」と題して、高峰秀子、古関裕而の戦争体験を述べ、一方で、今「エール」に出演中の二階堂ふみ(25)にどのように受け継がれていくかに触れながら、最後に「忘れず残したいと思う意思と聞いて継いでゆきたいと思う意思、その二つがあれば戦争の記憶は風化しない」とあった。

 世代を越えて、伝えることの尊さを思わされた。戦争体験ではなく、別の私的な経験で、ほんの少しだが、世代を越えて、伝えることの尊さを経験させていただいた。世がコロナ禍で騒いでいる5月下旬、愛する高校二年生の孫娘が急にコロナウイルスの病とは別の病を得て緊急入院をした。多くの方の祈りに支えられ、幸い7月には退院し、現在リハビリをしながら日常生活へと戻りつつある。そんな苦境にあった孫と最近LINEをとおしてメールの交換をする機会が与えられている。

 今回、私の孫に対する語りかけは25年前のことから、一気に60数年前に遡(さかのぼ)ることになった。25年前のこととは勤務校が思いもかけず夏の甲子園大会に出場した時の様々なエピソードの紹介であった。孫はもちろんそんなことは少しも知らないからびっくりしたことであろう。

 よせば良いのに、私は図に乗って、小学校6年の時の模型飛行機大会のことを話した(もちろんLINEのメールを使っての対話ではあるが・・・)概要は、その模型飛行機大会で、不器用極まりない私の飛行機が滞空時間がわずか50数秒で優勝した時の話だ。その日は風が強く、いつもは一分は優に超えるタイムで勝負が決まるのに、なぜか私の飛行機だけが墜落しないで最後まで飛び続けた。

 それだけでも私には驚きだったが、その時の褒美が何とほんものの飛行機に乗せてもらえるという景品つきだった。後にも先にもそんな話は聞いたことがなかった。私はこのビッグニュースを早速母に知らせようと急いで家に帰ったが、あの時ほど、自分の駆け足の遅さがうらめしかったことはない。とにかく「地に足がつかない」とはまさにその時の私の気持ちだった。

 そうして確か大津の皇子山に彦根から列車で担任の先生と二人して出かけ、プロベラ機に乗ったのだ。琵琶湖上を旋回して数分後に着陸し、あっと言う間に終わった。そのあと、帰ってから全校生徒の前で飛行機に乗った話をするように言われたし、作文を書くようにも言われた。その時、私は「みんなの家がマッチ箱のように見えました」とだけ言って降壇したように覚えている。

 先生方だったか、飛行機に乗ったんだから、乗った人しかわからない、もっとちがう話のしようがあるもんだと言われたように思う。私にしてみれば、本当言えば、飛行機に乗れるという話を聞いた時は先に書いたように、最初はうれしかったが、その日が近づいてくるに従って段々心細くなって来たのだ。大津への車中でもそのことばかり考えていた。「落ちたらどうしよう」と。ましてや、滑走路をガタガタと言わせて走っていくプロペラ機に身を任せている時なんかは、生きた心地がせず、先生が隣にいても恐ろしい思いだった。

 ところが、作文にもやはり自分のそのような内面の気持ちは書かずに、当たり前のことを書いた記憶がある。案の定、先生をふくめてみんなには不評判だった。それ以来「作文」というものは嫌なものだと思うようになった。孫にはこの内面の思いは伝えきれず、模型飛行機大会の事実だけを伝えた。特に自分がいかに模型飛行機をつくるのに竹ひごもうまく曲げられず、紙の貼り方も下手な誰の飛行機よりも稚拙(ちせつ)だったのに、優勝してほんものの飛行機に乗ったことだけを伝えた。

 孫は長いじいじの話を忍耐強く読んでくれたようだ。次のような感想を書いてくれた。「やっぱ見た目じゃなくて結果ってことなんだね」「じゃあ、じいじは一人で貴重な体験したってことだね!!!」ありがたい孫の感想だった。

 ところが昨日、今日とヴィルヘルム・ブッシュさんという方が箴言15:11「よみと滅びの淵とは主の前にある。人の子らの心はなおさらのこと」を引用して書いておられることを読みながら、孫にもう一つの大切な事実〈結果が良ければ、すべて良しではなく、人の心の中の動機こそたいせつなのだ、主なる神さまはそこを見られるということ〉を知ってほしいと思わされた。それは不器用な一人の少年が、苦心しながらつくった模型飛行機に、法外なごほうびをくださったのは主なる神さまだったのでないかということである。強い風に誰よりも稚拙な模型飛行機だけが最後まで飛び続けたこと自身、この歳になっても未だに不思議でならない。ブッシュさんの今日の箇所を拝借して引用させていただこう。

 聖書(創世記16:13)の中に、子供をみごもった体で、荒野に迷い込んだひとりの母親のことが書かれています。渇ききり、絶望して、ついに彼女は死を覚悟します。その時突然、自分の名前が呼ばれます。それは神の御声でした。彼女はこのお方を「エル・ロイ」(ごらんになる神)と呼びました。

 主よ! あなたのあわれみに満ちたご臨在を感謝します。 アーメン

 「エル・ロイ」の神は、まさに冒頭の朝日新聞の曽我氏の言にしたがえば、忘れず残したいと思う意思と聞いて継いでゆきたいと思う意思により、歴史始まって以来、今日まで連綿として伝えられてきた、罪人に対して一方的なイエス・キリストの十字架をとおして示された愛そのものでないかと思わされた。

(※飛行機でエジンバラからロンドン上空を経由してフランクフルトに入った記憶がある。その時、機内から撮影した写真である。考えてみると10年前である!)