2024年8月29日木曜日

叔母の思い出(中)

 
 昨日撮影した、何の変哲もない一枚の写真です。しかし、私には画面中央にいる水鳥(青鷺?)が一羽、大きく羽根を広げ、何処からか飛んで来て、川中へと着水。その後、続け様にグングン泳いで行く姿は極めて印象的でした。その一部始終を目の当たりにしたものですから、この写真を見るたびに、躍動する「いのち」を感じて、私には捨て難い思いがしてならないのです。

 何もわからず、人生という海に飛び込んで来た私ですが、これまでいろんな人との出会いがあって、今の自分があることを思うと厳粛な思いにさせられます。家内がすっかり老いてしまい、いつの間にか、私たち相互の恋心が結婚へと発展していったことを忘れてしまい、叔母が私たちの結婚の仲介人だった、と思い込んでいるのも、あながち嘘ではなく、正解であるような気がしております。

 叔母は息子の恩師への礼をいつまでも厚くしていたようです。息子がお世話になってからもう10数年も経っているのに、恩師のお嬢さんの結婚のお世話をしようと、見合い用の写真まで預かっていたようですから・・・。ところが、私は、叔母のその思いはつゆ知らず、まったく無関係に、そのお嬢さんなる彼女と、たまたま彼女の弟の家庭教師をしていた関係で、出会い、結婚にまで導かれようとしていたからです。そのようなある時、叔母を訪ねたら、「浩ちゃん、奥川先生のお嬢さんと結婚するんだって!」とびっくりし(まさか、甥が自分の知らないところで、そのお嬢さんと深い交際を続けているとは知らず)、笑いながら「さすがに、”みす”ちゃんの子だわ」と言いました。母美壽枝が再婚の時、婿養子として迎える父に示した熱情は印象的で、親族の間では”大恋愛”だったと語り草になっていたので、そのことを暗に指した言葉でした。

 叔母と母は四人姉妹の中で、歳も近い妹、姉として、お互いに切磋琢磨して戦後の生活の切り盛りをしていたようです。その上、一人息子の教育には人一倍熱心で、それぞれがいのちをかけていました。小学時代には、昆虫採取や、ある時は「お城」や「港湾」の写生にと、二組の母子共々で出かけたこともありました。また、附属中受験の話まであり、それはさすがに実現しませんでしたが、中学に入ると、二人して高校の英語の先生に教えてもらうために出かけて学んだり、当時流行り始めたビタミン剤が頭にはいいというので、買い求めたり、SONYのオープンリールの録音機を購入し英語学習に打ち込もうとしたりしましたが、いずれも叔母の発案があってのことだったように想像しています。

 考えてみると、私は人生の様々な場面(病や死などもふくみ)で、叔母が見せる機微にわたる感情を、その一挙手一投足から随所・随所で学んで来たような思いがします。晩年まで彦根の家を守りつつ、字の創作意欲は盛んで、書家として、様々な作品を残していました。夏の今頃、故郷に帰省してご機嫌伺いに、訪れると、決まってカルピスや西瓜などが出され、互いの近況報告など、取り留めない話をしては、私は満足して帰って行くのでした。母を若くして亡くした私にとってそれは慰安のひとときでした。それだけに最晩年になった京都伏見での病床生活の枕辺を訪れ、過去を振り返りながら、虚心にお互いに話し合い、主の福音を伝えられたことは、私にとっては忘れられない、さらに幸いなひとときでした。

 一人子をどれだけ愛したか、叔母と母の生き様は私にそのことを十分教えてくれました。そんな人間の尊い愛にまさる愛をお示しくださったのが、父なる神様の愛です。それはご自分の一人子であるイエス様を、私たちの罪の身代わりに十字架におつけになったのです。叔母や母が示した愛を振り返りつつ私はその主の愛の深さを思わずにはいられません。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(新約聖書 ヨハネの福音書3章16節) 

2024年8月28日水曜日

叔母の思い出(上)


 台風10号の進路には、正直参りますね。その発達ぶりは今後も予断を許さないようで、過去最強と言われています。お昼頃、散歩中に彦根のいとこから携帯に電話が入りました。9月1日に予定していた、叔母の十七回忌を、台風情勢のため中止にさせていただきます、という連絡でした。

 主催者としては、熟慮を重ねての判断だったと思います。こちらとしては先ずはホッとしました。私としては前日までギリギリ待って出かけようと思っていましたが、何しろ東海地方を経由しての彦根入りですから、果たして交通機関が機能するのかという一抹の不安がありました。

 そもそも叔母の十七回忌には私一人で十分なのですが、家内も同道させようと思いました。それは私たち夫婦の結婚には因縁浅からぬ叔母の存在があったからです。叔母は、私の母の妹で、かつ二人には、その子どもが一人息子で同い年だという共通点、しかも戦争未亡人だという共通点もありました(ただし、私の母は夫を亡くしたあと、家の跡継ぎがいないため、婿養子を迎え、その間に私が誕生しました。それに対して、叔母は再婚せず、戦死した夫との遺児を生み育て、姑さんに仕えて家を守る道を選ばれました)。

 母が胃癌で最後息を引き取った病院は、叔母の家から、当時七、八分の距離にあった彦根市立病院で叔母が昼夜にわたり、心底面倒を見てくれました。当時、私は高校三年を終える受験勉強真っ只中の頃で、薄情なことに母を見舞うこともせず、父や叔母たちがせっせと看病してくれました。その恩返しもあって、叔母が四十数年後、京都伏見の某病院にお世話になった頃は、何度かお見舞いに行き、みことばを読み、祈り、イエス様にある永遠のいのちを伝えさせていただきました。

 ところで、私の家内は私を知る、はるか十数年前の幼い頃に、叔母をよく知っていたのです。それは家内の父が小学校の先生であった時、いとこの担任であった関係から来たことです。教育熱心であった叔母は、何かと遠くにある家内の家(7、8キロほど離れたところ)にご機嫌伺いに出かけたり、恵比寿講に家内家族が彦根に出かけて、たまたま道で出会おうものなら、下へも置かぬ気配りをし、決まって、まだ小さい家内はじめ弟妹たちにお菓子をたくさん持たせてくださったそうです。その話をそれから、もう70年ほど経つのに、まるで昨日のごとく、その時の情景を家内は私に語るのです。

 その家内曰く、「叔母さんが私たちに結婚するように計らってくださったのよ」と言います。私はその話を聞きながら、そんなことはない、全然違う、肝心なこと(私が家内を好きになって、結婚したこと)を家内は忘れてしまっているのだと思って聞いていますが、この年になると今ではそんなことは、どうでもいいという結論になりそうです。でも、明日はその辺の事実を書かせていただこうと思います。

これは、あなたが歩くとき、あなたを導き、あなたが寝るとき、あなたを見守り、あなたが目ざめるとき、あなたに話しかける。命令はともしびであり、教えは光であり、訓戒のための叱責はいのちの道であるからだ。(旧約聖書 箴言6章22〜23節)

2024年8月25日日曜日

折り返し地点


「毒食わば皿まで」という言葉がありますが、あまりいい意味ではなく、悪事を最後までやり抜くことを言うそうですが、私の「蝉探訪」は、連日続いています。そして、さらに前日(8/21)より、その発見個数を増やすに至りました。昨日(8/22)は十五匹でした。

 元々、蝉の数が気掛かりになったのは、あまりにも暑い夏の日々が続いていることにあります。私の予想では当初この数は徐々に減って行き、秋に向かっていくのではないかという微かな期待と「遊び心」がありました。ところが、案に相違して一昨日(8/21)、最高数値十三匹を記録したのです。当然昨日(8/22)はそれより少ないであろうと思って出かけましたが、またしてもその予想をはるかに裏切る結果が出ました。

 でも、この結果を見るにつけ、右岸、左岸の違いに気付くようになりました。そしてそれまでの蝉観察が右岸中心であったことに思い当たりました。8/21 (水)に私は初めて左岸の木々にも目をつけ、熱心に蝉のありかを探した結果が右岸を上回る数字でした。昨日(8/22)もそのことは明らかでした。その結果、右岸に比べ、左岸には圧倒的に桜の木々を始めとしてたくさんの木々が植わっている違いに改めて思い至りました。

 以上は、8/23に記しましたが、そのあともう、午後六時を過ぎてしまった頃、古利根川の「蝉探訪」に出かけました。その時は夕焼けが美しい散歩になりましたが、樹幹を見るには暗く、雲行きを見ては、足取りを早めざるを得ず、観察はややいい加減になりましたが、下の表が示すように九匹確かめることができました。明らかに、過去二日間と比べると減りました。そこで一念発起して、昨日(8/24)は午前中に「蝉探訪」に出かけることにしました。結果は、とんでもない数字、二十三匹を記録しました。これでは一向に晩夏は終わりそうにないようです。それにしても、昨日は、ここ数日は夕方に探索していた時間を、明るい時間を選び。午前に切り替えたのですが、当地では昨夕初めて「ゲリラ豪雨」を経験しました。いったい蝉諸君は今ごろどうしているのだろうかとの思いがよぎりましたが、それは束の間、我が探索が無事守られたことの僥倖に感謝しましたが、こんなところにも「自己中」が顔を出しています。

      8/21   8/22 8/23 8/24 
      (水)  (木) (金)   (土)

   右岸  6   4       2         9    
         左岸  7  11       7       14     
            計 13  15       9       23    

 昔、寺田寅彦が彦根測候所のデータを取り寄せ、そこから伊吹山を詠んだ芭蕉の俳句の分析を行なっていたことを思い出し、上記の拙い表を作ってみました。数的事実の背後にある大きな自然の恵みに参入し、一日も早い秋を体感したい思いや切です。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2023/12/blog-post_20.html

 今朝の東京新聞の俳句欄に、

 折り返し地点だろうか今日の秋 土居健悟

と、ありました。長々と書いた我が駄文に比べ、一句のうちに我が思いも凝縮されていて感心しました。最後に八木重吉の詩を写します(『あるがままに生きる』吉野秀雄・山口瞳共著59頁より引用)。

 雲

くものある日
くもは かなしい
くものない日
そらは さびしい

 草に すわる

わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる

私たちの主イエス・キリストを朽ちぬ愛をもって愛するすべての人の上に、恵みがありますように。(新約聖書 エペソ6章24節)

2024年8月22日木曜日

「蝉探訪」いつまで続けられるか

 画面は日曜日夕方の古利根川の川辺の様子です。青鷺一羽が川縁にその勇姿を潜(ひそ)めておりました。しかし、青鷺は敏捷で、橋の上からiPhoneを向けては、覗き込んでいる私に、気が付かないはずはありません。次の瞬間には翼を広げ、口惜しがる私を尻目に、悠々と飛び去って行きました。

 月曜日、火曜日と連日雨風に晒されましたが、当地は新聞TVで報道されるような被害はありませんでした。したがって特筆すべきこともなく、昨日水曜日は午後六時を過ぎていましたが、ゆっくり土手を散歩しました。ところが、驚くなかれ、このところ日課としている、「蝉探訪」は、台風一過の昨日、これまでの最高値を記録しました。何と蝉十三匹を見つけました。右岸で六匹、左岸で七匹でした。まさかこんなに見つけられるとは思ってもいませんでした。

 それも、何かと集中力をなくしている家内が見つけるのですから、私にとっては二重の喜びになりました。一本、(蝉探しに)お目当てにしている桜の木が右岸にあるのですが、私は必ずその樹幹を覗くことにしています。だから、毎回、その木に必ず目をつけ、一匹以上は発見し、そのあとプラス何匹と、その日の収穫(発見個数)を数え上げ、三十分あまりの散歩に満足するのが私たちの定番のスタイルでしたが、この日ばかりはプラスアルファがあまりにも多く、すなわち五本の指で足りず、かと言って、家内に確かめることもできず、自分の記憶で我慢するしかありませんでしたが、十三匹でした。

 あとでなぜこんなに多く発見したのか、つらつら考えてみると、それまでの「蝉探訪」が昼間で、今回は夕方であった違いにあるのではないかと、思い当たりました。そのうちの一匹に、まだ抜け殻から出てきて、十分羽が成熟していない蝉がいたからです。それだけでなく、少年時代、地面にしゃがみ込み、穴に小さな木切状の棒を差し込んでは、幼虫を引き揚げたり、脱皮している様を観察する「蝉観察」こそ、草野球と並行した夏休みの風物詩だったことを懐かしく思い出しました。

 蝉の成虫は羽化してからおよそ二、三週間だとのことです。https://www.kodomonokuni.org/nature/summer/summer_semi.html
一方、有名な芭蕉の句、「閑けさや 岩に染み入る 蝉の声」の蝉はいったいどの蝉が、「閑けさ」にふさわしいか、蝉の種類をめぐって、斎藤茂吉と小宮豊隆との間で論争があったそうです。風流さを解しない当方の句は「蝉数う 秋の到来 待つ日々」の凡句です。

 この間、『神と人と言葉と 評伝・立花隆』(武田徹著)を読みました。「雲の上の”知の巨人”」の姿に接し、私より三つ年上の立花のたどりし人生もまさに時代を反映した歩みだったのだと過去を懐かしく振りかえさせられました。それにしても、クリスチャンの両親のもとに育った立花隆の生涯が、もし、評伝作者の言われる通りであったとすれば、私流に勝手に表現すると、どうして「私はあなたを信じたいのですが、どうしてもあなたを信じられません」という呻きになるのか、私には不思議でなりませんでした。それだけでなく悲しみさえ覚えさせられました。

知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。(新約聖書 1コリント8章1節)

2024年8月17日土曜日

今日も川は流れる

 台風の被害は関東では太平洋の沿岸である、千葉・茨城が大変でした。それに比べれば当地は雨風ともそれほどではありませんでした。状況を知るべく、いつも通り古利根川川沿いを歩いてみました。川は申すまでもなく、増水しておりました。ただ意外なことに、九羽にもなるカルガモ集団が水しぶきを上げながら元気に川中を泳いでいる姿を橋の上から見ることができました(画面上微かに写っています)。橋の上からとは言え、実に久しぶりのカルガモの姿でした。場所的にはかつて二羽の親鴨が十羽の子鴨を育てていた田んぼに最も近い川中でした。不思議な思いがしました。

 その後、それ以上に何か川に変化はないかと見ながら歩こうと試みましたが。西日に変わりつつある太陽ですのに、川面に斜めに照りつける太陽は、その照り返しでとても目を開いておれず、その段を抜く偉大さに今更ながら感服せざるを得ませんでした。従って川中を見ることは諦め、もっぱら桜の木々を見ながら歩きました。自然と、二人して蝉を見つける羽目になりました。結局、都合六匹の蝉を見つけました。今までで一番多く蝉を見つけた勘定になります。これではまだまだ盛夏は衰えそうにないと思わされました。前回、写真でお見せしたのは、「油蝉」でしたが、今日は「ミンミンゼミ」を撮影できました。それにしても、この保護色によるこの蝉の防衛力と、その美しさと構造には舌を巻かせられました。このような太陽を中心とする共存共栄である生き物の姿態(と言っても、わずか九羽の鴨と六匹の蝉に過ぎませんが)を見るにつけ、人間界の使命を改めて自覚せざるを得ません。

 九月までの残された三週間のうち、かくして一週間は終わりましたが、アメリカも日本も秋の政治決戦を迎えての始動が聞こえて来るようになりました。ロシア・ウクライナの戦争、イスラエル・パレスチナの戦争にも動きがあります。主の御心はどこにあるのでしょうか。一つ一つの事象に息を潜めて見守っている者です。終わりに、二三日前に家内が路傍(※)の草花に近寄って、「こんな花は初めて見た、なんの花だろう」と言った記念の花を載せておきます。※この現場は奇しくも以前お話ししたカルガモの子どもたちがしぶきをあげて逃げて行った田んぼの畦道でした。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2024/06/blog-post_23.html

秋来よと 名も知れぬ花 愛(めで)し妻

神は、「光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のために、役立て。天の大空で光る物となり、地上を照らせ。」と仰せられた。するとそのようになった。それで神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。また星を造られた。・・・・こうして夕があり、朝があった。第四日。ついで神は、「水は生き物の群れが、群がるようになれ、また鳥は地の上、天の大空を飛べ。」と仰せられた。・・・・(旧約聖書 創世記1章14〜20節)

 こうして創造のみわざは続きます。そして、このあと第六日に及んで、始めて人は造られるのです。

そして神は、「われわれに似るように、「われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。(旧約聖書 創世記1章26〜27節)

2024年8月15日木曜日

聖(きよ)らかなりブルー

炎天下 露草青く 涼呼ぶ
 今日の古利根川は、いつもより水嵩が多く、濁っていました。上流の地方にあたる地域の空模様が厳しかったのでしょうね。今日も樹幹に止まっている蝉を四匹目視しました。もちろん、今盛んに啼いている蝉のほんの一部に過ぎませんし、それだからどうだと言うことではありませんが、ゲーム的に桜の木々を、注意深く見る癖がついてしまった成果です。

 そんな散歩途中に、今日は露草に目が止まりました。まわり一面、緑の中で、あるかなきかの状態で、この何とも言えないブルーと、またしても雄蕊と雌蕊の配置・配色があり、自然のうちにある大きなアクセントを覚えました。

 一方、今日、覚えさせられた聖句は

「あなたがわたしの名をとこしえまでもここに置くために建てたこの宮を聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。」(旧約聖書 1列王記9章3節)

でした。これはソロモンの建設した神殿、王宮が完成したあとに、主が聖別を宣言される言葉です。F,B,マイヤーはそのことに関して『きょうの力』という書物の中で次のように書いていました(同書207頁)。

いかに丹念に建てたとしても、それが聖別されなければ神殿とはなりえません、同様に、いかに教育を積み、教養を深めたとしても、その人が聖別されなければ、その才能は主のご用にたちません。いかに懸命に説教を組み立てて演説しても、神がその中で働かれないなら、空疎な音声として消え去るのみです。と同時に、もしみことばからそれるならば、たとえ聖別した神殿であっても、これを投げ捨て、物笑いや、なぶりものとし、廃墟とするという宣告には、厳然たる神の義の剣の鋭さが光って、私どもをひきしめないではおきません。

2024年8月14日水曜日

散策の友である「花婿」と「花嫁」


 昨日も蝉君との出会いを期待しながら、桜の木々を見て回りました。さすがに、昨日見つけたのは三匹でした。しかも一匹は、私が夢中になって観察している樹幹に止まっている蝉とは別に、私にとって死角になっていた真上の枝にいたようです。後方にいた家内が見つけました。その蝉は、しっかりと家内に小便をひっかけて飛び去ったということでした。

 穴ぼこだらけの地面や抜け殻は散見していましたが、こうして蝉時雨が頂点に向かい、一日も早く秋が来て欲しいと願いながら蝉探訪の散歩を続けております。そんなおり、公園にたむろしている十羽近くの鳩に遭遇しました。写真は、その中で恋仲としか思えない、彼氏、彼女の姿です。十羽近くいる鳩のうち、このペアーはいつまでも一緒でした。二人の交わす愛の交わりは微笑ましいものでした。

 旧約聖書の雅歌は、主イエス様と主を愛する信者の関係を、花婿と花嫁に比し、描写したものだと言われていますが、花婿が花嫁に対して次のように言います。

ああ、わが愛する者。あなたはなんと美しいことよ。なんと美しいことよ。あなたの目は、顔おおいのうしろで鳩のようだ・・・(旧約聖書 雅歌4章1節)

と。この「鳩」について、ハドソン・テーラーはその『主イエスの一致と交わり(ソロモンの雅歌)』という書物の中で次のように語っています(同書29頁より引用)。

たかは美しい鳥です。そして美しく、鋭敏な目を持っています。しかし花婿は、花嫁の目がたかのようであることを望みませんでした。花婿の喜ぶ目は、無垢な鳩の優しい目なのです。主イエスがバプテスマを受けられた時、聖霊が鳩のように降りました。そして主がご自分の民ひとりびとりに求めておられるのは、この鳩のような性格なのです。

 一方、我が国の笹尾鉄三郎も、その著書(『全集第一巻』235頁)でこの聖句について次のように言っています。

鳩の目は丸くはっきりしているが、鷲や鷹の目と違って柔和である。我らの霊的の目も是非とも明瞭で物を見る鋭さが必要であるが同時にまた柔和謙遜でなければならない。キリストが美しいと呼んでおられる理由はそこにある。このような目はいつもキリストを見、また主を待ち望む。「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」と言ったバプテスマのヨハネは、この目を持っていたので、自分も常にキリストを見、また人をもキリストに導くことができたのである。これはまた見えるところによらないで信仰によって歩くことができるように見る目である。

 今回のブログ記事は、たまたま鳩10羽近くが、ちょうど夕涼みに私たちが集まっておしゃべりを交わすように集まっていたことがきっかけになりました。けれどもそのうちの二羽は最初から最後まで互いに愛を交わすのに夢中だったようです。その様に惹きつけられて何枚か写真を撮りましたが、すべてを語れませんでしたので、それをお見せしたく、またすっかり桜の木々が落ち葉を散らしている様も見ていただきたく、最初の写真をここにピックアップしておきます。これが遠目に見えた、彼氏と彼女の最初の姿でした。彼らもいつまでも「花婿」と「花嫁」と言われる睦まじい関係であって欲しいものです。

2024年8月13日火曜日

口を指して礼拝する王

        写本に あらわれし愛 知る盛夏         

 盟友(?)迫田ゆうさんが、昨日の東京新聞投書欄に「現金とクレカ戻って安堵」という投稿記事を載せてもらわれました。今朝の彼女のブログ記事によると、すっかり投稿したことも、あるいは、そのこと自体も忘れてしまっていたと書いておられます。 さもありなんと当方も思い当たりました。何しろ、一二年前でしょうか、自転車で走っている時、なけなしの預金通帳を路上で落としてしまい、後に気づいて真っ青になり、八方手を尽くした挙句、最後は警察に届けられていて、ホッと胸を撫で下ろした経験がありますが、今ではすっかり忘れ去っているからです。

 ところで、冒頭の写真は同じ東京新聞の7月20日に掲載されたものを写真に撮っていたものであります。この頃、私は「鳥」の一挙手一投足に血眼になっていました(もちろん、今もそうなんですが・・・)。その私にとり、1300年代の聖書写本に小鳥の絵などがしつらえていることに大変な親しみを覚えました。ああ、昔の人もこうして写本に鳥の姿態を加えずにはいられなかったほどに日常生活で鳥は馴染み深いものだったのだなあーと思わされたからです。それだけでなく、その解説記事には次のような一文が載っていました。

このA4サイズほどの獣皮紙一枚に、いったいどれだけの時間と労力が掛けられているのだろうか。聖書の一節を記した文字も、口を指しながら礼拝するダヴィデ王の挿絵も、余白を飾る鳥やドラゴンのような生き物も、すべてが精緻で、ため息が出るほど美しい。近づくと、王冠や枠線に貼られた金箔(きんぱく)がきらめいている。かなうものなら、いつまでも眺めていたい。

 いったい、この聖書写本は聖書のどの部分にあたるのか、聖書輪読者としては知りたいところですが、解説文では触れられていませんでした。ただ、私は、「口を指しながら礼拝するダヴィデ王の挿絵」という部分に痛く感動しました。とかく評判の悪いイスラエルですが、その二代目の王であるダビデ王についての記述があったからです。

 ダビデ王については、旧約聖書のサムエル記から第一列王記に至るまで、実にその等身大の事績が、神様の視点から事細かく書かれています。ダビデの人間としての偉大さと同時に罪深き人間の性(さが)を赤裸々に覚えさせられます。その中でも最たるものは、彼の「姦淫」と「殺人」の罪でしょう。その彼が、我が口を指して礼拝すると言うのです。そして、私なりに想像を逞しくして、彼のその心は次の一節に通ずるのではないかと思い至りました。彼は生涯、主に愛され、主を愛した人でしたから。

あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。(旧約聖書 詩篇119篇103節)

 写本そのものの持つ雄大な歴史について全く無知な私にとって、この写本の存在を知らしめてくれた東京新聞の報道に感謝する者です。それだけでなく、あれやこれやで、その後も東京新聞の「本音のコラム」や「投書欄」で繰り返される日本・アメリカの政治の現状に対する異議申し立てなど、そして日々読み通している聖書に、導かれながら、久しく遠ざかっていたブログ投稿の間も歩んで来ました。その私にとり、この新聞記事の存在はもっと早く取り上げるべきだったのですが、いつの間にか忘却の彼方に置き去りにされてしまうところでした。

 今回、迫田ゆうさんの「投書考」に刺激されて、私も「写本考」なる一文を計上させていただきました。

2024年8月12日月曜日

五匹の蝉君に出会えましたよ

 幼い頃、私は、夏休みと言えば、捕虫網を携えて、近くの神社の境内の森を友人たちと駆け回ったりしていました。今頃の小学生はどうしているのだろうかと、思っていたら、捕虫網を携えた親子に出くわしました。カゴには油蝉とともに、ツクツクボーシがしっかりと捕らえられていました。自らの子育ての折、どれだけ、甲斐甲斐しく世話をしているこのお父さんのように子どもたちのために労したかというと、内心忸怩(じくじ)たる思いを禁じ得ませんでした。

 私たちの子育て時代は、公私(教員生活と教会生活)ともに実に多忙で、子どもたちのために何もしてやらないうちに、気がついてみたら、それぞれの子どもたちは親の膝下を離れ自立して出て行っていました。残されたのは、この一家を公私両面で支え労した家内の極度の疲労です。普通では考えられない、労力を使い果たしてきた結果のようです。夫である私は、最近ようやくそのことを悟れるようになり、老後の日課として二人して「聖書輪読」と「散歩」に励むようにしております。聖書はともかく、日中の散歩は熱中症に二人して飛び込むような思いもしないではありませんが、家内は黙々と私の後についてきます。

 それでも二三年前は、元気で、お互いに話をし、屈託のない夫婦の交わりができましたが、この一二年家内はめっきり口数が少なくなり、ほとんど私主導で話をし、散歩をしております。その代わりに、家内は古利根川の川縁の動植物を心から味わっているようです。冒頭の写真は昨日数十本の桜の木々を見て回って、とうとう最終段階で(すなわち、数十本後に)見つけた蝉君です。近くに寄って騒いでも、余りにもじっとしているので、死んでいるのかと思い、思い切ってからだに手を触れたら、次の瞬間飛んで行きました。ホッとする反面、惜しいことをしてしまったとも思いました。

 今日は、今日で、昨日と逆順に古利根川を回りましたので、一番早く、昨日のこの桜の木に辿り着き、注意深く観察しましたら、何と三匹も、しかもミンミンゼミも含めて、しっかりと木に止まっているではありませんか。家内は関心なく、相変わらず、川岸の雑草取りに熱心になっているようでした。ところが、後半の方で今度は家内が別の木々から二匹の蝉を見つけました(上掲の写真がそれです、彼はこの状態で、健気にも鳴き続けていました!)。このところ、蝉時雨が何処でも盛んでしょうが、当方でも盛んですが、蝉本体は見つけられぬと思い定めておりましたところ、今日はお互いに、蝉を見る目が高められたのでしょうか、二人して合計五匹の蝉君と出会えたのです。

 たった一回の親子の蝉取りに出会ったことがきっかけで、蝉を直接見てみたいという深層心理が、二、三日のちにこのように実現するとは楽しいことではないでしょうか。そしてこの写真を見ながら、もう一つのバッタの写真を思い出しました。何日か前には蓑虫を見つけ、秋の近いことを覚えましたが、バッタもまた同じ思いがして写真に納めていたのです。けれども、バッタと言い、蝉と言い、何という保護色の持ち主でしょうか。主なる神様はこんなところにも、人間にだけでなく、生き物にまで優れた知恵を与えておられると感嘆しております。

 一方、今朝読んだ聖書の個所から以下のみことばを写しておきます。

神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた。・・・彼は三千の箴言を語り、彼の歌は一千五首もあった。彼はレバノンの杉の木から、石垣に生えるヒソプに至るまでの草木について語り、獣や鳥やはうものや魚についても語った。(旧約聖書 1列王記4章29、32〜33節)

2024年8月11日日曜日

我、贖われたり


 河岸に、自生する白百合の姿にハッとさせられました。夜目にも鮮やかに、という言葉がありますが、私にとっては、夏の真っ盛りの昼間に、白一点とも言うべき、目の前に現れた白百合の出現でした。「暑い」「暑い」と呪いたくなる熱波にもかかわらず、白百合は涼しげに川面に向かって美しい姿を披瀝しているのです。まさに脱帽ものです。

 それだけでなく、私に、私の罪がまったく洗い浄められて、白くされた、その「白さ」を言い表した聖句を思い出させるに十分でありました。

 旧約聖書のイザヤ書のほぼ冒頭部分にある次のみことばです。

「さあ、来たれ。論じ合おう。」と主は仰せられる。
「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。もし喜んで聞こうとするなら、あなたがたは、この国の良いものを食べることができる。しかし、もし拒み、そむくなら、あなたがたは剣にのまれる。」と、主の御口が語られた。(イザヤ書1章18〜20節)

 私は、己が罪を認めず、どれだけ神様の生ける眼を避けて、逃げ回っていたことでしょう。しかし、いつしか十字架上のイエス様は私の罪の身代わりに罰を受けてくださったお方だと信ずるに至りました。

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。(新約聖書 1コリント1章18節)

2024年8月10日土曜日

忍びて待て、秋の到来

葉月飽く 白粉花に 夕の風
 久しくブログの投稿をサボりました。この間、毎日、ノルマの散歩と聖書の輪読は欠かさず、続けておりました。水鳥(カルガモ)に一喜一憂しているうちに、盛夏に入り、いつ終わるとも知れない暑さに、御多分に洩れず閉口しております。しかし、立秋を過ぎ、わずかなうちにも季節の移り変わりを実感できるようになりました。冒頭の写真もその一つではないでしょうか。 白粉花(おしろいばな)です。緑一色の河岸にあって、一際目立ちました。雄蕊・雌蕊の繊細な美を写したく、横から撮影しました。葉月にあって、長月の使者です。

 一週間前、友人から「What fundamentalist Christians see in Trump」というニューヨークタイムズの記事のコピーをいただきました。この一週間、ほぼつきっきりで辞書を片手に調べ抜きましたが、未だにその要諦を掴むことに苦労しています。ただ、これを通してアメリカ憲法について調べる羽目に陥ってしまいました。と同時に、自分はこの歳になるまで、アメリカについて何も知らないことを改めて知らされました。

 トランプ氏とハリス氏とどちらが大統領として選ばれるのか、今後その動向を日々追っていきたいと考えています。加えて日本の政治動向も大いに気になります。長い夏、未曾有の長い夏を越えるべく、今、秋はもうそこまで来ていると考えて、思索を深めるべきか、それともまだまだ続く夏にバテないように、「避暑」に走るべきか、9月まで残り三週間の過ごし方を問われる思いです。

こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。(新約聖書 ヤコブ5章7節)