2013年2月19日火曜日

救いの道(1)二つのグループ

       はこぶねが できました すると あめが ふりはじめました            あめは どんどん ふります おおみずに なりました   
 今日世界には、ただ二つのグループがあるのみです。すなわち神のみまえにおける有罪の者と、無罪の者、救われた者と失われている者、罪人と聖徒の二つのグループです。あなたもわたしも、どちらかのグループに属しています。あなたは、クリスチャンであるか、そうでないかのどちらかです。

 道は二つしかありません。滅亡と死に導く「広い道」と、天国と永遠の命に導く「狭い道」です。第三の道である中間の道はありません。わたしたちは、天国か地獄かのどちらかへ通ずる道を歩んでいるのです。また、わたしたちの主人もふたりしかありません。すなわち神かサタンかのどちらかに、わたしたちは仕えています。というのは、人は「ふたりの主人に兼ね仕えることはできない」からです。あなたは、どのグループに属しておられるでしょうか。あなたは、どこへ行かれるのでしょうか。また、あなたはどの主人に仕えておられるのでしょうか。

 一つのグループは「有罪」であり、もう一つは「無罪」です。あなたが、善人であるか悪人であるかは問題ではありません。あなたが、大罪人であるかないかは問題ではないのです。とにかく、あなたは有罪か無罪かのどちらかです。あなたの名前が数百の教会の名簿に載っていても、教会で最も熱心な働き人であっても、大罪を犯して数年間刑務所にいたとしても、そういうことは全く問題にはなりません。あなたは救われていなければ有罪です。そして、滅びに至る「広い道」を歩くグループに属しているのです。あなたは、教養と品位を身につけ、多くの人々から尊敬されているかもしれませんが、世の中で最も堕落した罪人の仲間のひとりです。ですから、神のみまえに「有罪」となるのです。そのグループのすべての者が平等に堕落していなくても、彼らは平等に有罪なのです。

「何の差別もありません。すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」(ローマ3・22〜23)

ノアの大洪水

 この大洪水のことを思うだけでも、恐ろしい気がします。それは、なんとすさまじい絵でしょうか。ノアとともにいた者のほかは、全部滅んでしまいました。善良な人生を送った者も、最も堕落した罪人とともに、永遠の滅亡の中でおぼれ死んだのです。ここにも、二つの群れしかありません。彼らの罪の大小や、普通に言う善悪とはなんの関係もありません。彼らは、神に服従しなかったのです。彼らは、神の警告を無視し、安全なノアの箱舟の中へはいることを拒みました。ノアの箱舟にはいるか、それとも死ぬかのどちらかであって、ほかに道はありませんでした。

 大洪水をのがれるために高い山に登っても、水はどんどん増してきてどうすることもできず、最後に懸命に祈っても、涙を流してもすでにおそく、彼らはひとり残らずおぼれて死ななければなりませんでした。それは、箱舟にはいることを拒んだためでした。彼らが、殺人罪を犯したからではなく、またその他の大罪のためでもなく、ただ神が備えられた唯一ののがれ道を無視したためでした。

「私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにしたばあい、どうしてのがれることができましょう」(ヘブル2・3)。

神のみことばに耳を傾けましょう。

「悪者どもは、よみに帰って行く。神を忘れたあらゆる国々も」(詩篇9・17)。

 あなたは外面的に非常に善良な生活を送っておられるかもしれません。また、大きな罪は一度も犯したことがないとおっしゃるかもしれません。

 しかし、あなたは神の救いを無視されました。あなたは、イエス・キリストという「安全な船」に乗ることを拒否されたので有罪となり、滅びなければならないのです。

(『道は二つしかない』オズワルド・J・スミス著斉藤一訳1963年版7〜9頁引用。絵は『絵本聖書 ノアのはこぶね』1977年版より。この記事は「救いの道」と題する話の第一回目である。全部で八回にわけて分載する。) 

2013年2月18日月曜日

ミュラーが受けた主からの恵み(下)

埼玉県北坂戸から望見した富士山 2/17
14 主の再臨についての見解
彼はこの真理を神が彼に明らかにして下さったことを感謝した。これは、彼の敬虔さと有用性に最も大きな影響を与えたものである。彼はこの教えをはっきりと知ることにより、この福音の時代の目的は全世界を回心させることではなくて、キリストの花嫁としての信ずる者の教会を召し集めることであるということを悟った。

15 語るべきことについて神を待ち望んだこと
どのような場合にも、その時に応じた最善の言葉が与えられるように神に求め、目前の問題をどのように取り扱うべきか、どのように語るべきか、また、御霊の力を表わしてだれにもわかりやすく真剣に語るにはどうすべきか、などについて導きを求めてから語った。

16 みことばの権威に対する服従
みことばの与える光によって、すべての慣習(それがどれほど古くから行なわれていたとしても)を再検討し、すべての伝統(それがどれほど一般に普及していたとしても)を聖書に照らし合わせて、その結果がわかると、神が与えられたその光に従い、どんな結果をも恐れず、勇敢にその道を進んで行った。

17 教会生活の模範
彼は牧会生活にはいった最初から、まず自分が魂の牧者であり監督である方に従う模範を示すことによってだけ、他の人々を導こうとした。また、信者の群れに対して、みことばに明確に見いだされるかぎり、すべてのことにおいて新約聖書中の模範に従うように力説し、これによって、それまで存在していたすべての誤ったあり方を是正するように指導した。

18 自発的なささげものの強調
彼は自分に対する一定の俸給を勇敢に辞退するとともに、神の仕事はすべて信者の自由意志の贈り物によって維持されるべきであると教えた。また、教会の座席使用料徴集の制度は、聖徒間の階級的差別の感情を助長するものであるとして、排除した。

19 すべての地上的所有をささげたこと
彼も妻も、文字どおりすべての持ち物を売り払って貧民のためにささげ、その日その日を単位として生活するようになった。将来の必要、病気や老後そのほか金銭が必要となるかもしれない時のために、少しでも貯金しておくようなことはしなかった。

20 密室における祈りの習慣
彼は密室における神との交わりを非常に尊ぶようになっていたので、これこそ信者の最高の義務また特権であるとみなした。この神との交わりおよびみことばの瞑想が十分になされなかったり欠けたりすることは、何ものによっても償うことのできない大損失であるとした。なぜなら、これこそすべての霊的生活のささえだからである。

21 あかしにおける熱心さ
会衆を牧会してゆくにあたり、思う存分、束縛を受けずに語り、奉仕することができるように、それらを妨害するものをつとめて排除した。主に対する忠誠、人に対する忠実さを妥協させてしまうような、言葉や行動に対する干渉に耐えられなかった。

22 仕事の計画性
神は彼を、神聖な活動をする諸部門を備えた計画を立案するように導かれた。たとえば、神の言葉をあらゆるところに広めること、世界的な伝道の奨励、若い人々に対するキリスト教教育などの部門をふくむ働きなど。また同時に、その新しい団体が、世的な後援者、手段、訴えなどにたよらないようにすべきことを教えられた。

23 孤児に対する思いやり
彼はどこへ行っても、貧しさとみじめな生活に対して、惜しげもなく愛を注いだが、両親に取り残された貧しい孤児に対しては特にそうであった。また、ハレにおけるフランケの働きに精通することによって、ブリストルでの働きのヒントを得た。

24 これらのすべての準備段階のほかに、彼は主によって、生地プロシャからイギリスのロンドン、テインマス、そしてブリストルへと導かれて来た。この選ばれた器は主によって大いなる働きに役立つように形造られ、また彼が生ける神を余すところなくあかしするための大事業をなすべきこの地に、同じ御手によって導かれて来たのである。

彼が神から厳格な準備訓練を受け、しかもわずか10年にも満たぬ短期間に、一生涯のための準備訓練をほとんど完了したということは、まことに驚くべきことである。この神のしもべがその後次々と表わすようになった特記すべき性格は、すべてこの訓練の賜物である。その訓練中に、生涯の働きに必要な物事を学び、その働きの一端を教えられたのである。

聖なる陶器師はろくろの前にすわって、土を取り、そのかたくなさをときほぐし、ご自身の意のままに応ずるようにこね、徐々に、手ぎわよく器として形造り、最後にきびしい規律のかまの中で焼き、しっかりした堅いものとされた。次に、ご自分のみことばと御霊の豊かな宝を満たして、ご自分の力のすばらしさを人々に伝えるためにご自分の望まれる場所に置き、ご自分の用に用いられたのであった。

神がこのように主権的な御手をもって形造って下さるということを見のがすことは、神がジョージ・ミュラーの生涯を通じて私たちに教えようとされるたいせつな教訓を見のがしてしまうことになる。

ミュラーは自分がただの土の器であることを知り、神が自分を選び満たして下さったのは、神が自分にさせようとしておられる仕事のためであることを自覚していた。この確信のゆえに、彼は奉仕に喜びを感じたが、同時にこのためにへりくだり、年を取るにしたがってますます謙遜になっていった。日ましに、自分が全く無能であることを痛感するようになった。だれかが彼の主を賞賛する代わりに、そのしもべである自分に驚嘆の目を向けるようなことがあったりすると、そのことを非常に深く悲しみ、ただ神だけに目を向けさせようとして努力した。「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン」(ローマ11・36)。

(『信仰に生き抜いた人』A.T.ピアソン著海老沢良雄訳104〜106頁より抜粋引用)

2013年2月17日日曜日

ミュラーが受けた主からの恵み(上)

1 回心
全く予期しなかった時に、予想もしなかった方法で、神は彼をその誤りから引き戻し、イエス・キリストを知るように導かれた。

2 宣教精神
それは御霊によって点火され、あおりたてられ、事実という燃料でいよいよ燃え上がった。彼は、主のみこころであるならどこへでも行き、自分を捨ててどんなことでもするという、焼き尽くすほどの熱烈な宣教精神を持っていた。

3 自己放棄
彼は一度ならず、地上的な偶像的な愛着心を、キリストのために捨てることができるように力を与えられた。なぜなら、そのような愛着心は、彼の全面的な従順を妨害し、天にいます主に対する忠誠を乱すものであったから。

4 神の助言を求めたこと
彼はキリスト者生活を始めてまもなく、どんな大きなことでも小さなことでも、実行に移る前に必ず主のみこころを確かめることが習慣となり、どのような場合にも、みことばと御霊とに導きを求めた。

5 謙遜な子どものような気質
御父はその子をご自身のみもとに引き寄せ、信じて求めまた信頼する素朴な心、御父の忠告と指導に喜んで服する孝順な心をお与えになった。

6 説教の方法
この同じ教師によって、彼は早くから、聖書を人間の知恵によらずに原語で解明し、ただ神の御霊だけによって語るという説教法を体得していた。

7 人との絶縁
彼は一歩一歩を人にたよったり、金銭的な訴えをしたりする方法を捨てた。借金すること、赤字をつくること、また一定の俸給を受けることも放棄した。彼の目は、ただ供給者であられる神だけに向けられていたのである。

8 みことばに満足したこと
聖書知識が増すにつれ、聖なる解釈者によって説明され解明される神ご自身の著書に対する愛着が強くなり、ついには、宗教書もふくめてすべての書物に魅力を感じなくなってしまった。

9 徹底した聖書研究
若い人で、彼ほど組織的に神の真理の宝庫を探求した人は少ない。彼は聖書を何度も何度も読み通し、その教えを瞑想しては心に刻みつけ、また実行に移した。

10 人間的支配をのがれたこと
彼は神に全く依存するために、人への依存を全く断ち、彼の説教や教えを妨害するかせを大胆に打ち砕き、天来の導きに従うことと、天にいます主に奉仕することを妨げるようなものを、すべて排除した。

11 好機の活用
彼は人の魂の尊い価値をよくわきまえていたので、公の席上で語ることを求められた時でも、救いについて話し、入信を勧めた。あかしの言葉により、トラクト配布により、またへりくだった模範によって、なんとかしてだれかをキリストに導こうと、絶え間なく努力した。

12 国民的義務の免除
これは全く神の摂理によるものである。神は実に不思議な方法によって、彼をすべての軍事的義務から解放し、神の兵士として天の召しに応ずる自由を与え、この世においてまといつくものから自由にして下さった。

13 奉仕における仲間
ふたりの非常に有能な同労者が神によって備えられた。すなわち、同じ志の妻とクレークである。どちらも神が不思議な方法でお与えになった尊い贈り物であり、彼の仕事をよく助け、また責任の重荷を分け合ってくれた同労者である。

(『信仰に生き抜いた人』A.T.ピアソン著海老沢良雄訳102〜103頁より引用。ピアソンはジョージ・ミュラーについて365頁、しかも一頁が上下2段に分かれているから大変な分量になる伝記をものしているが、彼はその三分の一程度のところで、ミュラーの準備段階の特質を24項目にまとめた。いずれもキリスト者の特質を示して余りあるものである。昨日も6名の若い方と火曜日の「主のために生きる大切さ(ローマ6・12〜22、7・14、2コリント5・15)」というメッセージの録音を聞き、そのあと交わるという機会が与えられたが、私をふくめてひとりひとりの小さな決断を通して集いが持てたことを互いに喜ぶことができた。さしずめ上記の4、5などの実践であった。その交わりの中で一人の方があげられたみことばを書き留めておく。「わが子よ。あなたの心をわたしに向けよ。あなたの目は、わたしの道を見守れ。」箴言23・26)

2013年2月16日土曜日

The Ministry Expands(宣教の拡大)

三須臾(さんしゅゆ) 陽の光受け 星々に  
(ブリストルに着いた)ジョージ・ミュラーはヘンリー・クレークと一緒にギデオン礼拝堂の牧師になった。そしてさらに二人がベテスダの礼拝堂に招聘されるもう一つの機会が実現した。ある人が建物の年間賃借料を支払いたいと申し出たので、クレークとミュラーはその礼拝堂でも説教することに同意したのだ。

神さまはブリストルでの彼らの宣教の最初の年に、こうした交わりに109人の人々を加えられた。65人が新しく主を受け入れた人で、そのほかの多くの人は主に仕えるために戻ってきたかつて信仰から離れた人々であった。一日、60人から80人の間の人々がパンを受け取りにやって来たので、近所の人々が通りを乞食がうろうろして困ると文句を言うほどだった。ジョージはその人々にもはやあなたがたはパンを受け取れませんと話さなければならなかった。しかし彼の貧しい人を助けたいという願いは増すばかりであった。

1834年の2月の間に神さまはジョージが福音を本国や海外に広げるために設立される機構を造るように導かれ始めていた(※)。同じ目的で、すでに他の団体が働いていたが、ジョージは「世の人からの支援を求め」ない団体の設立への導きを感じていた。彼の目的は、神さまだけが後援者であるということだった。「もし神さまが味方でないなら、成功しない」ということである。その組織の一切を管理するにはどんな未信者にも関与させないし、「この組織を支えるために回心していない人々のお金や地位は主にとって不名誉だと信じていたので」そのような人々のお金は一切求めないということだった。

翌年の6月までに5日制の学校が439人の貧しい子どもたちを教えるために設立された。そして795冊の聖書と753冊の新約聖書が配布された。資金や祈りの支援はカナダや東インド諸島やヨーロッパの宣教師たちに当てられた。だが、ジョージ・ミュラーは神さまが彼を通してなされつつある全てのことを成し遂げてくださったと思うまでにはまだ遠かった。彼は孤児のための家を設立する夢を抱き始めた。

そして1835年の11月21日には導きを確信し、計画を建てはじめた。1836年の4月11日には最初の家が17人の子どもたちを世話するためにウイルソン通り6番地に開設された。すぐに30名の少女がミュラー夫妻と一緒に住んだ。程なく、ジョージは第二の家をウイルソン通り一番地に購入した。そこは間もなく30人の幼児で一杯になった。翌年、ウイルソン通り三番地に今度は三番目の家が入手されて、7歳以上のおよそ40人の子どもたちの家となった。

ウイルソン通りの孤児院の宣教は拡大し、移転の必要が避けられなくなった。神さまは一万人以上の孤児たちの生活を支えるまでその働きを大きくされるのだった。

神さまにより、ジョージ・ミュラーは地上の父親からお金を盗んでいたあの一人の少年から、今や天の父が与えてくださる富に信頼する一人の男へと変えられたのだった。

(『Release the Power of Prayer』16〜18頁より訳出。 ※この団体はA.T.ピアソンの『信仰に生き抜いた人』によると「本国および外国のための聖書知識協会」と称したようだ。この働きをまとめてピアソンは次のように述べている。同書98〜99頁より引用

こうして、神のみことばが同協会の顧問として迎えられた。また祈りの答えとして与えられる神の祝福に、すべてをかけて出発しようとしたのである。

これと同時に、協会の働きの対象も、次のように明らかにされた。
1 全面的に聖書的原則に従って、ただ信者だけによって教えられ、運営される昼間学校、日曜学校、あるいは成人学校を設立し、または援助する。
2 旧新約聖書、またはその分冊を、できるだけ広範囲に行き渡らせる。
3 主のどこのぶどう園で働いていても、聖書的原則に従って働き、ただ主だけに日ごとの食物をあおぐ宣教師を助け、その仕事に協力する。

このような仕事を、このようなスケールで、しかもこのような時に始めるには、全く2倍の信仰が必要であった。なぜなら、すでにこの時彼らが携わっていた仕事は山ほどあり、時間的にも体力的にも、それらにすべてを費やしているほどだったからである。また、ミュラーの機関誌の記録の中に、「もう手もとには一シリングしか残っていない」というような記事も見受けられる。もし彼らが、満ち満ちて尽きることを知らない宝を持たれる、裕福で物惜しみをされない主に目を向けることをしないで、自分たちのからのさいふを見つめていたとしたら、決してこのような大事業に踏み切ることはしなかったであろう。

・・・主はこう約束された。
わたし、主は、それを見守る者。
絶えずこれに水を注ぎ、
だれも、それをそこなわないように、
夜も昼もこれを見守っている。(イザヤ書27・3)

・・・生ける神を唯一の後援者とし、祈りだけを唯一の訴えの手段として、ついに大きく発展し、その全世界的な働きは、全く神が祝福し用いられるところとなっている。

なお、英文サイトとして以下のものがある。http://www.christbiblechurch.org/literature/george-muller-page.html )

2013年2月15日金曜日

Absolute reliance on God(神様に対する全き信頼)

イギリスの風景 by Minako.S.
神さまはジョージをテインマスの18人からなる教会の牧師となる道へと導かれた。ここで神さまは彼に人々にみことばを伝えるにはどのようにして主の指図に頼れば良いかを教えられた。そして彼は早くも「祈りと黙想の生活だけが主の御用に役だつ器を用意する」のだということを悟った。神さまの祝福なしに、また指図なく、臨在なしには何事も実現不可能であり、神さまに頼ればピリピ4・13「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」のお約束を自分のものとすることができると知ったのだ。

テインマスにいる間にジョージはメアリー・グローヴズと会い、結婚へと導かれた。 また神さまに導かれて、彼は教区民の支援を受けたが、特別な給与を受け取ることは断った。人々の地位がもたらす影響が彼の宣教を支配することを悟り、自分の報酬を支払っている人々の反対を避けたいがために、全面的に福音を宣べ伝えず、妥協するように誘惑されたくなかったからである。加えて、教会における座席使用料の慣習は聖書的でないと感じていた(※)。金持ちは良い座席を買うことができるが、貧乏人にはそれができなかったからだ。

ジョージとメアリーは教会内に献金箱が置かれることに同意した。その上に記された表示は牧師を支えたいと思う人は献金箱に捧げものを入れることができますと説明したものであった。そのやり方は支援者が誰であるか、また如何なる人がどれだけお金をささげているか決してわからない方法であった。神さまはこの信仰の歩みを祝福されて、彼らの必要はいつも満たされた。

ジョージ・ミュラーは今まさに一歩を歩み始めたばかりであったが、もっと神さまに依存し、自らのどんな祈りにも神さまが答えてくださるというさらに大きな喜びへと導かれたのだ。テインマスで学ばされたこの信仰の訓練は、夫妻がブリストルに移って行ったときに、信仰がさらに増し加わる段階へと導くものとなった。

テインマスでの二年三ヶ月ののち、ジョージはそこでの働きは間もなく終わるであろうと感じ始めていた。ジョージはそれまで愛して来た人々と別れる悲しさはあったが、自分が感じたことは神さまのご意志であることが完全に示されたので、1832年の5月25日には(テインマスを出発して)ブリストルに到着した。

(『Release the Power of Prayer』15〜16頁より訳出。※ミュラーは絶えず聖書に聞いた人である。だから当時イギリスのキリスト教会で何らの疑問なしに行なわれていた慣行、教会座席使用料を否定して上述のように献金箱を置いたのである。A.T.ピアソンの『信仰に生き抜いた人』にその辺のことがさらに詳しく次のように書かれている。

「彼は『キリストに仕える者として、これ以上一定の俸給を受け続けることは、良心的でない」と考えた。一定の俸給とは定まった金額を意味するから、教会座席使用料の徴集またはそれに類した収入によらなければ、支払いが困難になる。しかしそれは、神の御霊の教えに明らかに反するものである(ヤコブ2・1〜6)。貧しい人は富める人のようにはよい席にすわれない。その結果、教会の集まりの中にあの忌まわしい差別感情や人間的偏見がもたらされ、階級制度的な精神を助長することになる。・・・こうして、1830年の秋、やっと25歳に別れを告げるという若さで、このような段階を踏み、その後も決して後退することなく、神の民のためにするどのような奉仕に対しても、定まった俸給をいっさい受けないという方針を曲げなかったのである。こうした立場については、聖書的な根拠を穏やかに示した。

一方、その同じ根拠に基づいて、自発的なささげものを奨励し、それは金銭であれ、他の方法によるものであれ、神に仕える聖職者の働きに対する正しい感謝のしるしであり、神が喜んで受け入れて下さるささげものであると強調した。その後まもなく、そのようなささげものが信者から個人的に直接届けられるために、多くささげる者はそれなりに自己満足を覚え、またある者はささげものが少ないために肩身の狭い思いをして、結局だれに対してもこの方法は有害であることがはっきりしたので、更に一歩進めて、礼拝堂に献金箱を備えつけることにした。

・・・更に、この主義を一貫して実行するために、主の奉仕のための旅費などについても、人からの助けを求めず、また事前にその援助の要求を間接的にそれとなくほのめかすようなこともいっさいしないことにした。何かの必要が生じた時はいつも主だけに求めるべきであり、そうせずに人に助けを求めるならば、それは肉の力により頼むことになってしまうと考えたからである。『神の御前にあってこの結論に到達するまでには、俸給を捨てること以上に主の御助けが必要であった』と彼は言っている。」同書61〜62頁より抜粋。)

2013年2月14日木曜日

The Master Teacher(主である教師)

ジョージがイギリスに着いた時、彼の肉体は弱められ、病気はひどくなり、もう直らないと思ったほどだった。しかし、神の民だけが理解し得る道で、彼は肉体がますます弱くなりつつあるにもかかわらず、魂の内側の平安を経験していた。彼はかつて自分が犯した罪を思い、一方で主から受けとった赦しの恵みをはっきり知るたびに、心に平安をいただいた。彼には、死ぬことが神のご計画なら、死んで永遠に主とともにある備えができていた。

医師がやって来たとき、ジョージは祈った。「主よ、あなたは、お医者さんが私にとって何が最善か知らないのをご存じです。だから、どうか彼を導いて下さい」また彼に処方された薬を飲む時の祈りは次のようだった。「主よ、あなたはこの薬がほんのわずかの水以下のものでしかないことをご存じです。さあ、どうか私の徳とあなたのご栄光のために役立つものを生み出してください。すぐ天に連れて行ってくださるか、それとも回復させてくださるかしてください。主よ、あなたが最善と思われるように私をお取り扱いください」

神さまのご意志はジョージが健康を取り戻すことであったが、神さまは依然として病を通して彼に教えようとされた訓練があった。友人たちは彼に健康を取り戻すために田舎に招待した。そしてこの機会に彼は聖書を学ぶ時間をたっぷり与えられることになった。

神さまの訓練は豊富で深い。神さまはジョージに神のみことばが「判断の基準」であり、聖霊が彼の教師たり得ることを示された。彼は端的に聖書そのものを学ぶことができるように、注釈書やその他のほとんどあらゆる本を脇に置くようにと導かれた。彼が言ったことには、彼が神のみことばだけに集中した初めての晩、それまでの数ヶ月かけて学んだことよりも、その数時間のうちにもっと多くのことを学ぶことができたということだった。

彼がロンドンに戻ったとき、彼は主の働きに対して彼が持っているどんな力をも差し出す決意をしていた。彼は宣教師として直ちに出発したかったので、宣教協会に対して派遣して欲しいと要請していたが、返事を受けとれないでいた。だから、彼は公的な承認を待つよりもむしろ、今いるところで宣教師の資格があるなしを問わず、神さまに正しく仕え始めるのが妥当だと感ずるようになった。彼はロンドンにいるユダヤ人にトラクトを配布し始め、すぐに約40名のユダヤ人の少年たちと規則的に聖書を読んだ。

1829年もあとわずかになったころジョージはロンドン協会に財政的に支援されるのは妥当でないと感じた。そして宣教の方向や財政を求めるに際しては、ただ主だけを頼みにすべきだと知った。どちらにも影響することなく、ジョージは協会との関係を解消し、今や主が門戸を開かれる所ならどこであろうとも福音を宣べ伝える自由を体験した。

(『Release the Power of Prayer』13〜15頁より訳出。写真は昨日の家庭集会に掲げた聖句看板である。「主よ。どうかあなたの光のうちを歩みたくないすべての信者を集会から遠ざけてください。そしてまた、あなたによって備えられていないすべての未信者をも来ないようにしてください」とは『実を結ぶいのち』122頁にしるされていることばだが、聖でありまことである主イエス様の前に絶えず覚えていなければならない祈りであろう。この祈りは先ず第一に自らの内に鋭く迫ってくることばであることを肝に銘じ、主の光の中に照らし出されて、主にある方々との交わりをともに喜ぶ者でありたいと思う。昼間は「主を喜びましょう」と題してヨハネ14・1〜3、15・11、16・33が、また夜は「待ち望む生活」と題して1コリント16・21〜22とそれぞれみことばが取り次がれた。集会にいつも出席なさっている方々が友人を祈りのうちに誘ってお連れなさるが、そういう方々が喜んでおられる姿を目の当たりにするのは主が下さる恵みである。昨日もその恵みを味わった。次回は2月27日午前10:30からである。)

2013年2月13日水曜日

ミュラーの願いと主のお答え

The Infant Samuel,1777 by Sir Joshua Reynolds
ミュラーは宣教師からの手紙を読むにつれ、自分自身が宣教師として導かれていると感じ始めた。主に全面的に、かつ条件をつけずに仕えたいと強く願い、自分が新しくつかんだ喜びを他の人と分かちあいたいと願った。彼は父と兄弟たちの霊的な状態が気になり始めた。彼らもキリストを受け入れてくれるように願って、手紙を書いた。ところが悲しいかな、彼らの手紙は怒りの返事となって帰って来た。

そのころ、フリードリッヒ・トールク博士、神学教授がハレ大学に教えに来た。トールクが大学に来たというので、数名のクリスチャンの学生が教えを受けるために他の学校から転校して来た。こういう信者たちのおかげもあってジョージの信仰は強められ、宣教師として仕えたい意欲が増すのだった。

もう一度、彼は父にドイツの宣教団体の一つに入る許可を求めて手紙を書いた。父は、もしおまえがこの道をあくまでも求めるのなら金輪際自分の息子とは認めないと言ってきた。父は前々からジョージが牧師になり、皆から畏敬される生活を彼と共に送り、終生安楽な生活をと望んでいたからである。ジョージは父の将来設計を実現することはとても請け合えないので、もはや父の財政的な支援は受け入れるべきでないと考えた。その支援金がたとえあともう二年間神学校を終えるのに必要としているお金であったとしてもだった。

ところが、神さまはジョージがドイツ語を数名のアメリカの教授たち(ハレに文学研究のために来た)に教えてその経費を賄うようにさせなさった。ジョージは自分がキリストのためにした小さな献身にすぎないと思ったが、神さまから大きな祝福をいただいたのだった。しばらくして、彼はヘルマン・バルという裕福な人に出会った。彼は家族とともに安楽な生活を営むよりは、むしろポーランドにいるユダヤ人の間で働くという道を選んだ人だった。バルの献身はジョージに深い影響を与え、ユダヤ人の宣教師になりたいという意欲が彼の心に芽生えた。

トールクはジョージにイギリスの大陸協会がブカレストに行って、主のために働いている年配の宣教師を助ける宣教師を派遣したいと考えていることを知らせてくれた。慎重に考え祈った結果、ジョージは行くことを申し出た。ところが、予期に反して彼の父も同意したのだった。

ブカレスト行きを準備しているとき、ジョージはかのヘルマン・バル(ポーランドのユダヤ人の宣教師である)が健康を害して、その働きを投げ出さざるを得なくなっていることを知った。ジョージはバルの代わりになりたいとの燃えるごとき情熱を覚えたが、すでにブカレスト行きを約束してしまったあとだった。

ある日、トールク博士を訪ねたおり、ジョージは教授からあなたは依然としてユダヤ人の間で働きたいと思っていますかと尋ねられた。彼はその質問に驚き、トールクにそうしたいという思いはこの数週間心の中に思っていたことですと話した。だが、二人は、ジョージがブカレストに行く献身をしたこと、そしてそれが主があがめられるために必要だということに同意した(Both agreed, though, that he had made a commitment to go to Bucharest, which needed to be honored.)。

翌朝までにジョージのブカレスト行きの願いのすべてがなくなってしまった。彼は神さまに回復してくださるように祈った。神さまはそうなさった。一方でジョージの熱心なヘブライ語研究は今や情熱と化していた。

10日ほどして、トールクはトルコとロシアの戦争ゆえに、宣教協会がブカレストに宣教師を派遣しないことを決めたことを知った。それでもう一度トールクはジョージにユダヤ人への宣教師になることについて彼が考えていることを聞いた。

祈って神さまに尋ねることをしてジョージは自らがロンドン宣教協会のユダヤ人伝道を押しすすめる手助けをしたいと申し出た。トールク博士を通して、ジョージはロンドン宣教協会の宣教志願生として受け入れられることになった。

神さまの奇跡的な介入を通してジョージは結核のゆえにプロシア国の軍役の免除を受け、彼がイギリスに渡れる旅券を受けとったのである。神さまがジョージ・ミュラーの夢にも思わなかった方法で彼をお用いになる計画が今まさに始まろうとしていたのだ。

(『Release the Power of Prayer』11〜13頁より訳出。英語を併記した所は誤訳の恐れがある所。「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。」ピリピ2・13)